この夏、西アフリカ・ギニア湾沿岸の4ヶ国を陸路で旅してきました。ガーナ ⇒ トーゴ ⇒ ベナン ⇒ ナイジェリアの4ヶ国です。4つの国の食生活・宗教・音楽・アート・人々を含めとっても“濃ゆい”アフリカン・カルチャーに触れる事のできる盛り沢山な15日間でした。彼の国々の熱気と喧騒を、少しでも感じ取っていただければと思います。
まず、1ヶ国目はガーナ。チョコレートや、黄熱病研究の野口英世先生で、西アフリカの国々の中でも、最も日本になじみの深い国ではないでしょうか。日本からフライト20時間以上かけて辿り着くと、まずは空港の入国手続きのおじさんが「アクワバ!」(おかえりなさい)と笑顔で出迎えてくれます。ガーナの魅力は、何といっても人々の人懐っこい笑顔です。どこへ行っても、笑顔・笑顔・笑顔でにこやかに挨拶が投げかけられ、そのフレンドリーな国民性が伺えます。また、人々はとってもきれい好きな一面もあり、大きな都市から田舎の村まで、どこへ行っても殆どゴミが落ちていない事には、ちょっとした感動がありました。
そんな、微笑みの国ガーナの旅行ですが、首都のアクラから旅は始まりました。
アクラでの訪問先は3ヶ所。まずは、ガーナの初代大統領のクワメ・エンクルマの廟を訪れます。日本の世界史授業では名前を見かけませんが、アフリカ大陸で初めて西欧からの独立運動を指揮し、アフリカ独立の父と呼ばれる、黒人史において極めて重要な一人です。次に、ガーナの装飾棺桶の工房を見学、そのままポップ・アートとして通用しそうな棺桶の数々。中には、思わず笑ってしまうような可愛らしいものも見つけたりしました。
最後に、コルレブ病院にある野口英世先生の研究所跡を訪れます。黄熱病研究の為に、大正~昭和初期という時代にガーナの地に渡り、自らも黄熱病に侵されながらも研究を続けたその場所が、当時の面影をそのまま残す形で保存されています。この研究所跡の訪問は、同じ日本人として感銘を受けずにはいられませんでした。
翌日、一路西へと車を走らせ、ケープコーストを経由してエルミナへと向かいます。アフリカと西欧諸国が抱える負の遺産とでも言うべき、「奴隷貿易」の要塞跡を訪れました。何百人もの奴隷が閉じ込められていた収容所、脱走奴隷の為の処刑部屋、新大陸への積み出し港など、息が詰まる思いをさせられる場所も多かったですが、実際にその場所を訪れて自分の目で見る事はとても意義のある事だと強く感じさせられました。現在では、周辺には早朝から活気にあふれる漁市場が広がっています。
そして、旅は北上し古都クマシへと向かいます。ガーナが共和国として独立する以前、ヨーロッパ列強と対等に渡り続けたのがアシャンティ王国でした。現代ガーナに生きる人々も、かつて繁栄を極め、イギリスと何度も戦い続けたアシャンティ王国の血が自分達に流れている事を誇りとして胸に抱いているそうです。植民地となった後も、完全に滅ぼされてしまう事はなく、王国の歴史と伝統は現在でも連綿と続いています。
また、クマシには西アフリカ最大規模と呼ばれる市場もあり、365日その喧騒と熱気は止む事を知りません。周辺の村々では、主要産業であるカカオ農園が広がり、またケンテと呼ばれる伝統の織物工房など、道中も見所はいっぱいです。
最後はガーナ東部へと進み、世界最大の人造湖であるボルタ湖とアコソンボ・ダムを見学し、いよいよ国境へと向かいます。陸路の国境越えはいつでも緊張感が伴いますが、優秀な現地スタッフのおかげで無事に手続きを終える事ができました。
次は、車を乗り換えていよいよ2ヶ国目のトーゴへと向かいます。
その2へつづく
生野