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2015.02.08発 モーリタニアン・サハラと世界遺産4隊商都市を巡る 15日間

サハラを抱える北アフリカ諸国が春に向かって暑くなってくる前の2月、サハラのベストシーズンに、モーリタニアの砂漠を旅するツアーに同行させて頂きました。
「モーリタニア」と聞いて、正確に地図上の位置を把握できる方は少ないかもしれません。おそらく日本で最も有名なモーリタニア関連のものは「タコ」でしょう。私自身、数年ぶりとなるモーリタニア訪問でしたので、添乗業務前に知識をブラッシュアップしようと資料を集め、色々と調べたところ、なんと現在日本国内で販売されているタコの約3割がモーリタニア産ということに驚きました。
スーパーの鮮魚コーナーにズラッと並んでいる「タコ」「モーリタニア産」と書いてあるのビニールパックを見ると、『海』のイメージがどうしても強くなってしまいますが、実際のモーリタニアは国土の90%が砂漠という、砂の国です。位置するのはアフリカ大陸の西の端、北をモロッコや西サハラ地域、南をセネガルに挟まれ、大西洋に面しています。国土面積は日本の約3倍、人口密度は1平方kmあたり3.6人(日本は343人)という、極端に人口密度の低い国です。

このツアーではこの国の人口の約20%が集まる首都ヌアクショットを基点に、国の南東部に位置する古の隊商都市ワラタから、北西のワダンまで、4つの隊商都市を繋いで砂漠を旅します。
「砂漠」といっても、草木が一本もない砂丘や砂原が延々と続く砂漠と違い、モーリタニアの砂漠は砂地に乾燥に強い低木類やアカシアが生える平原や、岩山と石ころだらけの「荒地」がほとんどです。もちろん、砂丘地帯もありますが、それほど多くありません。ただ、「何もない」広々とした印象を受けるという点では、他の砂漠と変わりありません。この砂漠を他の国の砂漠と違った印象を持ったものに変えてくれるのは、「かつて、最盛時には32,000頭ものラクダで構成された隊商が辿った道が通っている」という、歴史的な部分です。

首都ヌアクショットから西へ向かって延々と続く、通称「希望の道」。マリ国境近くの町、ネマまでは完全に舗装されています。

多くはありませんが、砂丘地帯も通過します。砂丘も風で移動しているため、ドライバーさんもルートを探りつつ車を進めていきます。砂が軟らかい箇所では度々スタック。

時期によって少ない雨が川となって流れる涸れ川沿いに、オアシスの多くが位置しており、ナツメヤシや栽培されている野菜類の緑が目を楽しませてくれます。

巨大なランドマーク、マフルガーの奇岩地帯。アルジェリアのタッシリや、リビアのアカクス山地に似た岩が屹立しています。

砂漠での宿泊はキャンプ。静かな、星が降るような夜を過ごします。

このツアーの見所は、そんな古のキャラバンルートを辿って訪ねる、11世紀から14世紀頃に栄えた4つの隊商都市です。南から北に点在する、ワラタ、ティシット、シンゲッティ、ワダンの、それぞれ特徴をもった4つの隊商都市はユネスコの世界文化遺産にも指定されています。いずれの街も、11~12世紀のムラービト朝時代前後に建造された街をベースに、補修・増築を繰り返してきたため、ムラービト朝の中心となったムラービトゥーン(「リバート=禁欲主義的な生活の場である修道場・宗教施設兼軍事施設」に拠る人々、「リバート」の修行者たち)の宗教思想を反映し、華美な装飾を一切排した質実剛健な雰囲気を湛えています。
■ワラタ
マリのマンデ人やソニンケ人に近い農耕・牧畜民が、11世紀に作ったと考えられている街です。当時は、ガーナ王国の一部で、1076年に一度破壊されましたが、1224年に再建、サハラ交易の要衝、またイスラム研究の重要拠点として繁栄しました。現在のワラタにはイエメンのアラベスク模様の影響を受けたとも言われている独自の装飾を施した、クサールと呼ばれる伝統建築や、手稿の博物館が残っています。装飾は女性たちが行い、その女性たちが作ったコミュニティーが、独特の焼き物(陶器?)を販売しています。この焼き物はお土産としてとても秀逸でした。

家の入り口を飾るアラベスク模様。各家の女性の手によるものです。

やはり街の中心はモスク。高い精神性を感じさせる飾り気のない建築が目を引きます。

家の中にも、アラベスク模様の装飾がなされています。室内にはゴザが敷かれ、靴を脱いであがります。

コミュニティーの女性たちの手作り品が、お土産として売られています。他の町では手に入らない、ここだけのオリジナルです。

■ティシット
1150年頃に創建、硬質の石を使った独自の建築様式で知られています。かつて栄えた隊商都市ですが、現在の主産業はナツメヤシの栽培。寂れた地方の小さな街ですが、目の前に砂丘が迫る、石造りの質実剛健な雰囲気、一種侘び・さびにも通じる雰囲気を漂わせています。個人的に、この街にはもう2・3泊じっくり滞在してみたいと感じた、独特の、静謐な雰囲気が漂う街でした。

強い風が吹く日は、風景全体が砂埃で霞みます。

どことなく、侘び・さびを感じさせるティシットの旧市街。砂丘をバックに、見事な石積みの家々が連なっています。

ティシットの街の中心となっているモスク。モスクの周辺だけ、砂地の街路ではなく、石畳の街路が整備されています。

■シンゲッティ
777年に建造され、11世紀までベルベル系サンハージャ族の連盟が担った交易の中心地となっていました。ムラービト朝による干渉、併合による没落の2世紀間を経て13世紀に再建され、地中海とサハラ以南のアフリカを結ぶサハラ交易の拠点として、クサールと呼ばれる独特の町並みが整えられました。街を囲んでいた本来の城壁は数百年のうちに失われてしまいましたが、旧市街の大部分の建造物は残っています。交易の中心地であった街のもうひとつの側面が、メッカに向かう巡礼者たちが集まる集会場としての役割でした。特にアラビア半島まで巡礼に赴けない人々にとっての聖都、またイスラム神学や科学の研究の一大拠点ともなりました。学校では神学に加え、論理学、法学、天文学、数学、医学なども講じられていたそうです。街には非常に貴重な手稿を収めた図書館が数ヶ所存在しています。

昔は「シンゲッティの国」と呼ばれたほどイスラム世界にその名が知れていた、かつての中心地シンゲッティ。

古文書を収蔵している図書館で、丁寧に説明してくれる管理人の方。誇りを持ってこの仕事に取り組まれているようでした。

天然の染料を使って、美しく彩色された古文書。

神学とともに、特に盛んに研究されていたのが天文学だったそうです。惑星の運行に関する解説書も残されています。

シンゲッティの北東方向から、おそらく延々アルジェリア領内まで続く砂丘地帯が始まっています。

いまだにラクダを使ってオアシスと街の間を行き来している人たちも見かけます。

シンゲッティ郊外の砂丘の上から、美しい夕日を眺めました。

■ワダン
シンゲッティの北東に位置、1147年創建後、16世紀の没落までキャラバンの交易の拠点となった街です。新市街は小さな山の上に築かれていますが、斜面にあたる一角に、同じくクサールと呼ばれる独特の古い町並みの遺構が手付かずで残されており、繁栄した往時の雰囲気や人々の生活ぶりをうかがい知ることができます。

今でも現役で人々に利用されている、ワダンのモスク。

かつてこの街を有力者・知識人たちの家が立ち並んでいたサヴァン(知識人)通り。メッカ巡礼を成し遂げ、「ハッジ(巡礼を成し遂げた人に冠される尊称)・某」、という名前の人たちが多かったそうです。

シンプルに石組を利用した、家の外壁の装飾。

廃墟と化しているものの、往時の様子をうかがい知ることができるワダンの旧市街。斜面と麓の間には城壁の跡も認められます。

これら歴史や建築に関連する見所と合わせて、ご参加の皆さんに楽しんでいただけたのが、モーリタニアの人々の素朴さとホスピタリティーでしょう。時期的にシリアでの日本人人質事件があった直後、行き先は同様のイスラム教国(ISは国家として認められていませんが)ということで、ご参加の皆様も出発前は安全面を心配されていたようでしたが、モーリタニアには思想的にISに影響を受けたグループもなく、人々は質素ながらも落ち着いた穏やかな暮らしを続けています。
オアシスの農家のお宅や砂漠地帯のど真ん中に張られた遊牧民のテントにお邪魔する機会が度々ありましたが、いつも暖かな歓迎を受け、美味しいミントティーをいただきました。どのお宅、テントでも、穏やかないい顔をした老人と奥ゆかしい女性たち、元気な子供たちがいました。『人の良さ』という面、『かつて栄えた偉大な文明』という面を考えると、モーリタニアはスーダンに似ている気がします。いずれも、ヌビア人とベルベル人という、アラブ到来以前から北アフリカの先住民として暮らしてきた人たちとアラブ系、黒人系の人たちと混血した人々の国です。スーダンは「アフリカ一のホスピタリティー」で有名ですが、その点ではモーリタニアも負けていません。それは同行の現地スタッフの人柄の良さにも現れていたように思います。

どこにお邪魔しても歓待され、まずミントティーが振舞われます。

長年の遊牧暮らしを反映してか、砂漠で出会う老人たちは、一様にいい顔をしていました。右側はガイドのマウロウド氏。

イスラム教国ですので、基本的に街で女性たちの写真を撮るのは難しいですが、テントにお邪魔した際は快く撮らせてもらえます。ただし、恥ずかしがり屋の方多し。

少年たちも明るく、元気で好奇心旺盛。礼儀正しい子が多かったです。

本人も高血圧とあってか、毎日塩分控えめのやさしい味の料理を提供してくれたコックのマンさん。明るくやさしい人柄で、参加者の皆さんのお気に入り。

そして、砂漠の国を旅した最後のシメとして、到着する大西洋。そして、海を眺めながら食べる大西洋の幸も素晴らしかったです。どんなに砂漠が好きで、砂漠に行くツアーばかりを選んでご参加いただいていても、やはり日本人には海と海産物が必要なのかもしれません。

波が高く、荒れ気味でしたが、砂漠を越え戻ってきて目の当たりにした大西洋は美しかったです。

大きなロブスター。その大きさゆえに大味かと思いきや、実も多く非常に美味しいものでした。

シンプルですが美味しい、スズキ系の白身魚の塩焼き。

シリアやイラクの影響を少なからず受け、少しずつ治安が悪化している国も多い北アフリカ諸国ですが、モーリタニアは私が初めて訪問した20年近く前とあまり変わらず(もちろん、道が良くなっていたり、地方の街に電気や水道が来ていたり、マイペースで発展しているようでしたが)、今も素朴で穏やかな国です。
これから砂漠の旅にはあまり向かない、砂嵐がおきやすい時期、次いで砂漠の気温が50℃近くまで上がる厳しい夏が来ますので、ツアーは一旦お休み、10月以降再開します。モーリタニアはすこぶる安全ですので、まだ足を運んでいない方は、ぜひ旅先候補の一つに加えていただきたいと思います。
羽鳥

道祖神