Categories: 北部アフリカ

2017.12.23発 ヌビア砂漠から紅海へ! スーダン北東部周遊 14日間

17年の年末年始、首都ハルツームからナイル川の大屈曲部を経て、その北方のエジプト国境に跨るヌビア砂漠へ、そして紅海との間に横たわる紅海山地(レッド・シー・マウンテンズ)を抜けて紅海岸へと足を延ばす、北東部スーダンへのアーに添乗員として同行させていただきました。
グループのツアーとしては弊社でも初めての訪問先で、今まで日本人がほとんど訪れたことがない未知の地域への旅として、年末年始の特別企画として今年初めて企画・催行したものです。スーダンといえば、ナイル川沿いに点在する古代エジプト時代からクシュ王国時代を経て、3つのキリスト教王国が併存じていた時代までの遺跡訪問をメインとするツアーがほとんどですが、このツアーはそれらに背を向け、砂漠や奇岩などの地形、また数年前に発見された古代の岩画、そして紅海沿岸の歴史ある港町への訪問をメインに据えた内容となっています。
アブダビの悪天候(濃霧)で、往路のフライトからトラブルに見舞われましたが、アブダビ&ダンマン(サウジアラビア)経由というあまりないルートで飛行機を乗り継ぎ、スーダンの首都ハルツーム到着。トラブルのせいで1日到着が遅れましたが、ご参加の皆さんの半数は以前の訪問の際にハルツームの観光はされたことがあり、今回のツアーの主眼は「砂漠」でもあったため、白・青の両ナイルの合流点をさらっと見学したのみでハルツームの滞在と観光をスキップし、クシュ王国後期の都があったメロエへ移動しました。

両ナイルの合流点。冬は白ナイルの水量が優勢なため、“色分けくっきり”は見られません。
ナイルがもたらす恵みをたっぷり吸収した地の食材を使った、美味しいスーダン食

早朝、30数基のピラミッドが残されている、メロエの東のネクロポリスで朝日を眺めました。メロエのピラミッドの多くは、頂が欠けているのですが(後年復元されたものもあります)、これはイタリア人の自称探検家(盗掘者)のジュゼッペ・フェッリーニの仕業です。1834年に訪れた彼は、金銀財宝を探して、わざわざ“比較的保存状態の良いピラミッド”を選び、その上部にダイナマイトを仕掛けひとつずつ爆破していったそうです。破壊した数、何と40数基。何てことしてくれるんだホント・・・。そうボヤきつつ、茜色に色づく砂岩のピラミッドと黄金色の砂丘を堪能した後、本格的に北に向けて出発。ナイルをフェリーで渡り、ナイル川大屈曲部の内側に位置するバユーダ砂漠を進みます。

玄室が見られるように地下に向かって通路工事中のピラミッド。
ピラミッドの間から徐々に昇ってくる朝日
頂上が破壊され、崩れたピラミッド。
ネクロポリスへはラクダに乗って行くこともできます。
いくつも橋ができ、今では少なくなったフェリーでナイルの対岸へ。

バユーダ砂漠は主に土漠と礫砂漠から成っていますが、火山活動が盛んだった頃のクレーターがいくつかあり、遊牧民ハッサネインの人々がミネラル分(塩)やクレーター内の空洞に溜まった真水を汲んでいる光景を見ることもできます。そして、北に進むにつれ、バユーダ(「白」の意味)の名前の由来になった白い砂の平原と奇岩が表れ、徐々に“いかにも砂漠”といった光景に変わっていく様は、目を楽しませてくれました。

遠くに鉄分を含んだ黒い岩山を眺めつつ、真っ平な土漠を走ります。
連日の美味しいスーダン・フード&イタリア風?ピザパン
19世紀のマフディー戦争中は真水の供給地として重要視されたアトラム・クレーター
クレーター内の空洞に溜まった水をくみ上げる遊牧民の男性
ミネラル分を含んだ土を土手に撒いて天日干しし、塩を採集しています。
風景は徐々に砂漠らしく変化していきます。
風化が作り上げた砂岩質の奇岩と白い砂の風景
砂丘は少ないものの、岩場と砂溜まりのコンビネーションもフォトジェニックです
風よけのある、適当な場所でキャンプ。夜はさほど冷え込みません。

バユーダ砂漠を北に向かって抜けると、再びナイルに出会います。アブ・ハメッドの街周辺で再度フェリーに乗ってナイルを渡り、今回の目的地の一つヌビア砂漠に入っていきます。ヌビア砂漠の南部では、大昔と同様に今も盛んに金の採掘が行われており、「人のいない」という砂漠のイメージが、違った形で裏切られました。一攫千金を夢見る男たちがテントを張って砂漠の只中に滞在し、重機や掘削機を使って作業をする光景をよく見かけました。おかげでこんなところに!と思えるような場所に、コーヒーや紅茶、簡単な食事を提供する茶屋があり、カルダモン入りのスーダン式コーヒーを飲みながら休憩をとることもできます。
北から北東に進むにつれ、ゴールドマイナー(金鉱労働者)達は減っていき、手付かずの砂漠が表れ始めます。そんな場所にも、砂漠が緑だった時代に使われていたであろう擂鉢や、野生動物の痕跡が認められます。

砂漠の真ん中にぽつんと立っている憩いの茶屋。
徐々に広がりを見せていく砂原。
こんな黒い岩山と砂原が、ヌビア砂漠の典型的な風景です。
砂漠化以前、付近に水があって穀物が栽培できた時代の生活用具
ゼンメリングかドルカスか、種ははっきりしませんが、ガゼルの足跡。

北から徐々に北東に進路を変えていくと、開けた砂原も減り、風景は徐々に山がちに変わってきます。紅海山地(レッド・シー・マウンテンズ)の始まりです。「砂漠」というイメージからはかなり離れてしまいますが、より変化のある風景に変わっていき、標高2000mはあろうかという岩山が、目を楽しませてくれます。この紅海山地では、つい数年前にポーランドの学術調査隊がたまたま発見した、おびただしい数の線刻画を見ることができました。どこからどう見てもランドマークとして申し分ない迫力のマガルディの奇岩に向かって伸びる小さなワジ(涸れ谷)を遡っていくと、かつては「ここに川が流れ、水が溜まっていたろう」とたやすく想像できる場所に出るのですが、その周囲を囲む、砂岩の岩場のほぼあらゆる場所に線刻画は刻まれていました。見る限り、非常に少ない数の野生動物と狩人の画があり、画の総数の9割以上を占める大きな角を持った牛たちと牧人の画があり、おそらく最も新しい時代に描かれたであろうラクダの画が点在しています。描かれた時代や、描いた人々等、正確なことはまだわかっていないそうですが、見応え充分な画の数々でした。ちなみに、この画の数々を発見したポーランドの学者さんたちの専門は考古学ではなかったそうですが、ここで岩画を発見した以外にも、製鉄技術を持っていたらしいことで知られるメロエ時代の、製鉄に使った坩堝(殆ど見つかっていなかったので、大発見となったそうです)も発見したとか。そういうことってあるんですね。

美味しいスーダン食は続く、こちらはランチ
風景は徐々に山がちに。
山々の中には頂に雲をかぶった、かなり標高の高いものもあります。
遠くからでもインパクトのある、マガルディの岩山
岩山に向かって伸びるワジ(涸れ谷)を遡っていきますと・・・
シンプルなものから・・・
より凝ったデザインのものまでの様々な、主に牛を描いた線刻画が見られます。
これはおそらく一番古い時代に描かれた、アイベックスを狩るハンターの画でしょうか?
一つの岩面にいくつも描かれている箇所もあります。

人の暮らしがほとんどないヌビア砂漠の北部と異なり、紅海山地は雨季になると水が豊富になるため、古くからここで暮らしてきた先住民ベジャ(ハデンドワ、ビシャリンの両氏族)の人々の集落が点在しています。フレンドリーな人たちですが、古い教えの通り「写真を撮られると魂を抜き取られる」と信じ切っているため、なかなか写真を撮らせてはくれませんが、乾季の苛烈とも思える自然環境の中でも人々の暮らしがあることに驚きです。彼らの集落の近くには、はるかに時代をさかのぼったケルマ時代(紀元前2500年~1500年頃)のものとされる石積みの円形墳墓も残されており、この地で連綿と暮らしが続いてきたことが実感できます。

枯れ木を組んで拵えた、ベジャ人の住居
ケルマ時代の地方の有力者ものと言われる石積みの墳墓
こういった、少し開けたワジ(涸れ谷)の奥にも・・・
風邪に吹き寄せられ溜まった砂の陰に埋もれて・・・
素晴らしい線刻画が描かれています。おそらくこのエリアの最高傑作?

紅海山地を縦横に走る、石ころだらけのワジ(涸れ谷)を四苦八苦しながら走り抜け、抜けた先には紅海、そしてスーダン最大の港町、ポート・スーダンがあります。到着した日はちょうど大晦日で、新年(1月1日はスーダンの独立記念日でもあります)はこのポート・スーダンの街で迎えました。

新年の朝のポート・スーダンの街並み

あいにくあまり天気が良くなかったのですが、海の色の美しさは充分よくわかる紅海では、地元の方々とグラスボートでの相乗りプチクルーズを楽しみ、シーフードも堪能しました。このポート・スーダンの南には、数千年の歴史を持つというスーダンで最も古く、紅海沿岸でも有数の歴史を持つ港スアキンを見学。ほぼ廃墟と化していますが、オスマン帝国時代にかつてここを領有・支配していたトルコの援助によって、修復作業が行われていました。

グラスボートで紅海クルーズ
再整備されたスアキンの街路、建物は廃墟ばかりですが雰囲気はあります
この廃屋は、かつて港の税関だった建物だそうです。
ここまでキッチリ修復されてしまうと味気ないと思うのは贅沢でしょうか?

紅海をご覧いただいた後は、ハルツームを目指して再び内陸に向かって走り、途中、エチオピアやエリトリアと結ぶ交通の要衝のカッサラへ立ち寄ります。スーダンはイスラム教徒が人口の95%を占めるというイスラム教国ですが、イスラムの中でもスーフィー(神秘主義)を信仰する人々が多く、歴史的にアンサールとカトミアというスーフィーの宗派が2大勢力となっています。興味深い建築様式をもつ、カッサラのシディ・アル・ハッサン廟(モスク)は、カトミア派の総本山の一つとなっていますが、靴を脱いで帽子さえとれば、モスク内や聖人が埋葬された廟内にも、異教徒である我々が立ち入ることができます。奇岩を背景にしたフォトジェニックな、素晴らしく見応えのあるモスクですが、スーダンの人々の寛容さを少し垣間見ることができる場所でもありました。

特徴的な岩山、ジュベル・タカとシディ・アル・ハッサン廟
アーチが見事なモスクの礼拝スペース、屋根はありません(昔も?)

カッサラからは一気にハルツームへ。走っても走ってもなかなかハルツームが見えてこない、南北に分かれてしまったとはいえ依然として広い、スーダンの国土の広さを実感する陸路移動でした。
全体的に渋い、玄人好みといった内容のツアーですので、レギュラーツアーの一つとして企画し続けるのは難しいかと思いますが、今後も特別企画として企画する予定です。ご期待ください!
羽鳥

道祖神