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2017.2.9発 南セネガル・大西洋の島々訪問とガンビア河を遡る旅 11日間

西アフリカのセネガル共和国とガンビア共和国の2ケ国へ行ってきました。セネガルはなんとなく聞き覚えがあっても、ガンビアとなると「どこ?」という人も多いのではないでしょうか。ガンビアはセネガルの中にある別の国で、面積ではアフリカ大陸で最も小さい国です。細長い国土の真ん中をガンビア河という大きな河が流れ、その両脇に陸地があるような構造をしている、地理的には世界でもちょっと珍しい国です。

白枠の中がガンビアです。周囲をセネガルに囲まれています。

このツアーの醍醐味は多種多様なスタイルでの「船旅」です。まずは、セネガルの花の都ダカールを出発してセネガルを南下、昔ながらの渡し船や、エンジン搭載のスピードボートを乗り継ぎながら南部のデルタ地帯をボート・トリップします。次に巨大な輸送フェリーでガンビアへと辿り着き、大西洋に面した河口からガンビア河を改造ピローグ船で遡っていきます。様々なスタイルの船を乗り換えながら西アフリカの奥へと入っていく「船旅」そのものが魅力といえるでしょう。

ゆったり進む渡し船。水を掻く音も心地良いです。
カラフルなスピードボート。海辺の風を爽快に切って進みます。
巨大な輸送フェリー。人も車も動物も飲み込んで運びます。
河を遡る改造ピローグ船。時に流れに身を任せながら、河を奥へと遡ります。

なかでも、メインとなるのはガンビア河を遡る船旅。このガンビア河には、かつての西アフリカの人々が奴隷として連れて行かれていた拠点が幾つも残っています。ヨーロッパの商人たちがこの大きな河を航路として使い、大陸の中まで入り込み、この土地に住む王族との間で人間を商品として取引していた「奴隷貿易」。今でもそこかしこに残るその痕跡、人類史の負の遺産を訪ね、西アフリカという日本からは遠く離れた地かもしれませんが、確かにそこで起きた歴史を学び直すような旅でした。そんな旅の様子を順追って紹介したいと思います。
まずは日本から飛行機を乗り継ぎ、アフリカ大陸の西の果て、セネガルの首都ダカールへ到着。喧噪のダカールを抜け、セネガル国内を南下します。

長い長いフライトの末にようやく辿り着きました。
ダカールからは快適なミニバスで移動。
エネルギッシュに人々が行き交うダカール市内を抜けます。
郊外の名物、カシューナッツ漬けワイン。
カシューナッツの実です。

まずは、デルタ地帯の入り口、貝殻でできた島ジョアル=ファディユへ。ここは、ムスリム(イスラム教徒)の人が多いセネガルでは珍しく、クリスチャン(キリスト教徒)の占める割合が大きく、ムスリムとクリスチャン、土着の自然崇拝の人々とが共存しているセネガルという国の縮図のような島です。

大陸と貝殻島は桟橋で結ばれています。
地面は地層の上に何世紀もの貝殻が折り重なっています。
人々の往来も貝殻の上です。
貝殻島だけに名物は貝です。

さらに南下を続け、途中の巨大バオバブに立ち寄ったり、地元セレールの人たちの相撲見物をしたりしながら、デルタ地帯の奥深くへ。マングローブ地帯をスピードボートで駆け抜け、船旅の始まりです。

セネガル最大のバオバブの樹。樹齢は1,000年を超えています。
幹には空洞が空き、中にも入れます。
浜辺では、セレールのおばちゃん達のダンス
若者たちが相撲の特訓。セネガルでは伝統相撲(タイゾン)が全国民的に人気です。
スピードボートのクルー達。
スピードボートだけに、対向車(船)もすれ違いざまは一瞬。
マングローブの間を駆け抜け、島から島へとアイランド・ホッピング。
1つの島に上陸。手際よくシンプルに料理をしてくれます。
船の上で食べる新鮮な魚介類は格別!

デルタ地帯を抜けた後は、いよいよガンビア入国。国境での手続きを終え、巨大なフェリーに乗り込み、ガンビア河を渡り首都のバンジュールへと向かいます。人も荷物も車も動物も飲み込む巨大な「渡しフェリー」は圧巻です。

車ごと巨大なフェリーに乗り込みます。
対岸のバンジュール港が見えてきました。
接岸後は、人々がなだれ込むのでご注意を!
無事に入国後はホッと一息。ガンビアといえばこれ、Jul Brewビールです。

バンジュール市内ではワニ園など、簡単に見どころを訪問。その後に、いよいよガンビア河を遡る船旅の始まりです。かつてヨーロッパの商人たちが西アフリカの内陸へと入っていったルートを辿ります。その道筋は図らずも、奴隷貿易の痕跡を辿るルートとなりました。

神聖な動物ワニにお触り。くれぐれもご注意を!
改造ピローグで船旅開始。
船内にはキッチンも完備で、地元料理を堪能できます。
遠く、クンタキンテ島が見えてきます。

クンタキンテ島は、かつて西アフリカの奴隷貿易の拠点とされた島で、小さな党内には今も要塞や砲台の跡が残ります。ガンビア河の周囲には、こういった奴隷貿易の拠点跡や、それが違法となった際の取り締まり拠点も含まれていることが、人類史に残る奴隷貿易の諸段階を伝える遺跡として独特なものとされ、このクンタキンテ島と関連の遺跡群を含めて、2003年にユネスコの世界遺産に登録されています。

沖で小舟に乗り換えて島へと近づきます。
島に上陸。意外と観光客で賑わっています。
クンタキンテの末裔の一族のお宅も訪問。
奴隷貿易の傷跡を物語るモニュメント。

途中、世界遺産の環状列石群なども訪問。再び船に乗り込み、ガンビア河を奥へ奥へと遡ります。上流につれ、河幅は狭まり、森も濃くなってきます。アフリカの大河を船で深く奥へと分け入っていく行程がこの旅の一番の醍醐味でした。

一見地味ですが、地史学的にも大変貴重な環状列石。
ガンビア河は遡るにつれ、深く闇の暗さが増してきます。
穏やかな河ですが、満ち引きによる潮目もあるため、舵取りは重要です。
密林を分け入り、奥へ、奥へと進みます。

ガンビア河を遡って辿り着いたジャンジャンブレアの街。こんな奥地にも奴隷貿易の爪痕が残っていることに驚きます。かつての奴隷小屋などを訪れた後、この街で1泊。翌日からは、大きく北上し、再びセネガルへと戻ります。

ガンビアの奥地にも奴隷貿易の跡が残っています。
現在は食物貯蔵庫。この建物の地下に、かつて奴隷の人たちが住まわされていました。
見慣れた河の光景に別れを告げて、いざ再びセネガルへ。
セネガルに入った途端、喧噪と共に陽気な連中がお出迎え。

そのまま大きくセネガル国内を東から北上。ダカール北部のレトバ湖へと辿り着きました。別名をラック・ローズ(ピンクレイク)と言い、かつてはサハラ砂漠を超えるパリ・ダカール・ラリーの終着点でもありました。この湖は海水の10倍もの塩分濃度がある塩湖で、塩を採掘する地元の人たちで早朝から賑やかです。

時間帯によっては、何となくピンクレイク。昼下がりが一番ピンクに見えます。
湖の周囲は塩の採掘場が広がります。
袋詰めにされた塩は、国外の内陸国へも輸出されています。
四輪ジープで湖から大西洋のビーチまでドライブ。

セネガル南部とガンビアを一回りし、旅はダカールへと戻ってきました。ギラギラと賑やかなダカールを楽しみつつ、最終目的地、ダカールの沖合いに浮かぶゴレ島へと渡ります。このゴレ島は奴隷貿易のアフリカ側の最後の拠点、奴隷の積み出し港とされていた場所です。現在の島はコロニアル風の建築が立ち並ぶ、静かで穏やかな心地の良い空間でした。

久しぶりのダカール市内。人もモノもエネルギーあふれる大都会に帰ってきました。
ダカールの沖合に浮かぶゴレの島。
この旅最後の船は、高速フェリーでした。
奴隷貿易の積み出し港の跡が残るゴレ島。
コロニアル風の建物が並びます。
現在の姿は、車も走っていない穏やかな島です。

アフリカ旅行に何を求めるかはご参加される人によって多種多様だと思いますが、少なくとも「観光」という言葉には明るく楽しい響きがあります。ですが、アフリカに限らず、旅行をしていると図らずもそれだけではない一面に出会う瞬間があります。この旅は、もしかしたら「アフリカ旅行」と聞いて多くの方がメージされるものとはちょっと違った旅だったかもしれません。
日本からのフライトも非常に遠く、道中の移動手段や宿泊施設も快適なものばかりではありません。雄大な大草原の夕陽や、わくわくするような野生動物との出会いとは異なるアフリカの姿ばかりでした。
それでも、そんな土地には底抜けに愉快で陽気なセネガル、ガンビアの人々が居ました。彼らと共に笑い合いながら船で旅をしつつ、そんな彼らの陽気な姿と、かつてそこで確かに起こった事実と、様々な一面が同時に飛び込んできます。
旅を通して、直に人や歴史に触れた経験は、訪問された方の心にも何かしらの爪痕が残ったのではないでしょうか。アフリカの人々との触れ合い、過去の歴史に根差した現在の暮らしや文化、アフリカのそんな側面に興味のある方にはうってつけのツアーです。現地の乾季限定の船旅ツアー。是非、今年の乾季(日本の秋から冬)もお待ちしています。
南セネガル・大西洋の島々訪問とガンビア河を遡る旅 11日間
生野

道祖神