西アフリカの果ての島国、カーボ・ヴェルデ共和国に行ってきました。
アフリカの国々に関心の高い方々の間でも「どこ?」という声も多いのではないかと思いますので、まずは簡単に説明を。アフリカ大陸の西端の国セネガルから沖合い600kmほどの所にある、大小18の島々からなる国です。
アフリカ大陸の西の果ての島国です。15世紀中頃、大航海時代までは無人島群でした。 15世紀の中頃にポルトガルの冒険家によって発見され、以後、ヨーロッパとアメリカ大陸を結ぶ航路の重要な拠点、また奴隷貿易の拠点として、ポルトガルの植民地化、発展を遂げました。入植したポルトガル人、および連れてこられたアフリカン(セネガル人、ギニア人など)がルーツとなって人々の歴史が発展し、1975年には、ポルトガルから独立しています。
日本からのアクセスは少々困難で、まずはヨーロッパの西端ポルトガルまで飛んで、少々長めの乗継時間を経て、夜中の飛行機でようやくカーボ・ヴェルデの首都プライアに到着します。…ということで、まず降り立ったのはポルトガルの首都リスボン。
まずは中継地のリスボンで一休み。南欧の太陽が気持ち良いです。 大航海時代を記念した記念碑『発見のモニュメント』この時代がなければ、カーボ・ヴェルデはなかったかもしれません。 リスボンと言えばこれ。1837年創業のPastéis de Belém(パスティス・デ・ベレン)のエッグタルトです。何を隠そう、リスボンはエッグタルト発祥の地です。 随分寄り道が長かったですが、ポルトガル航空にてようやく深夜に到着。 まずは、首都プライアのあるサン・ティアゴ島に到着。…したのも束の間、翌朝に早速カーボ・ヴェルデ北部のサン・ヴィンセンテ島に飛行機で向かいます。港町ミンデロを拠点に、まずは北部の島々をアイランド・ホッピングです。
初めて乗りました。カナリア諸島の航空会社、ビンテル・カナリアス航空。緑色のラインが鮮やかです。ちなみに、カーボ・ヴェルデという国名はポルトガル語で「緑の岬」という意味があります。 小一時間のフライトでしたが、空から見る大西洋がとっても美しく、あっという間に着いてしまいました。 サン・ヴィンセンテ島は世界的に活躍をした裸足の歌姫、故セザリア・エヴォラの出身島でもあり、空港は彼女の名を冠しています。 空港の外には彼女の銅像。2011年に70歳で亡くなられました。 2014年からは紙幣にもセザリア・エヴォラさんが使われています。お隣は先代のエウジェニオ・デ・パウラ・タヴァレスさん。カーボ・ヴェルデの詩人です。アフリカ各国の紙幣は歴代大統領の肖像画等が使われることが多いですが、この国は端々に文化の香りが覗きます。 色鮮やかな港町ミンデロ ヨーロッパの豪華客船も寄港。後ろの山は、人が上を向いている横顔に見えることで有名です。 日本の漁船も来ていました。第一長久丸さん。 活気に満ちたミンデロの魚市場 珍味カメノテ!(亀の手)。これはフジツボの親戚です。ぷりぷりして美味しい。 お!タイセイヨウマグロもあります。マグロの仲間としては最大の種で、成魚700kgという記録があるそうです。 タイセイヨウマグロは、カーボ・ヴェルデ漁業の主要魚種です。どんどん持ってけ! という事で、お昼ご飯はマグロのステーキです。 デザートはQueijo (ヤギのチーズ)とPapaya Jam(パパイヤ・ジャム)の和え物。クセになる味です。 ミンデロの魚市場は午前の競りが終わると、仕事を終えた漁師たちの憩いの場へと早変わり。 パステルカラーの街並みも相まって、のんびりとした空気が流れます。 さて、そんな音楽と漁師の港町ミンデロに別れを告げて、船旅にて次なるサント・アンタン島へ向かいます。
雨の少ないカーボ・ヴェルデの中で、最も緑が豊かな島です。起伏に富んだ素晴らしい景観と、段々畑が連なる村の人々の小路を散策するのが目的です。
フェリーで、島から島へと向かいます。 島に着くなり、険しい山の中の小路を車で走ります。 ひたすら山間部の村に住む人々の生活路でもある石畳の道が続きます。 途中の村でお祭りをやっていました。太鼓のお囃子はまるで日本の夏祭りみたいです。 何となく縁日っぽい雰囲気も。 女の子達も白熱しております。 バナナとキャッサバ粉の揚げ物。 アンタン島の名産はクローグ(ラム酒)です。ちょいと縁日気分で一杯。 山を越えて辿り着いたお宿はこじんまりと雰囲気の良いロッジでした。 翌朝、半日ほど村の人達の生活路を歩きます。毎日の暮らしに使われている道とはいえ、なかなかにハード。 遠くに今まで歩いてきた村が見えます。絶景! 段々畑の連なりが美しい景観を形作っています。 途中の村の茶屋で休憩。 素朴なおもてなしが嬉しい。 ちょっと休憩に立ち寄っただけなのに、姿が見えなくなるまで見送ってくれました。 起伏に富んだ見ごたえのある道が続きます。歩きごたえも十分! お昼は地元の食堂で。ここでも変わったデザートが出てきました。バナナが炎に包まれています。 バナナをラム酒に漬け込んで、火を付けながらあぶってくれます。危険な味わいです。 アンタン島では、海の幸、大地の恵み、とびっきりの野菜やフルーツを堪能しました。そして、次なる目的地はカーボ・ヴェルデの南に位置するフォゴ島。島まるごとが活火山のような島です。フォゴという言葉自体に“火”という意味があります。実は3年前に噴火しており、その後数年は入山が禁止されていました。解禁されて以来、弊社としても初のツアー催行でしたので、現在はどうなっているのか?不安と期待が入り混じります。またも、船や飛行機を乗り継いで、島から島へ。途中に2つの島を経由してフォゴ島へと辿り着きました。まずは、フォゴ島の玄関口でもあるサン・フェリペの街を散策。
カーボ・ヴェルデ航空の飛行機でフォゴ島到着。この旅、4種類目の航空会社です。 こじんまりした空港ですが、大きな火山の壁面がお出迎え。期待が高まります。 朝早くの到着でしたので、町中のパン屋さんで腹ごしらえ。 年季の入った窯で焼いてくれました。 ヤギのチーズを削って、パンに練り込んで焼いています。美味! サン・フェリペの街は火山の麓になるので、山側に向かって町全体がゆるやかな坂になっています。 各家々も、傾斜に沿って建っています。 サン・フェリペではコロニアル建築を改装したり、壁を塗り替えたりした建物が目を引きます。 フォゴ島自体が大きな火山ですので中心には直径10kmほどのカルデラ(火口原)が広がります。今夜はこのカルデラ内にある村で宿泊する予定ですので、一路島の中心部へと向かいます。島の外周を半周ほどしてから、だんだん高度を上げていきます。途中、そこかしこに溶岩流の跡が見えました。古いものは土壌と化していますので、土の色を見れば、どの年代の溶岩流かわかるそうです。フォゴ島は、記録が残っているだけでも1600~1700年代に3回、1800年代に3回、1951年、1995年、そして2014年と噴火を繰り返しています。
まさに現役真っ只中の火山島という事になります。
高度を上げていると、突然、目の前にカーボ・ヴェルデ最高峰(2,829m)のカノ山(Pico do Fogo)が姿を現しました。今回の旅の最後のメインイベントでもあります。カノ山のトレッキングです。
カルデラ(火口原)に近づくと、子供たちが火山岩で作ったおもちゃを持って来ました。伝統的な様式の家屋を模したものですね。お土産に最適? 他にはこんなものが。うーむ。火山岩お土産はシュールな世界です。 出ました。最高峰のカノ山(Pico do Fogo)です。 カルデラ(火口原)内にある村まではバスで登ります。 肥沃な火山性土壌では様々な植物の栽培がおこなわれており、ワイン造りもその1つです。 立派な醸造所です。 フォゴ島名産。度数が38度もあるものも! 翌日、早朝に村人のガイドが宿まで迎えに来てくれて、トレッキングを開始しました。登りはじめは砂地ですが、途中から足元はガレ場に変わり、ピーク直下はとても急峻になり鎖場も出てきます。ピークに立つと、眼下には様々な年代の噴火口を臨むことが出来ます。周囲を取り囲む外輪山とその向こうに広がる大西洋。遠く他の島まで見ることが出来ます。また、下りは富士山の砂走のような形状をしていて、一気に何百mも駆け降りることが出来、とても楽しいです。登りは約4~5時間とそれなりに時間を要しますが、下りは小一時間程度で麓の村まで駆け降りることが出来ました。
滞在したロッジ。周囲は外輪山に囲まれ、見ごたえのある景観です。食事も凝っていて美味しかったです。 宿の裏庭に回ると、カノ山の雄々しい姿を正面に見据えています。 ブドウ畑を抜け、登り口へと向かいます。 登り始めから、暫くはなだらかな砂地が続きます。遠く向こう側に聳える外輪山も美しいです。 ガレ場に変わったあたりでひと休憩。雲海の先には大西洋が広がります。 だんだん足元が急峻になってきました。 最後の難所、鎖場をつたってピークへ。 ようやく登頂! 山頂からは周囲の外輪山、島の向こうまでぐるりと見渡すことが出来ます。 下りは砂走りを一気に駆け降ります。 スピードが出過ぎると急には止まれないのでご注意を! 下山後はしばらく麓に広がるカルデラ(火口原)の中の村で休憩です。このカルデラ内にある村ですが、元々は1,500人ほどが住んでいたのですが、3年前の噴火で流れ出した溶岩流が村を埋め尽くし破壊してしまいました。村の人々は事前に避難をしており、死者や怪我人は1人もいませんでしたが、自然の猛威の前に自分たちの村が無くなってしまうというのは、筆舌に尽くしがたい経験だったと思わずにはいられません。現在、村には500人ほどが戻ってきて、村の再建に取り組んでいます。
2014年の噴火前の村の様子です。 噴火によって発生した溶岩流で村は埋め尽くされてしまいました。 村を飲み込んだ溶岩流が、そのまま冷えて固まり地面となっています。 ほとんどの家屋が屋根だけを残して埋もれてしまっています。 少しずつですが、着実に再建への道を歩んでいます。 固まっているとは言え溶岩流の地面は未だ放熱があり、建物の床の上ですらとても裸足で歩くことなどは出来ません。さらに日に数度、地中深くから『ドーン!』と突き上げるような轟音と振動。何事かと思い、何度も夜に目が覚めました。噴火からまだ数年内は火山自体のエネルギーが収まらず胎動を続けている証です。
噴火から約3年、そんな過酷な環境の中で、溢れんばかりの笑顔でもてなしてくれた人々のフレンドリーさと、何より前しか見ていないそのパワー。村の再建作業は、潰れた住居等の再建に始まり、畑を耕作し、火山地帯の肥沃な土壌を利用してのコーヒーやワイン造りなどもスタートしています。噴火で村が無くなってから、まだたったの2年と少しです。火山という地球のパワーも壮絶なものがありますが、それよりも村の人々の持つパワーに打ちのめされた数日でした。数年後、必ず大きく立ち直っているであろう村をまた再訪して、この村の人々のパワーをもらいに行きたいと思っています。
火山よりも村の人々のパワーに打ちのめされました。 ◆島を歩く!カーボ・ヴェルデ 10日間
生野