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2018.6.24発 ケニア・トゥルカナ・カルチャーフェスティバル 11日間

先日、ケニアへのちょっと変わったツアーに同行させていただきました。北部にある『トゥルカナ湖』を訪れるツアーです。目的は1年に1度のお祭り『トゥルカナ・カルチャー・フェスティバル』へ参加する為です。そしてその道中に、ケニア北部を陸路で走る事そのものがもう1つの魅力でした。ケニア北部は10を超える少数民族の人々が遊牧をして暮らす土地でもあります。普段なかなか出会うことのないケニア北部の少数民族を訪ねる旅へと行ってきました。

日本からの空路はエチオピア航空利用。今回の目的地の『トゥルカナ湖』の上空を南下して首都のナイロビへと向かいます。
到着後、ナイロビ国立博物館へ。隠れた名所です。
博物館のモニュメント。様々な種類のカラバッシュ(ヒョウタン)が象っています。42もの様々な民族が集まっている『ケニア』という国を表したものです。
500種類を超える(!)鳥類の剥製コーナーは見ごたえ満点です。
各種別の巣や卵まで展示するという充実度。勉強になります。
さて、荷物を積み込んでいよいよケニア北部への旅が始まります。未舗装が続くエリアですので、ここは堅牢なTOYOTAランドクルーザーで行きます。
ナイロビ市内の高速道路のTHIKAスーパー・ハイウェイを北上。ケニア唯一の8車線道路です。
ナイロビを出て暫く行くと途端に田舎道へと様変わりします。まだまだ北へ北へ。
途中、赤道を通過して北半球側へ。(ケニアは国の真ん中を赤道が横切っています)
サンブル国立保護区で1泊。若いゾウが喧嘩していました。
サンブルと言えばアミメキリン。
エチオピアとの国境の町Moyaleの名前が看板に出てきました。正面に聳えるのはケニアのテーブルマウンテン。まだこの辺りは舗装路が続きます。
目的地の『トゥルカナ湖』ロイヤンガラニの街まで231km
この辺りからは未舗装路が続きます。

ケニア北部は、かつては『北部辺境州』とも呼ばれ、殆ど人が住むことのない荒涼とした土地が広がります。赤道を越え、北へ上がれば上がるほど苛烈な環境になり、雨がほとんど降らず、昼間の気温は40度近くにまで達するという『熱と渇きの大地』です。この辺りからがこの旅の本番。首都のナイロビでは、あまり出会うことのない少数民族の人々の暮らす土地へお邪魔します。

道中、ゆっくり食事を取れるようなレストラン等は殆ど存在しません。道すがら食糧を調達し、同行のコックさんが手料理をふるまってくれます。
宿泊はキャンプです。
夕食もコックさんの手料理。ザ・ケニア料理。カランガ(牛肉煮込み)、スクマ(菜っ葉)、ウガリ(トウモロコシの粉を練り上げたもの)です。
途中の壮大な景色の中をハイキング。
牛追いのサンブルの青年とすれ違いました。頭の羽根飾りがお洒落です。
いつの間にやら、子供たちが付いてきました。
サンブルのお母さんたち。皆、にこやかに挨拶を交わしてくれます。
再び、『トゥルカナ湖』へ向けて北上。ダイナミックな景観が続きます。
いよいよ人工物が何もなくなりました。乾燥した大地を北へ、北へ。
湖が近づいてくると、突如として姿を現す風力発電。何もない荒野にはるか向こうまで風力発電が建ち並ぶ様は、何とも言えぬ異様な雰囲気を醸し出していました。

目的の『トゥルカナ湖』は、琵琶湖の10倍もの大きさを誇る世界最大の砂漠にある湖です。周囲も含めて火山性の土壌の中に存在し、湖の中央の島ニャブヤトムは活火山です。トゥルカナ湖は1888年にオーストリア=ハンガリー帝国の探検家テレキ・サミュエルとルートヴィヒ・フォン・ヘーネル海軍中尉によって発見されました。彼らは皇太子ルドルフの名にちなんでこの湖をルドルフ湖と名付けましたが、1975年に湖の西岸に居住するトゥルカナ民族 (Turkana) の名前を取って、トゥルカナ湖に改称されています。主に湖の周辺地域に居住している民族は、ガブラ民族、レンディーレ民族、トゥルカナ民族の3民族です。近年のエネルギー開発による風力発電の建設や、オイルの採掘問題など、地元の人々にとっては外からの人やモノの流入が激しく、今まさに大きく揺れ動いているエリアです。

丸3日間走り続けて、いよいよ見えてきました『トゥルカナ湖』です。
世界最大の砂漠の湖、緑色の植物プランクトンが多いことから英語では『Jade Sea(翡翠海)』とも呼ばれます。

この『トゥルカナ湖』は人が暮らすには非常に過酷な土地です。昼間の気温は40度超え。夜間は25度前後までは下がりますが、湖からの激しい風が吹き付け、夜ごとに静けさとは無縁の乱暴な夜が襲ってきます。
現在でも、この過酷な土地には10を超える少数民族が、遊牧や漁猟の暮らしをしていますが、古来より続く民族間の争いがあるうえに、近年の石油採掘や風力エネルギー開発など、人々の暮らしが大きく揺れ動いている土地でもあります。今回参加した『カルチャー・フェスティバル』は、観光局や地元政府などの後援の元、ケニアの最辺境に暮らす人々が直面している様々な問題や課題を共通のものとして認識し、衣装や装飾品、生活様式などを通じてお互いを知り、伝統文化を称え合い、平和的な共生関係を築いていくことを目的としてスタートしました。

ロイヤンガラニの街の郊外に設置された会場へと向かう人々。カラフルなサンブルの人々。
ケニアの最少民族と言われるエルモロの人々。
サンブルのモラン(青年期≠戦士期)たち。迫力の佇まいでした。
サンブルとトゥルカナの青年たちが混ざっています。普段は別の文化圏に住む人々同士の交流もフェスティバルの目的の一つです。
これも、フェスティバルならではの光景。向かって左側がサンブルの青年。正面で手を繋いでいるのはラクダ系遊牧民レンディーレの青年と、エチオピアに跨って暮らすボラナの女性、さらに右に居るのはチャルビ砂漠のガブラの女性です。様々な出自の人々が、文字通り手を取り合っています。
レンディーレの女性。少しずつ見分けがつくようになってきました。
トゥルカナの青年たち。頭にかぶったダチョウの羽根が印象的です。ちょっと分かりにくいですが、「エキチョロン」という椅子を常に持ち歩いています。
サンブルの女性のビーズ装飾は圧巻。青年期の男性が意中の女性にビーズを贈り、受け取ることでその求愛が成立する、『ビーズの恋人関係』が有名です。
「ビーズの恋人関係」で重要な「ビーズ」は、実はチェコ製の輸入品。高価なビーズを買うために、『モラン』の男性は大切な牛を売って現金を作り、意中の娘にプレゼントします。この「恋人関係」は、女性が親の決めた相手との結婚が決まると終わりを迎えます。
勇ましい風貌のサンブルのモラン(青年期)たちですが、好きな女の子にビーズをプレゼントして求愛するなんて微笑ましいですね。
圧倒的な存在感があるのは、やはり『トゥルカナ』の人々です。
素朴ですが、芯から響く迫力のある唄を披露してくれました。
年配のおじさんたちも何とも言えないインパクトがあります。
得も言われぬ迫力のあるチーフ。
ドーム型の住居を組み立て、その中で暮らします。
お邪魔すると、ちょうどヤギを捌いている最中でした。

フェスティバルの最中は、トゥルカナ湖周辺の村々の訪問も見逃せません。ケニア北部に暮らす人々、『トゥルカナ』『エルモロ』『レンディーレ』『ガブラ』『ポコト』『デサネッチ』『ボラナ』など、今までケニアを何度か訪れたことのある方々でも、あまり耳馴染みのない名前ではないでしょうか。それぞれの人々の暮らし、生活様式、歌や煌びやかな伝統衣装、踊りなどが披露され、滅多に会うことの出来ない人々に会い、その暮らしぶりに触れさせてもらうことの出来た旅でした。
また約1週間、キャンプをしながら訪問した北部ケニアは、とても『豊かな大自然』とは言い難い苛烈な土地でしたが、訪問者にとって全く優しくないその自然環境は、厳しく、乱暴であるからこそ、美しいとも思える場所でした。そんな土地で生きる人々と垣間見えたことは、皆さんが抱いていた『野生動物の王国ケニア』のイメージが根底から覆されたのではないでしょうか。気軽に遊びに行く場所ではありませんが、だからこそより多くの人に訪問してもらい、自分自身の身体で体感していただきたいと思います。現在、訪問しやすい時期を選んで、この『北部ケニア』のさらに奥まで訪問するツアーを計画中です。ご期待ください。

荒々しい景観が続く『北部ケニア』。今までのケニアのイメージが覆される旅でした。

生野

道祖神