スーダンという国はアフリカでも最大級の面積を誇る大国でありながら、存在感が大きいとはいえない。実際に訪れたことのある人も少ないだろう。90年代にはあのオサマ・ビンラディンが滞在していたので、アメリカからテロ国家と呼ばれて空爆を受けるなど、どちらかというと日本人には負のイメージの方が強いと思われる。ただスーダンの名誉のために書き添えておくと、当時アメリカ政府は「世界に脅威を与える化学兵器を作っている」という言い分で空爆したのだが、実際に破壊された工場は何の関係もない民間の医薬品製造会社だったことが明らかになっている。
最近では、西部のダルフール紛争や南スーダンの独立など政治的に不安定な時期が続いているため、日本人からはますます遠い存在になっている。純粋に旅を楽しむ目的でスーダンに入国する人はどのくらいいるのだろうか。
しかし僕が知るかぎり、スーダンをしばらく旅したことのある人は、例外なくスーダンの人々のホスピタリティを褒め称える。外国人に対してとにかく人懐っこく、優しい笑顔を投げかけ、歓待してくれる。観光立国である隣国のエジプトでは話しかけてくる人のかなりの割合が商売目的であるのと対照的に、スーダン人はとにかく下心抜きで純粋に外国人に接してくる。好き嫌いは人によってもちろん異なるだろうが、ひとの良さという面ではアフリカ大陸においてスーダンはダントツで抜きん出ていると思う。
エジプト国境のワディ・ハルファという村からイギリス植民地時代に敷設された列車に乗って首都ハルツームに向かったことがあるのだが、途中で列車が立ち往生し、数日間をヌビア砂漠の真っ只中で過ごす羽目になった。持参の水と食料が切れたが、同乗のスーダン人たちから次々と差し入れをいただいた。しかし彼らとて余分を持参しているわけではなく、僕の代わりにじっと空腹を耐え忍んでいた。そういう人たちなのだ。街では木陰で甘いチャイを飲ませる店を数多く見かけたが、代金を受け取ってくれないこともしばしば。何事にも不慣れな旅の外国人をとにかくもてなしたいという気持ちがいつも伝わってきた。
やはり国土の多くが砂漠という厳しい環境にあることが、そのような性格を形成しているのだろうか。助け合わないと生きてゆけない世界。ニュースなどで巷に流れている負のイメージというものがいかにいい加減であるか、それはやはり実際に旅に飛び出して身体でナマの人たちと接しないとわからないものなのである。
写真・文 船尾 修さん
船尾修さん 1960年神戸生まれ。写真家。1984年に初めてアフリカを訪れて以来、多様な民族や文化に魅せられ放浪旅行を繰り返し、いつのまにか写真家となる。[地球と人間の関係性]をテーマに作品を発表し続けている。第9回さがみはら写真新人賞受賞。第25回林忠彦賞受賞。第16回さがみはら写真賞受賞。著書に「アフリカ 豊穣と混沌の大陸」「循環と共存の森から~狩猟採集民ムブティ・ピグミーの知恵」「世界のともだち⑭南アフリカ共和国」「カミサマホトケサマ」「フィリピン残留日本人」など多数。元大分県立芸術文化短大非常勤講師。大分県杵築市在住。 公式ウェブサイト http://www.funaoosamu.com/