ビ・キドゥデ(本名/ファトゥマ・ビンティ・バラカ)は、東アフリカのタンザニア、その東海岸に浮かぶ島ザンジバルの最長老女性歌手です。2013年4月17日、惜しまれつつも永眠されました。享年は出生の年月日が明らかでない為、不明ですが100歳を超えるかどうかというご年齢。
ザンジバルという島は、イスラム教の成立よりはるか昔、1世紀あるいは2世紀にエジプトで書かれた書物にその名が登場するほど、古くからインド洋交易の拠点として栄えた島で、欧州諸国によって「発見」される遥か昔から、東アフリカとインド洋を隔てた中東、アラブ諸国との交流の要でした。近世では、ポルトガルの進出にさらされたり、東アフリカ沿岸部を広く治めたオマーンの支配下にあった時代や、イギリスの保護領だった時代もあり、様々な人、文化の往来を受ける中、独自の文化を育んできた島です。
アラブとアフリカの会合、それは人々の言語、文化、風習、そしてもちろん音楽文化にも深く影響を与えています。東アフリカの海岸部では、ターラブと呼ばれる音楽が発展しましたが、そのターラブの首都とも言えるのが、このザンジバル島でした。
ターラブ音楽を一聴して分かるのは、まさにこの音楽そのものが、異なる文化が出逢い、化学反応を起こした果てに生み出されたものだという事です。東アフリカに育まれてきた太鼓を中心としたポリリズムのビートの上に、アラブ起源の楽器であるウードやカヌーンの演奏が合わさり、さらにアコーディオンやヴァイオリンの抒情的な旋律が奏でられます。そのさらに上には、コブシの効いた野太い歌が浪々と続きます。人と文化の歴史が紡がれ、重ねられていく中で自然発生的に誕生した音楽、これこそ世界史のドキュメントです。
そのターラブ音楽の生き字引きとも言える存在が、この「ビ・キドゥデ」。

10歳のころから歌を歌っていたそうですが、ザンジバルで名を馳せ、外の世界に向けても大きな活躍が始まったのは、1980年代の中ごろから、御年70歳を超えてからです。日本にも2度の来日公演を果たしています。「ビ」は女性につける敬称、キドゥデとは「小さくて得体の知れないもの」を指しており、その通り名そのままに、とても小さく細い身体のどこにそんなパワーが潜んでいるのか、ステージでは、自分の背丈と同じ位の太鼓を叩き、唸る野太い声を響かせていました。
また、ビ・キドゥデは、消滅の危機に瀕している成女儀礼「ウニャゴ」の重要な担い手でもありました。初潮を迎えた女性に対しての通過儀礼で男性が視ることはタブーとされています。
その儀礼ウニャゴを経て、女性は大人になっていきます。ビ・キドゥデのお葬式にはタンザニア大統領をはじめ、地位のある方々が多く参列しましたが、かつてビ・キドゥデの手によって、大人へとしてもらった数百人もの女性達が駆けつけたそうです。
イギリス制作のドキュメンタリー映画『AS OLD AS MY TONGUE』には、このビ・キドゥデの普段の生活から、音楽家としての顔、前述した成女儀礼ウニャゴの事など、広く取り上げられていますが、なかでも目を引くのが、ビ・キドゥデがヘビー・スモーカーでビールを好むというところです。イスラムの島・ザンジバルに住む女性としてはまずもってありえない事ですが、体制に収まろうとしなかったビ・キドゥデそのものを表しているようにも思えます。
このドキュメンタリー映画の中での名言。
「アタシは酒を飲んで、タバコを吸って、スピーカーなしで歌うんだよ。」
今でもザンジバル島の人々の心の中には、反骨の女王ビ・キドゥデが生き続けています。
by ナイロビ駐在所・生野
道祖神