「買」 東アフリカ随一といわれる市場「マルカート(MARCART)」

歴史とエネルギーに満ちた露天市場

市場(いちば)は楽しい!市場ほどその国の暮らしや文化を知ることができ、ふだんの人々の姿が見られるところはない。エチオピアには、東アフリカ随一といわれる「マルカート(イタリア語で市場の意)」がある。首都の西に広がるこの市場は、1937年イタリア占拠時代に造られた。古くはオロモ人の露天市場があり、salt bars(塩の塊)で売買を行うこともあったという。場内にぽつんと残る「塩売り場」がその歴史を留めている。

場内に残る「塩売り場」。今は、家畜用の塩として売られている

エチオピアの露店市場は、万華鏡のように広がる小道、老朽化した歴史的な建物、手仕事が見られる近さ、活気ある掛け声など、市場の魅力がいっぱい詰まっている。カオスの中でたくましく生きる人々に圧倒されながら、そのエネルギーが自分の中にも充填されていくのを感じるのも、また魅力のひとつだ。

カオスの中にある独自のシステム

人、車、家畜が道にあふれ、すべてが高速で動く露天市場では危険もつきまとう。市場をよく知る人と行動するか、ガイドを雇うことが必要だ。慣れてくるとカオスにしかみえない市場にも、独自のシステムや売り方があることに気づく。
まずは売り場。無秩序に並んでいるようにみえるが、商品ごとに売る場所が決まっている。マルカートの場合は、アンティークと土産物、仕立て・生地、古本、教会で使う品物、金銀細工、野菜・果物、バター、刃物みがき、塩売り場、台所用品とリサイクル、民族衣装とお土産、乳香とスパイス、オープンマーケットと14区分されている。地方にある露店市場も売るものは多少異なるが、商品ごとにエリアが決まっている。はじめから興味のある場所を目指していけばそう迷うこともない。

マルカート内のリサイクルショップ

次に値段交渉。はじめは提示された金額の約3分の1から(とエチオピアの人はいう)。私は気が小さいので2分の1くらいからだが、ここでは値切ることが原則(とエチオピアの人はいう)。値が下がらなければ、興味ないという顔で立ち去る(呼び戻されなかったらどうする⁉)。交渉を続けたければ、必ず呼び戻される。ふっかけられたと腹を立てず、「交渉を楽しむ余裕」がほしい。それが市場のルールだから。
初期のオロモ人の露店をほうふつとさせるラリベラの市場

100年かけて変貌していった露店市場は、今も巨大市場へと進化を続けている。一坪にも満たない小さな店には、何もないように見える。が、何でもある。あなたが想像する以上のものが。
マルカートは再開発が進められ、露店の多くは建設されたビルへの入居が始まっている

成功者の物語

古い歴史をもつエチオピアの露天市場には、都市伝説めいた成功者の物語も多い。もっとも有名なのは「グラゲ少年の物語」だ。彼らは6歳くらいで故郷をはなれ出稼ぎにでる。先輩の少年たちが仕事の世話や面倒をみてくれ、少年は靴磨きの道具を借り、生活費を稼ぎながら小学校へも通う。お金が貯まると次はたばこやガムを売り歩き、乗り合いバスの車掌のような仕事もこなす。正月には里帰りし、貯めたお金を家族に手渡す。そして何年か過ぎると仲間と小さな店を共同経営し、最後に自分の店をもつというストーリーだ。事実、店のオーナーにはグラゲの人たちが多いそうだ。

キオスクを手伝う少年。いつかは店のオーナーに

■マルカート情報:平日と土曜日。日曜日と祝日は、服と土産を売る一部の店を除き閉まっている。モスクで礼拝がある金曜日と、土曜日が混む。
写真・文 白鳥くるみさん

白鳥くるみさん
(アフリカ理解プロジェクト代表)
80年代に青年海外協力隊(ケニア)に参加。以来、教育開発分野で国際協力に力を注ぎ、多くの課題を抱えるアフリカのために何かできたらと「アフリカ理解プロジェクト」を立ち上げる。エチオピアを中心に活動の後、2015年、日本に拠点を移し本の企画出版などの活動をつづけている。
道祖神

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