この旅をしていた2005年。ジンバブエでは「クリーンナップ作戦」という名の政策のもと、町のスラムや露店市場が政府によってブルドーザーで破壊され、物議を醸していた。ブラックマーケットを無くすというのが大儀らしい。国内はガソリン不足でバスも走らず、欧米のバックパッカーからはジンバブエへ今行くべきではない、とあちこちで話を聞いた。でも、自転車旅行者として国境をくぐれば、非常に穏やかだった。
国境の銀行に掲示されていたレートはUS$1=26,000ジンドルだったが、その辺にいた両替屋に米ドルを渡すと「○○ミリオンだ」と言って超分厚い札束をくれた。物価の目安がわからず、とりあえず近くの食堂へ。定食を頼むと「モザンビークなら5万、米ドルなら2ドル、ジンドルなら100万」と言われた。もうわけがわからん。そう、ジンバブエの通貨は大変なインフレでもあった。さらに、外国人に対する何らかの政策があったのか、町の安ホテルではどこでも「満室だ」と言われ、泊めてもらえなかった。立ち去ろうとすると「だが、しかし、待て」と宿の主人は言う。「この目の前にテントを張って寝るのはお前の自由だ。トイレやシャワーはホテルのものを使ってくれ」と暖かい言葉をかけてくれるではないか。旅行をするにあたり、何も不自由はなかった。それどころか、人々の旅人に対する暖かさを今まで以上に感じた。アフリカ人の不器用な政策と人々の強さ、優しさを感じるジンバブエの旅だった。アフリカに来て7回目の満月を迎えた。
文・画 吉岡健一