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2019.2.15発 インド洋・スワヒリ・コースト航海~ダウ船で巡る島旅15日間~ 後編

さて、ケニア・ラム島からタンザニア・ザンジバル島までのスワヒリ海岸の航海の後半。前半のケニア部分では、海岸沿いの漁村や港町に停泊を繰り返しながら南下してきたのですが、ケニアを出国してからは海を横切り、タンザニアの島嶼部へと向かいます。まず目指すは北ペンバ島。今回のルートで一番の難所です。いよいよ島から島へのダウ船航海も本格的になってきました。

天気は快晴。季節風の向きも良し。大海原を進みます。

ずいぶん快調に進んできましたが、クルーの1人が指をさした方向、前方に巨大な雲が見えてきました。

雲がすごいスピードで向かってきます。あっという間に眼前に迫ってきました。

皆が急に慌てだしました。急いで帆をたたみます。

いつの間にやら雨風まで激しくなってきました。もう避けられないと判断し、錨を海に沈めてやり過ごします。

普段はのんびり陽気な船員たちもテキパキと働きます。

この時ばかりは自ら舵を取るアリ船長。

船の中央にすべての荷物とスタッフを集め、激しく吹き付けるスコールをやり過ごします。

ようやく雲が過ぎ去って行ってくれました。錨を引き上げて、ホッと一息。再び船を出します。

嵐が過ぎ去った後は再び快晴。ペンバ・ブルーとも呼ばれる美しい海です。

ようやく目的地のペンバ島が見えてきました。

島に上陸し、タンザニアの入国手続き。小さなプレハブ小屋が国境でした。

この日は1日激しく振り回されたので、ダウ船も港に仕舞い込み、一晩かけてメンテナンス。よくぞ持ちこたえてくれました

ペンバ島の最北端ヴマ・ウィンビ海岸は透き通るように美しく、そのわりに観光客の少ない静かなビーチが広がります。お勧めです!

ウングジャ島(ザンジバル本島)の北にあるペンバ島は、かつてクローブの一大生産地として栄えた島です。島の人々のルーツはシラジと呼ばれる人々で、太鼓のペルシアのシーラーズに出自を持つ人々の血をひくとされていいます。このシラジの人々と、大陸に出自を持つアフリカ系の人々、スルタン統治時代のオマーン人をはじめとする中東系の入植者の子孫、様々な人々の交流と文化が積み重なって生まれた『スワヒリの世界』に満ち溢れた、のどかな島です。何よりもペンバ・ブルーの海は絶品の美しさを誇ります。
かつてクローブの名産地として栄えた島です。市場にも香辛料がいっぱい。

ここでも山ほどマンゴーを買い込みます。毎朝のお楽しみです。

アフリカ料理のお供に欠かせないのはピリピリ(唐辛子)!!

「ダラダラ」と呼ばれる乗り合いバス、いや乗り合いトラックです。島の公共交通機関です。

さてさて、翌日も航海は続きます。アリ船長自らエビの殻向き。

「ELSA BELLAH(イザベラ)号」のネームプレート。船の魂です。

しかし、料理中はまな板に早変わり!

エビと豆のスワヒリ風カレー。船の上だろうと料理の味付けにうるさい男たち。

昼飯時は船上のお楽しみタイム。

食事が終わると毎回泥のように眠る。

ペンバ島の南部ムコアニへ到着。いよいよ旅も終盤です。

ペンバ島の地図。島の周囲に点在する小さな無人島の数々も興味深いです。

『スワヒリ』という単語には、「海岸、岸辺」などの意味があります。
ソマリア南部からケニア、タンザニア、モザンビーク北部までのアフリカ大陸東部の海岸の事を指しています。このアフリカ大陸の東海岸は、アラブとアフリカが複雑に融合した、世界史的に見てもとても独特な文化が発展してきた土地でもあります。この土着文化と外来文化の交差点の末に生まれたのが『スワヒリ世界』。ケニア・タンザニアを含めた東アフリカは人類発祥の地といわれていますが、文字に書かれた歴史上に登場するのは、紀元1世紀頃に書かれた「エリュトラー海案内記」で、東アフリカ海岸はアザニア(Azania)として触れられています。季節風(モンスーン)を利用してアラブ、ペルシャ等から、商人がダウ船を利用した貿易によってこのアフリカ東海岸を訪れ、ザンジバルやキルワなどの都市国家を築きました。後にオマーンのブー・サイード王家が王宮をザンジバルのストーンタウンに移し、貿易を直接管理し、このスワヒリ海岸一帯を支配下に治めます。
1964年に大陸側のタンガニーカとザンジバルが連合国家としてタンザニアになったわけですが、それまでは内陸のアフリカがザンジバルにとって「外国」でした。今回の旅路のゴールにふさわしい、『スワヒリ世界』の真髄ともいえるのが、最後に向かうザンジバル・ウングジャ島です。
いよいよ最終日。一般的に「ザンジバル島」と呼ばれる本島。ウングジャ島への旅路です。島から島への間にも小さな島が点在します。

途中、航海士の1人が海鳥が群がっている漁場(フィッシュレーン)を発見。船を走らせ、見事に大物をキャッチ!

旅の最終日に、今回一番の大物を釣り上げました。アッラーに感謝です。

ウングジャ島に到達する前に、近くの小島でひと休み。

ご参加者が休んでいる間に、さっき釣り上げたばかりの獲物をせっせと料理です。

その間、皆さんはひと泳ぎしてリフレッシュ。

ようやくウングジャ島の最北端、ヌングウィのビーチが見えてきました。ゴール!感無量です。

ビーチに近づくと一大リゾートが見えてきました。

なんとダウ船をビーチに突っ込ませて上陸。今までの航海と、リゾートのギャップに少々戸惑います。

ヌングウィ・ビーチは一流のダイビングスポットとしても知られます。

夜になり、われらが「ELSA BELLAH(イザベラ)号」とクルーたちに最後の別れを伝えに行きました。

本日釣り上げた大物を炭火でじっくりと焼き上げます。

みんな長旅ありがとう!お疲れさまでした!!

ヌングウィ・ビーチでのんびりした後は、最終目的地、ウングジャ島の中心ストーンタウンへと向かいます。古いアラブ風の石造りの家が迷路のように建ち並ぶ旧市街は「ストーンタウン」(2000年世界遺産登録)とよばれ、白い壁に真鍮製の飾りびょうや精巧な彫刻を施された扉が500以上も残り、今も街の人々の普段の生活の場として存在しています。スルタンが使用していた宮殿やかつてポルトガルの侵攻に立ち向かったオールド砦など、見所も多い場所です。ですが最大の魅力は、食事や建築、音楽、人々の佇まい、日常の暮らしの細部に至るまですべてが『スワヒリ世界』そのものという事です。ちょっとした街角を曲がった時の景色や、ふと立ち寄った食堂で食べるビリヤ二、垣間見える人々の日常生活、全てにこの島の2000年の歴史が凝縮されています。
迷路のようなストーンタウン。迷いながら歩くのが楽しいです。

迷路のような小路もバイクが走り回っているのでご注意を!

ザンジバル式のスワヒリ・ドア。ラム島で見たものとは様式が異なります。

ストーンタウンの夜のお楽しみと言えば、フォロダニ市場での魚介類。所狭しと屋台が並びます。

カフェではタアラブ音楽。アラブの音楽とアフリカの音楽が混ざり合い溶け合った、スワヒリ文化の最大の見どころの一つと言えます。

立派なザンジバル式ドア。争いが起きた時の備えに、外側へ向かって突起状の装飾が施されているのが特徴です。

ストーンタウンのほぼ中心に建設されたカテドラル。奴隷の売買を行う市場として使われていました。

ストーンタウンに来たならここは外せません。ローカル食堂ながら外国人にも絶大な人気を誇る名店「PASSING SHOW」です。

この店のビリヤ二は本当に絶品!是非、ストーンタウン訪問の際はご賞味ください。

ラクダを「砂漠の船」と呼ぶのに対しダウ船は「海のラクダ」と呼ばれています。紀元1世紀頃のギリシア文献『エリュトゥラー海案内記』にはすでにその名が登場し、アラビア語で「船」そのものを意味しています。2000年の間、この『ダウ船』こそが、インド洋世界の交易、文化交流を担ってきました。季節風(モンスーン)を利用し、香辛料、木材、象牙、金、穀物、奴隷などをアラブやインドへ、代わりに綿製品や茶、銅製品などをアフリカへと持ち込みました。
今回利用した『ELSA BELLAH(イザベラ)号』は、ダウの中でも伝統的にラム島で伝えられていた製法の『ラム・スタイル』。船尾ですっぱりと切れ落ちているのが特徴で、近海航海用で「ジャハージ」といわれる中型のものです。遠い所ではモルジブや、インド南西岸まで航海するものもあるそうなので、いつかは…と夢が広がります。
陽気なラム島の船乗り連中と一緒に作り上げた、スワヒリの海の船旅。また来年の冬に季節風『カシカジ』の吹く季節に予定しています。是非、スワヒリの海の旅を体感してみてください。
古来より変わらない木造帆船でのクルーズ。快適かどうかは人によりますが、ロマン溢れる極上の時間を過ごして頂けます。

■インド洋・スワヒリ・コースト航海~ダウ船で巡る島旅~ 14日間
2020年2月7日(金)出発 748,000円
■レポート前編はこちら
生野

道祖神