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2019.2.15発 インド洋・スワヒリ・コースト航海~ダウ船で巡る島旅15日間~ 前編

毎年1月から2月にかけて、アフリカ大陸の東側、インド洋を南西に向かって季節風が吹きます。『カシカジ』と呼ばれるこの風に乗って、古来よりアラブのムスリム商人たちはアフリカ大陸の東海岸と交易をしていました。そのインド洋交易に使われていたのが『ダウ船』と呼ばれる三角帆の船、そして交易によって栄えたアフリカの東海岸を総称して『スワヒリ・コースト(海岸地域)』と呼びます。アラブとアフリカの文化がブレンドされたこの海岸地域の歴史は古く、内陸部のイギリス植民地文化の影響が色濃いケニアとは大きく趣が異なります。人々の佇まい、食事、建築、音楽などすべてが独特です。そんなスワヒリ海岸地域の文化の真髄とも言えるのが『ダウ船』です。『ダウ船』の歴史は古く、紀元1世紀ごろには書物にその名前が登場します。今回のツアーは、そんな古来から製法の変わる事のない『ダウ船』を一艘貸し切って、『スワヒリ・コースト』を航海することそのものが目的でした。

ケニアの首都ナイロビに到着後、小さなプロペラ機に乗り換えて、スワヒリ海岸へと向かいます。

空からの景色。マングローブに覆われたラム島が見えてきました。三角帆のダウ船の姿が見えます。

ラム島での主な足は船。船を走らせ、旧市街へと向かいます。

ラム旧市街のメインポート。多くのボートがタクシーのように並んでいます。

ラム旧市街はユネスコの世界遺産にも登録されています。ポルトガル占領時代に建設されたオールド・ポート(砦)を中心に石造りの街が広がります。

路地に入るとまるで迷路のように石の街が広がります。

車が全く走っていないこの島の中の交通手段はロバ。のどかなラムらしい風景です。

家々の扉は美しいレリーフが彫り込まれたスワヒリ建築。時代に合わせて様々なスタイルがあります。

旧市街の中心にある憩いの広場。イスラムの島でもあるラムは、どこからともなくコーランが聞こえてきます。

今回のツアーのメインとなるのは、ケニアの『ラム島』からタンザニアの『ザンジバル島』までの8日間の航海です。出発地のラム島は、ケニアで最も古い港町の一つで、かつてはヨーロッパ、インド、アラブ、そして中国をも結ぶ東アフリカ有数の港として栄えました。とても小さな島で、島内を走る車は車は地方長官の乗用車1台のみ、人々の移動手段はロバと徒歩が中心です。アフリカとは思えないようなイスラム風の町並みが残る旧市街は、ユネスコの世界遺産にも指定されています。薄暗い細い路地を歩けば、時間が止まったかのような中世イスラムの世界に浸ることができます。往時の繁栄を偲ぶものはほとんど残されてはいませんが、昔ながらの素朴なのんびりした雰囲気を感じることが出来る島でした。そして、今回のツアーの相棒ともいえる『ダウ船』と航海の仲間たちはラム島に暮らす船乗りたちです。
ラム島、マンダ島、ぺテ島と3つの島から成ります。それほど大陸からは離れておらず、周囲がマングローブで覆われています。

南部ソマリアの首都Mogadishuから、遠く南のモザンビークSofalaまで。このアフリカ大陸東側を総称して「スワヒリ・コースト」と呼びます。インド洋を渡り、遠くインドからマレーシア、中国までもが交易の相手でした。

現在のラム島は往時の繁栄に比べると、のどかで小さな島です。中央市場も規模は小さいですが活気にあふれています。

ラム島で拠点としたのは外洋に出やすいシェラの街。宿はこじんまりとしたスワヒリ建築のゲストハウスです。

部屋からの眺め。遠くに帆をたたんだダウ船が停泊しています。

シェラの街は村と言ってもいいほどの大きさ。白い壁が続く家々と村全体が砂地に覆われています。

夕暮れ時、明日からの航海に備えて、一回り小さなダウ船で島の周りを2時間ほどのショートクルーズ。「モザンビーク・スタイル」と呼ばれる船尾が細い形状をしたダウ船です。

三角帆を大きく張って、風を受けて走ります。ご参加者の1人も早速舵取りを任されました。

三角帆はマストを巻き込むように帆を張り、風の向きに合わせて左右に向きを人力で切り返します。シンプルな造りですが、計算され尽くした構造をしています。

『ダウ船』の特徴は何よりも徹底的に木造帆船であること。1枚の大三角帆(ラテンセイル)を持ち、外板を固定するための鉄や釘を一切使わず、ココヤシの繊維で作った紐や瀝青(タール状の粘土)で組み立てることが特徴です。木材を紐で縛って組み上げる事から、ダウ船は「縫合船」とも呼ばれます。主な動力は三角帆で受ける『風』そのものですが、現在では小さなヤマハの船外機を付け、風とエンジンの2つの動力を使って走るのが一般的です。外洋に出てからの航海中の一番の魅力は風に吹かれる船上で過ごす時間そのものでした。
翌朝、いよいよ外洋へと出発。まだあたりが暗いうちに出発し、洋上で美しい日の出を浴びます。

日が上がりきったら、いよいよマストを大きく張り出します。

帆を張るこの瞬間の興奮は、ダウ船の旅の醍醐味です。

大きく空に張り出しました。北から吹き付ける「カシカジの風」そのものが我々の命綱です。

季節風「カシカジ」に乗って南へと進みます。

日本の旗も掲げました!インド洋の風にたなびいております。

さて、うまく風に乗ってしまうと、実は船のクルーもあまりやる事がありません。交代で舵取りをして、他のみんなはのんびり。

海図の読み方をレクチャー。

見事に大物を釣り上げました!今日のお昼ご飯も安泰です。

船の甲板があっという間に台所へ早変わり。海の上で炭火のバーベキュー。

料理は航海の楽しみの一つ。協力して一生懸命作ります。

男の漁師ご飯!つい数時間前に釣り上げたばかりの新鮮なサワラが贅沢です!

道中の港町に寄りながら、夜は各港町の宿泊施設に泊まり、また翌朝からは外洋へと出発。船上では毎日釣り上げた魚を料理し、お腹いっぱいになったら甲板で風に吹かれながら昼寝。ケニアからタンザニアへと海を渡り、国を超え、目指すゴールはタンザニアのザンジバル島です。
海岸沿いに停泊しながら南へと向かいます。宿泊地のバンガロー

どこの滞在先も素朴ながら、快適な宿泊施設です。

1日の航海が終わり、陸地から眺めるダウ船と夕焼け

砂浜でのんびりしていると、近所の子供たちが遊びに来ました。

今回の相棒は「ELSA BELLAH(イザベラ)号」。伝統的なラム・スタイルの建造にこだわった一艘です。

場所によっては沖合に停泊したダウ船まで、小型ボートを使ってのウェットランディング。

ダウ船に乗船後は早速朝ごはん。新鮮なマンゴーはほぼ食べ放題です。

再び、のんびり風に吹かれる船旅の始まりです。

スワヒリ海岸、最大の港町モンバサに到着しました。

モンバサの名所、「タスクス」と呼ばれる象牙を模したモニュメントです。かつてアフリカ最大の象牙集積港だったことを偲ばせます。

モンバサの旧市街の食堂にて。絶品のスワヒリ料理の1つ、マトン・ビリヤ二です。

大型のタンカーなどは近代的な港に入りますが、小さなダウ船は旧市街の港(オールド・ポート)へと入ります。モンバサの旧市街は、14~15世紀にポルトガルの支配下に置かれ、インド洋交易の最大拠点の一つとして栄えました。

夜の旧市街。何とも言えない雰囲気があります。

お肉屋さん。どこのお店も看板代わりにイラストで表されています。

モンバサを出発し、次なる目的地はシモニ半島。ケニア共和国の最南端です。この頃になると、ダウ船のクルーたちとのチームワークもばっちり。

風任せの旅路。のんびり甲板で語らっている時間が何より楽しい時間でした。

ケニアの最南にあるバオバブの島、ワシニ島が見えてきました。この島の向かいにあるのが最南端のシモニ半島です。

シモニ到着。18世紀頃、スワヒリ海岸一帯がオマーンの支配下にあった時代に内陸奴隷の集積場所として村が発展していたという歴史があります。

現在ではのどかな漁村といった雰囲気です。スワヒリ海岸には珍しく、人口の60%以上をクリスティアン(キリスト教徒)が占めます。

奴隷の集積場所だったシモニ洞窟。内部は蝙蝠の巣となっており、非常に劣悪な衛生環境。胸の詰まる場所でした。

翌日からは大きく海を横切り、タンザニアの島嶼へと向かいます。ケニアの出国手続きも終え、夕食はもはや部屋のように慣れ親しんだダウ船内にて、魚介類の炭火焼き。

翌朝、大きく三角帆を張ってタンザニアのペンバ島へ向けて出航です。インド洋を横切るような形になり、今回のルートの中でも難所の一つです。

沖合にもダウ船スタイルの漁船が見えます。青一色の景色の中、タンザニアへと向かいます。

航海も中盤を乗り越えました。シモニ半島でケニアの出国手続きを終え、海を渡っていよいよ国境越え。タンザニアの沖に浮かぶザンジバル諸島へと進みます。まずは大きくインド洋を横切りペンバ島へ。果たして無事に海上の国境越えが出来るでしょうか。(後編に続く
■インド洋・スワヒリ・コースト航海~ダウ船で巡る島旅~ 14日間
2020年2月7日(金)出発 748,000円
■レポート後編はこちら
生野

道祖神