先日、ミャンマーの少数民族が暮らす地域を訪ねたとき、小学生ぐらいの女の子が地面に線を引いて「ケンケンパー」をしていた。こうした「子どものあそび」には当然、地域ごとの特徴があるものだが、どういうわけか世界中で共通したあそびというのも結構あるらしい。代表的なものといえば、「あやとり」や「なわとび」だろうか。だれしもたぶん子どものころにはこうしたあそびを経験していると思うが、民俗学者の研究によると、そうしたあそびは単一起源ではないという。つまりどこかで発生して伝わったというのではなく、自然発生的に世界各地であそびが生まれたらしいのだ。
あやとりはいっけん女の子の遊びのように思えるが、そうでもないらしい。僕も子どものころは熱中してやっていたことがある。たしか「ホウキ」とか「ハシゴ」とか呼ばれる形を作ることを競っていた。ひとりであそぶこともあれば、ふたりで交互に形を作っていく場合もある。写真のようにアフリカではエチオピアで見かけたことがあったし、コンゴ民主共和国のイトゥリの森で暮らすムブティ・ピグミーの女の子たちがやっていたのを見たこともある。
僕は自分の子どもを観察していて、あそびが子どもの仕事なのだな、と実感することがある。あそびを通じて子どもは成長していく。人間が成長して大人になってゆく過程というかシステムは、おそらく人種や民族に関係なく世界中で同じなのだろう。そういう成長の過程であやとりなどのあそびも自然発生的に生まれるのではないだろうか。そう考えると、たかがあやとりというあそびも、幼少期の言語の習得と同じくらい脳の発達に関して大切なものなのかもしれない。
もし生まれた直後からプラスチックでできた玩具などが与えられてしまったら、あやとりというあそびとも無縁のままで子ども時代を過ごしてしまうような気がする。アフリカを旅したことのある人はまず子どもの数の多さに驚かれたと思うが、ありあわせの廃材や空き缶などを利用してつくった玩具であそんでいる姿を目撃された方も多いだろう。ちゃんとハンドルが付いた小さなトラックを得意げに運転している男の子もよく見かける。思わず自分の子ども時代に重ね合わせて懐かしさを感じる旅人も多いはずだ。そういう姿を目撃すると、なぜかホッとして救われた気持ちになる。と同時に、ゲームばかりしている日本の子どもは大丈夫か、と心配になってしまうのである。
写真・文 船尾 修さん
船尾修さん 1960年神戸生まれ。写真家。1984年に初めてアフリカを訪れて以来、多様な民族や文化に魅せられ放浪旅行を繰り返し、いつのまにか写真家となる。[地球と人間の関係性]をテーマに作品を発表し続けている。第9回さがみはら写真新人賞受賞。第25回林忠彦賞受賞。第16回さがみはら写真賞受賞。著書に「アフリカ 豊穣と混沌の大陸」「循環と共存の森から~狩猟採集民ムブティ・ピグミーの知恵」「世界のともだち⑭南アフリカ共和国」「カミサマホトケサマ」「フィリピン残留日本人」など多数。元大分県立芸術文化短大非常勤講師。大分県杵築市在住。 公式ウェブサイト http://www.funaoosamu.com/