Melaku Belay (メラク・バライ)とFendika(フェンディカ)

Melaku Belayは1980年アディスアベバ生まれ。
現役ばりばりのエチオピアを代表するダンサーです。
一口にエチオピアのダンスといっても、エチオピアは80を超える民族が暮らしており、各民族ごとに腰遣いもステップもリズムも異なり、非常にバラエティ豊かです。
各民族の歴史と文化の中で紡がれてきた伝統的なステップ、それが現代のエチオピアの人々の実生活とも地続きで、今でも人々の生活の一部として親しまれている「生きた」ダンスです。
そんなエチオピアン・ダンスの担い手として国を代表するダンサーのMelaku氏。

欧米のアーティストたちからも引く手数多のオファーを受け、年の1/3を海外公演に費やすという多忙な身でありながら、そんな彼が自らのホームとして決して離れることのない「Fendika」という小さなアズマリ・ベット(酒場)があります。

アズマリとは、北部ゴンダール地方をルーツとする職能音楽集団のことをそう呼びます。
男性はマシンコと呼ばれる一弦ヴァイオリンを演奏し、女性は合いの手を入れ、時に歌い踊りながら、酒場のお客さんをネタに即興で歌を紡いでいく、エチオピアの夜の街にはこういった演者と客の掛け合いを楽しむ独自の酒場文化があり、その場所をアズマリ・ベットと呼びます。

アディスアベバのカサンチスと呼ばれる地区に位置する「Fendika」という一軒のアズマリ・ベット。
彼のキャリアはこの小さな酒場から始まりました。
元々、ゴンダールの出身でもなく、アズマリの出自でもない、かつて1人のストリートチルドレンだったMelaku氏がまだ少年の頃に一夜の宿を求めて門を叩いたのが、たまたまこの「Fendika」でした。
酒場のオーナーに拾われ、住み込みで酒場の仕事を手伝いながら、見よう見まねでダンスを覚えていく中でその才能が開花。
瞬く間にFendikaの看板ダンサーとなり、数年後には噂が噂を呼び、海外からの出演オファーを受けるまでに腕を上げました。

そして自らを育ててくれた先代から「Fendika」の看板を譲り受けると、名を馳せていた伝統楽師や歌い手、踊り子を集め、音楽/舞踊集団「Ethio Color」を結成し、今でも毎夜Fendikaの小さな小屋を揺らし続けています。はた目には小さな小屋なのに、一歩足を踏み入れると「どうだ、これがエチオピアだ!」と言わんばかりの圧倒的な熱量に満ち溢れています。

私事になりますが、初めてアディスアベバを訪れた際に、現地の人にお勧めのスポットを尋ねると、皆こぞって「Fendika」の名前を口にしました。
そして最初の夜から連日通い詰めたことを思い出します。
昨年2016年に、数日間でしたが個人的にアディスアベバを訪れる機会があり、久しぶりにMelaku氏を訪ねて「Fendika」を訪問しました。
ちょうど改装を終えたばかりの日で、小屋の敷地を拡大して、別棟にFENDIKA ART CENERを設立。定期的なアート・エキシビションを催し、文化の発信地として姿はそのままに大きくパワーアップしていました。アディスアベバの文化の発信地として、国内外に認められ、なんと昨年フランス文化省より芸術文化勲章(L’Ordre des Arts et des Lettres)が授与されたそうです。
写真はその夜の新生Fendikaのお披露目パーティーの際に撮影したものです。
by 生野

道祖神