ケニアの隣、タンザニアの東海岸には、
ザンジバルという島がある。
美しいインド洋の海、独自の発展を遂げたスワヒリ文化など、
歴史的に見ても、バカンス先としても、とても魅力的な島だ。
毎年2月、ここにアフリカ中からミュージシャンが集まり、
大規模な音楽祭が行われる。
今回は、4日間に渡る音楽祭の様子を紹介したいと思う。
ザンジバルという島は、イスラム教の成立よりはるか昔、1~2世紀にエジプトで書かれた書物にその名が登場するほど、古くからインド洋交易の拠点として栄えてきた。欧州諸国によって「発見」される遥か昔から、東アフリカとインド洋を隔てた中東、アラブ諸国との交流の要だった。近世では、ポルトガルの進出や、オマーンの支配下、イギリスの保護領だった時代もあり、様々な人や文化の往来を受ける中で、独自の文化を育んできた。
アラブとアフリカの会合、それは人々の言語、文化、風習、そして音楽文化にも深く影響を与えてきた。スワヒリ世界独自の音楽に、ターラブ音楽と呼ばれるものがある。ターラブを一聴して分かるのは、まさにこの音楽そのものが、異なる文化が出逢い、化学反応を起こした果てに生み出されたものだということ。東アフリカに育まれてきた太鼓を中心としたリズムの上に、アラブ起源の楽器であるウードやカヌーンの演奏が合わさり、そのさらに上には、コブシの効いた野太い歌が浪々と続く。人と文化の歴史が紡がれ、重ねられていく中で自然発生的に誕生した音楽、これこそ世界史のドキュメントではないかと感じずにはいられない。
「Sauti za Busara (知恵の声々)」は、2004年から毎年ザンジバルで開催されている音楽祭だ。元々、スワヒリ世界の音楽の豊かさと多様性の素晴らしさを多くの人に知ってもらうために始まったそうだが、近年では約半分がタンザニアとザンジバルのミュージシャンで、もう半分は東西南北のアフリカ各国から集まったミュージシャンだ。アフリカ大陸中から4日間で50組以上が集まり、連日真夜中まで最高の音楽が楽しめる。
ロケーションも素晴らしく、会場にはオールド・フォートと呼ばれる石造りの砦跡が使われる。これはオマーンの支配下にあった17世紀の建造物で、ストーンタウン内でも最古と言われている。インド洋に面し、豊富な海の幸を屋台で食べ歩きできるフォロダニ・ガーデンも目の前だ。これも治安が良く、夜中でも外国人が気軽に出歩くことのできるストーンタウンならでは。今回も、60歳を超えた日本のご夫婦が遊びに来られており、本当に老若男女、国籍を問わず誰でも楽しめることを実感させられた。
ザンジバルの音楽について語る際に避けては通れない人物がいる。その名はビ・キドゥデ(本名ファトゥマ・ビンティ・バラカ)。ザンジバルの最長老女性歌手で、ターラブ音楽の生き字引きとも言える存在だ。2013年に惜しまれつつ永眠されたが、享年100歳を超えるかどうかという年齢だったそうな。
10歳のころから歌っていたそうだが、外の世界に向けて大きな活躍が始まったのは、70歳を超えてから。「ビ」は女性につける敬称、キドゥデとは「小さくて得体の知れないもの」を指しており、その名の通り、とても小さく細い身体のどこにそんなパワーが潜んでいるのか、ステージ上で自分の背丈と同じ位の太鼓を叩き、唸る野太い声を響かせている姿に度肝を抜かれたのを憶えている。
ビ・キドゥデの逸話として痛快なのが、彼女がヘビー・スモーカーでビールを好むというところ。イスラムの島・ザンジバルに住む女性としてはありえないことだが、体制に収まろうとしなかったビ・キドゥデそのものを表しているようにも思える。彼女を題材にしたあるドキュメンタリー映画の中に名言が残っている。「アタシは酒を飲んで、タバコを吸って、スピーカーなしで歌うんだよ」。今回の滞在でも、最も印象に残ったのは、今でもザンジバル島の人々の心の中には、反骨の女王ビ・キドゥデが生き続けていることだった。