今号の特集では、京都大学総長・霊長類学者の山極先生にご登場いただいた。いつも多忙な方だと思うが、弊社の小さなセミナーや講演会をお願いしても、気軽に応じてくれる。その気さくな人柄と豊富な現場体験による幅広い知識から話はいつも面白く、弊社のスタッフにも、お客様にもファンが多い。
実はその昔、ネパールで雪男探しを真剣にやっていた知人が、雪男の骨なるモノを日本に持ち帰ったことがある。私から山極先生に相談したところ、「それは面白い!まだまだ未知の霊長類はいるからね。ぜひその骨を送ってよ」と言ってくれた。私はその時から山極ファンになった。
私自身が初めて撮影隊のコーディネートをしたのが、山極先生とも縁の深いアフリカのルワンダだった。1989年のこと。文中にもある、ダイアン・フォッシー女史の半生を描いた映画『愛は霧のかなたに』の舞台を追いながら、野生動物(ゴリラ)と村人との共存について現場の声を一つずつ拾っていくという地道な報道取材番組だ。1985年の事件現場ともなったカリソケ研究センターにも何日か通い、事件の背景や当時の状況を政府関係者や研究者、また保護地域に近い村人に取材するなど、非常に生々
しい体験だった。
ルワンダには1週間ほど滞在し、偶然ではあったものの当時のジュベナール・ハビャリマナ大統領にお会いする機会も得た。(何年か後、大統領を乗せた専用機がキガリ空港での着陸間際に地対空ミサイルで撃ち落とされたニュースを聞いたときは、温厚な大統領の顔が重なり大変ショックだった)。
当時はまだインターネットやメールも無く、リサーチや関係者とのアポイント、様々な許可申請の作業は現場でのハードな交渉が多く、コーディネーターの力量が試される非常にタフな仕事だった。同時に大変充実した、生涯忘れることのない仕事となった。
その取材旅行に持って行った唯一の本が、山極先生の『ゴリラ』だった。40周年の今年、アフリカを通じて当時の山極先生のお話も伺うことができ、懐かしいと同時に、不思議な縁を感じる。