西アフリカの果ての島国、カーボ・ヴェルデ共和国に行ってきました。
アフリカの国々に関心の高い方々の間でも「どこ?」という声も多いのではないかと思いますので、まずは簡単に説明を。アフリカ大陸の西端の国セネガルから沖合い600kmほどの所にある、大小18の島々からなる国です。
15世紀の中頃にポルトガルの冒険家によって発見され、以後、ヨーロッパとアメリカ大陸を結ぶ航路の重要な拠点、また奴隷貿易の拠点として、ポルトガルの植民地化、発展を遂げました。入植したポルトガル人、および連れてこられたアフリカン(セネガル人、ギニア人など)がルーツとなって人々の歴史が発展し、1975年には、ポルトガルから独立しています。
日本からのアクセスは少々困難で、まずはヨーロッパの西端ポルトガルまで飛んで、少々長めの乗継時間を経て、夜中の飛行機でようやくカーボ・ヴェルデの首都プライアに到着します。…ということで、まず降り立ったのはポルトガルの首都リスボン。
まずは、首都プライアのあるサン・ティアゴ島に到着。…したのも束の間、翌朝に早速カーボ・ヴェルデ北部のサン・ヴィンセンテ島に飛行機で向かいます。港町ミンデロを拠点に、まずは北部の島々をアイランド・ホッピングです。
さて、そんな音楽と漁師の港町ミンデロに別れを告げて、船旅にて次なるサント・アンタン島へ向かいます。
雨の少ないカーボ・ヴェルデの中で、最も緑が豊かな島です。起伏に富んだ素晴らしい景観と、段々畑が連なる村の人々の小路を散策するのが目的です。
アンタン島では、海の幸、大地の恵み、とびっきりの野菜やフルーツを堪能しました。そして、次なる目的地はカーボ・ヴェルデの南に位置するフォゴ島。島まるごとが活火山のような島です。フォゴという言葉自体に“火”という意味があります。実は3年前に噴火しており、その後数年は入山が禁止されていました。解禁されて以来、弊社としても初のツアー催行でしたので、現在はどうなっているのか?不安と期待が入り混じります。またも、船や飛行機を乗り継いで、島から島へ。途中に2つの島を経由してフォゴ島へと辿り着きました。まずは、フォゴ島の玄関口でもあるサン・フェリペの街を散策。
フォゴ島自体が大きな火山ですので中心には直径10kmほどのカルデラ(火口原)が広がります。今夜はこのカルデラ内にある村で宿泊する予定ですので、一路島の中心部へと向かいます。島の外周を半周ほどしてから、だんだん高度を上げていきます。途中、そこかしこに溶岩流の跡が見えました。古いものは土壌と化していますので、土の色を見れば、どの年代の溶岩流かわかるそうです。フォゴ島は、記録が残っているだけでも1600~1700年代に3回、1800年代に3回、1951年、1995年、そして2014年と噴火を繰り返しています。
まさに現役真っ只中の火山島という事になります。
高度を上げていると、突然、目の前にカーボ・ヴェルデ最高峰(2,829m)のカノ山(Pico do Fogo)が姿を現しました。今回の旅の最後のメインイベントでもあります。カノ山のトレッキングです。
翌日、早朝に村人のガイドが宿まで迎えに来てくれて、トレッキングを開始しました。登りはじめは砂地ですが、途中から足元はガレ場に変わり、ピーク直下はとても急峻になり鎖場も出てきます。ピークに立つと、眼下には様々な年代の噴火口を臨むことが出来ます。周囲を取り囲む外輪山とその向こうに広がる大西洋。遠く他の島まで見ることが出来ます。また、下りは富士山の砂走のような形状をしていて、一気に何百mも駆け降りることが出来、とても楽しいです。登りは約4~5時間とそれなりに時間を要しますが、下りは小一時間程度で麓の村まで駆け降りることが出来ました。
下山後はしばらく麓に広がるカルデラ(火口原)の中の村で休憩です。このカルデラ内にある村ですが、元々は1,500人ほどが住んでいたのですが、3年前の噴火で流れ出した溶岩流が村を埋め尽くし破壊してしまいました。村の人々は事前に避難をしており、死者や怪我人は1人もいませんでしたが、自然の猛威の前に自分たちの村が無くなってしまうというのは、筆舌に尽くしがたい経験だったと思わずにはいられません。現在、村には500人ほどが戻ってきて、村の再建に取り組んでいます。
固まっているとは言え溶岩流の地面は未だ放熱があり、建物の床の上ですらとても裸足で歩くことなどは出来ません。さらに日に数度、地中深くから『ドーン!』と突き上げるような轟音と振動。何事かと思い、何度も夜に目が覚めました。噴火からまだ数年内は火山自体のエネルギーが収まらず胎動を続けている証です。
噴火から約3年、そんな過酷な環境の中で、溢れんばかりの笑顔でもてなしてくれた人々のフレンドリーさと、何より前しか見ていないそのパワー。村の再建作業は、潰れた住居等の再建に始まり、畑を耕作し、火山地帯の肥沃な土壌を利用してのコーヒーやワイン造りなどもスタートしています。噴火で村が無くなってから、まだたったの2年と少しです。火山という地球のパワーも壮絶なものがありますが、それよりも村の人々の持つパワーに打ちのめされた数日でした。数年後、必ず大きく立ち直っているであろう村をまた再訪して、この村の人々のパワーをもらいに行きたいと思っています。