昨年6月、立ち寄った園芸店で衝動買いしてしまったグラキリスだが、育て方がまったくわからなかったので、同時に『多肉植物の育て方』なる本を購入した。これによると、豊富な日光と風通しが必須条件で、多湿・低温はダメ。庭に置いておけば大丈夫、というものではないらしい。生まれ育った環境にできるだけ近くしてあげることが大切だそうだ。当然といえば当然のことなので、昔訪れたマダガスカルのイサロ山地を思い浮かべた。確かに太陽は豊富に降り注ぎ、空気は乾燥している。最低気温も10度を下回ることはないだろう。日本の蒸し暑い夏、雪の降る冬をどうやって越すことができるのか?!
衝動買いした自分を恨みつつ、一方ではイサロで見た花咲くグラキリスの姿を思い描きながら、園芸用の小さなビニールハウスを購入し、終日陽の当たる庭の片隅に設置。同時に温度計と温室用ヒーターも購入し、素人なりに万全の準備を整えた。しかし、7月に入ると大型台風が日本列島を直撃。慌ててビニールハウスのフレームにブロックで重石を置き、強風に耐えられる補強を施す。が、台風一過の翌朝、庭に出てみると、なんとハウスのアルミフレームは折れ、ビニールは道路まで飛び、中のグラキリスや一緒に入れておいた他の植物もすべて鉢から抜け落ち、芝生に散乱しているではないか! 室内に入れておけばよかったと後悔したが、後の祭り。鉢に植え直し、しばらく様子を見ることにした。
それから半月。ただでさえ少なかった全ての葉が落ち、触ると一部が柔らかくなっている。思わず大きなため息が出たが、どうすることもできない。さらにそのまま半月ほどすると、幹はブヨブヨになり、無残な姿で枯れてしまった。遠いマダガスカルから運ばれ、日本で何年か過ごし、やっと根を張ることができたであろうグラキリスに大変申し訳ない気持ちだ。
もう一度、グラキリスの育成にチャレンジしてみようか…とも思ったが、バオバブもウェルウィッチアもアフリカの大地にあってこそ美しいのだし、グラキリスも原産地マダガスカルのイサロに行って伸び伸びと育っている姿を見ればいい。という負け惜しみの気持ちが最近は強い。
2017.12.23発 ヌビア砂漠から紅海へ! スーダン北東部周遊 14日間
17年の年末年始、首都ハルツームからナイル川の大屈曲部を経て、その北方のエジプト国境に跨るヌビア砂漠へ、そして紅海との間に横たわる紅海山地(レッド・シー・マウンテンズ)を抜けて紅海岸へと足を延ばす、北東部スーダンへのアーに添乗員として同行させていただきました。
グループのツアーとしては弊社でも初めての訪問先で、今まで日本人がほとんど訪れたことがない未知の地域への旅として、年末年始の特別企画として今年初めて企画・催行したものです。スーダンといえば、ナイル川沿いに点在する古代エジプト時代からクシュ王国時代を経て、3つのキリスト教王国が併存じていた時代までの遺跡訪問をメインとするツアーがほとんどですが、このツアーはそれらに背を向け、砂漠や奇岩などの地形、また数年前に発見された古代の岩画、そして紅海沿岸の歴史ある港町への訪問をメインに据えた内容となっています。
アブダビの悪天候(濃霧)で、往路のフライトからトラブルに見舞われましたが、アブダビ&ダンマン(サウジアラビア)経由というあまりないルートで飛行機を乗り継ぎ、スーダンの首都ハルツーム到着。トラブルのせいで1日到着が遅れましたが、ご参加の皆さんの半数は以前の訪問の際にハルツームの観光はされたことがあり、今回のツアーの主眼は「砂漠」でもあったため、白・青の両ナイルの合流点をさらっと見学したのみでハルツームの滞在と観光をスキップし、クシュ王国後期の都があったメロエへ移動しました。


早朝、30数基のピラミッドが残されている、メロエの東のネクロポリスで朝日を眺めました。メロエのピラミッドの多くは、頂が欠けているのですが(後年復元されたものもあります)、これはイタリア人の自称探検家(盗掘者)のジュゼッペ・フェッリーニの仕業です。1834年に訪れた彼は、金銀財宝を探して、わざわざ“比較的保存状態の良いピラミッド”を選び、その上部にダイナマイトを仕掛けひとつずつ爆破していったそうです。破壊した数、何と40数基。何てことしてくれるんだホント・・・。そうボヤきつつ、茜色に色づく砂岩のピラミッドと黄金色の砂丘を堪能した後、本格的に北に向けて出発。ナイルをフェリーで渡り、ナイル川大屈曲部の内側に位置するバユーダ砂漠を進みます。





バユーダ砂漠は主に土漠と礫砂漠から成っていますが、火山活動が盛んだった頃のクレーターがいくつかあり、遊牧民ハッサネインの人々がミネラル分(塩)やクレーター内の空洞に溜まった真水を汲んでいる光景を見ることもできます。そして、北に進むにつれ、バユーダ(「白」の意味)の名前の由来になった白い砂の平原と奇岩が表れ、徐々に“いかにも砂漠”といった光景に変わっていく様は、目を楽しませてくれました。









バユーダ砂漠を北に向かって抜けると、再びナイルに出会います。アブ・ハメッドの街周辺で再度フェリーに乗ってナイルを渡り、今回の目的地の一つヌビア砂漠に入っていきます。ヌビア砂漠の南部では、大昔と同様に今も盛んに金の採掘が行われており、「人のいない」という砂漠のイメージが、違った形で裏切られました。一攫千金を夢見る男たちがテントを張って砂漠の只中に滞在し、重機や掘削機を使って作業をする光景をよく見かけました。おかげでこんなところに!と思えるような場所に、コーヒーや紅茶、簡単な食事を提供する茶屋があり、カルダモン入りのスーダン式コーヒーを飲みながら休憩をとることもできます。
北から北東に進むにつれ、ゴールドマイナー(金鉱労働者)達は減っていき、手付かずの砂漠が表れ始めます。そんな場所にも、砂漠が緑だった時代に使われていたであろう擂鉢や、野生動物の痕跡が認められます。





北から徐々に北東に進路を変えていくと、開けた砂原も減り、風景は徐々に山がちに変わってきます。紅海山地(レッド・シー・マウンテンズ)の始まりです。「砂漠」というイメージからはかなり離れてしまいますが、より変化のある風景に変わっていき、標高2000mはあろうかという岩山が、目を楽しませてくれます。この紅海山地では、つい数年前にポーランドの学術調査隊がたまたま発見した、おびただしい数の線刻画を見ることができました。どこからどう見てもランドマークとして申し分ない迫力のマガルディの奇岩に向かって伸びる小さなワジ(涸れ谷)を遡っていくと、かつては「ここに川が流れ、水が溜まっていたろう」とたやすく想像できる場所に出るのですが、その周囲を囲む、砂岩の岩場のほぼあらゆる場所に線刻画は刻まれていました。見る限り、非常に少ない数の野生動物と狩人の画があり、画の総数の9割以上を占める大きな角を持った牛たちと牧人の画があり、おそらく最も新しい時代に描かれたであろうラクダの画が点在しています。描かれた時代や、描いた人々等、正確なことはまだわかっていないそうですが、見応え充分な画の数々でした。ちなみに、この画の数々を発見したポーランドの学者さんたちの専門は考古学ではなかったそうですが、ここで岩画を発見した以外にも、製鉄技術を持っていたらしいことで知られるメロエ時代の、製鉄に使った坩堝(殆ど見つかっていなかったので、大発見となったそうです)も発見したとか。そういうことってあるんですね。









人の暮らしがほとんどないヌビア砂漠の北部と異なり、紅海山地は雨季になると水が豊富になるため、古くからここで暮らしてきた先住民ベジャ(ハデンドワ、ビシャリンの両氏族)の人々の集落が点在しています。フレンドリーな人たちですが、古い教えの通り「写真を撮られると魂を抜き取られる」と信じ切っているため、なかなか写真を撮らせてはくれませんが、乾季の苛烈とも思える自然環境の中でも人々の暮らしがあることに驚きです。彼らの集落の近くには、はるかに時代をさかのぼったケルマ時代(紀元前2500年~1500年頃)のものとされる石積みの円形墳墓も残されており、この地で連綿と暮らしが続いてきたことが実感できます。





紅海山地を縦横に走る、石ころだらけのワジ(涸れ谷)を四苦八苦しながら走り抜け、抜けた先には紅海、そしてスーダン最大の港町、ポート・スーダンがあります。到着した日はちょうど大晦日で、新年(1月1日はスーダンの独立記念日でもあります)はこのポート・スーダンの街で迎えました。

あいにくあまり天気が良くなかったのですが、海の色の美しさは充分よくわかる紅海では、地元の方々とグラスボートでの相乗りプチクルーズを楽しみ、シーフードも堪能しました。このポート・スーダンの南には、数千年の歴史を持つというスーダンで最も古く、紅海沿岸でも有数の歴史を持つ港スアキンを見学。ほぼ廃墟と化していますが、オスマン帝国時代にかつてここを領有・支配していたトルコの援助によって、修復作業が行われていました。




紅海をご覧いただいた後は、ハルツームを目指して再び内陸に向かって走り、途中、エチオピアやエリトリアと結ぶ交通の要衝のカッサラへ立ち寄ります。スーダンはイスラム教徒が人口の95%を占めるというイスラム教国ですが、イスラムの中でもスーフィー(神秘主義)を信仰する人々が多く、歴史的にアンサールとカトミアというスーフィーの宗派が2大勢力となっています。興味深い建築様式をもつ、カッサラのシディ・アル・ハッサン廟(モスク)は、カトミア派の総本山の一つとなっていますが、靴を脱いで帽子さえとれば、モスク内や聖人が埋葬された廟内にも、異教徒である我々が立ち入ることができます。奇岩を背景にしたフォトジェニックな、素晴らしく見応えのあるモスクですが、スーダンの人々の寛容さを少し垣間見ることができる場所でもありました。


カッサラからは一気にハルツームへ。走っても走ってもなかなかハルツームが見えてこない、南北に分かれてしまったとはいえ依然として広い、スーダンの国土の広さを実感する陸路移動でした。
全体的に渋い、玄人好みといった内容のツアーですので、レギュラーツアーの一つとして企画し続けるのは難しいかと思いますが、今後も特別企画として企画する予定です。ご期待ください!
羽鳥
バオバブオイルでリップ作り
名作『星の王子さま』の中で登場し、不思議なフォルムが私たちアフリカ旅行者を魅了する『バオバブ』の木。昔から精霊が宿ると信仰され、地球で始めての木とも言われるほど昔からアフリカの大地に聳え立つ神秘的な植物。その木の実から抽出される、バオバブオイルを使い、自然の恵みたっぷりなリップスティックを作ってみました。
材料は、バオバブ同様、アフリカサバンナ地帯で育つシアの木の実からとれる『シアバター』。
西アフリカでは赤ちゃんから、はたまた楽器のケアにまで使われている生活必需アイテム。
シアバター、ミツロウ、ひまし油と一緒に湯煎し、溶け切ったら、湯煎から外す。固まる前に素早くバニラに似た甘い香りの安息香を加えて、出来上がり~
アフリカの乾燥地帯で生きながらえることから、水を蓄える力が高く、保水効果抜群のバオバブオイル。化粧水の前に、おまじないのように塗ると、グングンと化粧水が染み込んでいくのです。
後ではなく、前がポイントです◎
さらに、体内で作ることのできないと言われる脂肪酸やビタミン群、特に酸化防止効果の高いビタミンEも豊富で、私の中ではオイルの王様です!
ちなみに、食料としてもアフリカの人々の生活を支えてきた生命の木、バオバブ。ケニアに訪れた際に、近所のお姉ちゃんが、チリ、塩、食紅などを加えて、なんとも鮮やかなアフリカのおやつを作っていました。味は… ご想像にお任せします。
好奇心のある方、現地を訪れた際は、ぜひトライしてみてください♬
by 根本
コンゴ共和国 マルミミゾウとホタルの行き交う森から(現代書館)
中部アフリカのコンゴ共和国で、いま何が起きているのか。
1989年からコンゴ共和国やガボンなどアフリカ中央部熱帯林地域にて野生生物の研究調査、国立公園管理、熱帯林・生物多様性保全に従事する西原智昭氏。30年もの間、生き物たちの暮らしに寄り添い、携わってきた西原氏の見聞と経験の集大成ともいえる新刊が今月出版されました。
私たちにとって遠い国のようなコンゴで今起きている野生動物の乱獲は、日本をはじめとする先進国の社会的需要が大きく関係しているという事実。そして、保全活動が広がる中で、経済、文化、教育など、より包括的な視点からみた新たな保全の必要性。
野生動物の暮らしに入り、自ら会得した西原氏だからこそ知る、熱帯雨林からの悲痛の叫びを通して、地球へ生きる私たち人類がこれからどのように歩みを進めていくべきか、コンゴの森から問いを投げかけている。
著者 西原智昭より
『われわれ人類は野生生物とその生息環境、そして人類の「ゆりかご」であるアフリカの熱帯林を後世に残していくことはできるのでしょうか?また人類の文化遺産や先住民の伝統文化を継承していくことはできるのでしょうか?
偏った視点・視野からだけでは、それらが崩壊の一途をたどることは確実であることを本書から読み取っていただければ幸いです。』
2017.12.29発 ケニア・サファリ・ハイライト 10日間
8.11発に続いて、年末年始にも同行させていただきました。例年ですと乾季に入って天候が落ち着く頃なのですが、今年はどうも雨が残ってしまっているようです。それでも季節は夏!昼間は青空も覗き、かなり気温が上がり暑いです。


アンボセリでは夜に激しい雷雨に見舞われましたが、翌日の朝はキリマンジャロが綺麗に雪を被っていました。なかなか雪のキリマンジャロは見ることができませんが、今日が登山のアタック日の人は大変だろうなぁと…汗。
さて、サファリの状況としましてはBIG5は達成し、雨が多かったからか虹が見ることができたりとなかなか充実したサファリになりました。



サファリ最終日の雨のマサイマラでは、ヒョウのカップルが出て来てくれました。その後目の前で交尾を始めましたが写真は撮れませんでした…
サファリは同じ場所に何度訪れても同じ動物が見られるとは限りません。ですが、その時その時間その天候など色々な条件が重なって、本当に飽きさせません。
弊社鉄板の「ケニア・サファリ・ハイライト10日間」は毎週金曜日2名様より催行です。皆さまのご参加をお待ちしております。
久世
■ケニア・サファリ・ハイライト 10日間