「買」 東アフリカ随一といわれる市場「マルカート(MARCART)」

歴史とエネルギーに満ちた露天市場

市場(いちば)は楽しい!市場ほどその国の暮らしや文化を知ることができ、ふだんの人々の姿が見られるところはない。エチオピアには、東アフリカ随一といわれる「マルカート(イタリア語で市場の意)」がある。首都の西に広がるこの市場は、1937年イタリア占拠時代に造られた。古くはオロモ人の露天市場があり、salt bars(塩の塊)で売買を行うこともあったという。場内にぽつんと残る「塩売り場」がその歴史を留めている。

場内に残る「塩売り場」。今は、家畜用の塩として売られている
場内に残る「塩売り場」。今は、家畜用の塩として売られている

エチオピアの露店市場は、万華鏡のように広がる小道、老朽化した歴史的な建物、手仕事が見られる近さ、活気ある掛け声など、市場の魅力がいっぱい詰まっている。カオスの中でたくましく生きる人々に圧倒されながら、そのエネルギーが自分の中にも充填されていくのを感じるのも、また魅力のひとつだ。

カオスの中にある独自のシステム

人、車、家畜が道にあふれ、すべてが高速で動く露天市場では危険もつきまとう。市場をよく知る人と行動するか、ガイドを雇うことが必要だ。慣れてくるとカオスにしかみえない市場にも、独自のシステムや売り方があることに気づく。
まずは売り場。無秩序に並んでいるようにみえるが、商品ごとに売る場所が決まっている。マルカートの場合は、アンティークと土産物、仕立て・生地、古本、教会で使う品物、金銀細工、野菜・果物、バター、刃物みがき、塩売り場、台所用品とリサイクル、民族衣装とお土産、乳香とスパイス、オープンマーケットと14区分されている。地方にある露店市場も売るものは多少異なるが、商品ごとにエリアが決まっている。はじめから興味のある場所を目指していけばそう迷うこともない。

マルカート内のリサイクルショップ
マルカート内のリサイクルショップ

次に値段交渉。はじめは提示された金額の約3分の1から(とエチオピアの人はいう)。私は気が小さいので2分の1くらいからだが、ここでは値切ることが原則(とエチオピアの人はいう)。値が下がらなければ、興味ないという顔で立ち去る(呼び戻されなかったらどうする⁉)。交渉を続けたければ、必ず呼び戻される。ふっかけられたと腹を立てず、「交渉を楽しむ余裕」がほしい。それが市場のルールだから。
初期のオロモ人の露店をほうふつとさせるラリベラの市場
初期のオロモ人の露店をほうふつとさせるラリベラの市場

100年かけて変貌していった露店市場は、今も巨大市場へと進化を続けている。一坪にも満たない小さな店には、何もないように見える。が、何でもある。あなたが想像する以上のものが。
マルカートは再開発が進められ、露店の多くは建設されたビルへの入居が始まっている
マルカートは再開発が進められ、露店の多くは建設されたビルへの入居が始まっている

成功者の物語

古い歴史をもつエチオピアの露天市場には、都市伝説めいた成功者の物語も多い。もっとも有名なのは「グラゲ少年の物語」だ。彼らは6歳くらいで故郷をはなれ出稼ぎにでる。先輩の少年たちが仕事の世話や面倒をみてくれ、少年は靴磨きの道具を借り、生活費を稼ぎながら小学校へも通う。お金が貯まると次はたばこやガムを売り歩き、乗り合いバスの車掌のような仕事もこなす。正月には里帰りし、貯めたお金を家族に手渡す。そして何年か過ぎると仲間と小さな店を共同経営し、最後に自分の店をもつというストーリーだ。事実、店のオーナーにはグラゲの人たちが多いそうだ。

キオスクを手伝う少年。いつかは店のオーナーに
キオスクを手伝う少年。いつかは店のオーナーに

■マルカート情報:平日と土曜日。日曜日と祝日は、服と土産を売る一部の店を除き閉まっている。モスクで礼拝がある金曜日と、土曜日が混む。
写真・文 白鳥くるみさん

白鳥くるみさん
(アフリカ理解プロジェクト代表)
80年代に青年海外協力隊(ケニア)に参加。以来、教育開発分野で国際協力に力を注ぎ、多くの課題を抱えるアフリカのために何かできたらと「アフリカ理解プロジェクト」を立ち上げる。エチオピアを中心に活動の後、2015年、日本に拠点を移し本の企画出版などの活動をつづけている。

Africa Deep!! 65 火山とクレーター アフリカの山の魅力とは

僕は若い頃、クライミングにはまっていた時期があり、海外へもたびたび自分の腕を試すために武者修行の旅に出ていた。標高差千メートルを超える大岩壁やナイフのように研ぎ澄まされた雪稜にルートを拓いていくときの高揚感。自分のちっぽけなからだを大自然の中に投げ出して、テクニックと体力を駆使しながら少しずつ高度を稼ぎ、やがて山頂に達する。あのときの達成感というか充足感を越える体験は、人生の中でも滅多に得られるものではない。命を懸けてまでクライミングや登山という行為にうつつを抜かす理由はたぶんそういうところにある。
いっぽう円錐形の火山は、特別な技術を必要とすることなく山頂に達することができる。でも断言してよいが、火山を登ることはとてつもなくドキドキすることでもある。僕の火山体験はかれこれ30年以上前にさかのぼる。東京都の伊豆大島。三原山が噴火した事件を覚えている方もおられるだろう。あのときはほぼ全島民の一万人以上が島外に避難した。避難は一カ月ほどで解除されたが、僕はその直後に島へ渡った。何を考えての行動だったのか理由は思い出せない。
覚えているのは、何かに憑かれたように島を歩きまわったこと。溶岩が家屋を押し流し、あちこちで煙がくすぶっていた。行けるところまで行ってみようと三原山を登り始めたが、案の定、途中にロープが張られ立ち入り禁止になっていた。靴の裏からじんわり熱が伝わってきた。「地球は生きているんだな」とまざまざと実感させられた瞬間だった。
アフリカにはよく知られているように大地溝帯というものがある。地下のプレートが活発にぶつかり合う場所だ。だから当然、その周辺には地下のマントルがうねり噴き出す箇所、つまり火山がある。キリマンジャロもケニア山も火山なのである。キリマンジャロをノーマルルートから登ったことのある人なら、マンダラ小屋を少し過ぎた右手にクレーターがあったことを覚えているだろう。
僕のおすすめの火山は、メルー山。タンザニアのアルーシャの町から眺めることができる山である。キリマンジャロの陰に隠れてあまり知られていないが、山頂部には阿蘇山のような巨大なクレーターがあり、かつての噴火口をのぞむことができる。登山道は火山灰が降り積もったところに付けられているため、靴が埋もれて歩きにくいことこのうえない。しかし今にも噴火しそうなクレーターの美しい姿態は「地球が生きている」ことを五感に呼び覚ましてくれるに違いない。
文・写真 船尾 修さん

船尾修さん
1960年神戸生まれ。1984年に初めてアフリカを訪れて以来、多様な民族や文化に魅せられ放浪旅行を繰り返し、写真家となる。[地球と人間の関係性]をテーマに作品を発表し続けている。アフリカ関連の著書に、「アフリカ 豊穣と混沌の大陸」「循環と共存の森から」「UJAMAA」などがある。最新作の「フィリピン残留日本人」が第25回林忠彦賞と第16回さがみはら写真賞をW受賞した。
公式ウエブサイト http://www.funaoosamu.com/

ナイロビ ダイアリー no.22 ナイロビの大統領選挙

大統領の任期は5年で、
2期まで継続可能なため、
現大統領の再選が濃厚と予想されていた。
しかし野党党首も年齢的に今回が最後のチャンスとあって、
ケニア国民に限らず注目を集めた大統領選となった。

長かった大統領選挙

夏から約4カ月(!)かかった大統領選挙。最高裁判所の異例の判決でまさか(!?)の選挙やり直し。裁判中には野党党首と最高裁判所の裁判官の長時間に渡る通話記録が噂され、裁判官は現政権からかなりの圧力がかかって、3回目の選挙をする判決を出したら政府に暗殺されるだろう…なんて噂まで飛び交っていた。
結局は2回目総選挙で、現職のウフル・ケニヤッタ大統領が圧勝。野党側は当然裁判所に異議申し立てをしたが、裁判所はこれを棄却。政治家たちはサポーターたちを炊き付け、スラムやキスムなどの地方でデモを繰り広げていたが、暴れて壊したり、火をつけたりしているのは、自分たちの住んでいる地元のエリアばかり。ただ暴れたいだけなんじゃないかと疑ってしまうほど。選挙の熱が冷めてきても、野党は未だに「大統領はおれだ!」と言い張っている。選挙で負けているのにどうやって大統領に就任するのか…。
選挙で投票する側もスムーズとは言えず、6時間並ばせられるのは当たり前。日が昇る前から投票所に並ぶ人も多くいた。動かない長蛇の列ができると、そこで飲み物や食べ物を売る商売が始まる。当然通常より料金は高い。それでも最初の選挙の投票率は70%を超えているのだから、ケニア人の政治への関心の高さが窺える。
多少の暴動はあったものの、アフリカの選挙は政(マツリゴト)、まさしくお祭り。2007年の選挙もそうだったが、羽目を外してしまいがちな人たちが出るのもご愛敬。投票権を持たない私にとっては、政権や大統領よりもジリジリ上がる物価や、いつまで経っても変わらない渋滞が悩みの種だ。渋滞といえば、交差点を信号機付きラウンドアバウトに作り直したまではいいが、そこには、いつも4-5人の警察官が信号無視の車を見張っている。それなら信号機を設置せずに、警察官が誘導すればいいのではないかと思ってしまうほどに張り付いているのだから、何のための信号機なのかわからない。

投票するための長蛇の列
投票するための長蛇の列

マサイマラのロッジ

そんな感じで、夏から長かった選挙戦もようやく終わりが近づいてきた。国際ニュースで恐ろしく書かれているような治安悪化も特になく、この秋はハネムーンのお客様がたくさんケニアを訪れてくださった。
この数カ月、私の住むナイロビは選挙一色だったので、気分転換も兼ねて(?)久しぶりにマサイマラ国立保護区に行き、以前から視察したかった多くのロッジを見てきた。残念ながら動物を探す時間はなかったが、サファリをせずとも、ナイロビを離れてフィールドに出るのは気持ちがリセットされる。
今回見てきたロッジの中で、私のお勧めはキリマ・キャンプ。西部のオロロロの丘に建つ見晴らしの良いロッジで、保護区の外に位置するため、乗馬サファリも楽しめる。自家栽培で無農薬野菜を育てているので、食事もばっちり。試していないが、スパからの眺めも素晴らしいという。長旅の疲れを癒してくれるだろうし、サファリをしていた大地を丘の上からゆっくり眺めて過ごす贅沢な時間になること間違いない。募集型ツアーでの設定はあまりないが、今年は40周年のツアーとしてキリマ・キャンプを利用する予定なので、ぜひご一考ください。

落ち着いた雰囲気のキリマ・キャンプ
落ち着いた雰囲気のキリマ・キャンプ

キリマ・キャンプからの風景
キリマ・キャンプからの風景

風まかせ旅まかせ vol.31 グラキリス成育日誌~別れ

昨年6月、立ち寄った園芸店で衝動買いしてしまったグラキリスだが、育て方がまったくわからなかったので、同時に『多肉植物の育て方』なる本を購入した。これによると、豊富な日光と風通しが必須条件で、多湿・低温はダメ。庭に置いておけば大丈夫、というものではないらしい。生まれ育った環境にできるだけ近くしてあげることが大切だそうだ。当然といえば当然のことなので、昔訪れたマダガスカルのイサロ山地を思い浮かべた。確かに太陽は豊富に降り注ぎ、空気は乾燥している。最低気温も10度を下回ることはないだろう。日本の蒸し暑い夏、雪の降る冬をどうやって越すことができるのか?!
衝動買いした自分を恨みつつ、一方ではイサロで見た花咲くグラキリスの姿を思い描きながら、園芸用の小さなビニールハウスを購入し、終日陽の当たる庭の片隅に設置。同時に温度計と温室用ヒーターも購入し、素人なりに万全の準備を整えた。しかし、7月に入ると大型台風が日本列島を直撃。慌ててビニールハウスのフレームにブロックで重石を置き、強風に耐えられる補強を施す。が、台風一過の翌朝、庭に出てみると、なんとハウスのアルミフレームは折れ、ビニールは道路まで飛び、中のグラキリスや一緒に入れておいた他の植物もすべて鉢から抜け落ち、芝生に散乱しているではないか! 室内に入れておけばよかったと後悔したが、後の祭り。鉢に植え直し、しばらく様子を見ることにした。
それから半月。ただでさえ少なかった全ての葉が落ち、触ると一部が柔らかくなっている。思わず大きなため息が出たが、どうすることもできない。さらにそのまま半月ほどすると、幹はブヨブヨになり、無残な姿で枯れてしまった。遠いマダガスカルから運ばれ、日本で何年か過ごし、やっと根を張ることができたであろうグラキリスに大変申し訳ない気持ちだ。
もう一度、グラキリスの育成にチャレンジしてみようか…とも思ったが、バオバブもウェルウィッチアもアフリカの大地にあってこそ美しいのだし、グラキリスも原産地マダガスカルのイサロに行って伸び伸びと育っている姿を見ればいい。という負け惜しみの気持ちが最近は強い。

2017.12.23発 ヌビア砂漠から紅海へ! スーダン北東部周遊 14日間

17年の年末年始、首都ハルツームからナイル川の大屈曲部を経て、その北方のエジプト国境に跨るヌビア砂漠へ、そして紅海との間に横たわる紅海山地(レッド・シー・マウンテンズ)を抜けて紅海岸へと足を延ばす、北東部スーダンへのアーに添乗員として同行させていただきました。
グループのツアーとしては弊社でも初めての訪問先で、今まで日本人がほとんど訪れたことがない未知の地域への旅として、年末年始の特別企画として今年初めて企画・催行したものです。スーダンといえば、ナイル川沿いに点在する古代エジプト時代からクシュ王国時代を経て、3つのキリスト教王国が併存じていた時代までの遺跡訪問をメインとするツアーがほとんどですが、このツアーはそれらに背を向け、砂漠や奇岩などの地形、また数年前に発見された古代の岩画、そして紅海沿岸の歴史ある港町への訪問をメインに据えた内容となっています。
アブダビの悪天候(濃霧)で、往路のフライトからトラブルに見舞われましたが、アブダビ&ダンマン(サウジアラビア)経由というあまりないルートで飛行機を乗り継ぎ、スーダンの首都ハルツーム到着。トラブルのせいで1日到着が遅れましたが、ご参加の皆さんの半数は以前の訪問の際にハルツームの観光はされたことがあり、今回のツアーの主眼は「砂漠」でもあったため、白・青の両ナイルの合流点をさらっと見学したのみでハルツームの滞在と観光をスキップし、クシュ王国後期の都があったメロエへ移動しました。

両ナイルの合流点。冬は白ナイルの水量が優勢なため、“色分けくっきり”は見られません。
両ナイルの合流点。冬は白ナイルの水量が優勢なため、“色分けくっきり”は見られません。
ナイルがもたらす恵みをたっぷり吸収した地の食材を使った、美味しいスーダン食
ナイルがもたらす恵みをたっぷり吸収した地の食材を使った、美味しいスーダン食

早朝、30数基のピラミッドが残されている、メロエの東のネクロポリスで朝日を眺めました。メロエのピラミッドの多くは、頂が欠けているのですが(後年復元されたものもあります)、これはイタリア人の自称探検家(盗掘者)のジュゼッペ・フェッリーニの仕業です。1834年に訪れた彼は、金銀財宝を探して、わざわざ“比較的保存状態の良いピラミッド”を選び、その上部にダイナマイトを仕掛けひとつずつ爆破していったそうです。破壊した数、何と40数基。何てことしてくれるんだホント・・・。そうボヤきつつ、茜色に色づく砂岩のピラミッドと黄金色の砂丘を堪能した後、本格的に北に向けて出発。ナイルをフェリーで渡り、ナイル川大屈曲部の内側に位置するバユーダ砂漠を進みます。

玄室が見られるように地下に向かって通路工事中のピラミッド。
玄室が見られるように地下に向かって通路工事中のピラミッド。
ピラミッドの間から徐々に昇ってくる朝日
ピラミッドの間から徐々に昇ってくる朝日
頂上が破壊され、崩れたピラミッド。
頂上が破壊され、崩れたピラミッド。
ネクロポリスへはラクダに乗って行くこともできます。
ネクロポリスへはラクダに乗って行くこともできます。
いくつも橋ができ、今では少なくなったフェリーでナイルの対岸へ。
いくつも橋ができ、今では少なくなったフェリーでナイルの対岸へ。

バユーダ砂漠は主に土漠と礫砂漠から成っていますが、火山活動が盛んだった頃のクレーターがいくつかあり、遊牧民ハッサネインの人々がミネラル分(塩)やクレーター内の空洞に溜まった真水を汲んでいる光景を見ることもできます。そして、北に進むにつれ、バユーダ(「白」の意味)の名前の由来になった白い砂の平原と奇岩が表れ、徐々に“いかにも砂漠”といった光景に変わっていく様は、目を楽しませてくれました。

遠くに鉄分を含んだ黒い岩山を眺めつつ、真っ平な土漠を走ります。
遠くに鉄分を含んだ黒い岩山を眺めつつ、真っ平な土漠を走ります。
連日の美味しいスーダン・フード&イタリア風?ピザパン
連日の美味しいスーダン・フード&イタリア風?ピザパン
19世紀のマフディー戦争中は真水の供給地として重要視されたアトラム・クレーター
19世紀のマフディー戦争中は真水の供給地として重要視されたアトラム・クレーター
クレーター内の空洞に溜まった水をくみ上げる遊牧民の男性
クレーター内の空洞に溜まった水をくみ上げる遊牧民の男性
ミネラル分を含んだ土を土手に撒いて天日干しし、塩を採集しています。
ミネラル分を含んだ土を土手に撒いて天日干しし、塩を採集しています。
風景は徐々に砂漠らしく変化していきます。
風景は徐々に砂漠らしく変化していきます。
風化が作り上げた砂岩質の奇岩と白い砂の風景
風化が作り上げた砂岩質の奇岩と白い砂の風景
砂丘は少ないものの、岩場と砂溜まりのコンビネーションもフォトジェニックです
砂丘は少ないものの、岩場と砂溜まりのコンビネーションもフォトジェニックです
風よけのある、適当な場所でキャンプ。夜はさほど冷え込みません。
風よけのある、適当な場所でキャンプ。夜はさほど冷え込みません。

バユーダ砂漠を北に向かって抜けると、再びナイルに出会います。アブ・ハメッドの街周辺で再度フェリーに乗ってナイルを渡り、今回の目的地の一つヌビア砂漠に入っていきます。ヌビア砂漠の南部では、大昔と同様に今も盛んに金の採掘が行われており、「人のいない」という砂漠のイメージが、違った形で裏切られました。一攫千金を夢見る男たちがテントを張って砂漠の只中に滞在し、重機や掘削機を使って作業をする光景をよく見かけました。おかげでこんなところに!と思えるような場所に、コーヒーや紅茶、簡単な食事を提供する茶屋があり、カルダモン入りのスーダン式コーヒーを飲みながら休憩をとることもできます。
北から北東に進むにつれ、ゴールドマイナー(金鉱労働者)達は減っていき、手付かずの砂漠が表れ始めます。そんな場所にも、砂漠が緑だった時代に使われていたであろう擂鉢や、野生動物の痕跡が認められます。

砂漠の真ん中にぽつんと立っている憩いの茶屋。
砂漠の真ん中にぽつんと立っている憩いの茶屋。
徐々に広がりを見せていく砂原。
徐々に広がりを見せていく砂原。
こんな黒い岩山と砂原が、ヌビア砂漠の典型的な風景です。
こんな黒い岩山と砂原が、ヌビア砂漠の典型的な風景です。
砂漠化以前、付近に水があって穀物が栽培できた時代の生活用具
砂漠化以前、付近に水があって穀物が栽培できた時代の生活用具
ゼンメリングかドルカスか、種ははっきりしませんが、ガゼルの足跡。
ゼンメリングかドルカスか、種ははっきりしませんが、ガゼルの足跡。

北から徐々に北東に進路を変えていくと、開けた砂原も減り、風景は徐々に山がちに変わってきます。紅海山地(レッド・シー・マウンテンズ)の始まりです。「砂漠」というイメージからはかなり離れてしまいますが、より変化のある風景に変わっていき、標高2000mはあろうかという岩山が、目を楽しませてくれます。この紅海山地では、つい数年前にポーランドの学術調査隊がたまたま発見した、おびただしい数の線刻画を見ることができました。どこからどう見てもランドマークとして申し分ない迫力のマガルディの奇岩に向かって伸びる小さなワジ(涸れ谷)を遡っていくと、かつては「ここに川が流れ、水が溜まっていたろう」とたやすく想像できる場所に出るのですが、その周囲を囲む、砂岩の岩場のほぼあらゆる場所に線刻画は刻まれていました。見る限り、非常に少ない数の野生動物と狩人の画があり、画の総数の9割以上を占める大きな角を持った牛たちと牧人の画があり、おそらく最も新しい時代に描かれたであろうラクダの画が点在しています。描かれた時代や、描いた人々等、正確なことはまだわかっていないそうですが、見応え充分な画の数々でした。ちなみに、この画の数々を発見したポーランドの学者さんたちの専門は考古学ではなかったそうですが、ここで岩画を発見した以外にも、製鉄技術を持っていたらしいことで知られるメロエ時代の、製鉄に使った坩堝(殆ど見つかっていなかったので、大発見となったそうです)も発見したとか。そういうことってあるんですね。

美味しいスーダン食は続く、こちらはランチ
美味しいスーダン食は続く、こちらはランチ
風景は徐々に山がちに。
風景は徐々に山がちに。
山々の中には頂に雲をかぶった、かなり標高の高いものもあります。
山々の中には頂に雲をかぶった、かなり標高の高いものもあります。
遠くからでもインパクトのある、マガルディの岩山
遠くからでもインパクトのある、マガルディの岩山
岩山に向かって伸びるワジ(涸れ谷)を遡っていきますと・・・
岩山に向かって伸びるワジ(涸れ谷)を遡っていきますと・・・
シンプルなものから・・・
シンプルなものから・・・
より凝ったデザインのものまでの様々な、主に牛を描いた線刻画が見られます。
より凝ったデザインのものまでの様々な、主に牛を描いた線刻画が見られます。
これはおそらく一番古い時代に描かれた、アイベックスを狩るハンターの画でしょうか?
これはおそらく一番古い時代に描かれた、アイベックスを狩るハンターの画でしょうか?
一つの岩面にいくつも描かれている箇所もあります。
一つの岩面にいくつも描かれている箇所もあります。

人の暮らしがほとんどないヌビア砂漠の北部と異なり、紅海山地は雨季になると水が豊富になるため、古くからここで暮らしてきた先住民ベジャ(ハデンドワ、ビシャリンの両氏族)の人々の集落が点在しています。フレンドリーな人たちですが、古い教えの通り「写真を撮られると魂を抜き取られる」と信じ切っているため、なかなか写真を撮らせてはくれませんが、乾季の苛烈とも思える自然環境の中でも人々の暮らしがあることに驚きです。彼らの集落の近くには、はるかに時代をさかのぼったケルマ時代(紀元前2500年~1500年頃)のものとされる石積みの円形墳墓も残されており、この地で連綿と暮らしが続いてきたことが実感できます。

枯れ木を組んで拵えた、ベジャ人の住居
枯れ木を組んで拵えた、ベジャ人の住居
ケルマ時代の地方の有力者ものと言われる石積みの墳墓
ケルマ時代の地方の有力者ものと言われる石積みの墳墓
こういった、少し開けたワジ(涸れ谷)の奥にも・・・
こういった、少し開けたワジ(涸れ谷)の奥にも・・・
風邪に吹き寄せられ溜まった砂の陰に埋もれて・・・
風邪に吹き寄せられ溜まった砂の陰に埋もれて・・・
素晴らしい線刻画が描かれています。おそらくこのエリアの最高傑作?
素晴らしい線刻画が描かれています。おそらくこのエリアの最高傑作?

紅海山地を縦横に走る、石ころだらけのワジ(涸れ谷)を四苦八苦しながら走り抜け、抜けた先には紅海、そしてスーダン最大の港町、ポート・スーダンがあります。到着した日はちょうど大晦日で、新年(1月1日はスーダンの独立記念日でもあります)はこのポート・スーダンの街で迎えました。

新年の朝のポート・スーダンの街並み
新年の朝のポート・スーダンの街並み

あいにくあまり天気が良くなかったのですが、海の色の美しさは充分よくわかる紅海では、地元の方々とグラスボートでの相乗りプチクルーズを楽しみ、シーフードも堪能しました。このポート・スーダンの南には、数千年の歴史を持つというスーダンで最も古く、紅海沿岸でも有数の歴史を持つ港スアキンを見学。ほぼ廃墟と化していますが、オスマン帝国時代にかつてここを領有・支配していたトルコの援助によって、修復作業が行われていました。

グラスボートで紅海クルーズ
グラスボートで紅海クルーズ
再整備されたスアキンの街路、建物は廃墟ばかりですが雰囲気はあります
再整備されたスアキンの街路、建物は廃墟ばかりですが雰囲気はあります
この廃屋は、かつて港の税関だった建物だそうです。
この廃屋は、かつて港の税関だった建物だそうです。
ここまでキッチリ修復されてしまうと味気ないと思うのは贅沢でしょうか?
ここまでキッチリ修復されてしまうと味気ないと思うのは贅沢でしょうか?

紅海をご覧いただいた後は、ハルツームを目指して再び内陸に向かって走り、途中、エチオピアやエリトリアと結ぶ交通の要衝のカッサラへ立ち寄ります。スーダンはイスラム教徒が人口の95%を占めるというイスラム教国ですが、イスラムの中でもスーフィー(神秘主義)を信仰する人々が多く、歴史的にアンサールとカトミアというスーフィーの宗派が2大勢力となっています。興味深い建築様式をもつ、カッサラのシディ・アル・ハッサン廟(モスク)は、カトミア派の総本山の一つとなっていますが、靴を脱いで帽子さえとれば、モスク内や聖人が埋葬された廟内にも、異教徒である我々が立ち入ることができます。奇岩を背景にしたフォトジェニックな、素晴らしく見応えのあるモスクですが、スーダンの人々の寛容さを少し垣間見ることができる場所でもありました。

特徴的な岩山、ジュベル・タカとシディ・アル・ハッサン廟
特徴的な岩山、ジュベル・タカとシディ・アル・ハッサン廟
アーチが見事なモスクの礼拝スペース、屋根はありません(昔も?)
アーチが見事なモスクの礼拝スペース、屋根はありません(昔も?)

カッサラからは一気にハルツームへ。走っても走ってもなかなかハルツームが見えてこない、南北に分かれてしまったとはいえ依然として広い、スーダンの国土の広さを実感する陸路移動でした。
全体的に渋い、玄人好みといった内容のツアーですので、レギュラーツアーの一つとして企画し続けるのは難しいかと思いますが、今後も特別企画として企画する予定です。ご期待ください!
羽鳥