1994年、中国新疆ウイグル自治区に広がるタクラマカン砂漠をバイクで縦断する計画を立てた。北部の町アクスから南部のホータンを目指す全行程800キロのコース。遊牧民が羊を連れて歩くワダチ程度の道?をキャンプしながら進んでいく予定だった。しかし、タクラマカン砂漠は辺り一面が水没していた。村人の情報を頼りに数十キロも迂回し、全身泥だらけなって道を探るのだが先に進むことができず、電気もない小さな村の小学校に雑魚寝させてもらった。ウイグルの人々は皆親切で、突然の訪問者にナンや干ブドウ、温かいお茶でもてなしてくれた。結局、縦断ルートは諦め、迂回ルートでホータンに辿り着いた。
先日、弊社の恒例イベント『海外ツーリングの宴』で、20年ぶりに“タクラマカン砂漠縦断ツアー”の同窓会が行われた。参加者15名のうち、10名が日本全国から集まった。多くが20年ぶりの再会だった。そして、日本人通訳として旅に同行した二村氏から、以下のメッセージが届いた。
「(前略)仕事柄、あの旅以降も幾度となく新彊を訪れていますが、皆さんとともに旅したタクラマカン砂漠も新彊の町々も大きく変わりました。ロバがノンビリ荷物と人を運んでいたホータンの町は、高速道路でつながり、高層ビルが建ち並び、ロバはバイクに変わりました。東部の町と何ら変わらない騒音の酷い大きな町です。ウイグルのおばちゃんがニワトリや干しブドウを売っていた市場は、漢人が経営する大型スーパーに変わり、町の角々には漢人の武装警官が立っています。サンダル履きでシシカバブを食べた屋台はもうありません。旅する事をあれほど拒んだタクラマカン砂漠にも南北に2本の縦断路ができ、完全舗装の道はわずか1日であの広大な砂漠を縦断可能にし、大型トラックやダンプカーがひっきりなしに走っています。そして何より変わったのは、漢人の姿が増え、同時にウイグルの人々の笑顔が消えたことです。皆さんは本当に良い時代に旅したのだと思います。(後略)」。
そう言えば、村でも市場でもウイグルの人々はいつも控えめで、少し恥ずかしそうに、皆笑顔だったな~。集まった仲間達と焚き火を囲みながらそんな話をした。毎週のように報道される新彊での爆弾事件や暴動事件を目にする度に心が痛む。しっかり20年経ったのだ。それにしても、旅する時期って本当にあるものだ、とつくづく思う。
写真 : 20年前のタクラマカン砂漠、一面水浸し