西アフリカのマリ、ブルキナファソ添乗

西アフリカのマリとブルキナファソの添乗から帰ってきました!
今回のツアーでは、3泊4日ニジェール河の舟旅がなんといってもハイライトですが、舟の上で楽しみのひとつが食事です。舟上の小さなキッチンでどんな料理が作られるのかちょっとドキドキでしたが、今回のシェフ、若くてシャイなマトゥ(女性です)が作る料理は誰もが絶賛で、行き交う舟の漁師から、または途中立ち寄った村で仕入れた新鮮な食材を使って、毎日美味しいマリの料理を作ってくれました。
おかげで、舟旅が終わったあとも、「マトゥの料理が食べられなくなる~っ。悲しい!」と皆さん。美味しい料理は旅の大切な要素であることを身をもって体験しました。写真は、舟旅中のある日の昼食に出た、マリの人気料理、ザメ(炊き込みご飯)です。

マリ、民俗にふれて・みる旅 後編

弊社ツアーに参加された ツルイ 様 からのレポートの後編です。
前々から見たかった、泥でできたモスク!念願かなって申し込んだものの、西アフリカの雨季ってどうなの?蚊が大発生して病気蔓延?他の体験談を見てみると、ただでさえ交通機関の遅れはあたりまえなのに砂漠の国に雨季(年末年始がお勧めの時期とあった)などに行っては大雨で道が寸断されて…??不安はつのる
7th 8月15日(サンガ→バナニ→イレリ→ティレリ)
ドゴンの村巡りのため今日は徒歩の1日。すこし歩くと、いきなり眼下が開け集落も見える。説明によると、神話に基づいて建物を配しているらしい。滝もあり、なかなかの絶景だ。
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崖を下り始めるがチップ目当てに、ポーターや手を引いて崖を降りるのをサポートしようと現地人がいろいろと世話を焼こうと加わり、団体の人数が倍になる。サッカー並みのマンツーマンのマークであるが、助けもいらないので、ひたすら無視して歩を進める。道は細く、岩場で結構険しい。なる程、日が沈んだら崖を下るのは無理な訳だ。20分程下るとだんだん集落が近づいてくる。とんがり屋根の穀物庫やら、住居など、ひしめきあっている。高い建物はなく、みな平屋で小ぢんまりしている。村には電線も、近代的な建物もなく、何百年も変わらぬ佇まいのようだ。一服してから、次の村へ出発。
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地形が河岸段丘みたいになっていて、右手に崖を見つつ小路を歩く。たいがいの観光地はパンフレットの写真に掲載されているような景色は、いわゆる「美観地区」といって、ほんの一部な地域だけだが、ドゴンの村は、崖づたいに集落が帯上に続いていて圧巻だ。
崖の上には大きな岩が鎮座している所もあり、今にもころがりだしそうだ。下にある家の人は、気が気でないのでは?とあらぬ心配をしてしまう。
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ツアー名の通り、木々は緑をまとい、旅行前に抱いていた乾いたイメージとは全く違う。景色もよくピキニック気分だ。それでも、さすがに日ざしは強く結構バテる。
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途中スレ違った車に迎えの打診を受け、皆の総意でおねがいすることに。その為昼食後は時間調整の為、お昼寝タイムが長くなる。皆お疲れギミで休んでいたが余力があったので、単独で村に向かう。そのうち子供たちが寄って来て道案内をしてくれる。
村の入り口まで来たが、お供の子供も多くなり土産モノ屋にでも引っ張り込まれたら厄介に思えたので、ここで戻ることに。子供たちは、村に来いと連れ戻そうとするが、どうせまた来るので深入りせず引き返した。やはり2時ごろは特に日ざしも強くちょっと動いただけでもれる。皆と一緒に一服しよう。
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夕方、涼しくなってから村を散策。集会所やドゴン族特有の建物の説明を受ける。迎えの車に乗り、宿泊地へ。意外と時間がかかり徒歩にこだわらず良かったと実感。毎回この区間は皆完歩するのだろうか?今日はテント泊。住居の屋上(といって平屋だが)にテントが張ってある。
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電気もきていない村なので、この日はビールを諦めていたが、冷たいビールもあるとの報に感激!夜空は満天の星でいっそのこと外で寝たくなるが、蚊にさされるのがこわいので、テントにて就寝。
8th 8月16日(ティレリ→サンガ→セグウ)
今日は旅行後半の目玉、ドゴンダンスだ。朝食後村の広場へ行き待つことしばし、まずは太鼓の音でスタート。すると村の上手の方から仮面を被った踊り手がたくさん登場。その人数に驚かされる。仮面の種類もたくさんあり、踊りも全員参加のものから1~2人(だいたい同じ仮面同士ペアで踊る)のもののまで多伎にわたる。
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一方見学者はというと、他のツアー客はおらず、村の子供達が遠巻きに眺めているだけ。我々のためだけに、これだけの人が繰り出して踊ってくれるとは、なんとも贅沢なことである。観光用?でこれだけ盛大ならば、実際のシギの踊りはいかばかりか?と興味は尽きないが、27年待たなければ本物のものは見られない。
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踊りの後は、仮面の説明や記念撮影など、サービス満点だ。仮面は動物のものが多いが、なかには泥棒や病人など、妙な面もある。喉のコブは、七福神の様に福々しい意味があるのかと思ったら、「悪い水を飲んだ為」とのこと・・不思議な面は、なにかの戒めだろうか?
ダンスも終わり、崖を登る。坂はだんだん急になってきて最後の方は、岩をよじ登るような感じだ。雨が降ったら大変そうだ!天気が良くてよかった。
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駐車場兼休憩所に着いて、ホッと一息。ここから車にて、ひたすらセグウへ
9th 8月17日(セグウ→バマコ)
朝食後レストランから川岸まで行ってみる。川幅は広く雄大な景色だ。出発後、すぐに陶器売場に立ち寄り露店を覗いてみる。なかなか素朴な焼き物だ。なかには不思議な形をしたものもある。値段も安く、ついつい買ってしまった。大きな焼き物も見ていると欲しくなってくるが、サスガに重くて家まで持ち帰れそうにもない。
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それから、以前この回りを治めていた王家を訪問。末裔の方にも会えたが、庭や飼っていた大きな鳥の方に興味がいってしまう。人に慣れているのか逃げもせず、女性たちが杵でついているものをつついたりと、のどかな雰囲気になごんだ。
午前中はバマコへ車で移動。途中の村々での人々の生業が面白い。バマコに到着後、地元のレストランにて昼食をとりホテルで一服。午後の一番暑い時間帯に休憩できるのはありがたい。
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マリ最後の観光は、皆の買いたいものを聞いて、それが売っている店に行くということに。まずは初日に行ったグランマルシェへ、1週間前来たばかりなのに、それからの旅程を思うと、妙に懐かしい。次は香辛料を買うために、日本でもおなじみの食品スーパーに行ったが、おそらくマリでは髄一の高級スーパーだろう、というか他にスーパーや百貨店の類を見なかった。
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市場の人ごみの中、いろいろな店をのぞくのも楽しいが、整然と陳列された品物を、じっくりと手にとって吟味できるので、落ち着いて買い物できる。 ホテルに戻り、夕食をとって、深夜の出発までひと休み。
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10th/11th 8月18日/19日(→デュバイ→関空→羽田)
いよいよマリともお別れ。行きと同じくホテル・空港間は深夜の移動となる。明かりもすくなく閑散とした道を走っていると、バマコに降り立ってからのことが、いろいろと思いだされる。
そういえば、出発前は「雨季のマリ」ということで、雨にまつわる心配ごとをあれこれ考えていたが杞憂に終わった。雨に降られたのは、サンガの夜だけ。それもホテルに入った後だったので、結局雨具は一度も使うことはなかった。
事前に仕入れた情報では、ティムブクトゥはかなり砂っぽいということだったが、今回は砂に悩まされることも、コンタクトをはずすこともなく、快適に過ごせた。途中の風景は、緑が多かったが乾季は景色も一変するらしい。アフリカというと、「乾いて痩せた大地」というイメージがあったが、それはミゴトに覆させられた。ただ人の欲とは限りのないもので、できれば乾季のマリにもおとずれて見たいものだ。
「マリ・民俗にふれて・みる旅 10日間」ツアーページはこちら。
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マリ、民俗にふれて・みる旅 前編

弊社ツアーに参加された ツルイ 様 からのレポートの前編です。後編はこちら
前々から見たかった、泥でできたモスク!念願かなって申し込んだものの、西アフリカの雨季ってどうなの?蚊が大発生して病気蔓延?他の体験談を見てみると、ただでさえ交通機関の遅れはあたりまえなのに砂漠の国に雨季(年末年始がお勧めの時期とあった)などに行っては大雨で道が寸断されて…??不安はつのる
1st day/2nd day 8月9日/8月10日(日本→デュバイ→カサブランカ→)
台風通過に伴い、羽田→関空の運航がピンチ!最悪関西まで新幹線か?と、やきもきしたが昼頃には天気もおさまり、当初の予定通り羽田発にて落ち着く。初手から焦るゼ。エミレーツ航空にてディバイを経由して第2経由地のカサブランカへ。機内設備の充実度はピカイチ。映画やゲームに現を抜かし、マリの予習をすっかり忘れてしまう。
カサブランカでは、乗り継ぎの時間があるために、市内観光へ。深夜の便にてバマコへ向かう。
3rd day 8月10日(→バマコ:市内観光)
空港から市内へ、明かりは少なく周りはよくわからないが、ニジェール河を渡る時は感動!さすがに橋も長い。
ホテルのチェックインは夜明け前、午前中は熟睡して昼食に合わせて起きる、ホテルは河に面しており対岸には建物もなく、いい眺め、と言うかのどかな景色だ。昼食は河にせり出しているテラスにて。風がそよいで気持ちがいい。
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午後からいよいよ市内観光。街は、大きなビルはほとんどないが活気がある。くたびれた建物が多いが、いわゆるスラムみたいな感じはない。グランマルシェにて土産のリサーチ、と思いつつも、気に入った木彫りの像が手ごろな値段だったので、思わず買ってしまう。
4th day 8月12日(バマコ→ティムブクトゥ:市内観光・ラクダで砂漠)
前日ティムブクトゥ行き飛行機の遅延の案内があり、起床・集合時間が遅くなる。おかげで、ゆっくりテラスで朝食が取れる。河を眺めながらのコーヒーも格別。
飛行機はプロペラ機で高度を高くとらないため、下界がよく見える。河沿いに飛んでいるらしく、河のうねりがよくわかる。初めの頃は緑が多かったが、だんだんすくなくなる。たまに集落なども見え、いつまで見ていても飽きない。
途中モプチ空港を経由、ワンフロアの小さな建物だけの小ぢんまりとした空港だ。
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いよいよティムブクトゥへ。もはや緑も少なく砂漠の中の街といった様相だ。ホテルにて食事・休憩後、市内観光。何かの本に、「古の黄金伝説の都も今は寂れて、将来砂漠化により砂に埋もれてしまう」とあったが、確かに人通りもまばらで“最果ての地”という感だ。
まずは、泥のモスクへ。尖った泥山から木がたくさん出ているミナレットに唸る。これが見たくて、はるばるここまで来たのダ!これらの木は、装飾の他に、泥を塗り直す際の足場にもなるそうだ。なるほど!なるほど!
それから、ヨーロッパの探検家が滞在した家を見学。まさにアフリカ版ジパング!エルドラドとはここのことか?さらに街を散策し、市場へ。この界隈は人も店も多く賑やかだ。
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夕方には郊外(といっても、そこはサハラ砂漠)にてラクダ乗りを体験。こぶがあるので、なかなか乗るのが大変だ。またがつりそうになったのは俺だけか?20分程だろうか、ラクダに揺られて砂漠を体験。
その後トワレグ族の歌と舞に迎えられミントティをご馳走になる。これが、かなり甘いのだが気候に合っているのかオイシイ。砂漠に沈む夕陽を眺めつつ、ふと振り返ると遠くに街が臨める。
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5th 8月13日(ティムブクトゥ:市内観光→モプチ:市内観光・バニ河ボート遊覧)
またもや飛行機遅延の連絡があり、ゆったりとした日程に。
市内に繰り出し博物館やモスクを見学、途中にパンを焼いているカマがあり、写真を取らせてもらう。パンを食べてみると、焼き立てでおいしい。
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観光を終え、空路モプチへ まずは、モスクを見学。ここのモスクはなかなか大きく、迫力がある。モスクの全景を見るため、隣家の屋上に登らせてもらったが、料理を作っている脇をすり抜け階段を上がるなど、一般家庭の生活を垣間見た訪問だった。それから、市場へと徒歩にて移動。
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モプチはいろいろな部族が集まるらしく、特に女性のカラフルな衣装や化粧がスバラシい。キョロキョロしているうちに市場へ。人混みと多くの露天に圧倒される。市場は港に隣接していて、舟の出入りに伴い、人の乗り降り、積み荷の出入りでスゴイ活気だ。
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市場を散策後、河沿いのレストランにて昼食。船着場の雑踏を眺めながらの食事は格別だ。午後ホテルにチェックイン、一休みして、夕方涼しくなった頃バニ河遊覧に出発。
ニジェール河の支流だそうだが、結構大きな河だ。雨季だから水量も多いのだろう。舟から、先ほど散策した港を見る。河をさかのぼり中洲へ。ここは子供たちが、歓迎しているのか、好奇心からか、ともかく沢山集まってくる。中洲中の子供がきたのかと思えるくらいだ。皆やたらと手をつなぎたがり、素朴で人なつっこい。 賑やかに島内見学となる。
6th 8月14日(モプチ→ジェンネ→サンガ)
車2台に分乗しジェンネへ出発。途中は砂漠地域と思いきや、結構緑がおおい。雨季ならではの光景か?
集落が点々とあり、マリのパンフレットに出ていた穀物庫も見受けられる。てっきりドゴン特有のものかと思っていたが、この辺一帯に分布しているらしい。
チビッこいモスクもあり、なかなか絵になる光景である。途中の川では渡船を待つ。土産もの屋もでており、なかなかの賑わいだ。荷物を満載したトラックや舟を待つ人々など、見ていて飽きない。
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ジェンネは朝市で、すごい賑わいだ。市はモスクの前だけかと思っていたが、そこかしこで商いをしている。さすがにモスクは圧巻。幾度となく写真で見ていたが、間近で見ると表面のヒビ割れですら迫力がある、自分にとってはこの旅一番のハイライトダ!
モスクの前の市もすごい混雑。売っているものも多彩で興味津々で見学。ここでも、隣家の屋上からモスクを俯瞰。市場の雑踏とモスクに威容は、忘れがたい光景となるだろう。
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その後ドロ染めの売店にて買物。図柄はたくさんあるが、みな結構大きく、自分の狭い部屋では飾るのはちょっと無理。午後からサンガに向け移動。道はだんだん細くなり、そのうちダートに。
今日は天気がイイので問題ないが、雨が降ったらぬかるんで大変そうだ。夕方サンガに到着、更に崖を下る予定だったが、日没のため急遽サンガのホテルに泊まることに。部屋にて休憩していたら、突然の大雨!本来ならテント泊だが、この雨では無理だろう。強行して崖を下らず、ホテル泊で良かった・・と、ホッと一息
後編へつづく。
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砂漠の音楽祭

1月の上旬に実施した「砂漠の音楽祭11日間-企画手配-」に御参加頂いた K.I 様 からのレポートです。情報の少なかったこのフェスティバルは果たしてどんな結末を迎えたのでしょうか?
以下のレポートはページの都合上、編集してあります。原文をお読みになりたい方は「とも様キングス」のホームページまで。とも様キングスとは・・・筆者の所属する完全プロ級バンドです。今回のツアーでマリにおける最も有名な日本人ミュージシャンになった事は間違いありません。※詳しくは以下のレポートをどうぞ。
BAMAKO~(約5時間)~SUN~(約2時間)~SEVARE
マリBAMAKOのMANDEホテルで5:00頃に目が覚めてしまいました。やっぱり時差ぼけですかね。喉が渇いていて、水を飲んだところで気付きました。部屋に蚊がいます。もう、眠れません。1匹仕留めて、又1匹見つけて、1匹仕留めて、又1匹見つけて、、、 3匹仕留めたところで疲れて、あきらめに近いものが浮かんで寝ました。
朝食の席で、S藤さんの部屋も蚊がいたらしく、大格闘をしたと聞きました。 20匹くらい仕留めたけど刺されたと言って、マリ1日目からかなりブルーです。道祖神M浦さんから、マラリアの薬をもらいました。マラリアは潜伏期間が1週間なので、発症するころは日本だから日本で治療が受けられます、と慰められつつ、朝食のコーヒーで流し込みました。
ホテルのロビーで出発を待っている間に、両替商がやって来ました。マリで一番流通しているのはセーファフラン(CFA)という通貨で、我々はまだユーロしか持ってなかったので、ここでこれからの数日で必要な現金を両替しておきます。100ユーロ(14,000円)ずつCFAに替えてもらいました。これが66,500CFA になりました。
8:30、我々の車 は出発しました。運転手のカマラさん、ガイドのムライさん、我々日本人4人の6人です。
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車はトヨタの4WD、ランドクルーザーでしたよ。今回の旅で4WDを多く見かけましたが、ほとんどがトヨタでしたね。時々日産を見かけましたが。BAMAKOの街中で雑貨屋によって、水1.5Lのペットボトルを買ってもらい1人1本もらいます。今回の旅の条件で、1日に水1.5L(但し砂漠キャンプ中は3.0L)を提供というのがあったのです。砂漠のフェスティバルらしい条件でしょ?
市街を抜け、アスファルトの道路に出ると、混雑した BAMAKOの街から一転してマリの大自然が現れました。
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赤い土の大地、低く曇った空、黄色く枯れた草、日干し煉瓦(ムーチェとムライさんは言っていた)でできた家、日中35℃の気温。 何十分か走り続けると、小さな村や市が現れます。村を抜けるとまた何十分か走り続け、また村や市が現れます。
道の両端では所々放牧がなされているようで、牛・羊・山羊の群れとその匂いがします。私は以前バイクで北海道の北と東の外側の道を走ったことがあるのですが、その時の走った記憶が甦りました。
その雄大さと放牧の匂いが同じに感じられたからです。ただ、北海道は青くて緑が深いのですが、マリは赤くて黄色いのです。
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14:00に昼食ポイントのSANの街に到着。ホロホロ鳥のトマトソース煮込みとライスの食事でした。美味しい。ムライさんからはホロホロ鳥はマリ人がしょっちゅう食べるものではなく、特別な料理だと聞きました。デザートはマンゴーがでました。
15:00に再び出発し、本日の宿泊地、SEVAREを目指します。2時間のドライブの後、17:00過ぎにHOTEL de SEVAREにチェックインしました。荷物を置いた後、近く(車で15分くらい)のMOPTI観光に出かけました。
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MOPTIという街はニジェール川を使った交易港であるらしく、BAMAKOとは又違った意味で人がごったがえしています。物売りの子供達もよってきます。ここで小さなボートに乗せてもらいました。ニジェール川クルーズと言ったところでしょうか。
今日はマリ1日目なのに、とにかく移動移動で、時速100kmで7時間も突っ走ってきたわけですが、このボートでの時間でそれが程よく緩められて、とてもゆったりした気分になれました。ほんの15分くらいでしたが、夕暮れのニジェール川はよろしかったです。
HOTEL de SEVAREに帰ってきて19:30から夕食です。マリの料理をリクエストすると、そういうコースがでてきました。野菜のスープ、カピタン(ニジェール川で取れる魚)のバナナ添えでした。カピタンはマリでとてもポピュラーな魚らしいです。これまた美味しかった。マリの食事は美味しいです。日本人にとってはなんの問題もないのではないでしょうか。
ムライさんからドライブ中に聞いた話
マリはバンバラの言葉でカバのことだそうです。
明日向かうTIMBUKTUは、ブクトゥおばあさんの井戸という意味なんだそうな
マリには野生のライオン、象、キリン、カバがいるらしい。(見れませんでしたが)
マリ政府は観光を進めていこうとしている
マリ人の80%がイスラム教を信仰していて、10%がクリスチャン、10%が土地の信仰
SEVARE~(約5時間-パンク修理含む-)~DOUENZA~(約2時間)~フェリー乗り場~(約40分)~対岸~(約40分)~TIMBUKTU
6:00起床、6:30朝食、7:00出発。マリ2日目ですが、今日も長距離走ります。HOTEL de SEVAREを出てとにかく走りました。というのは、12:00か13:00にニジェール川を渡るフェリーに乗らないといけないからだそうです。しかしこんな日に限って途中でパンクしたり、別の車と待ち合わせが必要だったりと時が過ぎてゆきます。
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フェリー乗り場まであと90kmというところで、時間は12:00。あと1時間です。道はこれまでのアスファルト舗装されたものから、砂を踏み固めただけのガタガタ道になっていて思うようにスピードも出ません。運転手カマラさんはそれでも時速90kmをキープします。
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このおかげで、途中何台かの車を抜き去りつつ、フェリーの時間に間に合いました。まあ、13:00についたのに、出発したのは13:30くらいでしたが。フェリー乗り場は、タマシェック、ソンガイ、バンバラなど多様なマリの人々、ヨーロッパからの観光客、我々日本からの観光客と様々な人種、国籍の人間がいて不思議な取り合わせになっています。それらが一つのフェリーに乗り込んでニジェール川を渡り、向こう岸のTIMBUKTUに向かいます。
今日のドライブは砂の中を駆け抜けてきました。空はずっと砂煙でうすく煙っていました。ただこのフェリー乗り場について少し晴れ間が見えてきました。が、口の中に砂が入ってくるくらいに、風が砂っぽく埃っぽいです。
フェリーが港に着くと、再び車で走り、15:00くらいに本日のホテル、ヘンドリナ・カーンに着きました。このホテルはTIMBUKTUでも最新のホテルとのことでした。中の設備もよかったです。明日から砂漠でキャンプなのでデジカメの充電もここでしときました。
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16:00からTIMBUKTUの街中を観光に出ました。この街は本当に砂の町です。これまでのマリの街はその土の色が影響して街全体が赤っぽく感じたのですが、TIMBUKTUは足元も全部砂なので、まったく砂の街です。砂の上にいろんな建物が立っています。
ここで暮らしている人々はとても穏やかで挨拶してきてくれます。特に子供達が。アジアの人間が通ると珍しいのか特に手を振ってついてきます。まあ、中には物売りの人もいたりするのですが、そんなにシツコクないのですよね。いくつかモスクなど見物した後、TIMBUKTU博物館も見ました。ここでお土産をと思い、腕輪と指輪と絵葉書を買ってみました。14,000CFA(2,800円)。
TIMBUKTU~(約2時間)~ESSAKANE
いよいよフェスティバル当日になりました。今日から三日間、サハラの中でキャンプ生活です。このホテル、ヘンドリナ・カーンはとても快適でとてもよく眠れました。しかし夕べ干した洗濯物はあまり乾きませんでした。涼しいからですかね。
6:30に起床し荷造りしてチェックアウトしてから、いつものようにパンの朝食を摂りました。外は涼しいです。 曇った秋の日くらいでしょうか。ホテルのロビーで25℃でした。乾燥しているからかとても涼しく感じます。朝食後、ホテルのロビーは出発待ちのお客であふれてました。皆、フェスティバルに向かう観光客です。もともと8:00発と言われてたのですが、合流するはずの車がまだ昨日我々が乗ったフェリーに乗船中らしく、一向に出発しません。その間に道祖神M浦さんはガイドのムライさんにお願いして、出発前にもう一度街を見に行こうということになりました。
15分程市場を見てきて10:30に帰ってくると車も揃っていて出発となりました。
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これまでの道も厳しかったのですが、ここTIMBUKTUからフェスティバル会場であるエッサカネまでの道は今回の旅で一番きつかったです。アスファルトなんてものは当然なくて、でこぼこの砂の上を4WDで駆け抜けます。TIMBUKTUあたりまでの砂地だけども木が所々生えているようなところをサヘルというらしいですが、いよいよ本物のサハラに突入といったところです。
そして12:30、2時間近く走ってやっと砂漠のフェスティバル会場のエッサカネに着きました。ゲートをくぐり、砂だけの会場の中を自分達のキャンプサイトまで向かいます。
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今回、テントはタマシェックの人々が使っているのと同じテントが用意されると聞いてきましたが、その実物を見てびっくり。屋根と周りが囲ってあるだけでした。下は砂。前は閉じてません。これからの三日間はかなりハードなキャンプになりそうです。
ちょっと会場内を歩き回ってみると、既にいくつか小さな店もでています。ラクダにも乗ってみました。みんなが「らくだ~」といいながら、乗ってみろと誘ってきます。これはツアーに付いているのでタダなのですが、ラクダを操る少年に片道3分くらい行ったところで降ろされて、「なんか買って」と言われます。まあここでもNOと言い続ければよいのですが、私は欲しいなと思っていたティルバンを5,000CFA(1,000円)で買いました。ラクダ乗りからテントへ帰ってきたらティルバン巻いているので皆に驚き笑われましたが、ティルバンは砂漠の生活でとても役に立ちました。(日除けになって、夜はあったかい)
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ラクダの後16:00頃、ステージの様子を見に行きましたが、まだPA一式がトラックに乗ったまま。ほんとに今日始まるのでしょうか?といったところです。
20:00にキャンプの夕食を頂いてからステージが始まるのを待ちましたが何にも始まりません。ずっとPAチェックしてます。で、23:00くらいになってやっとステージが始まりました。ですが、この日はステージに関しては書くことがありませんでした。この日のステージはもひとつでした。初日はサウンドチェックとリハだけだったのかいな?
ESSAKANE
フェスティバル2日目です。8:30に起きると朝食が始まってました。今回、+1℃までOKの寝袋Deuter Plus One Sというのを持ってきたのですが、この季節のサハラでは丁度良かったです。明け方ちょっと冷えたくらいです。
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で、朝食後、テントに戻ってきてお茶を入れたりしました。今回、キャンプ用ストーブとして自前で Optimus No.80 NOVA というのを持ってきました。BAMAKOで仕入れてきたガソリン(ESSENCE)はストーブで湯を沸かすのに問題なく使え、ガスカートリッジ式のストーブを持ってこなくて良かったなと改めて思いました。マリでは日本で売っているようなキャンプ用のガスカートリッジは入手できなさそうです(多分)。
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サハラの気候は、午前は涼しくてよいのですが、昼になるにつれて日差しと暑さが厳しくなります。するとテントから動けなくなってきて、S藤さんは日本から持ってきたギターで気を紛らわせます。フェスティバルの中は音楽であふれていると私は思っていたのですが、実は楽器を弾いている人はほとんどおらず、ギターを弾いているS藤さんは近くを通りがかる人々から注目を集め、いろんな人が我々のテントに寄ってくるようになりました。そのうち8割くらいが物売りの人で、主に石と金属で作ったアクセサリーを広げて見せてきます。
夕暮れ近く、今度は広場で民族の催しが始まりました。広場の真ん中で演奏していて、その周りをラクダに乗ったタマシェックの民が囲んで見ています。その催しを見ているときにもS藤さんのギターは珍しいらしく注目を浴びて、触らせてくれ触らせてくれと人が集まってきました。
19:30に夕食をとってステージに行きました。この日はほぼ予告されていたプログラム通りに進行してました。Khara Arby は迫力のあるステージでよかった。私、帰りの空港でこのお母ちゃんのカセット・テープ買ってみましたよ。Baba Sarah はスマートなステージでかっこよかったです。Mamar Kassey は見るべきだったのですが、私、眠くて寒くてテントに帰ってしまってました。(→ニジェールのトップスターらしく、尺八のような笛の音と力強い歌声は、寒さを忘れさせてくれました。)
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フェスティバル3日目、最終日です。今日が最終日なので、ホームページに掲載されていた大物が軒並み出演するのだろうと期待してました。
9:00に起き出しましたが、夕べは風が強かったらしく、砂が前日より多く、自分の寝ていたシュラフの上に降り積もっています。朝食後、またまたS藤さんのギターに人が集まってきます。珍しいのでしょうね。日本製ギター。私は横でお茶を入れて、やってくる客人にジャパニーズ・ティーやコーヒーを振舞ってました。タマシェックの人からもお茶をよばれたりしてね。マリの人は甘いお茶を飲むようで、日本の緑茶やブラックコーヒーを飲むと驚いてましたね。特にコーヒーはほとんど飲む習慣がないらしいです。
また、この日は日本から持ってきた「奮発!1800」(注※筆者の所属するとも様キングスのニューアルバム)を日本のCDだと言って10枚ほどばら撒きました。そのうち1枚は、初日にS藤さんのギターをカメラで映していったマリTVの人に渡ってます。ひょっとして今マリで一番広まっている日本人のCDかもしれません(多分)。
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さて問題のステージ。Habib Koite と Afel Bocoum が “Desert Blues” というセッションで参加したっきり。このセッションも合間になんか無理やりつけたような踊りが入ったりしてステージとして面白くなかったんです。せっかくなんだから、演奏だけをたっぷり1時間くらい見たかったかな。結局、Dee Dee Brigwater、Salif Keita、Tinariwen、などのホームページで見て期待していた大物アーティストは出演しませんでした。Mamadou Doumbia 氏も来てませんでしたね。しかも最後は欧米のダンスミュージックをCDでかけて、ステージに観光客が上がってディスコになってました。なんなんでしょうか、これは?
後でガイドのムライさん達に聞いたのですが、CDにもなった昨年は本当に Salif Keita など大物が出演したのですが、フェスティバル主催者がギャラを支払わなかったらしく、怒ったアーティスト側は参加しなかったということらしいです。
まあ民族のお祭りのフェスティバルに観光客として参加させてもらっている立場とは言え、公式プログラムが出鱈目というのは残念に思いました。この砂漠のフェスティバルというシチュエーションで本物を見たかったなあと悔しい思いです。
ESSAKANE~(約1.5時間)~TIMBUKTU~(約3時間-フェリー&昼食含む-)~DOUENZA~(約4時間)~MOPTI
5:00起きです。フェスティバルも終わり、今日はMOPTIまで又長距離ドライブをせねばなりません。隣のテントのスウェーデン夫婦も我々と同じ旅程のようで、同じく出発しました。またまたガタガタの砂漠道です。ただ、帰りは道が踏み固められたのか、往きよりはかなりましでした。帰り道は時間も短く感じられます。
砂の街TIMBUKTUを通り抜け、再びニジェール川のフェリー乗り場でフェリーに乗り込みました。で、フェリーを降りるとまたドライブが始まります。とにかく走りに走って15:00過ぎにMOPTIのHOTEL KANAGAにチェックインできました。ここは今回の旅で一番快適なホテルでした。砂漠キャンプの後だからというのは抜きにして、ですよ。
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MOPTIでは市場に連れて行ってもらい、ちょっとした観光ができました。この市場は観光客相手のものではないらしく、生地を切ったりミシンで縫ったりする職人さんが大勢います。私はシャツを4枚買ってしまいました。 40,000CFA(8,000円)ティルバン(ターバン)もここは色が沢山あって、実は青以外が欲しかった私は、ここで買えば良かったなと思いました。他にも金物関連の店があったり、時間があればもっとゆっくり見て廻りたかったですね。
マリの主要産業品目は、ガイドのムライさんによると木綿、魚(ニジェール川でとれる)、山羊・羊、皮革製品、金、銀などらしいです。今回の旅行ではあまり多くの市場を見て廻れませんでしたが確かに皮革製品や木綿を使ったものを売っているのはよく見ました。魚、羊はよくレストランで食べましたし。
MOPTI~(約6時間)~SEGOU~(約3時間)~BAMAKO
6:30起きです。この日がこの旅一番のハードドライビングとなります。 MOPTIからBAMAKOまで一気に帰ってしまいます。
この日もとにかく走ります。車は順調に走り、13:00くらいにSEGOUに到着しました。ここで本日の昼食、そして少しだけSEGOUのお土産物屋さんを見ました。
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店の並びを抜けたところが川岸になっていて、ほんの少しその風景を見物することもできました。このSEGOUで地ビールを作っている所を見せてもらって、飲ませてもらったりもしましたよ。
14:30頃、またBAMAKOに向けて出発し、走りに走って、18:00にホテルMANDEに戻ってきました。夕方のBAMAKO市街は車の渋滞がものすごく、BAMAKOに戻ってきたことを実感しました。ホテルMANDEでは汗を流して荷物を詰めなおすだけですぐ出発し、夕食をとりにレストランに行きました。
21:00に空港に向けて出発し、空港の前で運転手カマラさん、ムライさんにお礼を言って分かれました。今回の旅が面白かったのはこのお二人がとてもよくしてくれたからでした。ありがとうございました。このお二人にも「奮発!1800をお礼の気持ちを込めてお渡ししてます。また運転手カマラさんには、私の持っていた日本の交通安全のお守りを、今後も安全運転でとの祈りを込めて差し上げました。
空港は人で溢れ返っており、マリに到着した日のことを思い返させます。搭乗手続きのカウンターで、スーツケースを日本まで直送してくれよと道祖神M浦さんが言い含めた後、入国の時より厳しい何回ものチェックを受けて出発ゲートに入りました。出国するときのほうが厳しいのですね。
23:50発のパリ行きの便に乗り込みました。ここからはひたすら飛行機です。飛行機に乗り込むと、あらためてマリがBAMAKOが遠のいていく気がします。赤い大地と人なつっこさが心に残る国でした。今回は本当に出会う人々に恵まれた旅行でした。
MOPTI~(約6時間)~SEGOU~(約3時間)~BAMAKO
4カ国リレーのスーツケースは奇跡的にロストせずに関空で受け取ることができました。今回の旅も無事終わりました。体調もくずさず、食べ物も美味しく(食べすぎなくらい)頂いて、良い旅でした。
アフリカと一口に言ってもとても広く、地域や国でかなり印象は違うのだと思います。私は今回来た西アフリカ・マリしか知らないのですが、初めて見て体験したアフリカは乾季だったということもあり快適で、食事が美味しくて、居心地の良い所でした。
帰ってきて皆に、「西アフリカのマリという国に行って来ました」といっても、「どこそれ?」という反応が多く、アフリカは知られていないのだなあと思いました。エジプトとかは有名ですけどね。地球の歩き方シリーズからも今はアフリカの本が消えており、アフリカの情報は日本では探さないと目に飛び込んでこない状況なのですね。
そうそう、今回残念だったのは肝心のフェスティバルのプログラムが無茶苦茶だったことです。ただ、私はマリという国の人が悪いのではなく、たまたまこの主催者の性質が悪かったのだと思います。今回の旅で出会ったマリ人は、ほとんどが明るく親切で善良な人たちでした。
ところで近々もしもマリに行かれる方がおられましたら、「ニジェール川の音楽祭」というポスターをセグーで見つけたのですが、挑戦してみませんか? Salif Keita 、Ali Farka Toure、 Tinariwenなどが出演するそうです。2005年の2月の4、5、6の3日間のようですが、本当に Salif Keita はやってくるのでしょうか?
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