ウガンダとコンゴ民主共和国の国境地帯にそびえるルウェンゾリ(5,108m)は、ケニア山に続くアフリカ大陸第3の高峰。19世紀末の探検家たちが憧れた伝説の山として知られています。今では整備も進み、弊社ツアーでは、エレナ・ハット(4,540m)を目指します。
探検家たちの心を熱くした神秘の山、ルウェンゾリ
伝説に彩られた「月の山」
ルウェンゾリは、キリマンジャロやケニア山が人々に知られるはるか昔から、その存在が噂されていた山で、「どこから流れてくるのか誰も知らない大河」ナイルの源流として古い書物にも登場します。最も古いものは、紀元後150年頃にギリシャの天文学者プトレマイオスが記した『ゲオグラフィア』(地理学)。「月の山脈」としてナイル川の源流について記録した文章にあらわれます。ただしルウェンゾリをこの「月の山脈」に比定したのは後世の人々で、元の記述は曖昧、プトレマイオス自身も誰かに聞いた伝説を参考までに著書に記しただけなのかもしれません。
いずれにしても、「ナイルの源流」と「月の山脈」というワンセットは、19世紀末に生きた探検家たちの心を熱くし、アフリカが徐々に外部の世界に知られるきっかけを作りました。最初に目撃した欧米人は探検家のスタンレー(1889年)、初登頂(1906年)はイタリア貴族のアブルッツィ公ルイージ・アメデーオ。目撃から17年で慌ただしく初登頂がなされました。
植村直己さんとルウェンゾリ
私は、植村直己さんの著書と出会ったことがきっかけでケニア山に登りましたが、このルウェンゾリは「植村さんが登れなかった山」でもあります。実際には、治安状況や植村さんご自身の時間的余裕の関係で「登らなかった山」なのですが、それを聞いた時に「次はルウェンゾリだ…」と私の目標が定まりました。とはいえ、登ろう!と思い立ってから登頂するまでには5年を費やしました。
当時は、ザイール(現コンゴ民主共和国)、ルワンダ、ブルンジ等周辺諸国の治安が悪化し、その影響でウガンダ西部のルウェンゾリ周辺も、1997年から2000年までの間は国立公園自体が閉鎖されてしまっていたためです。実際、当時のウガンダでは、地方へのバス移動の途中で軍による検問に出くわし、その都度荷物を細かくチェックされるようなこともありました。そんな時期をひたすら待って過ごし、私が初めてルウェンゾリに足を踏み入れたのは2000年11月のこと。その後は、仕事・プライベートあわせて7回、この山域に足を踏み入れています。
巨大な山塊と雄大な氷河の上の双耳峰
「ルウェンゾリといえば雨」というくらい雨のよく降る山で、常に雲がかかり、山容をクリアに見せてくれることは多くありません。キリマンジャロやケニア山と比べてもルウェンゾリは巨大で、探検家たちの名を冠した6つの小規模な山々からなり、それぞれは川と深い谷で隔てられています。森の密度は高く、植生は独特、岩肌は荒々しく、山頂部には巨大な氷河が横たわっています。それらの景観が、次々に発生して流れていく雲霧の向こうに見え隠れし、非常に神秘的な「幽玄の世界」といってもいいような雰囲気をたたえています。比較的少ない登山者も、その雰囲気を醸し出す一助になっているのかもしれません。
2000年の再オープン当時は山小屋も老朽化し、今ある湿地帯の木道もなかったため、キリマンジャロを遥かに超える「アフリカで一番ハードな山」に感じましたが、今では整備が進み、ワイルドさを残しつつそれなりに快適な登山が可能になっています。弊社ツアーでは、最高到達点を特別な技術が不要なエレナ・ハット(4,540m)とし、岩棚を超え、氷河の上を歩いて到達するマルゲリータ・ピーク(5,108m)までは足を延ばしませんが、ご希望の方にはプラス1~2日でピーク・アタックを加えた内容の手配旅行も承っています。固有の動植物・野鳥が多い世界遺産の山域ですので、エレナ・ハットまでのトレッキングでもこのユニークな山を充分楽しむことはできますが、リスクを負って登頂を目指す方は、マルゲリータ&アレグザンドラの2つのピークへ向かう大雪面、スタンレー・プラトーの雄大な光景をぜひ楽しんでいただきたいと思っています。私からのアドバイスはひと言。雨男・雨女でなくても、雨に対する装備と心の準備を。そして、美しい雨を存分に楽しんできてください!
羽鳥