Africa Deep!! 66 何もかもが新鮮だった35年前の初めてのアフリカ旅行

Africa Deep!! 66 何もかもが新鮮だった35年前の初めてのアフリカ旅行

僕が初めてアフリカの土を踏んだのは35年前のこと。その春に大学を卒業して出版社で働き始めたばかりだったが、海外の山に登ってみたい!という誘惑に抗しきれず、新入社員のくせに会社に無理を言って年末年始に二週間ほどの休暇をもらった。行き先はキリマンジャロ山である。
実はこのときが僕と同行の友人にとっての生まれて初めての海外旅行。行くと決めたものの、何をどのように準備したらよいのか皆目見当がつかない。今のようにガイドブックもなく、おそらく旅行会社が企画する登頂ツアーなどもなかったと記憶している。唯一、頼りにしたのは、今でいうバックパッカー向けの「オデッセイ」というガリ版刷りのような雑誌。そこにキリマンジャロに登った人の体験記が出ていた。その「オデッセイ」に広告を出していたのが道祖神である。
目黒駅前のオフィスを訪ねると、僕と同年配の方が応対してくれた。35年たった今も親交が続いている現在南アフリカ共和国のヨハネスブルグに駐在する高達さんである。僕は旅行にいったいどれくらい金額がかかるのか相談した。「旅行の仕方によって全然違ってきますね。百万円かかることもあれば、数万円でもオッケーかもしれないし」というのが高達さんの返事。これではますますわからない。
「若いのだから現地で直接交渉したほうが旅はおもしろいと思うよ。安くあがるし」という説明を受け、商売にあまり熱心じゃない会社だなあと思ったが、後になって高達さんは入社直後だったことを知った。実際は旅行手配に慣れていなかっただけなのかもしれない。結局、道祖神ではナイロビ往復の航空券のみ購入した。
そして出かけたアフリカは見るものすべてが新鮮で、大げさでなく僕のその後の人生を決定づけるほどのインパクトを与えてくれた。サバンナの真っただ中で槍を手にバスに乗り込んできたマサイの人たちの姿。ドキドキしながら犯罪(闇両替)に手を染めたこと。社会主義経済が破綻寸前でビスケットと石鹸しか売られていなかったタンザニアの商店。路上生活者のあまりの多さにビビったナイロビの下町。満員にならないと発車しないバス。賄賂をねだる国境のイミグレ係官。高山病でゲロを吐きながら登ったアフリカ最高峰。
どちらかというと散々な目に遭った旅行だったが、当時の情景は僕の脳裏に今も美しい記憶として刻み込まれている。
写真・文 船尾 修さん

船尾 修さん
1960年神戸生まれ。1984年に初めてアフリカを訪れて以来、多様な民族や文化に魅せられ放浪旅行を繰り返し、写真家となる。[地球と人間の関係性]をテーマに作品を発表し続けている。アフリカ関連の著書に、「アフリカ 豊穣と混沌の大陸」「循環と共存の森から」「UJAMAA」などがある。最新作の「フィリピン残留日本人」が第25回林忠彦賞と第16回さがみはら写真賞をW受賞した。
公式ウエブサイト http://www.funaoosamu.com/