先日、4月24日(日)にコンゴ民主共和国はキンシャサの大スター、パパ・ウェンバが66歳で亡くなられました。
ケニアのニュースを見ていたら、「Papa Wembe died on stage」と速報が入り、最初はちょっと意味が分からず、パパ・ウェンバがステージ活動を引退する、ぐらいの事かと思っていたのですが、アビジャン(コートジボワール)の音楽祭に出演中、まさに演奏の最中に心臓発作で倒れ、そのまま帰らぬ人となったとの事でした。
その日から、毎日のようにナイロビの新聞やラジオでもパパ・ウェンバの追悼番組などが組まれ、改めてパパ・ウェンバとその音楽がアフリカ大陸中に与えていた影響の大きさを思い知らされます。
コンゴ民主共和国はザイールという国名の時代から、アフリカ大陸きっての音楽大国です。コンゴの音楽スタイルがはっきりと形成されたのは50年代、日本では「リンガラ・ミュージック」と呼ばれていますが、アフリカ大陸では「ルンバ」と呼ばれるスタイルの音楽です。
管楽器やエレキ・ギター、ドラムスを導入した大楽団が奏でるダンスミュージックは、50年代には「ルンバ・コンゴレーズ」と呼ばれ、その後、60年のベルギーからの独立、65年まで続くコンゴ動乱の最中も人々はこの音楽を愛し続け、70年代に入ると管楽器を抜いたギター・バンドによって「ルンバ・ロック」へと発展していきます。60年代末に、もはや大人の音楽と化していた「ルンバ・コンゴレーズ」スタイルに反抗するかのように、首都キンシャサの下町で、ストリート上がりのラフな若者たちが生み出した新しいスタイルの「ルンバ・ロック」。そんな「ルンバ・ロック」のカリスマ的存在がパパ・ウェンバでした。
49年にカサイ州で生まれ、母親が葬儀で死者の為に歌うマタンガ(泣き女)であった事から、幼いころから音楽に親しんだウェンバ少年。アメリカのソウルミュージック、特にオーティス・レディングに熱中して自身も音楽を続けていたと聞きます。オルケストル・ベルギ、ザイコ・ランガ=ランガなどに参加し、紆余曲折を経てついに花開いたのが77年、自身のバンド「パパ・ウェンバ&ヴィヴァ・ラ・ムジカ」で華々しくコンゴの音楽シーンに登場。キンシャサの下町マトンゲ地区に「モロカイ」と呼ばれた共同体を結成し、音楽だけに留まらず、ファッションやライフスタイル、全てが若者のカリスマとなっていきます。
順調にヒットを飛ばし続け、90年代にはついに世界デビュー、以後20年以上経った現在でも、世界中を「ルンバ・ロック」で躍らせ続けていました。
日本にも80年代後半に来日したこともあり、約1年半ほど前にも、ナイロビの街で「ヴィヴァ・ラ・ムジカ」を引き連れて、60代とは思えない圧巻のパフォーマンスで若者からご年配までを踊り狂わせていました。私事ながら、憧れの大親分、パパ・ウェンバの生ライブをナイロビで体験できた事が一生の自慢になりました。
不謹慎な表現になってしまうかもしれませんが、ステージの上で逝くなんて、まさにミュージシャンの本懐。訃報を聞いて、悲しみの感情より先に、天晴れ!という思いが湧いてしまいました。最後の最後の瞬間まで恰好良かった。
合掌。
by ナイロビ駐在所・生野
管楽器やエレキ・ギター、ドラムスを導入した大楽団が奏でるダンスミュージックは、50年代には「ルンバ・コンゴレーズ」と呼ばれ、その後、60年のベルギーからの独立、65年まで続くコンゴ動乱の最中も人々はこの音楽を愛し続け、70年代に入ると管楽器を抜いたギター・バンドによって「ルンバ・ロック」へと発展していきます。60年代末に、もはや大人の音楽と化していた「ルンバ・コンゴレーズ」スタイルに反抗するかのように、首都キンシャサの下町で、ストリート上がりのラフな若者たちが生み出した新しいスタイルの「ルンバ・ロック」。そんな「ルンバ・ロック」のカリスマ的存在がパパ・ウェンバでした。
49年にカサイ州で生まれ、母親が葬儀で死者の為に歌うマタンガ(泣き女)であった事から、幼いころから音楽に親しんだウェンバ少年。アメリカのソウルミュージック、特にオーティス・レディングに熱中して自身も音楽を続けていたと聞きます。オルケストル・ベルギ、ザイコ・ランガ=ランガなどに参加し、紆余曲折を経てついに花開いたのが77年、自身のバンド「パパ・ウェンバ&ヴィヴァ・ラ・ムジカ」で華々しくコンゴの音楽シーンに登場。キンシャサの下町マトンゲ地区に「モロカイ」と呼ばれた共同体を結成し、音楽だけに留まらず、ファッションやライフスタイル、全てが若者のカリスマとなっていきます。
順調にヒットを飛ばし続け、90年代にはついに世界デビュー、以後20年以上経った現在でも、世界中を「ルンバ・ロック」で躍らせ続けていました。
日本にも80年代後半に来日したこともあり、約1年半ほど前にも、ナイロビの街で「ヴィヴァ・ラ・ムジカ」を引き連れて、60代とは思えない圧巻のパフォーマンスで若者からご年配までを踊り狂わせていました。私事ながら、憧れの大親分、パパ・ウェンバの生ライブをナイロビで体験できた事が一生の自慢になりました。
不謹慎な表現になってしまうかもしれませんが、ステージの上で逝くなんて、まさにミュージシャンの本懐。訃報を聞いて、悲しみの感情より先に、天晴れ!という思いが湧いてしまいました。最後の最後の瞬間まで恰好良かった。
合掌。
by ナイロビ駐在所・生野