ガーナのアクラから飛行機でナイロビに飛んできた。当たり前のことだが、風景が一気に変わった。新しい発見を見つけるのが楽しくて、朝から夕方まで毎日歩き回った。町にはチップス屋(ポテトフライ)がどこにでもあり、当時25シリング。1番安い食事だったので、毎日チップスを食べていた。その他、サモサや甘いミルクたっぷりの紅茶もあり、インド人の文化が町にしみている。B級グルメからこの国の歴史を感じた。意外とカレー屋は少なかったが、安宿の同室のインド人は、ベッドの上で毎日3食カレーを自炊して食べていた。
この町では事件が起こった。髪がボサボサだったので、ナイロビの洗練された都会で切ろうと決めていたのに、1番安そうな床屋に入ったのが失敗だった。「2cmくらい切ってくれ」と言った僕に対し、店の兄さんは「オーケー、オーケー♪」と言いながらバリカンをガーッと1本。もう手遅れ。というわけで、小学生の頃以来の坊主頭とされてしまう。よく見たら、この店にはハサミなんて置いていなかった。黒人の髪の毛には、ハサミよりもバリカンなのだろう。
ナイロビでの日々はあっという間に1週間が過ぎた。宿に置かれた、旅行者の手アカでコテコテになった手書きの情報ノートを熟読し、各国の国境越えやビザ情報などの情報を得る。そして、この町から自転車アフリカ縦断の第2ステージが始まる。
文・画 吉岡健一