僕はいま九州の人里離れた山奥に暮らしている。まわりの(一部の)人からは「ああ、あのテレビも冷蔵庫もない仙人のような暮らしをしている人ですね」と噂されたりもする。近所には家もないから、夜の帳が落ちるとすぐに真っ暗闇だ。シカやイノシシ、タヌキ、ウサギ、ヤマドリなどが家にいながらにして観察できるので、ここを日本のマサイマラと呼ぶ人もいる。アフリカニストとしてこれ以上光栄なことはない。夜は闇に包まれているので、ペルセウス座流星群などは自宅前にいながらにして見られるのが自慢だ。
ところが、ひと月にほぼ一度迎える満月の夜だけは様相を異にする。この日ばかりは、ふだんは夜には見えない立木もその葉っぱ一枚一枚までもくっきりわかるほどよく見えるのである。全体に青みがかった光景はどこまでも静かで妖艶だ。都会に住んでいるとネオンや街灯などの明かりにかき消されて月の明るさを感知するのは難しいが、本来の月明かりというものは意外なほど強い光線を放っているのである。
都会で生まれ育った僕はこれまで、月の明るさなどを意に介したことはほとんどなかったのだが、満月の夜という別世界への扉を開けてくれたのはやはりアフリカだった。ボツワナの名も知らない小さな村。マラウイ湖畔の砂浜。真夜中に登り始めたケニア山……。旅の途中で僕は満月の夜という特別な舞台を何度も味わうことになったのだ。
そのたびに感動したのは、月明かりでもちゃんと「影」ができることである。考えてみれば蛍光灯だって影ができるのだから、そんなに驚くべきことではないのかもしれない。が、それでも実際に体験する満月の影というものは、僕たちの暮らす世界がけっして平坦でのっぺりしたものではなく、いくつもの未知の層が重なり合ってできている豊穣なものであることを具体的なイメージとして膨らませるには十分すぎるほど神秘的だった。
いわゆる文明社会と呼ばれている僕たちの暮らす世界では、たとえばコンビニのあのまばゆいばかりの白色光に代表されるようになんでもかんでも明るい光源でモノを照らして見る癖がついてしまっているような気がする。だから祭りの夜に出される夜店では、ぼんやりと暖かいオレンジ色の裸電球の明かりにどこか安らぎと高揚を覚え、ふだんとは違った世界をそこに見て心惹かれるのではないだろうか。
アフリカを旅するのなら満月の日に合わせて、扉の向こう側にある世界をぜひのぞいてみてほしい。
写真・文 船尾 修さん
船尾修さん 1960年神戸生まれ。写真家。1984年に初めてアフリカを訪れて以来、多様な民族や文化に魅せられ放浪旅行を繰り返し、いつのまにか写真家となる。[地球と人間の関係性]をテーマに作品を発表し続けている。第9回さがみはら写真新人賞受賞。第25回林忠彦賞受賞。第16回さがみはら写真賞受賞。著書に「アフリカ 豊穣と混沌の大陸」「循環と共存の森から~狩猟採集民ムブティ・ピグミーの知恵」「世界のともだち⑭南アフリカ共和国」「カミサマホトケサマ」「フィリピン残留日本人」など多数。元大分県立芸術文化短大非常勤講師。大分県杵築市在住。 公式ウェブサイト http://www.funaoosamu.com/