二十代のころアフリカを放浪していた僕は、一応の終着点を大陸の西の端であるセネガルに定めた。べつにどこでもよかったのだが、出発点がたまたまケニアのナイロビで、大陸の東側にあるインド洋に浮かぶラム島やザンジバル島にも滞在していたから、なんとなく東西横断という形になって少しは格好がつくかな、という程度のものだった。
そのときはセネガルの首都ダカールから飛行機でフランスに行くことに決めていた。友人がフランスのシャモニーで山岳ガイドをやっており、一緒にアルプスの山々を登ろうと決めていたからである。チケットを取った後、フライトまで少し時間があったので、どこでもいいから海辺の村でも訪ねてみることにした。適当なところでバスを降りると、「おや、日本人の友人でも訪ねて来たのかい?」と聞かれた。
アフリカには意外なほどたくさんの中国人が住み着いていてよく間違われるから、てっきりそうだと思ったら、たしかに日本人だという。そしてその人の家まで案内してくれた。はたして、家から顔を出した青年はまぎれもなく日本の方であった。名前は失念してしまったが、青年海外協力隊員として派遣されているという。その方は快く僕を招き入れると、ぜひ泊まって行きなさいというので、その申し出をありがたく頂戴することにした。
ところが……。その夜から高熱が出た。どうやらマラリアにやられたらしい。村には医者はいなかったから、旅行中持ち歩いていた治療薬を服用し、なんとか数日後には熱は下がった。しかし食欲がまったく出ない。セネガルではわりと魚を食べる人が多く、チェブジェンというピーナッツ油を使った魚料理が有名なのだが、それがまったく喉を通らない。
「どういうものが食べられそうですか? 醤油ならあるのだけど」と、その人も心配顔だ。そのとき、僕の目の前に浮かんだのは、焼きたてのサンマとご飯だった。脂ののったサンマにおろし大根をたっぷりかけて……。思わず生唾が出た。
「サンマかあ……」と、その人はつぶやきながら出て行った。しばらくして戻った彼が手にしていたのは、サンマ! ではなかったけども、アジに似た魚だった。さっそく彼はその魚を数匹焼いてくれた。醤油を垂らすと、俄然食欲がわいてきた。つくづく自分は日本人なのだな、と実感した瞬間だった。
写真・文 船尾 修さん
船尾修さん 1960年神戸生まれ。写真家。1984年に初めてアフリカを訪れて以来、多様な民族や文化に魅せられ放浪旅行を繰り返し、いつのまにか写真家となる。[地球と人間の関係性]をテーマに作品を発表し続けている。第9回さがみはら写真新人賞受賞。第25回林忠彦賞受賞。第16回さがみはら写真賞受賞。著書に「アフリカ 豊穣と混沌の大陸」「循環と共存の森から~狩猟採集民ムブティ・ピグミーの知恵」「世界のともだち⑭南アフリカ共和国」「カミサマホトケサマ」「フィリピン残留日本人」など多数。元大分県立芸術文化短大非常勤講師。大分県杵築市在住。 公式ウェブサイト http://www.funaoosamu.com/