Africa Deep!! 52 追悼ネルソン・マンデラ 虹の国はどこへ行くのだろう

Africa Deep!! 52 追悼ネルソン・マンデラ 虹の国はどこへ行くのだろう

2013年12月。アフリカの近現代史を語るうえで絶対に外せない、おそらく世界で最も有名なアフリカ人が亡くなった。
ネルソン・マンデラ。享年95歳。氏の政治活動や業績についてはあえてここで記すまでもないだろう。それぐらい彼の信念というか生き様は世界中でたくさんの人々の共感を呼び、また影響を与えてきた。南アフリカが「虹の国」という理想を掲げて再出発できたのはやはり彼の存在があったからだ。
僕は一度だけ、生前のマンデラさんに会ったことがある。といってもそれは、数万人の熱気に包まれたサッカースタジアムで開催されたANC(アフリカ民族会議)の決起集会で演説する氏を観た、という程度のものなのだが。観客席から見下ろすマンデラさんは豆粒ぐらいの大きさだったが、それでも氏が登壇するとスタジアム全体が揺れるかのようなウォーッという咆哮の渦に包まれ、思わず鳥肌が立ったのを覚えている。カリスマというのはまさに彼のためにある言葉だと思う。
アパルトヘイト(人種隔離政策)についてもあえて言及する必要はないだろう。しかしそれを単に「言葉」として知っていることと、「体験」として知っているのとでは、捉え方がまるで違ったものになってしまうおそれがある。ほとんどの人にとって「言葉」としての認識は、南アフリカにおいて白人が黒人を差別してきた法律・政策のことを指すと思う。
しかしそういう捉え方では、アパルトヘイトの本質を知ったことにはならない。なぜなら日本人は黒人ではないから、当事者としての意識が働かないからだ。人種を理由に差別することは頭では悪いことだと思っていても、しょせんは他人事に過ぎない。だからもし南アフリカに行く機会があったら、ぜひともアパルトヘイト博物館へ立ち寄ってほしい。
日本人はアパルトヘイトが施行されていた時代は「名誉白人」と称されていた。両国の経済的関係があったからだ。しかしよくよく考えてみれば日本人にとってこれほど不名誉で馬鹿にされた呼び方はないはずである。博物館に入れば、カラード(混血)とアジア人も実際は黒人と同様に差別されていた事実をこれでもかと思い知らされることだろう。実際に使用されていた標識も館では展示されている。人間は差別される側に身を置かないと、差別の本質には気づかないものなのだ。「虹の国」がこれからどこへ向かうのか、僕は見続けていきたいと思う。
写真・文  船尾 修さん

船尾修さん
1960年神戸生まれ。写真家。1984年に初めてアフリカを訪れて以来、多様な民族や文化に魅せられ放浪旅行を繰り返し、いつのまにか写真家となる。[地球と人間の関係性]をテーマに作品を発表し続けている。第9回さがみはら写真新人賞受賞。第25回林忠彦賞受賞。第16回さがみはら写真賞受賞。著書に「アフリカ 豊穣と混沌の大陸」「循環と共存の森から~狩猟採集民ムブティ・ピグミーの知恵」「世界のともだち⑭南アフリカ共和国」「カミサマホトケサマ」「フィリピン残留日本人」など多数。元大分県立芸術文化短大非常勤講師。大分県杵築市在住。
公式ウェブサイト http://www.funaoosamu.com/