旅先で目にしたものがどういうわけかいつまでも脳裏にこびりついて離れないときがある。エジプト南部のアスワンの街で見かけた壁画がそうだった。エジプトといえば古代の神殿跡などが観光コースになっている。そういうところに保存されている壁画ももちろんすばらしいが、散歩しながらふと目に付いたいつ誰が何の目的で描いたかもわからないような、どちらかというと稚拙な感じがする絵のほうが妙に心に残ったりするものなのだ。
この壁画、よく見ると、胴体は牛で天使のような羽がついている。アスワンの街には「イスラム聖者の聖堂」と呼ばれている泥レンガでできたドーム状の墓が無数にある。それを囲む泥壁にこのような絵がいくつも描かれていた。
天使といえばキリスト教という言葉が思い浮かぶだけで、それがどうしてイスラム聖者の墓と関係しているのか、僕の乏しい知識ではまるで理解できない。イスラム教のことをいろいろ調べていて、天使が何もキリスト教の専売特許ではないことを知ったのは、ごく最近のことである。人々の魂を守り、死後の世界へと導く存在が天使だとすると、よくよく考えてみれば出発点がほぼ同じイスラム教もキリスト教もこうした共通の思想があって当然だ。
五千年前の古代エジプトではさまざまな神様が信仰されていたが、そのなかでも牡牛は崇拝を集める存在だった。僕は不勉強で知らなかったのだが、現代のエジプト人のかなりの割合の人々がコプト教を信仰している。特にアスワンをはじめとした南部に多く居住している。このコプト教というのは、古代エジプトの多神教と初期キリスト教が合体して誕生したもの。だとしたら、この牛のボディを持った天使の壁画は、いろいろな信仰のエッセンスが渾然一体となった姿なのかもしれない。
エジプトはかつてユダヤ教徒を送り出した国であり(出エジプト)、誕生して間もないキリスト教を受け入れた国であり、現在はイスラム教を主に信仰している国である。たくさんの神様や仏様を受け入れてきた日本という国を考えてみればわかるが、エジプトもそういう意味ではたいへん懐が深いところだといえるだろう。
不幸なことに、21世紀は宗教対立が戦争を引き起こす事態となってしまった。しかし、宗教が変遷してきた歴史をほんの少し振り返ってみればわかることだが、人間の唱えることに絶対なんてものは存在しない。ユーモラスな牛の天使像はそういうことも教えてくれているような気がする。
写真・文 船尾 修さん
船尾修さん 1960年神戸生まれ。写真家。1984年に初めてアフリカを訪れて以来、多様な民族や文化に魅せられ放浪旅行を繰り返し、いつのまにか写真家となる。[地球と人間の関係性]をテーマに作品を発表し続けている。第9回さがみはら写真新人賞受賞。第25回林忠彦賞受賞。第16回さがみはら写真賞受賞。著書に「アフリカ 豊穣と混沌の大陸」「循環と共存の森から~狩猟採集民ムブティ・ピグミーの知恵」「世界のともだち⑭南アフリカ共和国」「カミサマホトケサマ」「フィリピン残留日本人」など多数。元大分県立芸術文化短大非常勤講師。大分県杵築市在住。 公式ウェブサイト http://www.funaoosamu.com/