フランスにおける航空政策-アフリカにおいて-

1978年のアメリカで始まった航空自由化は、オープンスカイ政策の導入、中東系航空会社やLCCの全世界的運航、運賃設定の届出制、パンナム、トランスワールド、スイス航空、サベナ航空の倒産など、ありとあらゆることの引き金になったといっても過言ではありません。
それ以前の航空業界は国家による保護が大きく、フランスにおいては、航空会社の消耗を避けるべく、長距離便においては独占的な運航範囲が定められました。
フランスのナショナルフラッグキャリアのエールフランスは、アジア、中東、北米、南米、東アフリカ、北アフリカ、セネガルのダカールなどへ運航しました。

それ以外の地域を運航したのは、UTAフランス航空(Union de Transport Aerien)で、南アジア、東南アジア、中東、北米の一部、オセアニア、西アフリカ、中部アフリカ、南部アフリカでは、その濃紺の垂直尾翼が独占をしていました。日本では、東京-ヌーメア(ニューカレドニア)間を運航していたので、南太平洋への架け橋のイメージが強いと思いますが、UTAのドル箱は何と言ってもアフリカでした。

アフリカの就航地点数は、エールフランスをしのぎ、パリ線の主要なライバルはAir Afriqueのみで、そのライバルとはカルテルを結び、収益をしっかりと確保していました。
しかしながら、ヨーロッパでの航空自由化の影響に伴い、UTAの筆頭株主であったシャルジューウール・レユニ(Chargeurs Reunis)は、UTAの株式をエールフランスに売却をして、1992年末にエールフランスと吸収合併されました。
画像は、パリにあったUTA本社所在地だったビルに、UTAのDC-10、B747-400です。DC-10は東京-ヌーメア線の主要機材でした。
by 虎