ケニア・希望の家マトマイニを訪ねる 8日間

ケニアと聞けば、サファリ!のイメージが一番強いのではないでしょうか?サファリ以外のケニアを知り、学び、また交流する機会を持っていただきたいな…との思いで作ったのが、このツアーです。

このツアーでは「東アフリカの子ども達に希望の灯りを」との熱意で、28年前に日本人女性が開園した「マトマイニ・チルドレンズ・ホーム(希望の家)」を訪ねます。
この施設は、貧困層の子どもたち(孤児、ストリートチルドレンなど)の自立サポートに取り組む孤児院としての役割と、また彼らを生み出している都市スラムで生活する人々への、自立援助活動を行う場でもあります。
そして、目を惹くカラフルで可愛い動物達。マトマイニにはフェルト動物作りの作業所があり、地域のママ達が生産活動に従事しています。この動物達の売上げが彼女たちの大切な収入。
フェルトは、ナイロビの北西に位置するナクル産です。羊毛を手でほぐし、染色し、一つひとつ丁寧に、手作りで製作しています。子どもたちと遊び、ママ達のお手伝いをしながら、今のケニアを学んでみませんか?マトマイニの施設滞在で、多くの気付きを得られるでしょう。
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コーラ・ナッツ

サヘル地域の旅に欠かせない特別なアイテムといえば、そう、コーラ・ナッツだ。
マリやブルキナファソの都市部のマーケットに行くと必ず売っていて、田舎のほうに行く際はとりあえず2~30個くらいは買いためておきたい。

世話になる村の村長や、一晩の宿を借りる家の主人に、挨拶代りの品として重宝する。その辺のしかめっ面した爺さんを笑顔にするのにも効果的だ。
コーラ・ナッツはカフェインを含んだ嗜好品。煙草を分け合うのに似て、分かりやすい共感が言葉のいらない仲間作りに役に立つというわけだ。
コーラの木は乾燥したサヘル地域ではなく熱帯雨林に育つ。嗜好品に厳しいイスラム社会において特別に許された興奮剤だという事情があり、わざわざ遠くから流通してくる。古くはサハラ交易でも取引されていたものだ。
炭酸飲料のコーラはコーラ・ナッツのエキスを使用していたことからその名前がついたのだが、いまはエキスを使わずに作られているのが残念だ。
by 有冨

ナイロビ・テキスタイル・センターの布屋

ナイロビの市内中心部、ダウンタウンの一角に「ナイロビ・テキスタイル・センター」と呼ばれる雑居ビルがある。
築何十年かは分からないが、建て増しにつぐ建て増しで、現在も成長中。おそらくは5階建てのビルなのだが、好き勝手な建て増しが続いている為、階段が途中で終わっていたり、同じフロアなのに、どうしても辿りつけない場所があったりと摩訶不思議な構造。まるで、香港にあった安宿カオスビルの重慶マンションのようだ。
この雑居ビルは、全フロアの全てに写真のような小さな布屋と仕立て屋がひしめき合っていて、その店舗数は250店を超える。多くの店舗は、2~3畳くらいの大きさで、各店舗によって扱う布の種類に拘りがあったり、仕立て屋も現代風の服の仕立が得意な店から、伝統衣装の仕立が得意な店など千差万別。問屋街にもなっているので、いわゆる土産物屋とは比較にならないような安価で布地が飛び交っている為、朝から晩まで地元の人達で賑わっている。好きな人には堪らない場所なのだが、1時間も居ると目がチカチカ、頭がクラクラしてくる。
品揃えは、さすがに東アフリカの大都市ナイロビ。アフリカ大陸の全土から、様々な布地が集まる。東アフリカのカンガ布、ナイジェリアや西アフリカでよく使われるキテンゲやパーニュといったワックスプリントもの、バゼンと呼ばれる糊の効いた光沢の布、ガーナのケンテ生地、マリ共和国の泥染め・藍染め、コンゴで見られるラフィアで織られたクバ王国の草ビロード布(さすがに摸造ですが)まで見つけたときはたまげた。ここに来て誰かに聞いてみれば、きっとアフリカの布で見つからないものはないと思う。

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私も、カラフルなアフリカの服に憧れて、気に入った布でシャツなど仕立ててもらったりするものの、悲しいかな、薄い顔立ちと貧弱な身体つきではどうにも似合わない。街を歩いてみて、ガラスに映った自分を見ると、何かの罰ゲームでしょうか?と思うような見苦しさだ。通りすがりの人に「グッド!ルッキン!」なんて誉められても、そのまま日本まで飛んで帰りたくなる。アフリカンお洒落は、あまりにもレベルが高過ぎるが、それでも何故か惹かれてしまい、たまに時間を見つけては、布漁りに行ってしまう。

コートジボワールの外国人の就職事情 4

前回の3では、アフリカ系外国人、特にフランス語圏以外のアフリカ系外国人について書きました。

今回からはフランス語圏のアフリカ系外国人に焦点を当ててみたいと思います。フランス語圏アフリカ諸国の人々の多くがアビジャンやコートジボワール国内の津々浦々で働いています。
モーリタニア人は主にアビジャン市内の街角にある、キオスクなどで食料品、飲料、生活雑貨(石鹸、文具、プロパンガス)などを販売しています。
ニジェール人は、生きたままの鶏、野菜、田舎のキオスクで食料品、飲料、生活雑貨を販売し、それ以外にも靴修理などをしています。
モーリタニア人やニジェール人は、妻子を国に残して、コートジボワールに出稼ぎに来ています。ニジェール人で商売をしている人たちの多くはハウサの人達で、ハウサ商人と呼ばれており、アビジャン市内はもとより、森の中の村まで網羅しています。
モーリタニア人たちは、自国に収益を持ち帰るために、銀行窓口よりも若干有利にユーロからCFAフランに両替してくれる人もいました。
画像はアビジャン市ココディ地区にあるキオスクの店内です。
by 虎

映画「風に立つライオン」ケニアロケ

かなり前の話で申し訳ありませんが、昨年11月上旬から約1ヶ月間、現在公開中の映画「風に立つライオン」のケニアロケに同行させていただきました。
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ご存知かもしれませんが、映画はさだまさしさんが1987年に発表した楽曲、「風に立つライオン」が元になっており、この歌の世界に惚れ込んだ俳優の大沢たかおさんが小説化を熱望、さださんに依頼、大沢さんの熱意にほだされたさださんが、楽曲の発表後26年を経て小説化し、その小説を元に大沢さん主演で映画化という運びになりました。
この映画のプロジェクトはずいぶん前に始まっており、当初は実際に物語の舞台になったケニアで撮影をするのかはっきりは決まっていませんでしたが、6月に三池監督はじめプロデューサーさん、美術監督さんら、製作陣の主だった方々がケニアへロケハンで訪問し、三池監督が「ケニアで撮るしかない!」と即決、ケニアで約1ヶ月のロケを敢行することになりました。弊社では、ロケハンの前の段階から情報提供を通じて協力させていただき、ロケにも同行させていただきました。

エンケレイヤン小学校に作られたロキチョギオ赤十字病院のセット
エンケレイヤン小学校に作られたロキチョギオ赤十字病院のセット

撮影は主に、ナイロビの農業研究所(長崎大学熱帯病研究所の研究室を再現)、MGMスタジオ(ケニアに映画用のスタジオがあるなんてご存知の方いらっしゃったでしょうか?)、マチャコス病院(クリニックを再現)、ナイロビ近郊のンゴングヒル周辺エンケレイヤンにある小学校(ロキチョギオの赤十字病院を再現)、マサイの村、マイマヒュー(マサイマラへ向かう途中の大地溝帯ビューポイント下の町)のトゥルカナ人の村などで行われました。

エキストラ出演した本物のトゥルカナのエルダー。私はトゥルカナランドに暮らしていたことがあるので、懐かしい雰囲気でした。
エキストラ出演した本物のトゥルカナのエルダー。私はトゥルカナランドに暮らしていたことがあるので、懐かしい雰囲気でした。

普段は普通の格好をしているマイマヒューのトゥルカナの人々ですが、髪形を整え、伝統衣装をまとうと、やっぱりトゥルカナ人そのものです。
普段は普通の格好をしているマイマヒューのトゥルカナの人々ですが、髪形を整え、伝統衣装をまとうと、やっぱりトゥルカナ人そのものです。

最も多くの時間を過ごしたのは、ナイロビから片道約1時間の場所にあるエンケレイヤンの小学校。ここは校長先生に頼み込んで夏休み中の小学校をお借りして、スーダン国境に程近いロキチョギオの病院を本物そっくりに再現し、30℃を超える炎天下、連日撮影を行い、時には現場で朝まで撮影して翌日は終日撮影お休み、なんていうスケジュールの日もありました。俳優さん、マネージャーさん、同行の私などは、撮影休みの日は完全にお休み(その代わり、買い物などに俳優さんをお連れします)になりますが、スタッフの皆さんはお休みといっても完全なお休みなどなく、データの整理やら衣装作りやら、ほぼ不眠不休で1ヶ月を駆け抜けたという感じです。映画製作というのはずいぶん大変な作業なんだな、と思うとともに、スタッフの皆さんのプロ根性というか、職人魂というか、そんなものを見せつけられた一ヶ月間でした。

夜を徹して続けられる撮影。
夜を徹して続けられる撮影。

また、ロケに参加された俳優の大沢たかおさん、石原さとみさん、石橋蓮司さん、萩原聖人さんも、慣れない環境での撮影で大変な思いをされたと思いますが(石原さんがインタビューで話されていたように、サバンナはハエが多いですからシリアスな場面で顔にハエがたかって、それは特に大変だったと思います)、日本とは全く違った環境下での撮影を楽しまれていたようにも思います。大沢さんは何度目かのアフリカ(ケニアは2回目だそうです)、石橋さんはウガンダに続いて2回目のアフリカ(辺見庸さん原作の「もの食う人々」のテレビドラマに辺見さん役で出演されています)ということで、リラックスしてお仕事をされていたようにも感じました。ケニアにいるにもかかわらず、サファリにいけるような余裕のあるスケジュールではありませんでしたが、出演俳優の皆さんはお帰りの際に空港で、口々に「また来たい」とおっしゃっていたのが印象的でした。
今回のケニアロケは、日本側のスタッフとともにナイロビ大学で映像製作を学んでいる学生さんたちもインターンとして参加し、エキストラその他の面で現地に研究施設を置いている長崎大学(主人公のモデルになった柴田柴田紘一郎先生の母校)の強力なバックアップを受け、最後まで事故・トラブルなく終了し、映画は完成、現在も公開中です。
役者さんも大半はケニアの一般の人たち(アフンディ役の方はケニアの有名なコメディアンですが)でしたし、スタッフの皆さん、俳優さんたち皆、外国人とともに仕事をする、慣れない環境下で仕事をすることは、日本側、ケニア側双方にとって大変だったと思いますが、お互いにケニア人・日本人との仕事を通じて何かを、お互いに将来の仕事にとって有益な何かを得ていただけたらいいな、と思います。
まだ映画をご覧になっていない方、まだ絶賛公開中ですので、是非映画館に足をお運びください!
羽鳥