2019.2.15発 インド洋・スワヒリ・コースト航海~ダウ船で巡る島旅15日間~ 前編

毎年1月から2月にかけて、アフリカ大陸の東側、インド洋を南西に向かって季節風が吹きます。『カシカジ』と呼ばれるこの風に乗って、古来よりアラブのムスリム商人たちはアフリカ大陸の東海岸と交易をしていました。そのインド洋交易に使われていたのが『ダウ船』と呼ばれる三角帆の船、そして交易によって栄えたアフリカの東海岸を総称して『スワヒリ・コースト(海岸地域)』と呼びます。アラブとアフリカの文化がブレンドされたこの海岸地域の歴史は古く、内陸部のイギリス植民地文化の影響が色濃いケニアとは大きく趣が異なります。人々の佇まい、食事、建築、音楽などすべてが独特です。そんなスワヒリ海岸地域の文化の真髄とも言えるのが『ダウ船』です。『ダウ船』の歴史は古く、紀元1世紀ごろには書物にその名前が登場します。今回のツアーは、そんな古来から製法の変わる事のない『ダウ船』を一艘貸し切って、『スワヒリ・コースト』を航海することそのものが目的でした。

ケニアの首都ナイロビに到着後、小さなプロペラ機に乗り換えて、スワヒリ海岸へと向かいます。
ケニアの首都ナイロビに到着後、小さなプロペラ機に乗り換えて、スワヒリ海岸へと向かいます。
空からの景色。マングローブに覆われたラム島が見えてきました。三角帆のダウ船の姿が見えます。
空からの景色。マングローブに覆われたラム島が見えてきました。三角帆のダウ船の姿が見えます。
ラム島での主な足は船。船を走らせ、旧市街へと向かいます。
ラム島での主な足は船。船を走らせ、旧市街へと向かいます。
ラム旧市街のメインポート。多くのボートがタクシーのように並んでいます。
ラム旧市街のメインポート。多くのボートがタクシーのように並んでいます。
ラム旧市街はユネスコの世界遺産にも登録されています。ポルトガル占領時代に建設されたオールド・ポート(砦)を中心に石造りの街が広がります。
ラム旧市街はユネスコの世界遺産にも登録されています。ポルトガル占領時代に建設されたオールド・ポート(砦)を中心に石造りの街が広がります。
路地に入るとまるで迷路のように石の街が広がります。
路地に入るとまるで迷路のように石の街が広がります。
車が全く走っていないこの島の中の交通手段はロバ。のどかなラムらしい風景です。
車が全く走っていないこの島の中の交通手段はロバ。のどかなラムらしい風景です。
家々の扉は美しいレリーフが彫り込まれたスワヒリ建築。時代に合わせて様々なスタイルがあります。
家々の扉は美しいレリーフが彫り込まれたスワヒリ建築。時代に合わせて様々なスタイルがあります。
旧市街の中心にある憩いの広場。イスラムの島でもあるラムは、どこからともなくコーランが聞こえてきます。
旧市街の中心にある憩いの広場。イスラムの島でもあるラムは、どこからともなくコーランが聞こえてきます。

今回のツアーのメインとなるのは、ケニアの『ラム島』からタンザニアの『ザンジバル島』までの8日間の航海です。出発地のラム島は、ケニアで最も古い港町の一つで、かつてはヨーロッパ、インド、アラブ、そして中国をも結ぶ東アフリカ有数の港として栄えました。とても小さな島で、島内を走る車は車は地方長官の乗用車1台のみ、人々の移動手段はロバと徒歩が中心です。アフリカとは思えないようなイスラム風の町並みが残る旧市街は、ユネスコの世界遺産にも指定されています。薄暗い細い路地を歩けば、時間が止まったかのような中世イスラムの世界に浸ることができます。往時の繁栄を偲ぶものはほとんど残されてはいませんが、昔ながらの素朴なのんびりした雰囲気を感じることが出来る島でした。そして、今回のツアーの相棒ともいえる『ダウ船』と航海の仲間たちはラム島に暮らす船乗りたちです。

ラム島、マンダ島、ぺテ島と3つの島から成ります。それほど大陸からは離れておらず、周囲がマングローブで覆われています。
ラム島、マンダ島、ぺテ島と3つの島から成ります。それほど大陸からは離れておらず、周囲がマングローブで覆われています。
南部ソマリアの首都Mogadishuから、遠く南のモザンビークSofalaまで。このアフリカ大陸東側を総称して「スワヒリ・コースト」と呼びます。インド洋を渡り、遠くインドからマレーシア、中国までもが交易の相手でした。
南部ソマリアの首都Mogadishuから、遠く南のモザンビークSofalaまで。このアフリカ大陸東側を総称して「スワヒリ・コースト」と呼びます。インド洋を渡り、遠くインドからマレーシア、中国までもが交易の相手でした。
現在のラム島は往時の繁栄に比べると、のどかで小さな島です。中央市場も規模は小さいですが活気にあふれています。
現在のラム島は往時の繁栄に比べると、のどかで小さな島です。中央市場も規模は小さいですが活気にあふれています。
ラム島で拠点としたのは外洋に出やすいシェラの街。宿はこじんまりとしたスワヒリ建築のゲストハウスです。
ラム島で拠点としたのは外洋に出やすいシェラの街。宿はこじんまりとしたスワヒリ建築のゲストハウスです。
部屋からの眺め。遠くに帆をたたんだダウ船が停泊しています。
部屋からの眺め。遠くに帆をたたんだダウ船が停泊しています。
シェラの街は村と言ってもいいほどの大きさ。白い壁が続く家々と村全体が砂地に覆われています。
シェラの街は村と言ってもいいほどの大きさ。白い壁が続く家々と村全体が砂地に覆われています。
夕暮れ時、明日からの航海に備えて、一回り小さなダウ船で島の周りを2時間ほどのショートクルーズ。「モザンビーク・スタイル」と呼ばれる船尾が細い形状をしたダウ船です。
夕暮れ時、明日からの航海に備えて、一回り小さなダウ船で島の周りを2時間ほどのショートクルーズ。「モザンビーク・スタイル」と呼ばれる船尾が細い形状をしたダウ船です。
三角帆を大きく張って、風を受けて走ります。ご参加者の1人も早速舵取りを任されました。
三角帆を大きく張って、風を受けて走ります。ご参加者の1人も早速舵取りを任されました。
三角帆はマストを巻き込むように帆を張り、風の向きに合わせて左右に向きを人力で切り返します。シンプルな造りですが、計算され尽くした構造をしています。
三角帆はマストを巻き込むように帆を張り、風の向きに合わせて左右に向きを人力で切り返します。シンプルな造りですが、計算され尽くした構造をしています。

『ダウ船』の特徴は何よりも徹底的に木造帆船であること。1枚の大三角帆(ラテンセイル)を持ち、外板を固定するための鉄や釘を一切使わず、ココヤシの繊維で作った紐や瀝青(タール状の粘土)で組み立てることが特徴です。木材を紐で縛って組み上げる事から、ダウ船は「縫合船」とも呼ばれます。主な動力は三角帆で受ける『風』そのものですが、現在では小さなヤマハの船外機を付け、風とエンジンの2つの動力を使って走るのが一般的です。外洋に出てからの航海中の一番の魅力は風に吹かれる船上で過ごす時間そのものでした。

翌朝、いよいよ外洋へと出発。まだあたりが暗いうちに出発し、洋上で美しい日の出を浴びます。
翌朝、いよいよ外洋へと出発。まだあたりが暗いうちに出発し、洋上で美しい日の出を浴びます。
日が上がりきったら、いよいよマストを大きく張り出します。
日が上がりきったら、いよいよマストを大きく張り出します。
帆を張るこの瞬間の興奮は、ダウ船の旅の醍醐味です。
帆を張るこの瞬間の興奮は、ダウ船の旅の醍醐味です。
大きく空に張り出しました。北から吹き付ける「カシカジの風」そのものが我々の命綱です。
大きく空に張り出しました。北から吹き付ける「カシカジの風」そのものが我々の命綱です。
季節風「カシカジ」に乗って南へと進みます。
季節風「カシカジ」に乗って南へと進みます。
日本の旗も掲げました!インド洋の風にたなびいております。
日本の旗も掲げました!インド洋の風にたなびいております。
さて、うまく風に乗ってしまうと、実は船のクルーもあまりやる事がありません。交代で舵取りをして、他のみんなはのんびり。
さて、うまく風に乗ってしまうと、実は船のクルーもあまりやる事がありません。交代で舵取りをして、他のみんなはのんびり。
海図の読み方をレクチャー。
海図の読み方をレクチャー。
見事に大物を釣り上げました!今日のお昼ご飯も安泰です。
見事に大物を釣り上げました!今日のお昼ご飯も安泰です。
船の甲板があっという間に台所へ早変わり。海の上で炭火のバーベキュー。
船の甲板があっという間に台所へ早変わり。海の上で炭火のバーベキュー。
料理は航海の楽しみの一つ。協力して一生懸命作ります。
料理は航海の楽しみの一つ。協力して一生懸命作ります。
男の漁師ご飯!つい数時間前に釣り上げたばかりの新鮮なサワラが贅沢です!
男の漁師ご飯!つい数時間前に釣り上げたばかりの新鮮なサワラが贅沢です!

道中の港町に寄りながら、夜は各港町の宿泊施設に泊まり、また翌朝からは外洋へと出発。船上では毎日釣り上げた魚を料理し、お腹いっぱいになったら甲板で風に吹かれながら昼寝。ケニアからタンザニアへと海を渡り、国を超え、目指すゴールはタンザニアのザンジバル島です。

海岸沿いに停泊しながら南へと向かいます。宿泊地のバンガロー
海岸沿いに停泊しながら南へと向かいます。宿泊地のバンガロー
どこの滞在先も素朴ながら、快適な宿泊施設です。
どこの滞在先も素朴ながら、快適な宿泊施設です。
1日の航海が終わり、陸地から眺めるダウ船と夕焼け
1日の航海が終わり、陸地から眺めるダウ船と夕焼け
砂浜でのんびりしていると、近所の子供たちが遊びに来ました。
砂浜でのんびりしていると、近所の子供たちが遊びに来ました。
今回の相棒は「ELSA BELLAH(イザベラ)号」。伝統的なラム・スタイルの建造にこだわった一艘です。
今回の相棒は「ELSA BELLAH(イザベラ)号」。伝統的なラム・スタイルの建造にこだわった一艘です。
場所によっては沖合に停泊したダウ船まで、小型ボートを使ってのウェットランディング。
場所によっては沖合に停泊したダウ船まで、小型ボートを使ってのウェットランディング。
ダウ船に乗船後は早速朝ごはん。新鮮なマンゴーはほぼ食べ放題です。
ダウ船に乗船後は早速朝ごはん。新鮮なマンゴーはほぼ食べ放題です。
再び、のんびり風に吹かれる船旅の始まりです。
再び、のんびり風に吹かれる船旅の始まりです。
スワヒリ海岸、最大の港町モンバサに到着しました。
スワヒリ海岸、最大の港町モンバサに到着しました。
モンバサの名所、「タスクス」と呼ばれる象牙を模したモニュメントです。かつてアフリカ最大の象牙集積港だったことを偲ばせます。
モンバサの名所、「タスクス」と呼ばれる象牙を模したモニュメントです。かつてアフリカ最大の象牙集積港だったことを偲ばせます。
モンバサの旧市街の食堂にて。絶品のスワヒリ料理の1つ、マトン・ビリヤ二です。
モンバサの旧市街の食堂にて。絶品のスワヒリ料理の1つ、マトン・ビリヤ二です。
大型のタンカーなどは近代的な港に入りますが、小さなダウ船は旧市街の港(オールド・ポート)へと入ります。モンバサの旧市街は、14~15世紀にポルトガルの支配下に置かれ、インド洋交易の最大拠点の一つとして栄えました。
大型のタンカーなどは近代的な港に入りますが、小さなダウ船は旧市街の港(オールド・ポート)へと入ります。モンバサの旧市街は、14~15世紀にポルトガルの支配下に置かれ、インド洋交易の最大拠点の一つとして栄えました。
夜の旧市街。何とも言えない雰囲気があります。
夜の旧市街。何とも言えない雰囲気があります。
お肉屋さん。どこのお店も看板代わりにイラストで表されています。
お肉屋さん。どこのお店も看板代わりにイラストで表されています。
モンバサを出発し、次なる目的地はシモニ半島。ケニア共和国の最南端です。この頃になると、ダウ船のクルーたちとのチームワークもばっちり。
モンバサを出発し、次なる目的地はシモニ半島。ケニア共和国の最南端です。この頃になると、ダウ船のクルーたちとのチームワークもばっちり。
風任せの旅路。のんびり甲板で語らっている時間が何より楽しい時間でした。
風任せの旅路。のんびり甲板で語らっている時間が何より楽しい時間でした。
ケニアの最南にあるバオバブの島、ワシニ島が見えてきました。この島の向かいにあるのが最南端のシモニ半島です。
ケニアの最南にあるバオバブの島、ワシニ島が見えてきました。この島の向かいにあるのが最南端のシモニ半島です。
シモニ到着。18世紀頃、スワヒリ海岸一帯がオマーンの支配下にあった時代に内陸奴隷の集積場所として村が発展していたという歴史があります。
シモニ到着。18世紀頃、スワヒリ海岸一帯がオマーンの支配下にあった時代に内陸奴隷の集積場所として村が発展していたという歴史があります。
現在ではのどかな漁村といった雰囲気です。スワヒリ海岸には珍しく、人口の60%以上をクリスティアン(キリスト教徒)が占めます。
現在ではのどかな漁村といった雰囲気です。スワヒリ海岸には珍しく、人口の60%以上をクリスティアン(キリスト教徒)が占めます。
奴隷の集積場所だったシモニ洞窟。内部は蝙蝠の巣となっており、非常に劣悪な衛生環境。胸の詰まる場所でした。
奴隷の集積場所だったシモニ洞窟。内部は蝙蝠の巣となっており、非常に劣悪な衛生環境。胸の詰まる場所でした。
翌日からは大きく海を横切り、タンザニアの島嶼へと向かいます。ケニアの出国手続きも終え、夕食はもはや部屋のように慣れ親しんだダウ船内にて、魚介類の炭火焼き。
翌日からは大きく海を横切り、タンザニアの島嶼へと向かいます。ケニアの出国手続きも終え、夕食はもはや部屋のように慣れ親しんだダウ船内にて、魚介類の炭火焼き。
翌朝、大きく三角帆を張ってタンザニアのペンバ島へ向けて出航です。インド洋を横切るような形になり、今回のルートの中でも難所の一つです。
翌朝、大きく三角帆を張ってタンザニアのペンバ島へ向けて出航です。インド洋を横切るような形になり、今回のルートの中でも難所の一つです。
沖合にもダウ船スタイルの漁船が見えます。青一色の景色の中、タンザニアへと向かいます。
沖合にもダウ船スタイルの漁船が見えます。青一色の景色の中、タンザニアへと向かいます。

航海も中盤を乗り越えました。シモニ半島でケニアの出国手続きを終え、海を渡っていよいよ国境越え。タンザニアの沖に浮かぶザンジバル諸島へと進みます。まずは大きくインド洋を横切りペンバ島へ。果たして無事に海上の国境越えが出来るでしょうか。(後編に続く
■インド洋・スワヒリ・コースト航海~ダウ船で巡る島旅~ 14日間
2020年2月7日(金)出発 748,000円
■レポート後編はこちら
生野

2019.3.17発 タンザニア&ザンビア『TAZARA鉄道』ポレポレ旅 11日間

『TAZARA鉄道』に乗ってきました!通り名の『タンザン鉄道』の方が有名でしょうか。タンザニアの首都ダルエスサラームからザンビアのカピリムポシ駅までを繋ぐ約2,000kmの鉄道です。約40年間の歴史を持つ鉄道は、現在でも週2便運行し、地元の人の足として活躍しています。今回のツアーは、出来るだけローカル目線の旅行を楽しめないかと思い、企画したツアーでした。タンザン鉄道の切符を確保しておく以外は事前に手配らしい手配もせず、現地で移動手段や宿を決めながらの珍道中でした。

まずは港町ダル・エス・サラームに到着。タンザニアの最大の商業都市でもあります。
まずは港町ダル・エス・サラームに到着。タンザニアの最大の商業都市でもあります。
簡単に街をぶらぶら。活気のある野菜市場。
簡単に街をぶらぶら。活気のある野菜市場。
ティンガティンガの工房にも立ち寄りました。
ティンガティンガの工房にも立ち寄りました。
これから列車の旅ですので、買い物はほどほどに!
これから列車の旅ですので、買い物はほどほどに!
魚市場も賑わっています。
魚市場も賑わっています。
魚の競りが行われていました。おばちゃん達も真剣です。
魚の競りが行われていました。おばちゃん達も真剣です。
『TAZARA鉄道』の始発駅、ダル・エス・サラーム駅舎に到着しました。約40年前に建てられた立派な駅舎です。
『TAZARA鉄道』の始発駅、ダル・エス・サラーム駅舎に到着しました。約40年前に建てられた立派な駅舎です。
駅の待合室。これから一緒に乗り込む乗客でごった返しています。ワクワク。
駅の待合室。これから一緒に乗り込む乗客でごった返しています。ワクワク。
荷物チェックを受けて客車へと乗り込みます。
荷物チェックを受けて客車へと乗り込みます。
TAZARA鉄道が動き出しました。数十分も走り出せば、あたりはすっかり緑の中です。
TAZARA鉄道が動き出しました。数十分も走り出せば、あたりはすっかり緑の中です。

2泊3日の列車旅の始まりです。タンザニア南部のセルー野生保護区を抜け、緑豊かな大地を隣国ザンビアに向けのんびりと走ります。途中の停車駅では近隣の人々が美味しそうな果物やご飯などを売りに集まってきます。食堂車で乗り合わせた人と飲み語らい、自分の客車に戻っては昼寝。起きたらボケっと車窓の景色に身をゆだねる。

客車内の狭い廊下を通って、客車キャビンへと向かいます。
客車内の狭い廊下を通って、客車キャビンへと向かいます。
キャビン内はこんな感じ。二段ベッドが向かい合うように配置されています。
キャビン内はこんな感じ。二段ベッドが向かい合うように配置されています。
二段ベッドの上段部分。扇風機付きです!!
二段ベッドの上段部分。扇風機付きです!!
さっそく列車内を探検。食堂車の調理場を覗きます。
さっそく列車内を探検。食堂車の調理場を覗きます。
食堂車にはBARも併設されています。駆けつけ一杯。
食堂車にはBARも併設されています。駆けつけ一杯。
お昼ご飯です。メニューは、ビーフ、チキン、フィッシュの3種類から選びます。
お昼ご飯です。メニューは、ビーフ、チキン、フィッシュの3種類から選びます。
食べたら昼寝。
食べたら昼寝。
先頭が機関車両。貨車が3両連なり、そこから三等車両が4両連なります。真ん中の水色の3両は食堂車両とBAR車両。
先頭が機関車両。貨車が3両連なり、そこから三等車両が4両連なります。真ん中の水色の3両は食堂車両とBAR車両。
列車は、セルー野生動物保護区の中を走り抜けていきます。
列車は、セルー野生動物保護区の中を走り抜けていきます。
『TAZARA鉄道』は駅以外は単線です。ひたすら一本の線路がどこまでも続きます。
『TAZARA鉄道』は駅以外は単線です。ひたすら一本の線路がどこまでも続きます。
夜になっても走り続けます。
夜になっても走り続けます。
夕食はメインのおかずをフィッシュに変えてみました。
夕食はメインのおかずをフィッシュに変えてみました。
列車の最後尾はこんな感じ、『HATARI』とはスワヒリ語で『危険!』です、見ればわかりますね。
列車の最後尾はこんな感じ、『HATARI』とはスワヒリ語で『危険!』です、見ればわかりますね。
朝になってタンザニア南部の中都市マカンバコに到着しました。
朝になってタンザニア南部の中都市マカンバコに到着しました。
駅では、朝っぱらから、モツ煮込みが売られています。
駅では、朝っぱらから、モツ煮込みが売られています。
列車に近づいて、直接果物などを売りに来る人もいます。
列車に近づいて、直接果物などを売りに来る人もいます。
乗り降りする人、物売りの人、ごっちゃになってきました。
乗り降りする人、物売りの人、ごっちゃになってきました。
停車時間が長いので先頭の機関車両を見に行きます。迫力があります。まさに鉄の塊!男心をくすぐられます。
停車時間が長いので先頭の機関車両を見に行きます。迫力があります。まさに鉄の塊!男心をくすぐられます。
機関士の皆さん。お仕事ご苦労様です!
機関士の皆さん。お仕事ご苦労様です!
機関室に入れてもらいました。年季入ってます。
機関室に入れてもらいました。年季入ってます。
外装のエンブレムも年季入ってます!
外装のエンブレムも年季入ってます!
夜中にタンザニアからザンビアへと入国。手続きは列車内で行います。
夜中にタンザニアからザンビアへと入国。手続きは列車内で行います。
ザンビアに入り、のどかな村の合間などを走ります。
ザンビアに入り、のどかな村の合間などを走ります。
引き続き、列車が停止するたびに大勢の人がモノを売りに来ます。これが楽しみ!
引き続き、列車が停止するたびに大勢の人がモノを売りに来ます。これが楽しみ!
3日目の夕暮れ時、だんだん列車の旅も終わりが近づいてきました。
3日目の夕暮れ時、だんだん列車の旅も終わりが近づいてきました。
深夜に停車し、他の乗客にたたき起こされました。
深夜に停車し、他の乗客にたたき起こされました。
ゴール!無事に終点のニューカピリムポシ駅に到着です。
ゴール!無事に終点のニューカピリムポシ駅に到着です。
夜明けごろ、乗り合いバスに交渉して、まずはザンビアの首都ルサカへ。
夜明けごろ、乗り合いバスに交渉して、まずはザンビアの首都ルサカへ。
数時間走って大きなバス停に到着。
数時間走って大きなバス停に到着。
ザンビアの首都ルサカです。なかなかの大都市です。
ザンビアの首都ルサカです。なかなかの大都市です。
人口は250万人。70もの民族の人々が入り混じるザンビアの中心地です。
人口は250万人。70もの民族の人々が入り混じるザンビアの中心地です。
ひとまずこの街に1泊して、列車旅の疲れを癒します。
ひとまずこの街に1泊して、列車旅の疲れを癒します。
街をぶらぶら。経済都市といった雰囲気で、それほど文化的な見ものはありませんが、やっぱりアフリカの街歩きは楽しいです。
街をぶらぶら。経済都市といった雰囲気で、それほど文化的な見ものはありませんが、やっぱりアフリカの街歩きは楽しいです。
せっかくなので夕食はザンビア・ローカル料理。主食のンシマにブライ(焼肉)、付け合わせはチヴァヴァ (かぼちゃの葉っぱ煮込み)とカレンブラ(サツマイモの葉っぱ煮込み)です。
せっかくなので夕食はザンビア・ローカル料理。主食のンシマにブライ(焼肉)、付け合わせはチヴァヴァ (かぼちゃの葉っぱ煮込み)とカレンブラ(サツマイモの葉っぱ煮込み)です。

さて、首都ルサカで1泊し、いよいよこのツアーの最終目的地、リビングストンの街を目指します。これまでの道中、一般の人々と同じローカルな乗り物とローカルな食事を続けてきました。せっかくですので、最後までこの旅のスタイルを崩さずに、再び乗り合いバスに乗ってリビングストンの街へと向かいます。

まずはチケット売り場にて乗り合いバスの切符を購入。
まずはチケット売り場にて乗り合いバスの切符を購入。
車窓の景色。日本の中古車も大活躍しています。
車窓の景色。日本の中古車も大活躍しています。
元「日本モーターボート競走会」学生たちのスクールバスとして活躍していました。
元「日本モーターボート競走会」学生たちのスクールバスとして活躍していました。
1日走って、リビングストンの街へと到着。130年の歴史のある、なかなか古い街です。
1日走って、リビングストンの街へと到着。130年の歴史のある、なかなか古い街です。
コロニアル時代の建物も残ります。
コロニアル時代の建物も残ります。
最後の宿泊地は「バックパッカーズ」と呼ばれる簡易宿泊所。
最後の宿泊地は「バックパッカーズ」と呼ばれる簡易宿泊所。
欧米の個人旅行者も多く、旅行者同士の交流も楽しみです。
欧米の個人旅行者も多く、旅行者同士の交流も楽しみです。
キッチンも付いているので自炊も可能。共有スペースも快適でした。
キッチンも付いているので自炊も可能。共有スペースも快適でした。
近くには、デイヴィッド・リビングストン博物館もありました。見ごたえあり。
近くには、デイヴィッド・リビングストン博物館もありました。見ごたえあり。
そして、リビングストン観光の目玉と言えば、ご存じ『ビクトリアの滝』です。
そして、リビングストン観光の目玉と言えば、ご存じ『ビクトリアの滝』です。
ジンバブエ側と違って、ザンビア側では、滝のギリギリ際まで近づく事が出来るのでより迫力があります。
ジンバブエ側と違って、ザンビア側では、滝のギリギリ際まで近づく事が出来るのでより迫力があります。
そして旅の〆料理はまたもローカル料理。剥き出しチキンは、コラーゲン満点です。
そして旅の〆料理はまたもローカル料理。剥き出しチキンは、コラーゲン満点です。
この日は満月だったので、食後に再び滝の観光へ。月明りに照らされて、見事な虹を見ることが出来ました。
この日は満月だったので、食後に再び滝の観光へ。月明りに照らされて、見事な虹を見ることが出来ました。
最後は橋を渡ってジンバブエに入国し、空路日本へと帰ります。
最後は橋を渡ってジンバブエに入国し、空路日本へと帰ります。

列車や乗り合いバスなど、ローカル交通機関を使って移動するだけの内容ですが、ゴールのビクトリアの滝に辿り着いたときは、なかなかの達成感がありました。
『TAZARA鉄道も』1~2日は遅れるのが当たり前だと聞いていましたが、今回は運が良く3時間程度の遅れで真夜中にニューカピリムポシ駅に到着。ゴール以外は派手な観光地もなく、随分のんびり(ポレポレ)な旅行でしたが、地元の人達と一緒に地元の相乗り列車に乗り、地元の食事を取り、地元の足を使って移動する。ともすれば、贅沢な旅行も多いアフリカ旅行ですが、久しぶりに旅行の原点の楽しさを思い出したようなひと時でした。いやー、楽しかった。

旅の思い出に残っているのは、列車の中での他の乗客との語らいの時間。あまり観光客扱いされないのも心地良かったです。
旅の思い出に残っているのは、列車の中での他の乗客との語らいの時間。あまり観光客扱いされないのも心地良かったです。

40周年のオモシロ企画の一環でしたが、意外と好評だったので2019年の後半も企画しました。是非、地を這うようなローカル目線でアフリカを旅行したい方はご参加お待ちしています!
■タンザニア&ザンビア『TAZARA鉄道』ポレポレ旅 11日間
■タンザニアのツアー一覧はこちら
■ザンビアのツアー一覧はこちら

2019.4.27発 GW スペシャリストと動物を追う イエローストーン探訪 9日間

今年は特大連休となったGW!多くの方が日本を出て海外で素敵な時間を過ごされたのではないでしょうか? 今回のGWは『GW スペシャリストと動物を追うイエローストーン探訪 9日間』のツアーに同行させていただきました。アフリカ専門の弊社ですが、道祖神のツアーの中でもかなりレア。毎年GWにアメリカにある、世界最古の国立公園イエローストーンをふんだんに堪能するツアーです。

イエローストーンノースゲート
イエローストーンノースゲート

今年のイエローストーンは例年よりも雪が長引いたようで、ツアー中の最低温度はマイナス11℃。雪が吹雪いていた日も何日かありました。写真を撮りたいのに写真を撮るためにぽっけから手を出してカメラを構えるも手袋をしているのに手が寒くて痛い!しかしながら、雪が作る大自然での銀世界は息をのむ美しさがありました。

動物探しはイエローストーン北部で早朝から始まります。毎朝広大な大地からの朝日に癒されます。
動物探しはイエローストーン北部で早朝から始まります。毎朝広大な大地からの朝日に癒されます。

ツアーの初日から早速、動物を探しながらまず初めに立ち寄ったのは、マンモステラス。絶え間なく湧き上がる石灰分の温泉が巨大な段を作っています。

ここ6年で急成長しているようです。改めて自然の偉大さを感じた瞬間でした。
ここ6年で急成長しているようです。改めて自然の偉大さを感じた瞬間でした。

続いて、大自然を堪能しながら動物を探していきます。

イエローストーンでよく見かけるのが、バイソンです。
イエローストーンでよく見かけるのが、バイソンです。

バイソンはよく道路の真ん中を堂々と歩き、渋滞を作ります。

ツアー中にはヌーの大移動ならぬ、バイソンの大移動にも出食わしました。車の真横を大群で駆け抜けるバイソンに圧倒されました。
ツアー中にはヌーの大移動ならぬ、バイソンの大移動にも出食わしました。車の真横を大群で駆け抜けるバイソンに圧倒されました。
この時期はバイソンの出産ピーク時期とのことで多くのバイソンの赤ちゃんも見ることができました。
この時期はバイソンの出産ピーク時期とのことで多くのバイソンの赤ちゃんも見ることができました。
30mくらい先にブラックベア!近すぎてレンジャーが出動するほどの大騒ぎ。
30mくらい先にブラックベア!近すぎてレンジャーが出動するほどの大騒ぎ。
ビックポーンシープ
ビックポーンシープ
エンテロープ
エンテロープ
エルク角を持ち上げるガイドのロンさん。角はものすごい重量でした。
エルク角を持ち上げるガイドのロンさん。角はものすごい重量でした。
双眼鏡から覗く、イヌワシ
双眼鏡から覗く、イヌワシ
ハクトウワシ
ハクトウワシ
コヨーテも見ることができました。
コヨーテも見ることができました。

残念ながら、オオカミを間近で見ることはできませんでしたが、望遠鏡を使ってバイソンを捕食するオオカミを6頭ほど見ることができました。また、大自然の静けさの中、オオカミの遠吠えを聞くことができ、鳥肌が立つほどの感動でした。
ツアーの後半はイエローストーンを南下していき、熱水泉・間欠泉地帯に向かいます。向かう途中で立ち寄ったのは、イエロースローンのグランドキャニオンといわれる渓谷です。

ものすごい深さの渓谷とそこに流れ落ちる滝。写真には納まりきらないほどの絶景です。
ものすごい深さの渓谷とそこに流れ落ちる滝。写真には納まりきらないほどの絶景です。
ノリスガイザー
ノリスガイザー
いたるところから硫黄成分の含まれる温泉が湧き上がっています。
いたるところから硫黄成分の含まれる温泉が湧き上がっています。
お湯の中に住む微生物たちが色鮮やかに大地や温泉を彩ります。
お湯の中に住む微生物たちが色鮮やかに大地や温泉を彩ります。
イエローストーンの熱水泉で代表的なのがグランドプラズマティックスプリング。
イエローストーンの熱水泉で代表的なのがグランドプラズマティックスプリング。

黄色やオレンジ、緑や青などのカラフルな温泉です。残念ながら今回は外気と温泉の温度差があり湯気ではっきり見えることはできませんでしたが、温泉の規模だけに湯気の高さもものすごいです。
最後に向かったのはアッパーガイザーと呼ばれる間欠泉地域。ここにはイエローストンを代表する間欠泉が多く集まっています。

オールドフェイスフル
オールドフェイスフル

フェイスフルは『忠実』を意味していて、一定間隔(約90分)忠実に噴出することからその名がつけられたそうです。

キャッスルガイザー
キャッスルガイザー
今回はツアーに同行してくれたのは日本語ガイドのスティーブさんとロンさん
今回はツアーに同行してくれたのは日本語ガイドのスティーブさんとロンさん

さすがイエローストンのスペシャリスト、たくさんの動物と出会い、大自然の生態系や地質学などを学び、生きた自然を肌で感じることのできた9日間でした。
■アフリカ以外の地域のツアー一覧はこちら
佐藤亜耶

2019.4.27発 GWスペシャル ナミブ砂漠訪問 ナミビア・キャンプ 9日間

GWの特別企画ナミビアキャンプツアーに同行させて頂きました。私にとっては4年ぶりです。今年は干ばつだと報道されていますが、今は所々に緑が見られます。これから乾季になります。植物や動物には厳しい状況になっていくと思われます。今回は行きのウィンドフック到着時に荷物が2個出て来なかったのですが、翌日にはキャンプサイトに届けられていました。

ナミブの砂丘に行くのに順番をどうするか迷うところですが、今回はソーサスフライを先にしました。フライには水がなく、干上がっていました。
ナミブの砂丘に行くのに順番をどうするか迷うところですが、今回はソーサスフライを先にしました。フライには水がなく、干上がっていました。
他の観光客がいなくて、とても静かな雰囲気でした。
他の観光客がいなくて、とても静かな雰囲気でした。
息が切れる思いで登った丘からは広大な風景が見られます。
息が切れる思いで登った丘からは広大な風景が見られます。
遠くでオリックスが見られました。さすがにこちらを警戒しています。
遠くでオリックスが見られました。さすがにこちらを警戒しています。
砂漠のトカゲです。過酷な環境の中でもしっかり生きています。
砂漠のトカゲです。過酷な環境の中でもしっかり生きています。
次はデッドフライに向かいます。
次はデッドフライに向かいます。
約3000年前に枯れたキャメルソーンと言われるアカシアです。
約3000年前に枯れたキャメルソーンと言われるアカシアです。
デューン45は人気があります。ひょっとして見方によっては富士山のような形にも見えるからでしょうか。
デューン45は人気があります。ひょっとして見方によっては富士山のような形にも見えるからでしょうか。
ナミブ砂漠は砂丘だけでなく、少しの岩山もあります。黒っぽい岩、赤い砂、白い砂のコントラストがみごとです。8000万年前にできた世界最古の砂漠で世界遺産に登録されています。
ナミブ砂漠は砂丘だけでなく、少しの岩山もあります。黒っぽい岩、赤い砂、白い砂のコントラストがみごとです。8000万年前にできた世界最古の砂漠で世界遺産に登録されています。
キャンプサイトの近くにあるエリムデューンからの眺めです。ここではオプショナルツアーとして遊覧飛行も可能です。申し込まれたお客様からは楽しかったとのお声をいただきました。
キャンプサイトの近くにあるエリムデューンからの眺めです。ここではオプショナルツアーとして遊覧飛行も可能です。申し込まれたお客様からは楽しかったとのお声をいただきました。
平成最後の日の出です。20Km位先にある岩山から登る朝日のスケールの大きさに息を飲みます。
平成最後の日の出です。20Km位先にある岩山から登る朝日のスケールの大きさに息を飲みます。
スワコプムントに向かって舗装してない道を走ります。対向車が少ないので埃もさほど気になりません。なんと制限速度は時速100kmです。
スワコプムントに向かって舗装してない道を走ります。対向車が少ないので埃もさほど気になりません。なんと制限速度は時速100kmです。
フーディアというサボテンに似た植物です。サンの人が狩りに行くとき、空腹を感じないので使っていたそうです。ダイエット用品として利用されているそうです。
フーディアというサボテンに似た植物です。サンの人が狩りに行くとき、空腹を感じないので使っていたそうです。ダイエット用品として利用されているそうです。
ランチは道端でテーブルとイスをセットしてサンドイッチを作って食べます。乾燥しているので水分の補給も大事です。
ランチは道端でテーブルとイスをセットしてサンドイッチを作って食べます。乾燥しているので水分の補給も大事です。
エトーシャ国立公園ではウォーターホールという水飲み場に動物がやってきます。
エトーシャ国立公園ではウォーターホールという水飲み場に動物がやってきます。
公園内ではチョウゲンボウがじっとしていました。南部アフリカの乾燥地帯がよく見られるようです。
公園内ではチョウゲンボウがじっとしていました。南部アフリカの乾燥地帯がよく見られるようです。
サファリの終了間際に立派なオスのゾウが道路を横切って行きました。
サファリの終了間際に立派なオスのゾウが道路を横切って行きました。

今回はパンクが1回、オーバーヒート寸前が1回ありました。舗装してない道も多く、暑いのであり得る事です。ドライバーさんも大変です。到着予定時間が遅くなるのではとハラハラする事もあります。それも旅の一つです。
■ナミブ砂漠訪問 ナミビア・キャンプ 9日間
■ナミビアのツアー一覧はこちら
藤井

2019.4.26発 GW特別版 タンザニア・サファリ・ハイライト 11日間

4/26(金)発「GW特別・タンザニア・サファリ・ハイライト11日間」に同行させていただきました。
雨期のタンザニア。車窓にうつる、白や黄色の花々が咲き誇る桃源郷のようなンゴロンゴロ、新緑のサバンナは、私たちの目を楽しませ、どこか動物たちも喜んでいるようでした。「運が良い」という言葉を何度も口にするほど、感動的な出会いが多く、心配していた雨に打たれることもなく、最終日、空港到着後、私たちの帰りを惜しむかのように降り出したスコールがどこか、この旅行を祝福してくれているようでした。
ツアー初日に訪れるのは、タンザニアサファリの起点になるアルーシャの街から約3時間のマニャラ湖。マニャラは、マサイ語で、サボテンの一種、エマニャラ(ミドリサンゴ)が由来。昔、マサイの人々がこの地へ移動してきた時、動物達が嫌がる毒性の液体を出すこの植物が、大切な家畜を天敵であるライオンから守ってくれたという事から、湖の名前が付いたそうです。
この日は日曜日。マニャラ湖手前の小さな町ムトワンブは、朝の教会へ向かう人々の姿も。

「この辺りにはゾウが現れることがある」とドライバーが説明をしたすぐ後に、現れたゾウの兄弟。ゾウたちもこれから朝の教会へ向かうのかなと話していました。
「この辺りにはゾウが現れることがある」とドライバーが説明をしたすぐ後に、現れたゾウの兄弟。ゾウたちもこれから朝の教会へ向かうのかなと話していました。
揚げるとお芋のような味のするグリーンバナナ。
揚げるとお芋のような味のするグリーンバナナ。
ムトワンブで良く販売されているレッドバナナ。持ち帰れないのが残念なほど甘くて濃厚。
ムトワンブで良く販売されているレッドバナナ。持ち帰れないのが残念なほど甘くて濃厚。
マニャラ湖国立公園到着。
マニャラ湖国立公園到着。
樹木の中を群れで動きまわっていたブルーモンキー。体毛の色が光の当たり具合によって、ブルーにみえるとか。
樹木の中を群れで動きまわっていたブルーモンキー。体毛の色が光の当たり具合によって、ブルーにみえるとか。
多種多様な活用方法があるソーセージツリー。アボガニー、アカシア、イチジクなど地下水の影響で多くの木々が群生しています。
多種多様な活用方法があるソーセージツリー。アボガニー、アカシア、イチジクなど地下水の影響で多くの木々が群生しています。
アフリカトキコウの群れ。水鳥達の楽園。
アフリカトキコウの群れ。水鳥達の楽園。
大地溝帯の崖を登ってンゴロンゴロへ。
大地溝帯の崖を登ってンゴロンゴロへ。
ンゴロンゴロ自然保護区へ到着。
ンゴロンゴロ自然保護区へ到着。

巨大なクレーターが有名な、ンゴロンゴロ自然保護区。数百年前の大噴火と地殻変動によってできた巨大なカルデラ内では、約2万5000頭もの野生動物たちが生息しています。地球の割れ目とも言われる大地溝帯に位置し、断層からは数百万年前もの人類の化石や足跡などが発見され、人類発祥の地「オルドバイ峡谷」も見どころの一つ。放牧、居住が許された自然保護区内はマサイの人々が暮らしており、動物の楽園だけではなく、太古から人間と動物が共に暮らしていたことが窺われます。

ンゴロンゴロクレーター。(正しくはカルデラ)600m下に広がる平原には、ゾウやバッファローなどの姿も。
ンゴロンゴロクレーター。(正しくはカルデラ)600m下に広がる平原には、ゾウやバッファローなどの姿も。
色鮮やかな緑の絨毯のようなクレーター内。
色鮮やかな緑の絨毯のようなクレーター内。
サファリスタート早々現れたセグロジャッカル。この時、右側にはサーバルキャットも!しかりと、お客様が見つけておりました。
サファリスタート早々現れたセグロジャッカル。この時、右側にはサーバルキャットも!しかりと、お客様が見つけておりました。
ンゴロンゴロの色白ヌーおじさん。
ンゴロンゴロの色白ヌーおじさん。
出で立ち、歩き方、全てが癒しのイボイノシシ。
出で立ち、歩き方、全てが癒しのイボイノシシ。
鮮やかな黄色が目に留まったカオグロウロコハタオリ。
鮮やかな黄色が目に留まったカオグロウロコハタオリ。
モデルのような美しい姿勢でサファリカーの前に現れたズグロアオサギ。
モデルのような美しい姿勢でサファリカーの前に現れたズグロアオサギ。
マガディ塩湖にはフラミンゴの群れ。
マガディ塩湖にはフラミンゴの群れ。
絶滅危惧種の希少なクロサイ2頭も。
絶滅危惧種の希少なクロサイ2頭も。

ンゴロンゴロでは、マサイの村も訪れました。時間帯が夕方だったという事もあり、放牧に出かけていた牛たちが戻ってきて、これから、牛を寝床(敷地の真ん中にある牛小屋)に入れると少し忙しそうなマサイの方々でした。

マサイの人々の大切な燃料・牧を運ぶ女性たち。
マサイの人々の大切な燃料・牧を運ぶ女性たち。
ウェルカムソングでお出迎え。
ウェルカムソングでお出迎え。
牛フンを使って造られるという彼らが暮らす住まいも紹介。
牛フンを使って造られるという彼らが暮らす住まいも紹介。
マサイ村からの眺め。
マサイ村からの眺め。
夕焼けの後のほんのわずかな時間に訪れる蒼の時間。ンゴロンゴロのロッジにて。
夕焼けの後のほんのわずかな時間に訪れる蒼の時間。ンゴロンゴロのロッジにて。
クレーターを照らす朝焼け。
クレーターを照らす朝焼け。
ンゴロンゴロ自然保護区クレーターの外側は雨期にしか見ることのできない黄色い鮮やかな花が咲き誇っていました。
ンゴロンゴロ自然保護区クレーターの外側は雨期にしか見ることのできない黄色い鮮やかな花が咲き誇っていました。
花畑とヌーおじさん。
花畑とヌーおじさん。
放牧の群れと、遠くにはシマウマ、ヌー。野生動物と家畜が共存する珍しい光景が広がっていました。
放牧の群れと、遠くにはシマウマ、ヌー。野生動物と家畜が共存する珍しい光景が広がっていました。
ンゴロンゴロ自然保護区内に位置する、人類発祥の地と言われるオルドバイ峡谷。
ンゴロンゴロ自然保護区内に位置する、人類発祥の地と言われるオルドバイ峡谷。

この名前、正しくは、「オルト“パイ”」という名前という事はご存知ですか??この地を訪れたドイツ人生物学者が、自生するサイザル(マサイ語でオルトパイ)を聞き間違ってオルドバイと呼んでしまったため、オルドバイになったそうです。

私たち人類の歴史を伝える地層。オルトパイを指し棒代わりに使いながら、ローカルガイド・グレースが丁寧に説明してくれました。
私たち人類の歴史を伝える地層。オルトパイを指し棒代わりに使いながら、ローカルガイド・グレースが丁寧に説明してくれました。

200万年も前の地層の周りでは、マサイの人々が牛を負い、サルの親子が毛繕いをし、人も動物も変わらぬ日常を送っていました。この地から旅に出た私たちの祖先たちも、きっと太古の時代も同じように、家族と共に暮らしていたのでしょうね。
そして、いよいよ“果てしない草原”セレンゲティへ。
1年のサイクルで移動を繰り返すヌーの大群。今回は、ミネラル豊富な草木が生えるセレンゲティとンゴロンゴロの境界線沿い、そしてセレンゲティの中央部に多くのヌーやシマウマの群れが集まってきており、2月頃に産まれたばかりの子どもたちの姿も多く観察することができました。

新鮮な草木を求めてセレンゲティをまたにかけるヌーの大移動。
新鮮な草木を求めてセレンゲティをまたにかけるヌーの大移動。
シマウマたちも新鮮な草を求めて移動しています。
シマウマたちも新鮮な草を求めて移動しています。

特にセレンゲティでのサファリで、想い出深い出来事の一つは、チーターの親子との出会いです。セレンゲティを南から北に通る一本道をロッジに向かって進んでいた時のこと、道路を横切ろうとするチーターが目の前に。

道路側を見つめるお母さんの後ろには、叢から微かに顔をのぞかせる5匹のお赤ちゃんチーターが。
道路側を見つめるお母さんの後ろには、叢から微かに顔をのぞかせる5匹のお赤ちゃんチーターが。
道の反対側を目指し、先頭を行くのはお母さん。そして、その後ろを生後1か月半余りの子どもたちが追いかけます。
道の反対側を目指し、先頭を行くのはお母さん。そして、その後ろを生後1か月半余りの子どもたちが追いかけます。
必死でお母さんに付いていくも、子どもたちの背丈よりも長い草が邪魔をし、お母さんが見当たらない。「お母さ~ん。どこ~?」と、お母さんを呼ぶ鳴き声が。
必死でお母さんに付いていくも、子どもたちの背丈よりも長い草が邪魔をし、お母さんが見当たらない。「お母さ~ん。どこ~?」と、お母さんを呼ぶ鳴き声が。
鳴き声に気づく母。
鳴き声に気づく母。
声のする方へ向かうも、他の子たちもお母さんについて戻るため、 1匹見つけては、1匹見失い、何度も繰り返しながら、ようやく、全員が渡り切ることができました。
声のする方へ向かうも、他の子たちもお母さんについて戻るため、 1匹見つけては、1匹見失い、何度も繰り返しながら、ようやく、全員が渡り切ることができました。
お母さんの後ろを必死でついていく子どもたちの姿、そして、たった一人で子どもたちを守るお母さんの姿に、動物も人間も変わらない母と子の絆を感じました。
お母さんの後ろを必死でついていく子どもたちの姿、そして、たった一人で子どもたちを守るお母さんの姿に、動物も人間も変わらない母と子の絆を感じました。

そして、産まれる・生きる命があれば、生きながらえる命との出会いも。セレンゲティ2日目は、特に自然の摂理を感じずにはいられませんでした。サファリの途中に出会った群れから遅れてしまったシマウマ。口からは粟を噴き、顔の周りにはハエがたかり、明らかに衰弱しているのが分かりました。ガイドのキサモによると、恐らく、高齢による衰弱で、ハイエナ達にいずれ狙われるだろうと。
数百メートル先の群れを弱弱しく見つめるシマウマの表情が脳裏に残りながら、サファリを進めると、その先には、泥沼に足を取られ横たわるヌーの姿が。若干、耳が動き、まだ息はあるも、足も折れているようで自力で這い上がることは不可能。あの場で倒れ込むことしか出来ない彼もまた、シマウマと同じように、ゆくゆくは捕食者の格好の標的になってしまいます。
そんなこの日は、最後にクライマックスが。ヒポプールで、夕日とカバを眺めていた時に起こりました。

ヒポプールで気持ちよさそうに水浴びをするカバ親子
ヒポプールで気持ちよさそうに水浴びをするカバ親子
夕方近くになり、岸に上がってくるカバたちも。
夕方近くになり、岸に上がってくるカバたちも。

存分に、カバ観察を楽しみ、岸の反対側にいるヌーの群れを眺め終え、車に戻ろうとした時でした。向こう岸で川を渡るヌーの群れが!

突然始まったヌーの川渡り。
突然始まったヌーの川渡り。
次から次へと前に続け続けと渡っていきます。
次から次へと前に続け続けと渡っていきます。

予想外の展開に、渡り終えた後は、皆さんでジャンボブワナを合唱!川渡りといえばマラ川が有名ですが、こういったいくつもの川を越え、1年をかけて3,000㎞もの距離を移動するヌーたちの群れを、来年も無事に戻ってくるよう祈りを込めて眺めていました。

セレンゲティのヌーの群れ
セレンゲティのヌーの群れ
子どもたちも親に続いて。
子どもたちも親に続いて。
水飲みも親と一緒に。
水飲みも親と一緒に。

セレンゲティでは有難いことに毎日のようにヒョウを見ることができました。

ヒョウの左側には3頭のヌーの足が!大切な食材を綺麗に並べており、几帳面なヒョウのようです。
ヒョウの左側には3頭のヌーの足が!大切な食材を綺麗に並べており、几帳面なヒョウのようです。
居眠りライオン。
居眠りライオン。
居眠りライオンハネムーン。
居眠りライオンハネムーン。
コピエの上でも日向ぼっこライオン。
コピエの上でも日向ぼっこライオン。
若いライオン兄弟。昨日狩りをしたようで、顔の周りにはハエが。
若いライオン兄弟。昨日狩りをしたようで、顔の周りにはハエが。
百獣の王の魅惑のおちり。
百獣の王の魅惑のおちり。
遠くを眺めるクリップスフィンガー。
遠くを眺めるクリップスフィンガー。
下を器用に使って大好きなアカシアを召しあがっております。
下を器用に使って大好きなアカシアを召しあがっております。
サファリカーを観察するマサイキリン。
サファリカーを観察するマサイキリン。
派手な色が特徴のクラハシコウ。
派手な色が特徴のクラハシコウ。
小さな卵を守るシロクロゲリ。無事に孵化しますように!
小さな卵を守るシロクロゲリ。無事に孵化しますように!
配色がピカイチのライラックニシブッポウソウ。
配色がピカイチのライラックニシブッポウソウ。
広大なサバンナを移動していたヒョウモンリクガメ。
広大なサバンナを移動していたヒョウモンリクガメ。
サバンナランチ。
サバンナランチ。
とある日のランチボックス。草原で食べる食事は格別です!
とある日のランチボックス。草原で食べる食事は格別です!
ハイエナが捕らえたヌーに群がるマダラハゲワシ。
ハイエナが捕らえたヌーに群がるマダラハゲワシ。
ハイエナ1匹vsマダラハゲワシの大群。
ハイエナ1匹vsマダラハゲワシの大群。
遠くにはおこぼれを狙うジャッカルが。
遠くにはおこぼれを狙うジャッカルが。
普段はこんなおとぼけな表情も見せてくれるハイエナ。
普段はこんなおとぼけな表情も見せてくれるハイエナ。

ツアーの最後は、フォトジェニックなバオバブの木で有名なタランギレ国立公園へ。

「置かれた場所で咲きなさい」そんなメッセージを伝えるバオバブの木。
「置かれた場所で咲きなさい」そんなメッセージを伝えるバオバブの木。

宿泊したロッジは、公園が一望できる眺めの良いテント型ロッジ。公園内にあるため、敷地内は常に動物たちが行き来をしています。テントを出るとウォーターバックが!という事も。
タランギレ宿泊の日は新月ということもあって、夜には満点の星空。星たちが輝く中、動物の鳴き声を聞きながら眠りにつくという、サファリの醍醐味も味わうことができました。

タランギレで宿泊したテント型ロッジ。
タランギレで宿泊したテント型ロッジ。
ロッジの周りをぴょんぴょん飛んでいたディグディグ。
ロッジの周りをぴょんぴょん飛んでいたディグディグ。
タランギレ国立公園を一望できる眺めの良いロッジ。
タランギレ国立公園を一望できる眺めの良いロッジ。
早起きして、公園で朝食。ガイドのユスフがタンザニアの歴史、アフリカの民俗について朝のレクチャーをしてくれました!
早起きして、公園で朝食。ガイドのユスフがタンザニアの歴史、アフリカの民俗について朝のレクチャーをしてくれました!
ガイドのユスフ。レンジャーでもあるこの日のシャツは、レンジャーユニフォーム。
ガイドのユスフ。レンジャーでもあるこの日のシャツは、レンジャーユニフォーム。
口数は多くないも、丁寧に説明してくれるガイド・キサモ。安全運転、動物をたくさん良く見つけてくれてアサンテサナ!
口数は多くないも、丁寧に説明してくれるガイド・キサモ。安全運転、動物をたくさん良く見つけてくれてアサンテサナ!
とても貴重なフサミミオリックスの群れ。ガイドのユスフはタランギレで見るのは初めて。キサモも6年ぶりと!
とても貴重なフサミミオリックスの群れ。ガイドのユスフはタランギレで見るのは初めて。キサモも6年ぶりと!
みんなでオリックスポーズ。
みんなでオリックスポーズ。
これまたタランギレでは珍しいチーターも。
これまたタランギレでは珍しいチーターも。
バオバブとウォーターバック。
バオバブとウォーターバック。
夫婦で巣作りをするアカハシコサイチョウ。
夫婦で巣作りをするアカハシコサイチョウ。
タランギレ川沿いで見かけたハイガシラショウビン
タランギレ川沿いで見かけたハイガシラショウビン
タランギレの代名詞、バオバブとゾウ。
タランギレの代名詞、バオバブとゾウ。
いずれ群れを卒業する若いオスも。息子が独り立ちをするのも母の大切な仕事とガイドのユスフが教えてくれました。
いずれ群れを卒業する若いオスも。息子が独り立ちをするのも母の大切な仕事とガイドのユスフが教えてくれました。
バオバブとアフリカの夕日。
バオバブとアフリカの夕日。

あそこで、カバをゆっくり見ていなければ、あそこで、ガイドのキサモが反対岸ヌーの姿を発見していなければ、ヌーの川渡りは見ることができなかった。野生動物、自然の中に、私たちがお邪魔させていただくからこそ、一緒に過ごさせていただいたお客様の動物愛、ガイドの頑張りが全ての「ラッキー」を引き寄せていたのだと思います。
どんな動物に出会えるかだけではなく、どんな「景色・ストーリー」に出会えるか、それこそタンザニア・サファリの楽しみではないかと感じた11日間でした。
■タンザニア・サファリ・ハイライト
■タンザニアのツアー一覧はこちら
根本