「学」 歴史は多くの教訓を私たちに教えてくれる

40年前、道祖神が創立された頃、エチオピアでは軍事独裁体制による社会主義政権がつづき、隣国ケニアではジョモ・ケニヤッタ初代大統領が亡くなり、混乱とクーデターが起こっていた。アフリカ諸国が独立を勝ち取ったのはわずか60年前。その後、めまぐるしく変化するアフリカの中で、エチオピアはどのように変わったのか。今回は、その歴史が学べるいくつかの場所をご紹介する。

世界で最も成長する新興国のひとつエチオピア。急速な都市化が進んでいる
世界で最も成長する新興国のひとつエチオピア。急速な都市化が進んでいる

宮殿跡にある国立民族学博物館

アディスアベバ大学の敷地内にあるハイレ・セラシエ皇帝の宮殿跡が博物館となっている。アフリカ最高峰の博物館のひとつとして評価が高い。1階は大学の歴史展示、2階は各民族の暮らし(ゲーム、宗教、通過儀礼、冠婚葬祭、生活道具)の展示、修復された両陛下の寝室も見学ルートに入っている。3階には教会宝物や歴史的な絵画、様々な地域や時代に奏でられた楽器の展示もある。
見学を終えて外に出ると「空に向かってのびる奇妙な階段」が見える。イタリア占領時(1936年-41年)に造られたモニュメントで、各階段はイタリアファシズム支配年を表すという。支配が終わってもエチオピア人はこれを壊さず、階段トップに同国の象徴ライオン像を置き今日に伝えている。大人なやり方だ。※有料100ブル(約400円)2017年現在/ガイド案内あり

空に伸びる階段のモニュメント
空に伸びる階段のモニュメント

「赤い恐怖」殉教者記念博物館

2010年オープン。冒頭に書いたメンギスツ独裁政権下では、数十万人が惨殺されたとされる。ここには残虐の歴史、文書、犠牲者の写真、衣服、頭蓋骨までもが展示されている。正直、直視するのがつらい場所だが、歴史をより深く理解することで「Never Ever Again(繰り返してはならない)」の強いメッセージを来訪者は受け取るに違いない。※入場無料/寄付箱あり/ガイド案内あり

アディスアベバの歴史が始まった山
メネリク皇帝2世とタイトゥ皇后の宮殿

エントット山は観光名所だが、重要な歴史建造物があることはあまり知られていない。アドワの戦いでイタリア侵略軍を倒し首都を築いた「メネリク2世(在位1889~1913)」の宮殿と皇帝が建立した教会(マリアム教会・ギドゥスラグエル教会)だ。

エントット山麓に広がるアジスの街
エントット山麓に広がるアジスの街

メネリク2世は、欧米列強がアフリカを分割し植民地化しようとした時代に生き、白人と戦い独立を守り、エチオピアを統一したスーパーヒーローとして知られている。鉄道や道路建設、税制、郵便制度、国立銀行の設立など近代化にも尽力し、当時のエチオピアをアフリカ諸国のなかで最も進んだ国にしている。皇后タイトゥも政治力と行動力を持つ女性で皇帝と共に歴史を動かした。建築様式が美しい宮殿は一部が残り、内部も見学できる。
山頂にあるメネリク2世の王宮跡
山頂にあるメネリク2世の王宮跡

この3月28日、エチオピアでは任期半ばで退任した前首相に代わって、42歳の若い新首相が選ばれた。都が一望できる山頂で、メネリク2世と皇后が描いたエチオピアに思いをはせてみてはどうだろう。※有料/教会宝物殿、宮殿の見学が可能/ガイド案内あり
メネリク2世とタイトゥ皇后
メネリク2世とタイトゥ皇后

おすすめ歴史書(どちらも平易な英語で書かれている)

■「The City & Its Architectural Heritage The ADDIS ABABA 1886-1941/Shama books」
歴史的な建物と当時の暮らしぶりが、豊富な写真と説明でよくわかる。
■「a History of Ethiopia in Picture from Ancient to Modern Time/Arada Books」
古代から現代までの歴史の重要ポイントが簡潔な文章とイラストで描かれている。

文 白鳥くるみさん / 写真 白鳥清志さん

白鳥くるみさん
(アフリカ理解プロジェクト代表)
80年代に青年海外協力隊(ケニア)に参加。以来、教育開発分野で国際協力に力を注ぎ、多くの課題を抱えるアフリカのために何かできたらと「アフリカ理解プロジェクト」を立ち上げる。エチオピアを中心に活動の後、2015年、日本に拠点を移し本の企画出版などの活動をつづけている。

Africa Deep!! 66 何もかもが新鮮だった35年前の初めてのアフリカ旅行

僕が初めてアフリカの土を踏んだのは35年前のこと。その春に大学を卒業して出版社で働き始めたばかりだったが、海外の山に登ってみたい!という誘惑に抗しきれず、新入社員のくせに会社に無理を言って年末年始に二週間ほどの休暇をもらった。行き先はキリマンジャロ山である。
実はこのときが僕と同行の友人にとっての生まれて初めての海外旅行。行くと決めたものの、何をどのように準備したらよいのか皆目見当がつかない。今のようにガイドブックもなく、おそらく旅行会社が企画する登頂ツアーなどもなかったと記憶している。唯一、頼りにしたのは、今でいうバックパッカー向けの「オデッセイ」というガリ版刷りのような雑誌。そこにキリマンジャロに登った人の体験記が出ていた。その「オデッセイ」に広告を出していたのが道祖神である。
目黒駅前のオフィスを訪ねると、僕と同年配の方が応対してくれた。35年たった今も親交が続いている現在南アフリカ共和国のヨハネスブルグに駐在する高達さんである。僕は旅行にいったいどれくらい金額がかかるのか相談した。「旅行の仕方によって全然違ってきますね。百万円かかることもあれば、数万円でもオッケーかもしれないし」というのが高達さんの返事。これではますますわからない。
「若いのだから現地で直接交渉したほうが旅はおもしろいと思うよ。安くあがるし」という説明を受け、商売にあまり熱心じゃない会社だなあと思ったが、後になって高達さんは入社直後だったことを知った。実際は旅行手配に慣れていなかっただけなのかもしれない。結局、道祖神ではナイロビ往復の航空券のみ購入した。
そして出かけたアフリカは見るものすべてが新鮮で、大げさでなく僕のその後の人生を決定づけるほどのインパクトを与えてくれた。サバンナの真っただ中で槍を手にバスに乗り込んできたマサイの人たちの姿。ドキドキしながら犯罪(闇両替)に手を染めたこと。社会主義経済が破綻寸前でビスケットと石鹸しか売られていなかったタンザニアの商店。路上生活者のあまりの多さにビビったナイロビの下町。満員にならないと発車しないバス。賄賂をねだる国境のイミグレ係官。高山病でゲロを吐きながら登ったアフリカ最高峰。
どちらかというと散々な目に遭った旅行だったが、当時の情景は僕の脳裏に今も美しい記憶として刻み込まれている。
写真・文 船尾 修さん

船尾 修さん
1960年神戸生まれ。1984年に初めてアフリカを訪れて以来、多様な民族や文化に魅せられ放浪旅行を繰り返し、写真家となる。[地球と人間の関係性]をテーマに作品を発表し続けている。アフリカ関連の著書に、「アフリカ 豊穣と混沌の大陸」「循環と共存の森から」「UJAMAA」などがある。最新作の「フィリピン残留日本人」が第25回林忠彦賞と第16回さがみはら写真賞をW受賞した。
公式ウエブサイト http://www.funaoosamu.com/

ナイロビダイアリー no.23 雨季のナイロビ

本誌が発行される5月中旬のケニアは、雨季の真っただ中。サファリでは、まさに恵みの雨だが、ナイロビの街では…。今回は雨季のケニアについて書きたいと思う。

雨季のサファリ

ケニアの雨季は、4月から6月とされている。ここ数年は異常気象の影響か、雨があまり降らなかったり、雨季がずれ込んだりすることも多々あるが、雨季のサファリは大地が一面緑に染まる。茶色のサバンナもいいが、個人的な好みとしては、緑の大地のほうが美しく感じられる。サファリに来ていても、ケニアの紅茶を飲みながらゆっくり景色を堪能するのが楽しみになったりする。
乾季に比べて砂埃が少なく、パソコンやカメラなど精密機器の心配も減る。晴れ間があれば、乾季に比べて遠くまでくっきり見渡すことができ、キリマンジャロも雨季のほうが美しく見える。

こんな場所でのんびりと緑の大地を眺めるのも悪くない
こんな場所でのんびりと緑の大地を眺めるのも悪くない

道は多少ぬかるむが、雨季の雨は早朝と夜に降ることがほとんどなので、サファリの時間帯に雨に降られることは少ない。なにより、サファリカーが集中しないのが嬉しい。乾季のハイシーズン中のサファリでは、ライオンやヒョウを見るために渋滞することもあるが、雨季にはそれほど車が集まることはまずない。
せっかくケニアに行くんだから、いい時期を狙いたいというのも十二分に理解できるが、雨季には雨季のサファリの魅力がある。ローシーズンだから悪いということはない。
ナイロビ国立公園も緑に染まってきている
ナイロビ国立公園も緑に染まってきている

雨季のナイロビ

ナイロビで雨が降るとどうなるのか。まずは交通渋滞がとんでもないことになる。強い雨が集中的に降ることが多いため、長時間の雨にはならないが、道路は冠水し、川のようになってしまう。道路にある大きい穴や凹みが見えないため、車はスピードを出すことができなくなってしまう。オフィスから自宅までは10~15分ほどの距離だが、雨季の渋滞時の最長記録は驚きの3時間!歩いたほうがはるかに早い。
また、雨が降ると停電も多いように思う。どこかでショートしているのだろう。

ナイロビでは雨が降るとあっという間に冠水してしまう
ナイロビでは雨が降るとあっという間に冠水してしまう

では雨季に雨が降らないとどうなるかというと、水道が止まる。私の自宅は慢性的に水が止まるために地下水をくみ上げている会社から水を買うことになるのだが、水道局とグルになって、あそこのエリアの水を止めたから地下水を売りに行け…なんて商売をしているとの噂まである。
ケニアでは、消費電力の大半を水力発電に頼っているため、ダムの水が少なくなると電力不足にも陥る。地熱発電にも力を入れているが、こちらは日本企業が頑張ってくれている。先日、地熱発電所の修繕・改修工事を日本企業が行うとニュースになっていた。
雨が降れば大渋滞、雨が降らなければ水不足に電力不足と、天候に左右されることが多いナイロビだが、ダムをもう一つ造って排水路をきちんと整備すればいいのに、と素人が考えても現実的に難しいことが多いのだろう。
個人的に最近悩んでいるのは、砂埃を含んだ雨が降ることによって、雨が降る度に車が汚れることだ。せっかく洗車をしても毎晩のように雨が降るので、朝には汚くなってしまう。試しに日本のワックスも使ってみたが、あまり効果はないようだった。毎朝洗車するか、開き直って汚いままにするか、悩ましい問題だ。

風まかせ旅まかせ vol.32 アフリカ、そして旅への想い

3月のこと、1通のメールが届いた。件名には『入社を希望します』と記されている。日本に住む台湾人の男性からだった。「御社の業務に大変関心があるので、ぜひ一度会社を訪れたい」。
それから2週間ほどして、長身の若い台湾人男性が訪ねてきた。A君28歳。彼は、流ちょうな日本語で話し始めた。「大学時代、中国語に訳された沢木耕太郎さんの『深夜特急』に出会い、大いに感化され、世界一周の旅に出ようと誓いました。学生時代には何度か東アフリカでボランティアを経験し、アフリカの魅力にはまり、その勢いで卒業後、台湾から沢木さんが旅した国々をなぞるように世界一周の旅に出ました」。その旅の途中、アフリカ縦断のバス旅で知り合った日本人女性と結婚し、現在は都内のレストランでアルバイトをしているという。
「社長は沢木耕太郎さんを知っていますか? 台湾の若者には沢木ファンがたくさんいます。若者はあのように自由な旅をしなくてはいけません。今まで台湾にはそのような旅行文化がありませんでした」。台湾にはヨーロッパやアメリカ専門の旅行会社はたくさんあるが、アフリカ専門はないという。「自分は道祖神でアフリカ旅行の勉強をして、いずれ台湾に戻り、道祖神のようなアフリカ専門の旅行会社をつくりたい。そして台湾の若者に、もっとアフリカの事を知ってもらいたい」。そんな思いを熱く語ってくれた。
今号は創立40周年記念号、沢木耕太郎氏に改めて寄稿していただいた。やはり嬉しい。私も沢木ファンの一人なのだ。『深夜特急』が93年にJTB紀行文学大賞を受賞し、帝国ホテルでの受賞式に知人の縁で出席させていただいた。その際、自分も同じような時代に、同じような行程でユーラシア大陸を旅したことなど、沢木さんと親しく話すことができた。年下の自分の話を、短い時間ながら丁寧に聞いてくださった。学生時代から読み耽ってきたルポルタージュやドキュメンタリーなどから感じ取れる、まじめで誠実な人柄がそのまま伝わってきて、思い出に残る楽しい会話となった。
冒頭の熊沢との対談にある通り、道祖神は、自分たちが好きなアフリカを自分たちで旅したい。そんな思いで熊澤が40年前に立ち上げた会社だ。だから、「アフリカの旅を作りたい」といった若者が弊社の扉を叩いてくれるのは、大変嬉しい。さて、A君、どうしようか?!

タンザニアの芋ケンピ

日本人なら1度は食べたことがある!?芋ケンピ。
なんと、タンザニアでも売られています。
先日、タンザニアからのお土産でいただきました。
日本企業の協力の元、タンザニアの首都ドドマの工場で作られています。
※経済の中心になっているのはダルエスサラームですが、法律上の首都はドドマ。
サイズもいくつかあって、小さなサイズだと、150円位で購入できるそう。
お土産にも良いですね。
新米ならぬ、新サツマイモはもっと美味しいそうです!!
by 伊藤