WILD AFRICA 36 昼の砂漠でネコ探し

一般的にサファリのベストタイムは早朝と夕方遅くとされている。これは、動物たちの活性がそれらの時間帯に最も高くなることと、写真を撮る上で光が一番綺麗でダイナミックであるというのが理由だ。そのため多くのサファリツアーでは、早朝から10時くらいまでゲームドライブをしたら、一旦宿に戻って食事と昼寝をして、午後4時くらいに再び出発というスタイルをとる。
では、昼間動き回ることにまったく意味がないかと言えばそうとも限らない。例えば南アフリカとボツワナにまたがるカラハリ・トランスフロンティアパークでのサファリでは、陽が最も高い時間帯はリビヤネコを探す絶好のチャンスだったりするのだ。イエネコの原種の一つであるリビヤネコは、カラハリ砂漠に多く生息するが、小柄で警戒心が強い上、非常に目立たない色をしているため地上で動き回っているところを発見するのはとても難しい。ところが、彼らは暑くなるとアカシアの木に登って涼む習性を持っており、タイミングとコツさえ分かっていれば比較的容易に見つけられるのだ。
そのコツとは以下のようなものだ。車を走らせながら、道路際に立っている大きなアカシアの木を丹念に見て回る。葉がまばらなものや枯れているものはダメで、幹が太く葉が濃い影を作っているものだけに注意を払う。すると、主に幹が二つに分かれている股の部分にピンク色の、およそ木には似つかわしくない「異物」が見えることがある。これはリビヤネコの耳が太陽光で透けているためだ。大抵は寝ているのだが、車が近づくと頭を上げてくれることもよくある。
写真のリビヤネコは2017年11月22日の13時過ぎに、ノソブ・キャンプの南ゲートから1km程度のところで撮影した。枝が道路の上に覆いかぶさるように生えているアカシアの木にいたので、かなりアップで撮れたし光も悪くなかった。ほとんどの人は遠くばかりを気にして、目の前の木の上は注視せずに通り過ぎていたらしく、付近に車が止まった形跡はまったくなかった。灯台下暗しというヤツだ。リビヤネコは気温が高くなればなるほど頻繁に木に登るようになる。従ってベストシーズンは夏場の12月から2月くらいまでだ。ある年の2月には1日で12匹のネコを見つけたこともある。ただ、猛烈に暑い時間帯に動き回らねばならないのでそれなりの気合と体力は必要だ。
撮影データ:ニコンB700、1/250秒 f/5.6 ISO180
文・写真 山形 豪さん

やまがた ごう 1974年、群馬県生まれ。少年時代を西アフリカのブルキナファソ、トーゴで過ごす。高校卒業後、タンザニアで2年半を過ごし、野生動物や風景の写真を撮り始める。2000年以降は、南部アフリカを主なフィールドとして活躍。サファリツアーの撮影ガイドとしても活動している。写真集「From The Land of Good Hope(風景写真出版)」、著書に「ライオンはとてつもなく不味い(集英社新書ヴィジュアル版)」がある。www.goyamagata.com

「買」 東アフリカ随一といわれる市場「マルカート(MARCART)」

歴史とエネルギーに満ちた露天市場

市場(いちば)は楽しい!市場ほどその国の暮らしや文化を知ることができ、ふだんの人々の姿が見られるところはない。エチオピアには、東アフリカ随一といわれる「マルカート(イタリア語で市場の意)」がある。首都の西に広がるこの市場は、1937年イタリア占拠時代に造られた。古くはオロモ人の露天市場があり、salt bars(塩の塊)で売買を行うこともあったという。場内にぽつんと残る「塩売り場」がその歴史を留めている。

場内に残る「塩売り場」。今は、家畜用の塩として売られている
場内に残る「塩売り場」。今は、家畜用の塩として売られている

エチオピアの露店市場は、万華鏡のように広がる小道、老朽化した歴史的な建物、手仕事が見られる近さ、活気ある掛け声など、市場の魅力がいっぱい詰まっている。カオスの中でたくましく生きる人々に圧倒されながら、そのエネルギーが自分の中にも充填されていくのを感じるのも、また魅力のひとつだ。

カオスの中にある独自のシステム

人、車、家畜が道にあふれ、すべてが高速で動く露天市場では危険もつきまとう。市場をよく知る人と行動するか、ガイドを雇うことが必要だ。慣れてくるとカオスにしかみえない市場にも、独自のシステムや売り方があることに気づく。
まずは売り場。無秩序に並んでいるようにみえるが、商品ごとに売る場所が決まっている。マルカートの場合は、アンティークと土産物、仕立て・生地、古本、教会で使う品物、金銀細工、野菜・果物、バター、刃物みがき、塩売り場、台所用品とリサイクル、民族衣装とお土産、乳香とスパイス、オープンマーケットと14区分されている。地方にある露店市場も売るものは多少異なるが、商品ごとにエリアが決まっている。はじめから興味のある場所を目指していけばそう迷うこともない。

マルカート内のリサイクルショップ
マルカート内のリサイクルショップ

次に値段交渉。はじめは提示された金額の約3分の1から(とエチオピアの人はいう)。私は気が小さいので2分の1くらいからだが、ここでは値切ることが原則(とエチオピアの人はいう)。値が下がらなければ、興味ないという顔で立ち去る(呼び戻されなかったらどうする⁉)。交渉を続けたければ、必ず呼び戻される。ふっかけられたと腹を立てず、「交渉を楽しむ余裕」がほしい。それが市場のルールだから。
初期のオロモ人の露店をほうふつとさせるラリベラの市場
初期のオロモ人の露店をほうふつとさせるラリベラの市場

100年かけて変貌していった露店市場は、今も巨大市場へと進化を続けている。一坪にも満たない小さな店には、何もないように見える。が、何でもある。あなたが想像する以上のものが。
マルカートは再開発が進められ、露店の多くは建設されたビルへの入居が始まっている
マルカートは再開発が進められ、露店の多くは建設されたビルへの入居が始まっている

成功者の物語

古い歴史をもつエチオピアの露天市場には、都市伝説めいた成功者の物語も多い。もっとも有名なのは「グラゲ少年の物語」だ。彼らは6歳くらいで故郷をはなれ出稼ぎにでる。先輩の少年たちが仕事の世話や面倒をみてくれ、少年は靴磨きの道具を借り、生活費を稼ぎながら小学校へも通う。お金が貯まると次はたばこやガムを売り歩き、乗り合いバスの車掌のような仕事もこなす。正月には里帰りし、貯めたお金を家族に手渡す。そして何年か過ぎると仲間と小さな店を共同経営し、最後に自分の店をもつというストーリーだ。事実、店のオーナーにはグラゲの人たちが多いそうだ。

キオスクを手伝う少年。いつかは店のオーナーに
キオスクを手伝う少年。いつかは店のオーナーに

■マルカート情報:平日と土曜日。日曜日と祝日は、服と土産を売る一部の店を除き閉まっている。モスクで礼拝がある金曜日と、土曜日が混む。
写真・文 白鳥くるみさん

白鳥くるみさん
(アフリカ理解プロジェクト代表)
80年代に青年海外協力隊(ケニア)に参加。以来、教育開発分野で国際協力に力を注ぎ、多くの課題を抱えるアフリカのために何かできたらと「アフリカ理解プロジェクト」を立ち上げる。エチオピアを中心に活動の後、2015年、日本に拠点を移し本の企画出版などの活動をつづけている。

Africa Deep!! 65 火山とクレーター アフリカの山の魅力とは

僕は若い頃、クライミングにはまっていた時期があり、海外へもたびたび自分の腕を試すために武者修行の旅に出ていた。標高差千メートルを超える大岩壁やナイフのように研ぎ澄まされた雪稜にルートを拓いていくときの高揚感。自分のちっぽけなからだを大自然の中に投げ出して、テクニックと体力を駆使しながら少しずつ高度を稼ぎ、やがて山頂に達する。あのときの達成感というか充足感を越える体験は、人生の中でも滅多に得られるものではない。命を懸けてまでクライミングや登山という行為にうつつを抜かす理由はたぶんそういうところにある。
いっぽう円錐形の火山は、特別な技術を必要とすることなく山頂に達することができる。でも断言してよいが、火山を登ることはとてつもなくドキドキすることでもある。僕の火山体験はかれこれ30年以上前にさかのぼる。東京都の伊豆大島。三原山が噴火した事件を覚えている方もおられるだろう。あのときはほぼ全島民の一万人以上が島外に避難した。避難は一カ月ほどで解除されたが、僕はその直後に島へ渡った。何を考えての行動だったのか理由は思い出せない。
覚えているのは、何かに憑かれたように島を歩きまわったこと。溶岩が家屋を押し流し、あちこちで煙がくすぶっていた。行けるところまで行ってみようと三原山を登り始めたが、案の定、途中にロープが張られ立ち入り禁止になっていた。靴の裏からじんわり熱が伝わってきた。「地球は生きているんだな」とまざまざと実感させられた瞬間だった。
アフリカにはよく知られているように大地溝帯というものがある。地下のプレートが活発にぶつかり合う場所だ。だから当然、その周辺には地下のマントルがうねり噴き出す箇所、つまり火山がある。キリマンジャロもケニア山も火山なのである。キリマンジャロをノーマルルートから登ったことのある人なら、マンダラ小屋を少し過ぎた右手にクレーターがあったことを覚えているだろう。
僕のおすすめの火山は、メルー山。タンザニアのアルーシャの町から眺めることができる山である。キリマンジャロの陰に隠れてあまり知られていないが、山頂部には阿蘇山のような巨大なクレーターがあり、かつての噴火口をのぞむことができる。登山道は火山灰が降り積もったところに付けられているため、靴が埋もれて歩きにくいことこのうえない。しかし今にも噴火しそうなクレーターの美しい姿態は「地球が生きている」ことを五感に呼び覚ましてくれるに違いない。
文・写真 船尾 修さん

船尾修さん
1960年神戸生まれ。1984年に初めてアフリカを訪れて以来、多様な民族や文化に魅せられ放浪旅行を繰り返し、写真家となる。[地球と人間の関係性]をテーマに作品を発表し続けている。アフリカ関連の著書に、「アフリカ 豊穣と混沌の大陸」「循環と共存の森から」「UJAMAA」などがある。最新作の「フィリピン残留日本人」が第25回林忠彦賞と第16回さがみはら写真賞をW受賞した。
公式ウエブサイト http://www.funaoosamu.com/

ナイロビ ダイアリー no.22 ナイロビの大統領選挙

大統領の任期は5年で、
2期まで継続可能なため、
現大統領の再選が濃厚と予想されていた。
しかし野党党首も年齢的に今回が最後のチャンスとあって、
ケニア国民に限らず注目を集めた大統領選となった。

長かった大統領選挙

夏から約4カ月(!)かかった大統領選挙。最高裁判所の異例の判決でまさか(!?)の選挙やり直し。裁判中には野党党首と最高裁判所の裁判官の長時間に渡る通話記録が噂され、裁判官は現政権からかなりの圧力がかかって、3回目の選挙をする判決を出したら政府に暗殺されるだろう…なんて噂まで飛び交っていた。
結局は2回目総選挙で、現職のウフル・ケニヤッタ大統領が圧勝。野党側は当然裁判所に異議申し立てをしたが、裁判所はこれを棄却。政治家たちはサポーターたちを炊き付け、スラムやキスムなどの地方でデモを繰り広げていたが、暴れて壊したり、火をつけたりしているのは、自分たちの住んでいる地元のエリアばかり。ただ暴れたいだけなんじゃないかと疑ってしまうほど。選挙の熱が冷めてきても、野党は未だに「大統領はおれだ!」と言い張っている。選挙で負けているのにどうやって大統領に就任するのか…。
選挙で投票する側もスムーズとは言えず、6時間並ばせられるのは当たり前。日が昇る前から投票所に並ぶ人も多くいた。動かない長蛇の列ができると、そこで飲み物や食べ物を売る商売が始まる。当然通常より料金は高い。それでも最初の選挙の投票率は70%を超えているのだから、ケニア人の政治への関心の高さが窺える。
多少の暴動はあったものの、アフリカの選挙は政(マツリゴト)、まさしくお祭り。2007年の選挙もそうだったが、羽目を外してしまいがちな人たちが出るのもご愛敬。投票権を持たない私にとっては、政権や大統領よりもジリジリ上がる物価や、いつまで経っても変わらない渋滞が悩みの種だ。渋滞といえば、交差点を信号機付きラウンドアバウトに作り直したまではいいが、そこには、いつも4-5人の警察官が信号無視の車を見張っている。それなら信号機を設置せずに、警察官が誘導すればいいのではないかと思ってしまうほどに張り付いているのだから、何のための信号機なのかわからない。

投票するための長蛇の列
投票するための長蛇の列

マサイマラのロッジ

そんな感じで、夏から長かった選挙戦もようやく終わりが近づいてきた。国際ニュースで恐ろしく書かれているような治安悪化も特になく、この秋はハネムーンのお客様がたくさんケニアを訪れてくださった。
この数カ月、私の住むナイロビは選挙一色だったので、気分転換も兼ねて(?)久しぶりにマサイマラ国立保護区に行き、以前から視察したかった多くのロッジを見てきた。残念ながら動物を探す時間はなかったが、サファリをせずとも、ナイロビを離れてフィールドに出るのは気持ちがリセットされる。
今回見てきたロッジの中で、私のお勧めはキリマ・キャンプ。西部のオロロロの丘に建つ見晴らしの良いロッジで、保護区の外に位置するため、乗馬サファリも楽しめる。自家栽培で無農薬野菜を育てているので、食事もばっちり。試していないが、スパからの眺めも素晴らしいという。長旅の疲れを癒してくれるだろうし、サファリをしていた大地を丘の上からゆっくり眺めて過ごす贅沢な時間になること間違いない。募集型ツアーでの設定はあまりないが、今年は40周年のツアーとしてキリマ・キャンプを利用する予定なので、ぜひご一考ください。

落ち着いた雰囲気のキリマ・キャンプ
落ち着いた雰囲気のキリマ・キャンプ

キリマ・キャンプからの風景
キリマ・キャンプからの風景

風まかせ旅まかせ vol.31 グラキリス成育日誌~別れ

昨年6月、立ち寄った園芸店で衝動買いしてしまったグラキリスだが、育て方がまったくわからなかったので、同時に『多肉植物の育て方』なる本を購入した。これによると、豊富な日光と風通しが必須条件で、多湿・低温はダメ。庭に置いておけば大丈夫、というものではないらしい。生まれ育った環境にできるだけ近くしてあげることが大切だそうだ。当然といえば当然のことなので、昔訪れたマダガスカルのイサロ山地を思い浮かべた。確かに太陽は豊富に降り注ぎ、空気は乾燥している。最低気温も10度を下回ることはないだろう。日本の蒸し暑い夏、雪の降る冬をどうやって越すことができるのか?!
衝動買いした自分を恨みつつ、一方ではイサロで見た花咲くグラキリスの姿を思い描きながら、園芸用の小さなビニールハウスを購入し、終日陽の当たる庭の片隅に設置。同時に温度計と温室用ヒーターも購入し、素人なりに万全の準備を整えた。しかし、7月に入ると大型台風が日本列島を直撃。慌ててビニールハウスのフレームにブロックで重石を置き、強風に耐えられる補強を施す。が、台風一過の翌朝、庭に出てみると、なんとハウスのアルミフレームは折れ、ビニールは道路まで飛び、中のグラキリスや一緒に入れておいた他の植物もすべて鉢から抜け落ち、芝生に散乱しているではないか! 室内に入れておけばよかったと後悔したが、後の祭り。鉢に植え直し、しばらく様子を見ることにした。
それから半月。ただでさえ少なかった全ての葉が落ち、触ると一部が柔らかくなっている。思わず大きなため息が出たが、どうすることもできない。さらにそのまま半月ほどすると、幹はブヨブヨになり、無残な姿で枯れてしまった。遠いマダガスカルから運ばれ、日本で何年か過ごし、やっと根を張ることができたであろうグラキリスに大変申し訳ない気持ちだ。
もう一度、グラキリスの育成にチャレンジしてみようか…とも思ったが、バオバブもウェルウィッチアもアフリカの大地にあってこそ美しいのだし、グラキリスも原産地マダガスカルのイサロに行って伸び伸びと育っている姿を見ればいい。という負け惜しみの気持ちが最近は強い。