コロナ禍のアフリカは今 ~セネガル編その③~

新型コロナウィルスの影響により、アフリカが遠くなってしまい早2年。引き続き、気軽に海外旅行へ出かけられない状況が続いていますが、この度、アフリカへの渡航機会に恵まれましたので、簡単ではございますがセネガル編レポート③です。今回はセネガルの地方の村を訪問、そして、日本への帰国となります。

発展目覚ましいダカールの街をあとに、地方の村を訪問してみました。今回訪れたのは、弊社セネガルのガイドやアレンジを務めるアイサトの実家のあるキニアブル村です。こちらの村は、弊社セネガルツアーで訪問された方もいらっしゃるのではないでしょうか。ツアーでは料理をしたりダンスや太鼓を習ったりと、ホームステイに近いような形でいつもお世話になっていました。村ではマスクをつけている人はおらず、これまでとなにも変わらない様子。

訪問した日は、村で子供が生まれたとのことで、男性陣はマンゴーの木の下に集まり、女性陣はたくさんの食事を用意しているところでした。

セネガルといえば、アフリカでも随一の料理天国。セネガルの料理は最も洗練されていて、味も良く、お米を使った料理が多いので、日本人の口にも合う料理が多いのが嬉しいところです。華やかな衣装に身を包んだママたちが作っているのはチェブジェンです。大きな窯でご飯を炊いて。

お昼時ということで、私もチェブジェンをいただきました。チェブジェンはセネガルの国民的料理。どこに行っても食べる事の出来る代表的な家庭料理の一つです。現地のウォロフ語で「チェブ」はお米、「ジェン」は魚を意味しています。野菜や揚げた魚をピリピリ(香辛料)と共にとにかく煮込み、魚ダシが十分に効いた煮汁でお米を炊き上げる、パエリアにも似た料理です。

セネガルではご飯をみんなで囲んで食べるのがマナー。家族や仲間、そして、見知らぬ人も大事にするテランガの国ならではです。とても美味しくいただきました。

学校帰りの子供たち。元気いっぱいに、ハイ・チーズ!

車窓からは、いつも風景、いつものセネガルの景色が広がりました。

観光地でもあるロンプールにも立ち寄りました。ロンプールには砂丘が続き、砂漠体験ができることで人気のエリア。宿泊先のエコロッジは写真のようなテントが25棟ほどありますが、そのほとんどがなんと満室。すべてもちろん観光客で、フランス人が90%、アメリカ人、イギリス人のようです。夜には焚火を囲みながらジェンベのリズムに合わせて、盛り上がっていました。

数日の滞在を経て日本への帰国となります。日本入国に必要な書類は、出発前72時間以内のPCR陰性証明書となります。検査を受けるにはダカールに戻る必要がありますが、事前に手配をしておけば、病院で並ばずとも、ホテルへドクターやナースが来てくれます。その場で検体を採取し、あとは結果を待っているだけです。今後、ツアーや手配旅行でPCR検査が必要になった場合でも、同様にアレンジ可能です。
日本のみとなりますが、独自の検査証明書が必要ですので、現地で取得した陰性証明書に加え、こちらのフォーマットも必要となります(現地の陰性証明書が同様の内容であれば、この検査証明書は不要とされています)。

早朝のブレージュジャーニュ国際空港にて。チェックイン時は、陰性証明書の確認があります。帰路のエチオピア航空もアブジャ経由でした。アディスアベバで乗り換え、日本へ向かいます。

さて、日本到着後ですが、まず機内から出ると、椅子が並べられていますので同じ飛行機に乗っていた乗客は、同じエリアに着席。まずはここで誓約書への記入となります。どの国を訪問していたか、陰性証明書を持っているか、入国時に厚生労働省のアプリをインストールするか、位置情報を提供するか、など質問に答え、入国後の自主隔離のルールについて署名します。誓約書はこんな内容です。

この先、写真禁止となりますので文章だけとなりますが、この先で記入した書類や陰性証明書のチェックとなりますが、スマートフォンが必携となりますので、お持ちでない方はここでレンタルが必要です。
その後、スマートフォンで質問票へ入力。飛行機を降りてからここまで約2時間ほどでしょうか。

その後、抗原検査を受けるため、唾液を採取します。唾液が出やすいよう、壁にはレモンや梅干しの絵がありました。

その後、必須であるアプリのチェック。MySOS(入国者健康居所確認アプリ)の設定や今後の操作方法のレクチャーを受けます。スマートフォンやアプリが得意ではない方でも、スタッフの方が設定してくれますので、大丈夫です。

そして、再度の書類チェックを経て、検査結果を待つこととなりますが、待っているのは本来の搭乗ゲートです。椅子がたくさんあるので、待合室にはちょうどいいのでしょうか。。。

そこで1時間ちょっと待機の後、アナウンスで先にもらった番号が読み上げられます。ここでようやく入国審査へと進めます。その前に、入国3日目に行う抗原検査キットをもらい、入国審査、税関を経て出口へ。飛行機の到着が16:30、出口へたどり着いたのは21:00でした・・・セネガルからの帰国の場合、翌日から7日間は自宅での自主隔離、この間、公共交通機関は利用できません。今回は空港まで自家用車で来ていましたので、そのまま帰宅できましたが、ハイヤーやご家族の迎えで帰る人もいらっしゃいました。

その後の自主隔離期間ですが、一日何度かMy SOSからお知らせが届くので現在の位置情報の報告(ボタンを押すのみ)や、30秒ほどの自動テレビ電話への対応が必要でした。

読んでいらっしゃる皆様ご理解いただいていると思いますが、現時点で海外に行くのはさほど難しいことではありません。現地でも、ツアーやオーダーメイドの旅なら観光客は専用車やホテルなど、いわゆるバブルのような中にいますので、よほど積極的にならない限り、現地の方や他の旅行者と接触する場も少ないので、人の集まる場所に行かない、人と接するときには距離を置く、などしてリスクを減らすことはできると思います。また、現地のガイドもアルコールスプレーを持ち、定期的に手を消毒してくれました。

とはいえ、日本に帰国後の自主隔離期間や公共交通機関が利用できないなどの制約は、特に働いていらっしゃる皆さんには大きな壁でもあります。

この大きな壁も3月より徐々に緩和されていくようです。世界的には、一部ワクチン接種が義務として残る国もありますが、世界はオープンになりつつあります。
徐々に海外旅行再開が見え始めてきたように思いますが、この先の状況を見極めつつ、皆様に安心して楽しんでいただけるツアー作りを開始したいと思います。

(こちらのレポートはすべて2022年2月18日現在の情報です。出入国のルールは度々変更になっていますので、最新の情報をご確認ください)

道祖神 佐藤

コロナ禍のアフリカは今 ~セネガル編その②~

新型コロナウィルスの影響により、アフリカが遠くなってしまい早2年。引き続き、気軽に海外旅行へ出かけられない状況が続いていますが、この度、アフリカへの渡航機会に恵まれましたので、簡単ではございますがセネガル編レポート②です。

成田空港を出発したエチオピア航空。期間限定の真の直行便は、アディスアベバまで14時間です。機内ではこれまで同様、機内食は提供されます。これまで仁川を経由していた際にはキムチが添えられていましたが、今回の直行便ではキムチはなし。今回も美味しくいただきました。

アディスアベバには朝、到着。バスに揺られ、手荷物検査を受け、搭乗ゲートへと移動します。流れはこれまでとまったく変わりません。そして、目の前に広がった光景は、、、

コロナ前と変わらず、賑わうアディスアベバ空港でした。多くの人が行きかい、免税店や、カフェ・レストランもこれまでの景色。

ほとんどの方がマスクを着用していましたが、成田空港とのあまりの差に驚きました。現実の世界に戻ってきたような感じ、といえばいいでしょうか。空港内の一部は改装中で、今後、さらに施設が充実していくようです。

そして、ダカール行きのゲートには、このようにたくさんの人の列が。

今回はナイジェリアのアブジャ経由となりましたが、搭乗率は90%以上、ほとんどの座席が埋まっていました。その半数はアブジャで降りましたので、ダカール行きはおおよそ100人ほどでしょうか。アジア系は私一人。アフリカ内のフライトでよく見る、好きな座席に勝手に座ってしまう人、も健在で、出発間際の慌ただしい機内の雰囲気に、なぜかほっと安心しました。

アブジャまで約5時間、そして、ダカールまでさらに5時間、乾燥した大地を眼下に進み、ギニア湾沿いを経て、ダカールへ。

2017年末にオープンしたブレージュ・ジャーニュ国際空港に到着です。ダカール市内から約50㎞内陸に位置します。小ぢんまりとしていますが、綺麗な空港です。
入国時には白い服を着た検疫官が陰性証明書をサラッとチェック。そして、これまでどおり、入国審査、税関を経て、入国となります。これまでと何も変わりません。アフリカの国境ではたまにあるオフィサーとの軽い儀式?を経て、無事入国となりました。

ダカールは西アフリカの玄関口、西アフリカの首都などと呼ばれる大都会。ダウンタウンには官公庁の建物やビルやマンションが立ち並ぶ一方、コロニアル建築も残り、情緒溢れる街です。独立広場周辺には、昔ながらの下町やマーケットもあり、数日滞在し、ぶらぶらと散策したいところです。

2021年9月末に国境をオープンし、ほとんどの規制がなくなったセネガル。2022年に入り世界的なオミクロン株の流行の影響も多少はあり、1月当初は最大500件程度の陽性が報告されていたようですが、1月中旬は1日100件まで落ち着いていました。街を歩いている人を見ると、マスクを着用している人はあまりいません。公共の場所、特に公共交通機関や二人以上乗る車の場合はマスク着用の義務がありますが、人々の活動はほぼ以前と変わらない状況に見えました。レストランでは、マスクを着用していたのはガイドと私ぐらいでした。

また、近くのゴレ島、そして、周辺の観光地には、ヨーロッパや北米からの観光客は、徐々に戻ってきている様子。

今回のセネガル訪問は、私にとって久しぶりでしたので、変わらない部分を懐かしみ、変わった部分には随分驚かされ、着実にセネガルが発展している様子を目の当たりにしました。
かつて、ダカールからバマコへ鉄道で旅したバックパッカーの方はいらっしゃると思いますが、鉄道は止まっています。その代わり、ダカール駅は昔の趣を残したままリニューアル。

最高時速160kmを誇る高速鉄道が昨年末に運航スタート。今は、内陸36㎞先にあるDiamnadioまで運航しています。

Diamnadio周辺には、2026年開催のダカール・ユースオリンピック大会に向け、現代的なスタジアムが建設され、世界的なラディソンホテルも開業しています。高速鉄道は、2025年にはブレージュ・ジャーニュ国際空港まで延びるとのことで、次にセネガルに行く頃には、空港とダカール市内間を高速鉄道で移動ができるかもしれません。そして、はたまたもっと先にはバマコまで?!なんて時代も来るのかもしれません。

また、ダカールからブレージュ・ジャーニュ国際空港、その近くにある商業都市ティエス周辺と近郊まで、フランスや中国、セネガルの企業による片側2~3車線の立派な高速道路が繋がり(有料)、移動時間の大きな短縮がはかられています。料金の支払いは現金はもちろん、プリペイドカードをかざすとゲートがオープンするというシステム(全区間かは不明)。これは便利ですね。

さらに、ダウンタウンのすぐ近くにあるダカール港も、今後、ブレージュジャーニュ国際空港周辺に移転。内陸国などからの物流のアクセスの良さが理由のようですが、より便利な立地に移転し、大きく変化を遂げるとのことでした。そして、今あるダカール港は、ゴレ島へのボートはもちろん、クルーズ船など、より観光客向けの施設に変わるとのこと。

ダカール市内に目を向ければ、アフリカ最西端のあるアルマディ周辺には、高層マンションが立ち並び、富裕層向けのエリアに。さらに、地元の人々の足であるダカール名物カーラピッドは、事故や環境対策を理由に、走れるエリアや道路が限定され数が少なくなっている一方、セネガル国産のバスSENBUSが市内や地方都市を結ぶバスとして、活躍しています。

さて、次回のレポートではダカールを離れ、地方の村の様子をお伝えしたいと思います。

道祖神 佐藤

コロナ禍のアフリカは今 ~セネガル編その①~

新型コロナウィルスの影響により、アフリカが遠くなってしまい早2年。引き続き、気軽に海外旅行へ出かけられない状況が続いていますが、この度、アフリカへの渡航機会に恵まれましたので、簡単ではございますがレポートします。

コロナ禍前に比べると遥かに飛行機の数も少ない成田空港
コロナ禍前に比べると遥かに飛行機の数も少ない成田空港

現在、アフリカの多くの国が既に国境をオープン。ケニアやタンザニア、南アフリカやボツワナなど、私たちにとって馴染のある国々は観光客を受け入れており、ヨーロッパや北米からはコロナ前に比べればまだまだ少ないものの観光客が動いています。

今回アフリカ渡航の第1弾として、西アフリカのセネガルを訪問してきました。今の海外渡航において帰国後、日本の水際対策がひとつの課題ではありますが、南部アフリカや東部アフリカは帰国後6日ないし3日の強制隔離とその後の自主隔離があるものの、セネガルは帰国後7日間の自主隔離となっており、渡航しやすいとはいえませんが、比較的行きやすい国のひとつです(2022年1月31日よりセネガルも3日間の強制隔離対象国となっています)。国により入国の制限、必要書類は様々ですし、頻繁に変更もありますので、事前に入念なチェックも必要です。

出発便の掲示板も寂しい限り
出発便の掲示板も寂しい限り

セネガル渡航には到着5日前のPCR検査陰性証明書のみが必要となります。今回は出発日前日に横浜のクリニックにて検査を受け、陰性証明書は90分ほどで発行されました。陰性証明書の発行も含め、料金は20,000円~35,000円程度が一般的です。

パスポートと陰性証明書を携えて
パスポートと陰性証明書を携えて

アフリカへの航路は、コロナ禍前同様、エミレーツ航空やカタール航空、エールフランスなど欧州の各社、そして、アフリカのフラッグシップキャリアともいえるエチオピア航空がフライトを続けています。しかし、減便は続いており、フライトキャンセルも目立ちます。今回はその中でも、比較的安定し乗り継ぎも便利なエチオピア航空を利用しました。

チェックインカウンターにて。事前のオンラインチェックインが必須となります
チェックインカウンターにて。事前のオンラインチェックインが必須となります

コロナ禍、初めてとなった成田空港。フライトのある夜間は非常に閑散としており、どこか別の国に来てしまったような印象を受けました。チェックイン自体はコロナ禍前と手続きは変わりません。特別に必要なものはPCR検査陰性証明書の提示と、チェックイン手続き簡素化のため、事前のオンラインチェックインが必須となります。アディスアベバでの乗り継ぎにPCR検査陰性証明書をQRコード化するためにオンラインでの手続きが必要とされていましたが、成田空港でもアディスアベバでもチェックはありませんでした。

出国審査を終えると、その先の免税店はすべて閉まっており、自販機しか稼働していませんでした。夜間帯のフライトの場合、必要なものは事前に準備が必要です。

出国審査を抜けると、廃墟のような免税エリアでした
出国審査を抜けると、廃墟のような免税エリアでした
当然ながら搭乗ゲートも閑散としていました
当然ながら搭乗ゲートも閑散としていました

アフリカ旅行でエチオピア航空を利用された方は多いかと思います。ご存知のとおり通常は韓国の仁川を経由しアディスアベバへ向かいますが、世界的なオミクロン株の流行以降、成田空港とアディスアベバを14時間で結ぶ真の直行便となっています。

エチオピア航空は期間限定?成田とアディスアベバを結ぶ真の直行便
エチオピア航空は期間限定?成田とアディスアベバを結ぶ真の直行便

フライトは約20%程度の搭乗率、人数にして40名ほどと空席ばかり。期待と緊張感を伴いながら、ET673便はアディスアベバへ向けて、無事出発したのでした。

空席ばかりの機内
空席ばかりの機内
搭乗時にはアルコールティッシュの配布
搭乗時にはアルコールティッシュの配布
機内はもちろんマスク着用
機内はもちろんマスク着用
食事の際に配られるお手拭きにも食事の時以外はマスクを着用するようメッセージが
食事の際に配られるお手拭きにも食事の時以外はマスクを着用するようメッセージが

日本のコロナを取り巻く状況から考えると、アディスアベバ到着後は世界が変わりました。それはまた次回のレポートにて。

道祖神 佐藤