Lucky Dube / ラッキー・デューベ

南アフリカ共和国の国民的英雄、ラッキー・デューベ。
彼がこの世を去ってから今年で10年目です。
アフリカ大陸全土で、その名を、その歌を知らぬ人はいない。
死後10年がたった今日でも、どこかの酒場で必ずその歌声が流れている南アフリカ出身のレゲエ・ミュージシャンが『ラッキー・デューベ』です。
元々は、南アフリカのズールーの音楽を起源とするスタイルである「ムバカンガ」のミュージシャンとしてデビューしたデューベですが、アパルトヘイト政策下の南アフリカで社会的・政治的なメッセージを歌に乗せて伝えようと決意、選んだのがレゲエ・ミュージックでした。
本場ジャマイカの暮らしとアフリカの都市部で暮らす人々の生活には通じるものがあるのでしょう。
私が、かつてケニアのナイロビに居た頃、人々のお気に入りの音楽と言えばこぞってレゲエ・ミュージックでした。
好きなタイプの音楽…というよりは、もはやアフリカの人々のマインドに深く刷り込まれて、好き嫌いはあってもレゲエ・ミュージックは常にそこにあるもの、という意識がケニアの人々には浸透しきっていたように感じました。アフリカ大陸のどこへ行っても、そう大きな違いはないでしょう。
それほど、ジャマイカのレゲエ・ミュージックとアフリカの人々には親和性があります。
そんなレゲエ・ミュージックに対するアフリカ大陸からの回答、それがコートディボワールの『アルファ・ブロンディ』と南アフリカの『ラッキー・デューベ』双璧を成す2人です。
一貫して、アパルトヘイト政策に対するプロテストな立場を貫き、一方で若い世代に向けて暴力や犯罪の無意味さを説き、人々が心を支えることのできるようなメッセージを発信し続けたデューベですが、2007年10月18日、非業の死を遂げます。
居住していたヨハネスブルグ市内のロゼッテンビル地区に向かう途中、物盗りのカージャックに襲われ、同乗していた息子の目の前で銃撃により殺害されました。3日後には犯人は捕まりましたが、犯人のうち2人が、モザンビークから「富める」南アへ流入した人たちでした。
これは、アパルトヘイト体制下の南ア政府が周辺国に対して、周辺国を経済的に疲弊されるために「不安定化工作」を行ったことと無関係ではないと言われています。
当時、南アフリカの国民的スターのニュースはここ日本でも幾つかの媒体で報道されました。
そのうちの一つ、2007年11月13日付、北海道新聞夕刊の記事で、デューベの一曲の歌詞が引用されています。

ある人が教えてくれた。
まだ僕が小さかった頃に彼が言った。
犯罪は報われないってね。
彼は言った、教育が鍵さってね。
そうさ、子供の頃は自分が何をやっているか分かってるつもりだったんだ。
ほんとさ。
でも、今日僕は牢屋にいるんだ。
僕はプリズナー。
by 生野