南アフリカ・スタディーツアー

2005年3月に催行した「南アフリカスタディーツアー~HIV/エイズについてともに考え、ともに生きる」にご参加頂いた成瀬 文 様からのレポートです。私たち日本とも無関係でないHIV/エイズ問題の南アフリカでの状況を学び、この問題に関わる人々を訪問します。3月のツアーでも、HIV/エイズだけでなく、南アフリカそのものについても深く知って頂ける機会になったようです。
ヨハネスブルグへ
3月14日から8日間、道祖神主催の南アスタディツアーに参加してきました。このツアーは南ア社会に色濃い影響を与えているHIV/エイズの現状を目で見て実際考えてみようという目的のもと催行され、今回は私を含む4名の参加者がありました。皆南アフリカ共和国に何らかのかたちで興味を持っているけれど一度も行ったことがなく、初のアフリカ大陸上陸に興奮していました。
1日目 HIV POSITIVE
さて、ツアー最初の訪問先は南ア一の大都市ヨハネスブルクから少し車を走らせたところにある、クリニック内で活動しているHIV/エイズ患者のサポートグループです。
車で到着した途端目に飛び込んだのは「HIV POSITIVE」の文字。グループのメンバーたちがお揃いで着ているTシャツです。自らがHIV陽性であることを受け入れたばかりでなく、その事実を公言している彼女たちの姿は、とても潔く見えました。
クリニック内を見学した後、外の芝生に丸くなってこのグループの活動内容やメンバーになったきっかけを聞いたのですが、逆に私たちがわざわざ南アに来たきっかけやHIV/エイズに対して思っていること等を質問され、答えに窮してしまいました。
事前にHIV/エイズや南アフリカ共和国に関して多少は調べて行ったにもかかわらず、実際求められるとはっきり自信を持って意見できない自分に苛立ちを覚えつつも、「しっかり勉強し直さないと」と思わせてくれるこの状況に刺激を受けずにはいられませんでした。
同じように苦しんでいる患者のために立ち上がったメンバーたちの活動は少しずつ普及してきており、グループメンバーになって自分がHIVに感染しているという事実を受け入れる努力をする人も増えてきているとのことでした。どんな小さな活動も、やらなければゼロだけど、少しずつでも続けていると何かは変わるのだなと思いました。
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ファーストフード店にて
そしてお昼ご飯に立ち寄った南アで人気のファーストフード店では、道祖神の現地駐在員さんに注文をお任せ。するとチキンとバン(ハンバーガー用のパン)とサラダが出てきました。
「好きなように食べればいいんですよ」との言葉に従い、とりあえず付属のホットソースをチキンに絡ませ、バンに挟んでがぶり。辛い!しかし冬の日本を発ってきた私には夏の味という感じがしておいしくいただきました。しかも日本で見たことのないファーストフード店だったので「本当に南アに居るんだなぁ」という実感が湧き、一瞬旅行者気分に浸りました。
しかしガラスで仕切られている店内の様子は外から丸見えで、ムルングと呼ばれる白人のカテゴリーに属する私たち日本人の姿は非常に目立ちました。その状況を考えると、駐在員さんやその知人の南アの人たちが一緒でなければ「金を持っている外国人旅行者」に見えるであろう私たちの身も決して安全ではなかったのかも知れません。
現地に詳しい方に案内してもらって本当に良かったと強く思った瞬間でした。この日は他にも、先進的な治療を施している大病院付属のクリニックを訪ねて医師の方らと議論をしたりと盛りだくさんの内容で一日を終えました。
2日目 TAC
十分な睡眠をとって疲れもない私は、元気に二日目を迎えました。
この日はまずHIV/エイズの治療環境改善を政府に訴えている団体TAC(Treatment Action Campaign)事務所を訪問し、HIV/エイズや子供の権利に関する多くの資料をいただきました。この団体は政府提言を行うばかりではなく、国民に HIV/エイズに関する情報を周知させていく活動等も活発に行っており、事務所内に貼られた数々のポスターはコミカル且つメッセージ性の高いものばかりで、興味深かったです。
日本人でもこの団体の姿勢に賛同して会員になっている方もいらっしゃるそうで、知らないところで頑張っている日本人も多いなと改めて感心したりしました。
ところでこの事務所に入る際、入り口に鉄格子があり、昼間でも鍵がかかっていました。身分証明できる人間でないと中に入れないようになっており、これは後ほど訪れた多くの場所でも同じようになっていました。
会社や事務所等はもちろん、レストランなどの公共機関も鍵付き格子付きのところがありました。ヨハネスブルクの治安を考えると当然のことなのかもしれませんが、やはりそれでも威圧感を感じずにはいれませんでした。
また、この事務所は道路沿いのビルに入っていたため、車は近くの路上に駐車したのですが、駐在員さんが路上に立っている人にいきなりお金を渡されていたので疑問に思ったところ、その人は路上駐車場に停められた車を運転手が帰ってくるまで見張る仕事をしているそうです。
車上あらし対策ということなのでしょう。車上あらしの頻発する他の大都市でも見たことのない光景に、私は驚きを隠せませんでした。ただ、中にはお金をもらってもそのまま逃げる人もいるようで、現地の事情がわからずに旅行するのは危険だなとつくづく感じました。
アパルトヘイト博物館
それから向かったのが、アパルトヘイト博物館です。ここでは充実した資料群に圧倒されました。
金鉱跡に建てられた豪華な遊園地の近くに位置するこの博物館は、入り口から凝っていました。ランダムに入場券が渡されるのですが、「白人」と「黒人」は別々の入り口から入ることになっています。私はたまたま白人の入り口から入ることになったのですが、ツアーメンバーの他三人は黒人側の入り口から入場し、区切られた空間を歩いている間、なんだか非常に複雑な気分でした。展示場にたどり着くまでの間にも姿見状の置物が坂の下から上まで連なっており、その一つ一つにさまざまな年代の人が描かれています。後ろから見ると老若男女ということしか分からないのですが、前から見ると人種の違いが一目瞭然という造りになっています。この造りは「人間は誰でも同じなのに」ということを強烈に感じさせます。さらに、それらは鏡なので、自分の姿も映ります。誰でも同じ人間、しかし果たして自分は本当にそう思っているのか、と自問させられ一瞬ドキッとする場所でした。
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ドロッピングセンター
それから南ア最大の黒人居住区(アパルトヘイト時代に政府が黒人専用居住区として作った街)であるソウェトにある孤児院、そしてエイズ孤児たちのためのドロッピングセンターを訪ねました。
このドロッピングセンターでは保護者をHIV/エイズで亡くし、子供だけで生活していて栄養のある食事をとれない家庭のために食事や遊び場を提供しており、学校が終わるとそれぞれがここにやってきて同じ状況下の子供たちと遊びます。
このセンターはエイズ孤児に対する偏見を避けるため、カラード(インド系などの混血の人々)の人々が主に住む地域に建てられており、専門知識を持ったソーシャルワーカーもいます。アフリカで出会った子供たちのほとんどは想像を絶するくらい元気で、実際一緒にボールや遊具で遊んだのですが、息が切れるほど遊んでも遊び足りないようでした。
空手ごっこをしたりただ走り回ったりする彼らの笑顔を見ていると、彼らのおかれている状況、そしてこれから背負う人生の重さが現実のものとは思えなくなるくらいでした。もちろん中には母子感染している子供もいるようで、顔に発疹ができた子もいました。彼らの無邪気な顔を見ていると一刻も早くHIV/エイズの無料治療が広く普及することを願わずにはいれません。
この日はそのままソウェトの民家にホームスティしました。
私のステイ先の家族は両親に子供4人でしたが、広いリビングにDVDまであり、ご飯も何度も出てくる歓迎ぶりで、非常に快適に過ごしました。ただ夜はトイレに行きたくてもバケツで済ますようにとのことでした。南アの元黒人居住区では外にトイレが設置されていることが多く、門の中といえどもレイプの多い夜に一人で外に出るのは危険だということでバケツで用を足すのが普通のようです。
シャワーが浴びられなくても平気だった私ですが、他人の前でバケツを使うのにはさすがに勇気が要りました。朝食前に近所を散歩して、ソウェトでポピュラーだという揚げパンのような朝食を摂っていざツアー3日目へ突入です。
3日目 HIVSAとPHRU
朝からHIVSAというバラグワナホスピタル内にあるNPOを訪問しました。
ここはPHRUというリサーチユニットと協力して活動しています。PHRUがHIV/エイズの患者に治療やケアを提供し、HIVSAがカウンセリングや教育等のサービスを行っています。ここは特にHIVに感染した妊婦に対するサービスにおいて先駆的な施設で、男性への教育やカップルカウンセリングも行っており、HIV/エイズ患者の増えている日本でも参考にすべき取り組みがたくさんあるように思いました。
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それからソウェト内のクリップタウンを歩きました。ここはスクウォッターキャンプと呼ばれる違法居住区なのでソウェト内でも整備されておらず、狭い地域に3万人くらい住んでいるとも言われているところです。トイレと水場も共同で使用しています。
私が訪れたある家庭では、小さな家(ティンハウスと呼ばれるトタンなどで作ったバラック小屋のようなもの)に家族十数人が住んでおり、家族の生計はおばあさんのもらう年金で立てているとのことでした。
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南アでは最低賃金が700ランド(日本円で12,600円くらい)程度なので、エイズ患者含む身体障害を持つ人がもらう年金が740ランドであることを考えると、働くよりも収入がよい場合があり、低賃金の仕事には出稼ぎにやってきたジンバブエ人らが就くのだそうです。
それゆえ年金を頼る人も多く、このまま患者が増え続けると南ア政府の台所事情はかなり厳しいものになりそうだということでした。
その後かなり広い墓地内を車で通過しながら見学したのですが、子供のものと思われる小さな墓もたくさんあり、また新しい墓がたくさん見受けられました。
広大な敷地が次々埋まっていくらしく、エイズ患者が多いことも原因の一つだろうというお話でした。
Let Us Grow
それからオレンジファームというヨハネスブルクから車で一時間弱の黒人居住区にある、サポートグループLet Us Growを訪ねました。
オレンジファームにはHIV/エイズ患者のためのグループが無かったため、地域で苦しんでいる人々をサポートしたいという思いでこのグループは設立されました。地域への教育から患者のメンタルケア、そして組織の統率までこなす代表はとてもパワフルな方で、エイズ拡大を防ぐにはまず正しい教育が必要で、子供をしっかり教育できる親の育成が必要と説かれていました。
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また、HIV/エイズ患者に対しては、「自尊心を持つこと、そしてどうやって勇気を出すか」ということを教えたいと強く語られていました。オレンジファームには2泊しましたが、最後の夜にはこのグループ主催のバーベキューパーティに参加しました。パップやチャカラカなどの南ア料理を食べて南ア音楽で踊り、本当に楽しいひとときを過ごしました。
エイズバッヂ(グループの資金源になるビーズ細工)を共に作ったり、皆の好物である鳥の足(普通にスーパーに売っている)に挑戦させてくれたりと、ここのメンバーには仲良くしてもらったので別れを惜しみながらヨハネスブルクに戻りました。
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最終日 AIDS HOSPICE
最終日はエイズホスピスを訪れました。
ここにも無邪気に遊ぶエイズ孤児の子供達がいたのですが、以前いらっしゃった日本人ボランティアの方に私の雰囲気が似ていたらしく、皆懐かしそうに話しかけてきてくれたので、出会ってすぐに親しみが湧きました。
このホスピスを作り上げてこられた神父さんは非常に穏やかな方で、南アの面している問題やこの施設と日本との関わりなども話してくださいました。実際に現場を知っている方のお話は非常に説得力があります。
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今回のツアーではこの神父さんを始め、非常にたくさんの方のお話を直接聞くことができました。また、現地に住んでコミュニティに入っているからこそわかる話を駐在員さんからたくさん聞くことができ、深刻な問題も山積しているけれどエネルギッシュな南アフリカ共和国という国にますます興味を持ちました。
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今回はHIV/エイズにフォーカスしたツアーでしたが、この問題は南ア社会にあらゆる側面から影響を与えているためこの国の全体像も垣間見ることができたように思います。そして南ア社会全体を概観したことは他の社会、例えば日本社会を考えるのにも大いに役立つヒントになりました。たくさんの経験ができ、たくさんのことを考えさせてくれた南アフリカ共和国。今回の思い出を胸にまた必ず行きたいと思っています。
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