“勝手に!!”世界の車窓から アフリカ モザンビーク編

チャラッチャッチャッチャ チャーララ~♪
“勝手に!!”世界の車窓から アフリカ モザンビーク編
モザンビークという国で列車に乗ってきました。
朝6時半に出発して午後4時半到着。10時間、走行距離350kmの旅。
新幹線なら2時間もかからない距離。
東京-名古屋間だったら、東海道線の鈍行の方がきっと速い。
しかし、なんでも速けりゃ良いっ、つうわけじゃありません。
この旅には、高速列車では決して得ることのない
風情と人間ドラマがあります。

日本にやってきた最初のアフリカ人、モザンビーク出身の黒人青年「弥助」

日本の歴史上、使節団が訪米する際にアフリカ大陸にも寄っていますので、何人もの武士(やその子弟)がアフリカに足跡を残していますが、逆にアフリカから日本にやってきたという話はあまり多くありません。記録上、日本に最初にやってきたアフリカ人って誰かご存知ですか?
記録に残されなかった交流によって、かなり以前から日本人がアフリカ出身の人と接してきた可能性はあるのですが、記録に残っている最初の人物は、日本名で『弥助』と呼ばれる、モザンビーク出身とされる黒人青年(年齢は20歳台後半だったと言われています)でした。
彼が日本に上陸した時代は、安土桃山時代。そう、日本史上のヒーローの一人であるあの織田信長が生きていた時代です。
新しもの好きの信長のことですから、もちろんこのアフリカ人に会っていますし、彼を連れてきたイタリア人の宣教師(伴天連)アレッサンドロ・ヴァリニャーノに申し付けて(この「弥助」は奴隷の身分だったこともあり)、自分の近習として召抱えたそうです。
本能寺の変で捕らえられたものの、処刑を免れ南蛮寺(当時のキリスト教会ですね)に送られた後は行方知れず。

400年以上も前の話ですが、ミステリアスでロマンある話です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E5%8A%A9

アフリカ、モザンビークの首都マプト

昨日の問題の答えは「マプト」。モザンビーク共和国の首都です。良い意味で”田舎っぽい”モザンビークに、こんなオシャレな駅があり、しかも設計はあのエッフェルだったとは、初めて訪問した時にはちょっと驚きました。
モザンビークは、ポルトガルによる植民地化→独立戦争→内戦(~1992年まで)という一連の苦難の歴史を経て、内戦終結後初の大統領として活躍したシサノ元大統領の政治手腕や、南アや日本の資本投下により、年間8%という素晴らしい経済成長率で復活した、これからが非常に楽しみな国です。
”田舎っぽい”とは言いましたが、アフリカ最高のビーチ(個人的見解ですが・・・)を擁し、世界遺産のモザンビーク島などの文化的見所もあり、人々も気さくで素朴という、見所の多い国です。
何と言っても、モザンビーク海峡で獲れる魚とエビ!!絶品です!

古き良きアフリカの素朴さが残るモザンビーク。
まだ訪れたことがないという方、ぜひモザンビークへ!