African Art 11 ナイジェリアのイフェ、ベニンの美術

11世紀から17世紀に発達したイフェとベニンの美術は、黒人アフリカの美術の中で最も重要なものとして認識されている。それらの造形は、写実の中に非常に洗練された様式が加味されていて、高度に完成されたものである。ヨーロッパ中心主義の視点から見て、美術評論家たちはこの領域を黒人のローマ期とかルネッサンス時代だと言って称賛した。

BENIN Queen's Mother 16th-17th AD
BENIN Queen’s Mother 16th-17th AD

IFE Head  12th-15th AD
IFE Head 12th-15th AD

同時代のこの地域以外のアフリカ美術、特に仮面や神像の造形は自然主義的表現に対峙するデフォルメや誇張、非現実的表現の観点から高い評価を得てきたが、ナイジェリア美術においては紀元前10世紀頃~後3世紀頃に発達したノク文化に見られる写実的表現が特徴である。このノクの造形には写実的要素と誇張された野生的造形力が混在しているが、11世紀~17世紀のイフェ、ベニンの造形では粗削りな域を通過した完成度の高さが際立っている。ノクの作品がそうであるようにイフェやベニン文化の造形がどうやって発達したのかは未だに謎のままであるが、ノク文化や、イフェ、ベニン文化などの高度な技術と洗練された感覚は突然に出現するようなものとは考えにくい。北のローマ、マグレブ、エジプトから交易に伴って渡ってきた職人たちが技術をもたらしたという説も有力だが、はっきりしたことは解っていない。
IFE "OBALUFON" Mask 12th-15 AD
IFE “OBALUFON” Mask 12th-15 AD

BENIN  Relief "Warrior" 16th-17th AD
BENIN Relief “Warrior” 16th-17th AD

長く、アフリカ美術を専門に見ている私の眼からもナイジェリアのこの地にこれだけ優れた技術が短期間で完成されたということは信じがたい。11世紀以前、また、17世紀以降、この地域で同レベルの写実造形は全く存在しないのである。実物大の大きさの頭像でもブロンズの厚さは非常に薄く1mmあるかないかでとても軽い。しかも、それほどの薄さでも鋳造されたブロンズに鬆はほとんど入っていないのである。過去にも、現在でも周りのイボ族、カメルーン、ニジェール、どの地域にもこれだけの具象彫像を作った部族は見当たらない。想像ではあるが、交易でやって来たエジプトかギリシャ、または地中海沿岸地域の商人が技術力のある職人を雇って王や王妃の肖像や、豹の鋳造などを作らせたのではないか。それらの作品がどのような目的で作られたのかははっきりしないが、おそらくその時代の王(オニ)や王妃、またその家臣たちの記念碑として神殿などに安置されたのではないかと考えられている。
BENIN Cock "OKPA"  16th-17th AD
BENIN Cock “OKPA” 16th-17th AD

BENIN Pair of Leopard  16th-17th AD
BENIN Pair of Leopard 16th-17th AD

黒人アフリカ地域ではこのイフェが最初にブロンズの鋳造技術を習得した場所である。誰がどのように制作に携わったか、その謎はいつか明らかにされるかもしれないが、今は想像の域を出ない。ただ、この素晴らしい作品群によってアフリカ美術の価値は更に高められているのである。
※写真:
アフリカンアートミュージアム蔵(IFE Headを除くすべて)
山梨県北杜市長坂町中丸1712-7
tel:0551-45-8111
写真提供/小川 弘さん

小川 弘さん
1977年、(株)東京かんかん設立。アフリカの美術品を中心に、アフリカ・インド・東南アジアの雑貨、テキスタイルなどを取り扱っている。著書にアフリカ美術の専門書「アフリカのかたち」。公式ウェブサイト http://www.kankan.co.jp/

African Art 10 ケンテの布、エウェの布(ガーナ、トーゴ)

アフリカの布の中でもその鮮やかさが際立っているのがアシャンティ族のケンテクロスとエウェ族のエウェクロスである。この布は肩から足首まで体を包む衣装として用いられる。西アフリカ特有の10cm位の細幅の布を縫い合わせて一枚の大きな布にしたもので、そこには幾何学文様や動物、人などのさまざまな文様が織りこまれている。素材は、綿や絹、また最近ではレーヨンも使われている。絹の布は王様やチーフだけが着るものであるがその絹は日本からも輸入されたという。細幅の布の織りは、中央アジアのステップからコーカサス地方、アフリカ北西部に至る地域で2000年以上の歴史を持つ。イスラム教の勢力拡大とともに、サハラ砂漠を越えて西アフリカに伝わったという。西アフリカのほとんどの地域で、布を織るのは男性の仕事である。布を織ることはとても神聖な作業だった。職工は一日の仕事を終えると、儀式的な事をして仕事場を去った。機織りの道具で人をたたいたりすると悪病をもたらすと信じられた。また機織り機は、その持ち主が死ぬと壊され、他の人に引き渡されることはなかったという。

ケンテクロス
ケンテクロス

ケンテクロス
ケンテクロス

エウェクロス
エウェクロス

エウェクロス
エウェクロス

アシャンティ族は15世紀以前からこの地方に住みつき、交易などで繁栄、王国を形成した。金を産出したこととヨーロッパとの交易が盛んで鮮やかな染料や絹などの素材が入手できたこともあり、エウェのそれに比べて艶やかな布が多い。一般の人たちの着る藍と白の綿布とは別にして、絹を用いたり草木染めで色をつけたり、文様を複雑化して独特の発展を遂げた。アシャンティの人々の間では、使われる色や文様によってそれぞれの布に呼び方がある。布の名前は、“唐辛子”“トウモロコシの葉”など文様のデザインで呼ばれるものと、ことわざで呼ばれるものがたくさんある。アシャンティ族はことわざが豊富なのでその数は計り知れない。身分によって使える色や文様は決まっていて、エウェ族が動物や人などの具象的な文様を使うのに対してアシャンティの文様は全て幾何学文様である。エウェ族にも、日常に用いる布とエウェの言葉で“アダヌド”と呼ばれる特別の布がある。“アダヌド”はチーフや年配者が着る布で質の良い綿、または絹で織られ、複雑な文様が織り込まれる。アシャンティほどの厳しい決まりごとがないので、身分による決まった文様も見られない。こちらにもたくさんの布の名前がある。アシャンティのようには高価な鮮やかな染料が入手できなかったので、主に天然染料や、ややくすんだ色合いが使われた。しかし結果的にエウェの色合いには天然染料や落ち着いた色合いが多いので一般的な評価は高い。
機を織る老人(マリ)
機を織る老人(マリ)

写真提供/小川 弘さん

小川 弘さん
1977年、(株)東京かんかん設立。アフリカの美術品を中心に、アフリカ・インド・東南アジアの雑貨、テキスタイルなどを取り扱っている。著書にアフリカ美術の専門書「アフリカのかたち」。公式ウェブサイト http://www.kankan.co.jp/

African Art 9 DIDIER AHADJIのアフリカ風物詩(トーゴ)

耳をつんざくような音量を上げてがなりたてる音楽がマーケットじゅうに響き渡っている。野菜、果物、日用金物、ポリバケツ、砂糖、ビスケットなど様々なものを積み上げたキオスクやリヤカー引き、コーラ、水売りの商人たちに溢れた西アフリカのマーケットは活気に満ちている。日本では何十年も前に消え去って、もう見ることのできなくなった懐かしい光景がここトーゴの首都ロメでは日常的である。

ガソリンスタンドでタバコを吸う危険な男たち
ガソリンスタンドでタバコを吸う危険な男たち

コカコーラ売り
コカコーラ売り

自転車で水を運ぶ家族
自転車で水を運ぶ家族

そんな現在の風物をブリキで表現する作家がいる。彼、DIDIER AHADJIは貧富の差が大きいアフリカでの不条理を一つ一つシーンにして作品を創っている。例えば、金持ちが大枚の札束をテーブルに置いてゆうゆうとビールを飲んでいる傍らには壊れたイスに座って羨ましそうに悲しい目つきで主人の姿を眺める使用人がいる。この光景は、今なお人々の心の奥底にくすぶる、かつての宗主国フランスに対する鬱屈した感情の表れである。また、持てる限りの荷物と子供を背中にしょって自転車で物を運ぶ家族、炎天下コツコツと一生懸命畑を耕す少年、遊び盛りの女の子がミニスカートから白い下着をちらちら見せながらおしゃれに着飾って踊り楽しむシーン、ガソリンスタンドでタバコを吸う非常識な若者、こっそりと女のシャワールームを覗き見して興奮する男の姿など。それぞれの多様なシーンには、電車の中で大股を広げてふんぞり返る日本の若者の姿や東京と同様、都会の煽情的な光景が重なって見えてくる。
金持ちとその使用人
金持ちとその使用人

シャワーを浴びる女を覗く若い男
シャワーを浴びる女を覗く若い男

この15年ほどの間に現代アフリカ造形作品は西欧でも高い評価を受けるようになり注目を集めてきた。今をときめくEl Anatsuiは日本でも展覧されているが、それらの作品には抽象的なものが多い。アフリカで初めて美術学校が開設されるようになったのは1930年頃である。最初の頃、ヨーロッパ人が現地の象牙職人などに絵具と筆を与えて書かせたのはほとんどが動物の絵であった。その後、ヨーロッパ美術の影響やアフリカの作家が西欧に留学したこともあり、アフリカと西欧の創造の合体がアフリカ現代美術に素晴らしい発展をもたらせた。しかしそれとは別にアフリカの地元にとどまり独自の技法で自らの世界をコツコツと創造する作家もまだいる。いわば、紀元前の昔から引き継いできたアフリカ的創造の方法である。私はこの伝統的なやり方にどこか引かれる。数年前に出会った作家、このDIDIER AHADJIは、純アフリカ的視点から発信するもう一つの現代アフリカンアートの造形作家である。
写真提供/小川 弘さん

小川 弘さん
1977年、(株)東京かんかん設立。アフリカの美術品を中心に、アフリカ・インド・東南アジアの雑貨、テキスタイルなどを取り扱っている。著書にアフリカ美術の専門書「アフリカのかたち」。公式ウェブサイト http://www.kankan.co.jp/

African Art 8 ブードゥーの祠の祖先像(トーゴ)

アフリカには木で作られる彫像の他、土で作られた土偶や壺にとても面白いものがたくさんある。それらは木彫品と同じく部族ごとに独特な造形を持つ。そのひとつトーゴの“ブードゥー”として知られる祭礼、儀礼用に使われる土偶を取り上げてみた。

エウェ族(トーゴ)の祖先像 素焼きの上に石灰石(H61cm)
エウェ族(トーゴ)の祖先像 素焼きの上に石灰石(H61cm)

ガーナからトーゴにかけて分布するエヴェ族、アジャ族、フォン族およびその同系の文化圏に属する人々は“ブードゥー”として知られる宗教を持っている。ブードゥーとは彼らの住むすべての世界に存在する、生命を支配する神秘的な力を表す言葉である。ブードゥーに関するもっとも良く知られる工芸品は、王家の主人のために作られた金属製の洗練された彫刻や、真鍮や金などで覆われたり、包まれたり、また結びつけられたりした木製の彫像である。
(H71cm)
(H71cm)

しかし土製の焼き物の塑像も儀礼に使われる重要な役割を担っている。特有のかたちを持つテラコッタの器や塑像は、個々の神々と関連があり、主に神殿や祠に置かれている。かたちとしては底が開いて空洞になっていて、本来は上下逆の壺である。明らかに陶工によって作られたものである。生贄の供物の体液が頭部から滴りその線が腰のまわりまで染みになっており、その腰の部分から下は土の中に埋められていたものである。
(H50cm)
(H50cm)

トーゴの首都ロメから20km位北にドライブした時、フェティッシュマーケットと呼ばれる市場に遭遇した。占いに使うあらゆるものを売っている。牛、猿の頭蓋骨、カメレオンの干からびたもの、蛇、鳥、蛙などあらゆる動物の死骸。その市場に近づくと何とも異様なにおいが漂う。そんな中にまだ儀礼をおこなっていない新品のテラコッタの像が並んでいた。新品の土偶はまだ本当に生命が吹き込まれていないようで少々かわいらしい。これがいったん祠に安置され何度かの生贄の儀式を経るとこの写真のように神秘的な力が宿るように見えるのは暗示に掛けられた気のせいなのだろうか?
像は命を吹き込まれて力強く面白い作品に成長していくように思える。
写真提供/小川 弘さん

小川 弘さん
1977年、(株)東京かんかん設立。アフリカの美術品を中心に、アフリカ・インド・東南アジアの雑貨、テキスタイルなどを取り扱っている。著書にアフリカ美術の専門書「アフリカのかたち」。公式ウェブサイト http://www.kankan.co.jp/

African Art 7 アフリカの仮面、神像の真贋と収集

15世紀半ば、ポルトガル人のディエゴ•カオンがヨーロッパ人として初めて西アフリカの海岸地域を調査し、コンゴで象牙製品といくつかの木製品を持ち帰り、ここで初めて黒人の仮面文化が知られるようになった。18世紀半ばを過ぎて植民地政策が盛んになるや、現地に出かけた船乗りたちが仮面や彫像を珍しい土人のお土産として競って持ち帰るが、野蛮な原始人の奇怪なものとして珍しがられるのが関の山だった。19世紀後半になり大規模な民族博物館がヨーロッパ各地に創設され、まとまった収集が行われるようになったが、それでもまだ美術的評価を受けることはなかった。それが評価を得るようになったのは、ようやく20世紀に入ってからである。また、コピーが作られるようになったのはアフリカ諸国の独立後、1950年代以降である。

ヤウレ族 仮面
ヤウレ族 仮面

ヨルバ族 母子像
ヨルバ族 母子像

ゼラ族 儀礼用イス
ゼラ族 儀礼用イス

私がこの仕事を始めた1980年代には、アフリカ各地のマーケットで売られるほとんどの仮面や神像はコピーだった。民具以外に本物を見つけることは稀であった。それでは本物とコピーはどこが違うのか。端的に言うなら本物とは本来の土着儀礼に使われる、または使われた仮面や神像である。古いから本物、新しいからコピーというわけではない。近年の儀礼では本来の伝統的なしきたりを忠実に守って行われるものは非常に少なく、旅行者用の見世物としても仮面舞踏が行われている。本物の儀礼が少なければ、作り手も祖先に対する敬意や願いを込めて製作することは希薄になる。近年の仮面や神像にアフリカ美術の大きな魅力であるスピリチュアルな力を感じられるものが少ないのは当然である。このような現状なので美術オークションでは、来歴と古さが最重要視される成り行きとなった。しかし来歴のはっきりしたもの、古い歴史を持ったもののほとんどは既に美術館や博物館に収蔵されている。だから、たまにマーケットに出てくる希少な作品の取引額は大変高額で1点が億単位の作品もままある。
アシャンティ族 儀礼用イス
アシャンティ族 儀礼用イス

バミレケ族 イス
バミレケ族 イス

この際、私はアフリカ美術を取り扱うプロの業者として、それに魅せられた者として、来歴などにあまりとらわれるなと言いたい。本来作り手は無名の職人たちである。本来収集とは投資ではない。作品と出会い、何らかの魅力を感じ、時にその作品に癒され、時に創作の新しいヒントを得る、そこに意義がある。3万円のものと300万円、3000万円の違いは当然理由がある。しかし自分で楽しめる金額の中で自分なりに楽しめばそれも良い意味での収集ではないだろうか。
写真提供/小川 弘さん

小川 弘さん
1977年、(株)東京かんかん設立。アフリカの美術品を中心に、アフリカ・インド・東南アジアの雑貨、テキスタイルなどを取り扱っている。著書にアフリカ美術の専門書「アフリカのかたち」。公式ウェブサイト http://www.kankan.co.jp/