2010.09.12発 南部エチオピア オモ・マゴ探索隊15日間 その4

ハマーには、昔からのしきたりで、豊穣を祝う“牛跳びの儀式”というものがあります。この儀式は、少年が大人になるための儀式も兼ね備えており、横向きにした牛を8~10頭並べ、その背中に飛び乗り、飛び石を渡るように渡っていくというもの。これを3~4往復ほど見事渡りきると、その少年は民族の中で大人として認められるのです。今回はラッキーなことに、この儀式を見学することができました。
牛跳びをする前には、このメインイベントを盛り上げるさまざまな催しがあります。まずは女性達のダンス。この溢れんばかりの躍動感、伝わるでしょうか?女性達は手に笛を持っていますが、これをずっと吹きながら何時間も踊り続けます。すごい体力。
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このダンスの途中に、“ムチ打ちの儀式”なるものがあるのですが、これは木の皮を剥いで作った細いムチで、夫が自分の妻を打つというもの。もちろん、打たれた女性の背中や腕などには痛々しいミミズ腫れが残りますが、このミミズ腫れがたくさんあるほど、夫に愛されているという証なのです。
ところで女性達が身に付けている首輪のような鉄製のネックレス、気が付いていただけましたか?これは既婚女性の証です。ハマーを含むオモ谷の民族は、今でも一夫多妻であることが多いのですが、中央に取っ手のようなものが付いているのが第一夫人。取っ手が無いものは第二または第三夫人など。既婚中はこの重い鉄のネックレスをはずすことなく身に付けなければなりません。そして、万一、夫に先立たれ時は、はずさなくてはならないのです。マリッジ・リングならぬマリッジ・ネックレス。ネックレスといっても、それはかなりの重量感ですよ。日本人なら確実に肩がこる代物です。
こちらは第一夫人。
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女性が4人並んでいますが、左2名は第一夫人、右2名は第二もしくは第三夫人か・・・。
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未婚者はこのネックレスをしていません。
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しかし、最近はこの風習を誰しも必ず守っている訳ではないのです。どの民族もそうだと思うのですが、昔からの習わしは、時代の流れと共に確実に変化しつつあるのかもしれません。
ダンスの会場から更に広い場所へ移り、メインイベントへ向けて、お祭りは佳境を迎えます。この日のために髪型をセットした人々は、顔にペイントを施し、続々と牛跳びの会場へ。
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こんなシブイ長老が見守る中、こうして牛達が並べられていきます。
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そして、皆が見守る中、一糸まとわぬ18歳の少年が、ジャーンプ!!
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おーーーっと、途中で落ちちゃいましたよ。大丈夫でしょうか?再び牛の背中によじ登って続行。しかし、余りの足の痛みに顔をゆがませています。何とか4往復を成し遂げたその少年は、激痛に顔をしかめ一歩も歩けません。もしかしたら、足を骨折してしまったのかもしれません。
これは想定外の出来事。 しかし、旅にはそんなハプニングもあります。その後、お祭りの盛り上がりは一転し、彼の周りには、地元の人、観光客がわらわらと集まり、足の治療へ当たることになりました。たまたま観光客の中に医師がいて、応急処置を施した後、少年を車でどこかへ運んで行きました・・・。私達を含む残った者は、なんとも煮え切らないままに解散。あの少年はどうなったのでしょう。
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翌日、ハマーの村の一つを訪れました。そこでビックリ!! 昨日、足を負傷したあの彼がいるではないですかっ!?髪の毛は短く刈られ、牛皮の服を着用し晴れ晴れとした笑顔。この2つの特徴はハマーでは大人として正式に認められた証なのですが・・・、おまけに今日は普通に歩いてるーって、え~っ!?
大事に至らず、それはとっても良かったのですが、昨日の出来事は夢だったのでしょうか?ご馳走用の牛やヤギを解体しているお祭りモードの村から、何とも複雑な気持ちでロッジへ戻ったのでした。これから彼は財産を蓄え、近い将来、結婚できる日のために準備を始めます。その晴の日には、こんな事態にならないことを心から願います。
そして、エチオピア最南西端の「オモラテ」という町。ケニア、スーダン国境までそれぞれ20km弱ということで軍の施設があり、のんびりした田舎でありながらも、どこか張り詰めた空気の漂う場所です。このオモラテから船でオモ川の対岸へ渡ると、『ゲレブ』(または“ダサネッチ”)と呼ばれる人々の村に到着します。川渡りはこんな感じです。
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ゲレブの住む場所は、すぐ目の前に川が流れる谷の一番低いところ。川の最終地点、トゥルカナ湖とほぼ同じ標高の低地であるためか、どこよりも暑くて埃っぽい土地です。彼らも半牧半農ですが、牧畜の割合が高く、エチオピアが社会主義政府であったここ10~20年前まで、牛の餌場をめぐり、ハマーやカロとの部族間同士の争いが絶えなかったのだそうです。現在はこの問題に政府が介入しているので、死闘の争いには至りませんが、今でもハマーとは犬猿の仲なのです。
カロもそうでしたが、ゲレブもオモ川で漁をします。しかし、オモ谷に住む民族の間では、昔からこの川での漁はタブーとされてきました。その理由は諸説あるらしいのですが、川は生活に欠けがいの無い水を運んでくれる神のような存在だから、神聖な川に生息する魚を食すことは許されなかったのか?それとも、川魚には寄生虫がいる可能性があるので、食べると身体に害をもたらす危険があるということを、昔から知恵として伝えられてきたのか?もし本格的に研究している方がいたら、是非、そのご意見を拝聴してみたい興味深い事がらです。
ゲレブの人々。
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ゲレブの家は、基本的に木や葉っぱ、皮などで作られた簡素なものですが、一部、トタン板が使われたものがあります。これは、トタン部分が多いほど裕福な証なのだそうですが、この炎天下の土地では、木や葉っぱ、皮の家の方がよほど涼しく快適だと思うんですがね。
そして、こちらはゲレブと仲の良い『エルボレ』という民族。農業に比重を置き、イスラム化している人々が多いのです。ターバンっぽい布使いがそんな雰囲気を醸し出しています。
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以上、駆け足でご紹介したオモ谷に住む民族。彼らの魅力はここでは書ききれません。そして、当たり前ですが、その時々で出会える人々、置かれている状況は、太古からの伝統、文化を引継ながらも少しずつ変化を遂げています。今現在の、今だからこそ感じることのできるオモ谷の民族の魅力を、是非、皆さんも直接体感してみてください。
今野