コートジボワールの外国人の就職事情 5

コートジボワールの外国人の就職事情 5

前回の4では、アフリカ系外国人、フランス語圏のモーリタニア人とニジェール人を紹介しましたが、今回はブルキナファソ人やマリ人に焦点を当ててみたいと思います。

ブルキナファソ人やマリ人がもしいなければ、コートジボワール経済は回るのかどうか、というぐらい津々浦々までいます。
ブルキナファソ人やマリ人はアビジャンなどの大都市では住宅、学校などの警備員、お手伝いさんのなどの職種は圧倒的に多いです。
アビジャンに駐在する日本人家庭の多くは、ブルキナファソ人のお手伝いさん(主に男性)が人気でした。国民性もおだやかで、日本人とはウマが合いやすいのかもしれません。
地方に行くと、カカオ畑やコーヒー畑の労働者はブルキナファソ人かマリ人と相場が決まっていました。特に70年代から80年代のミラクルイボワリアン(象牙の奇跡)の際には、プランテーションや工場労働者として、多くのブルキナファソ人やマリ人がコートジボワールにやってきて、家族を呼びよせたり、コートジボワールで子供が生まれたりしました。
コートジボワールはそうして、総人口のうち25%程度を外国人(ほとんどはアフリカ系外国人)に占められていったのです。
そのことがやがて、景気低迷の後に深刻な社会不安、しいてはクーデター、内戦へのきっかけを作りました。そのことはまた機会を改めて書きたいと思います。
画像はポールブエ地区で開かれていた巡回セメント教室の画像で、セメントメーカーによるセメントの使用方法を教えています。
セメント教室1
セメント教室2
セメント教室3
セメント教室4
by 虎