歴史あるフリーダム・スクウェア
ソウェトと、旧カラード・タウンシップのエルドラドパークとの間のクリップタウンに、ウォルター・シスル・スクウェアという広場があります。ここはソウェトの淵(外側)にあたり、アパルトヘイト時代でも、黒人、白人、インド人などが入れる場所でした。
そのため、1955年6月26日、アフリカ民族会議(ANC)を中心として、南アフリカ・インド人会議、南アフリカ・カラード人民機構、民主主義者会議(ほとんどが白人)、南アフリカ労働組合会議の各団体代表者3,000人が南アフリカ中から集まり、人民会議でフリーダム・チャーター(自由憲章)を採択した場所として、フリーダム・スクウェアと呼ばれていました。(泊まりがけの集会でしたが、翌27日に警察に解散させられたそうです)。
政府が大改造してウォルター・シスル・スクウェアに
私が2001年にソウェトに入り始めたころのフリーダム・スクウェアはただの空き地で、隣接した商店街クリップタウンのためのタクシーが集まっているという感じでした。横を通る時に、ツアーガイドから「この場所でフリーダム・チャーター云々」という話を聞かされる程度でしたが、2004年の選挙の前に、政府が大金を投じ、この広場を大改造しました。
ゼネコンにコンクリートで固めさせ、グレート・ジンバブウェ遺跡にあるコニカルタワーを模したモニュメント(その中に自由憲章が書かれている)、自由憲章の10カ条を表すつもりの10本のピラー(言われないと意味は分らないが、言われても大金を投じた意味が理解できない)、コミュニティー・ホール、4星ホテル(開業当時はホリデイ・イン・ソウェトで、今はソウェト・ホテル)などを建て、店舗スペースを造りました。
路上販売していたおばちゃんたちは追い出され、販売場所を作って利用料を徴収するようにし、観光客が来ると目を伏せて仕事をしているフリをして案内したがらない職員のいる観光案内所もできました。そして、その名称は、ANC長老達のご機嫌取りの様に、ANCのリーダーであった故ウォルター・シスル氏に捧げる広場と変えられたのです。
線路を渡った所にあるスクウォッター・キャンプのNPOで活動しているメンバーは、大手ゼネコンが外から労働者を連れて来て建設しているのを横目で見て、これはディベロップメント(開発)ではなく、単なるビルディング(建設)だ、地域には何ももたらさないと不満を言っていたのを今も思い出します。
時間があれば自由憲章関係の博物館へ
観光案内所の愛想の無さもあり、時間にゆとりがないソウェト・ツアーではわざわざ立ち寄る所とも思えず、ここにある自由憲章関係の博物館も以前は素通りしていました。しかし、こちらに来て何年も経ってアパルトヘイトの歴史も以前よりは知ったせいか、昨年立ち寄ってみたら、この博物館も中々捨てたものではないと見直してしまい、最近では時間があればソウェト・ツアーの途中で立ち寄るようにしています。
自由憲章は、アパルトヘイト政策に抵抗して、全人種平等の民主主義(リベラリストからの共産主義的という批判などもあったが)をうたい、そのために当時の政府はそのメンバーの中からネルソン・マンデラ、ウォルター・シスルを含む156人を逮捕して、反逆罪で告発しました。この自由憲章が、ANCの基本理念になり、今のこの国の民主主義憲法の元となったのです。(反逆裁判に関しては、ヨハネスブルグのニュータウンにあるミュージアム・アフリカに展示があります。アパルトヘイト博物館にも自由憲章の展示はありますが、あまり詳しくはありません)。
ソウェト(Soweto) 南アフリカ共和国ハウテン州ヨハネスブルグ市にある地域。地名の由来は“South Western Townships”(南西居住地区の短縮形)。アパルトヘイト政策によって迫害されたアフリカ系住民の居住区として知られる。観光では、ソウェト蜂起の際に警官に射殺されたヘクター・ピーターソンや反アパルトヘイト運動を率いたネルソン・マンデラの記念館が有名。