アフリカ大陸の赤道付近には熱帯多雨林が広がっている。南米アマゾン川流域とならぶ世界でも屈指の熱帯雨林地帯である。森の一番奥深い場所には狩猟採集を生業にしているピグミーと呼ばれる人たちが暮らし、その周辺部に拓かれた村落には農耕民が生活している。
一時期、僕はコンゴ民主共和国の森に暮らすムブティ・ピグミーのもとへ通いつめていたことがあり、そのときは持参したテントを張って一緒に狩猟に参加しながら撮影を続けていた。食べものや生活に必要な物資の大半を森から調達してくるムブティの自然流の暮らし方に、若かりし頃の僕は大いに感化され、また考えさせられたものだ。
やがてそれまで住んでいた東京を離れて、自給自足というライフスタイルに一歩でも近づくため、大分の農村に移り住んだのは今から16年前のこと。完全な自給はまだまだできてはいないが、それでも家族が腹いっぱい安心安全なお米を食べられる程度にはそれなりにキャリアは積んだと思う。
ムブティの暮らしから僕は本当にたくさんのものを学んだ。食べものを自分で調達するというのはそのひとつだが、彼らの社会のあり方で最も印象深かったのは子どもたちの姿だった。森の中には当然、学校などない。しかしどの子どももたいへん利発で、実によく大人の言うことを聞き、手伝う。自分の要求を満たすために泣き喚いたり、ダダをこねたりする姿にはついぞお目にかかれなかった。
男の子も女の子も七、八歳になると大人と一緒にカモシカなどを捕まえる猟に出る。とはいっても、大人たちについていくだけだ。しかし獲物がいる場所では、物音をさせない慎重な言動が必要となるが、子どもたちは大人の真剣な表情に呼応して草陰で微動だにせず無言のまま待つ。日本のこの年齢の子どもにできることではないだろう。そして大人たちの罠のかけ方、獲物への近寄り方、飲み水のありか、槍を振り下ろすタイミングなどを目の当たりにするのである。
野営場では、狩猟用の網を補修する手伝いをしたり、弓矢を手にして遊んだり、捕獲した動物の解体を任されたりする。女の子は母親と一緒に調理の手伝いをし、水汲みにも行く。弓矢には毒も塗りつけるからたいへん危険なものだが、大人たちは注視しながらも取り上げたりはしない。危険なものであっても大人になったら必要になるものだからだ。子どもはそうして生きるための術というものを学んでいくのである。
写真・文 船尾 修さん
船尾修さん 1960年神戸生まれ。1984年に初めてアフリカを訪れて以来、多様な民族や文化に魅せられ放浪旅行を繰り返し、写真家となる。[地球と人間の関係性]をテーマに作品を発表し続けている。アフリカ関連の著書に、「アフリカ 豊穣と混沌の大陸」「循環と共存の森から」「UJAMAA」などがある。最新作の「フィリピン残留日本人」が第25回林忠彦賞と第16回さがみはら写真賞をW受賞した。 公式ウエブサイト http://www.funaoosamu.com/