先日ある雑誌への原稿を書くために、書棚にあった岩波文庫の「海神丸」という本を読み返していた。もう何十年も前に読んだ小説なのだが、なぜ再読したかというと作者のことを記事にしなくてはならないからであった。
作者の野上弥生子は大分県の臼杵市の生まれ。文化勲章なども受賞している作家なので郷土では有名人で、記念館もある。彼女の生家は臼杵市の大きな造り酒屋で、その分家はフンドーキン醤油という大分県民なら知らぬ人はいないという大会社だ。
それはともかく「海神丸」は野上弥生子の代表作のひとつで、僕も再読しているうちにあらすじの記憶がよみがえってきた。この小説のモデルは大正時代に臼杵周辺で難破した実在の船舶である。57日間漂流し続けたという記録が残っている。
結果的にこの船は救出されるのだが、乗組員がひとり死亡した。そしてそのひとりはどうやら他の乗組員に殺害され食べられたという噂が広がった。野上弥生子はそれがほぼ事実であったことをひょんなことから知り、創作欲をかきたてられたと言われている。実際に本書を読むと、極限状況に置かれた人間がどのような心理状態に陥っていくのか、思わず文章にぐいぐいと引き込まれていく。やはり名作なのだった。
そのとき思い出したのが、「そういえば南アフリカで難破船を見たことがあったな」ということだ。話が思い切り飛んでしまい申し訳ないが、それは喜望峰にほど近い海岸だった。シップレック・トレイル(難破船のトレイル)と名付けられていたが、岩がごつごつ露出した海岸線を歩くというもので、トレイルそのものがあるわけではなかった。
とにかく風が強かった記憶がある。喜望峰は1488年にポルトガル人のディアスによって発見されたとき、あまりの風の強さに最初は「嵐の岬」と名付けられた。実際に喜望峰を訪れたことのある人なら知っていると思うが、台地状にせりあがった断崖には波が音を立てて打ち寄せている。
古い記録によれば、「発見」から300年ほどの間に20数隻の船がこの近辺で難破したという。トレイルを歩き始めてすぐに砂浜に半ば埋もれた難破船を見ることができた。鉄骨だったのでそんなに大昔のものではないかもしれない。調べてみると、戦時中や戦後も結構このあたりで難破した船があるようだった。原因は強風と濃霧だという。この人たちは無事に生き延びることができたのだろうか。それとも……。
文・写真 船尾 修さん
船尾修さん 1960年神戸生まれ。1984年に初めてアフリカを訪れて以来、多様な民族や文化に魅せられ放浪旅行を繰り返し、写真家となる。[地球と人間の関係性]をテーマに作品を発表し続けている。アフリカ関連の著書に、「アフリカ 豊穣と混沌の大陸」「循環と共存の森から」「UJAMAA」などがある。最新作の「フィリピン残留日本人」が第25回林忠彦賞と第16回さがみはら写真賞をW受賞した。 公式ウエブサイト http://www.funaoosamu.com/