2012.01.02発 トーゴ・ベナンの民俗と文化そしてブードゥーの祭典 12日間

毎年1月10日に西アフリカ・ベナンで開催される、ブードゥー教(現地ではヴォドンと呼びます)最大のお祭りを訪ねるツアーの添乗に行ってまいりました。
ハイライトのひとつは、そのお祭りなのですが、もうひとつ、この地域で面白いのは2カ国それぞれ多様な民俗性。
アフリカの地図があればぜひ見ていただきたいのですが、ベナンもトーゴも南北に長く、例えばトーゴは、ギニア湾に面した東西が70kmなのに比べて、南北は約550km。
それだけに気候も自然も人も宗教も南北でたくさんの違いが見られます。
トーゴの首都ロメからスタートしたツアーは、まずは北上。
南部地域では、エヴェの人たちの村、学校、マーケットなどに立ち寄り、エヴェのダンスも見せてもらいました。
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2日目には山がちな景色が続き、民族もアナ、コトコリ、そして西アフリカで多く出会うフラニやハウサの人たちが混じってきます。
マーケットで見かけるものも、カラバッシュ(ひょうたんの一種)や、ビサップ(ハイビスカス。お茶やジュースになります)などが目に付くようになり、文化の違いが見えてきました。
そして翌日はいよいよトーゴのハイライトでもあるクタマクの村へ。
世界遺産でもあるこの村は、タンベルマと呼ばれる民族が住む要塞のような家’タキエンタ’が有名です。
要塞の役割を果たしていただけあって家の中には入りにくく、また中も決して開放的とはいえない、複雑なつくり。屋根の上には見張り台もあり、敵から身を守るためによく作られています。
もちろん現在では、伝統を守るために作られているのですが、意外にもその集落はかなり広い範囲で、’要塞’の村に車が迷いこんでしまったようでした。
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タンベルマの人たちは、ベナンとの国境にまたがって住んでいるのですが、ベナンに入ったとたんに、その名前はソンバ、そして家は’タタ・ソンバ’と呼ばれています。(続いている集落にも関わらず、世界遺産に登録されているのはトーゴ側のみです)
ついでながら、トーゴとベナンは1時間の時差があり、ベナンに入ったとたんに「え、もう19時?」ということになってしまい、夕食の時間が遅くなってしまうと、ホテルに急ぐことになりました。
ベナンに入国してからは、再びギニア湾を目指して今度は南下です。
トーゴ同様、北部のほうは山がちな地形で、南部に比べると、乾燥し、岩も多い過酷な環境に住む人が多いわけなのですが、その土地、土地に馴染み、伝統を守りながら暮らす人々がいるのだと、あらためて感じました。
ベナンも南部に近づいてくると、ブードゥー教の寺院、祭壇などが目に付くようになります。
ヴォドンの神様は、日本と同じ、八百万の神様。雷の神様、ヘビの神様、鉄の神様などなどあり、皆それぞれの神様を信仰し、町や村のいたるところに神像や神社があります。
しかも銅像だったり壁に描かれる神様、人、動物はデフォルメされていて、ポップで可愛いものが多く、何となく親しみをもてるのが特徴です。
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ブードゥー教とは深いつながりがあるのが、ベナンで栄えたダホメー王国。
このツアーでもダホメー王国の王都であったアボメーで、王宮(現在は博物館)を訪ね、歴代の王の繁栄と、ブードゥー信仰についても垣間見ることが出来ます。
ツアーの後半は、ベナンの海岸地域へ向かうに連れてブードゥーの存在感をより強く感じていくことになりましたが、そのクライマックスになったのが1月10日の祭りでした。
ベナンは、ブードゥーの発祥地でもあり、特にさかんな南部ではいくつかの聖地がありますが、一番に挙げられるのが海岸沿いにあるウィダ。
祭り当日は、ビーチに設置されたステージを中心に、指導者たちの入場から始まり、神様達が代わる代わる登場して踊りを披露。
大きな、わらを被った’ザンベト’はぐるぐると激しく回り、写真を撮ろうとしていた私も何度もぶつかりそうになりましたが、死者の魂と言われるザンベトには絶対に触れてはいけないようです。
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集まった人たちも、お揃いの衣装を着て踊る人たち、輪をつくって儀式をする人たち、子供を背負った売り子たちなど様々で、独特の雰囲気が非常に面白いです。
地元の人々が思い思いに盛り上がる一方、来賓席には、ベナンの大臣、各国大使、そしてベナンを代表するアーティスト、アンジェリック・キジョまで並び、国を挙げての大きな祭典であることを感じました。
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そして街中には神様たちが練り歩き、広場では神様たちが踊り、人々を追い掛け回していて、これがまた地元のお祭りというノリで楽しめます。
人々を愕かすような、その風貌や立ち振る舞いは、日本の獅子舞、またはナマハゲのような感じでしょうか。
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一部ではおどろおどろしいイメージもある’ブードゥー教’ですが、日本人が昔から信仰してきた自然崇拝と同じで、しかも’神様’を見ている限り、ユーモラスに溢れた平和な宗教という印象でした。
中南米でも信者の多いブードゥー教だけに、最近ではこの祭りに訪れる観光客も増えつつあるようです。
それでも街の広場で神様達が踊り、現地の人たちが盛り上がる様子を見ている限りは、やはりベナンの人たちのための貴重な祭りであり、またこれからもそうであって欲しいと願いつつ、ウィダを後にしました。
紙田

南アフリカ、プレトリアで見られる満開のジャカランダ並木

関東でも桜が満開の場所が徐々に出てきました。
弊社東京本社の向かいの春日神社の桜も、今日でほぼ満開となり行き交う人々の目を楽しませています。
外国からの観光客の方々のうち、多くの方々がこの時期を狙って日本への旅行を計画するそうです。そのお目当てはもちろん満開の桜。もしかしたら、その桜の下で春を祝っている酔っ払った日本人(もちろん酔ってない人もいるでしょうが・・・)を見ることの方が興味深いのかも。
私達の業界でも、イベント開催に合わせるのは、ツアープランニングの王道中の王道ですが、アフリカでも「ヌーの川渡り」に代表される自然現象や、お祭り、音楽コンサートなど沢山のイベントがあります。もちろん、春の到来を告げる「花」の開花も。

写真は南アフリカはプレトリアで見ることができる、満開のジャカランダ並木。開花の時期は10月ですが、南半球の南アフリカでは春にあたる時期で、ジャカランダはちょうど日本の「桜」のような位置づけになるのでしょう。
紫のトンネルのようになる「満開のジャカランダ」をまだご覧になっていない皆さん、一度見に行ってみてはいかがですか?
南アフリカのツアー一覧はこちらです。

アフリカ、モザンビークの首都マプト

昨日の問題の答えは「マプト」。モザンビーク共和国の首都です。良い意味で”田舎っぽい”モザンビークに、こんなオシャレな駅があり、しかも設計はあのエッフェルだったとは、初めて訪問した時にはちょっと驚きました。
モザンビークは、ポルトガルによる植民地化→独立戦争→内戦(~1992年まで)という一連の苦難の歴史を経て、内戦終結後初の大統領として活躍したシサノ元大統領の政治手腕や、南アや日本の資本投下により、年間8%という素晴らしい経済成長率で復活した、これからが非常に楽しみな国です。
”田舎っぽい”とは言いましたが、アフリカ最高のビーチ(個人的見解ですが・・・)を擁し、世界遺産のモザンビーク島などの文化的見所もあり、人々も気さくで素朴という、見所の多い国です。
何と言っても、モザンビーク海峡で獲れる魚とエビ!!絶品です!

古き良きアフリカの素朴さが残るモザンビーク。
まだ訪れたことがないという方、ぜひモザンビークへ!

3/31 アフリカカルチャー講座 春の特別版 「3000年の歴史が息づく国・エチオピアの魅力」

ご好評をいただいている大使館との共同企画イベント。
今回はエチオピア大使館にて、エチオピアの観光の魅力、文化の紹介、そしてエチオピアといえば!のコーヒーセレモニーをおこないました。
アフリカでも最多の9箇所の世界遺産をもつエチオピアは、観光資源がとにかく多いため、今回、北部、南部、東部、西部とわけ、それぞれの見どころを写真とともにご紹介しました。
レクチャーの合間には、皆さんに淹れたての美味しいコーヒーを味わって頂きました。コーヒーセレモニーをして下さった女性の周りには、緑が敷かれ(現地では草が使われます)、乳香が焚かれて、コーヒーとともにいい香りが部屋いっぱいに広がります。
コーヒーを頂く前には、アンバシャ(パン)、コロ(麦や豆を焼いたもの)といったエチオピア独自のスナックも振舞われましたが、こんなところもまるで日本の茶事のようで親近感が持てました。
大使館のロザさんからは、エチオピアの人にとってコーヒーが非常に身近な存在であること、各家庭で毎食後、それ以外でも頻繁に淹れたてのコーヒーを味わうことなど、コーヒーにまつわるお話もしていただきました。
最後は、ロザさんによる、エチオピアのいくつかのフェスティバル、民族とその伝統衣装、髪型などのお話がありました。
わかりやすくたくさんの写真も見せて頂き、短い時間ながら、エチオピアの文化の多様さを感じていただけたのではないかと思います。
多忙なスケジュールの中、会場に駆けつけて下さった大使、そしてレクチャーのために早くから準備をしてくださったロザさん・・・誠実な対応に、私達スタッフもエチオピアの人たちのホスピタリティーをあらためて実感しました。
そして、悪天候の中、お越しくださった、参加者の皆様、本当にありがとうございました!

質問です。

突然ですが、質問です。
さてこの写真、アフリカ南部のある国の首都にある「駅」なのですが、どこの駅かわかりますか?
因みにこの駅の設計者、何とあのパリのエッフェル塔を作った(設計した?)ギュスターヴ・エッフェルなんです。
街自体にも、コロニアルな雰囲気の残る美しい街路が残っています。
答えはこちらです!