ケニア・タンザニア・サファリ 14日間

久しぶりに2カ国をまわるコースが復活!世界遺産のンゴロンゴロ、セレンゲティを含む5つの公園を巡る大移動の14日間。果たして移動距離はいかほどに。全3回のレポート、今回はケニアのアンボセリ、タンザニアのンゴロンゴロが舞台。
日本を出発してから3日目
朝、高原の大都市ナイロビを出発。肌寒い。アンボセリへ車を走らせること約4時間。ロッジでの昼食時の話題は、アンボセリの代名詞“キリマンジャロとゾウ”の2ショット。夕暮れ前、最初のサファリへ。雨季の終わりの6月半ば、キリマンジャロは厚い雲にすっぽりと隠れたまま。傾いていく太陽をうらめしく思っているとドライバーが「もうすぐ見えるよ」と優しく声をかけてくれる。それでも時間は過ぎていく。
たわむれる小象たちを発見。「ほら、いきますよ」とおかあさん。小象はおっぱいをせがんでいました。微笑ましい象の一家の姿に、気をとられていると・・・「見えた!」。参加者の強い思いが通じたのか、アフリカ最高峰がその姿をあらわした!!
01
4日目:アンボセリ→ンゴロンゴロ自然保護区へ
アンボセリのゾウたちに別れを告げて、この日は国境をこえてタンザニアのンゴロンゴロ自然保護区へ。サファリをしながら辿り着いたのは、国境の町ナマンガ。出入国手続きを済ませ、そこからタンザニア・サファリの拠点アルーシャまでは約2時間30分。アルーシャのホテルで昼食をすませ、ンゴロンゴロへは約4時間弱のドライブ。アルーシャから続く舗装道の中でも、途中の日本の支援で建設されたマクユニからンゴロンゴロゲートまでの道路は、特に快適。
大地溝帯の底から駆けのぼるサファリカー。植生の変化を楽しみました。標高が上がるのに伴い気温も下がり始め、緑豊かな森に囲まれたンゴロンゴロゲートを通過する頃にはフリースの出番。ロッジがあるンゴロンゴロクレーターの縁は、標高2,000mを超えるため、朝晩は結構冷えます。
5日目:世界遺産 ンゴロンゴロ自然保護区にてクレーターサファリ
02
この日は、平均500mの高低差がある断崖を一気に4WDで降りていきクレーターの底へ。シマウマ、ヌー、ライオン、バッファローたちが出迎えてくれました。ンゴロンゴロでの目玉は、アフリカ全土で絶滅の危機にあるクロサイ。現在クレーター内のクロサイの生息数は約30頭。もっともクロサイと出会うチャンスのある場所ですが、残念!今回は遭遇できませんでした。楽しみは次回ということでしょうか。
クレーターでのサファリを終え、目指すはもう一つの世界遺産、セレンゲティ!!
その2へつづく
土手

ふれあいウォーキング!カーボ・ヴェルデの休日11日間 その2

サント・アンタン島は今回のツアーのハイライト。
つまり、この島に滞在し、島で’ウォーキング’をするのです。
サント・アンタン島を始めとしたカーボ・ヴェルデのいくつかの島は火山島。地形は山がちで、必然的に歩くコースも’登る’か’下る’のが多くなります。ツアーご参加の皆さんから「これはウォーキングではなく、トレッキングでしょ」とのお声の通り、山道をひたすら登ったり、下ったりがなかなか長い道のりです。それでも4日間歩いたうち、1日は海岸線(ここにもアップダウンが多いですが)を歩いて、海風に当たることもありました。大西洋です。
01
雨の降らないカーボヴェルデの島々では、水は貴重です。山の斜面に段々畑が広がり、所々に小さな貯水プールがあり、斜面の下のほうまで引かれた水路を伝わって畑に水が供給されるようになっています。そして段々畑は、水や栄養が流されないように、きっちりと石の枠によって整地され、さらに人や家畜が通る山の斜面はずっと石畳が敷き詰められているのです。もちろんこの石積みの作業はすべて人の手によるもの。決して恵まれていないこの土地で、人々が生きていくための地道な努力が感じられます。石積みを見るだけでもその丁寧な仕事ぶりがわかり、カーボ・ヴェルデの人の真面目さが伝わってくるのです。
02
それにしてもカーボ・ヴェルデの人たちの穏やかさと温かさ。彼らの表情がいいので、時々写真を撮らせてもらうのですが、誰もが「オブリガード(ありがとう)」と言って相変わらずニコニコ。何を要求するわけでもなく、こちらのわがままを受け入れてくれるようなおおらかさがあるのです。
03
カーボ・ヴェルデは、実は音楽も多彩で魅力的です。’裸足の歌姫’と呼ばれるセザリア・エヴォラを代表する、ちょっと物悲しさ漂うモルナ、ダンスミュージックのコラデラ、アップテンポのサンジョンなどたくさんのジャンルがあり、生活の中に音楽が生きています。
サンヴィセンテ島滞在の日は祝日(メー・デー)で、街のいたるところで音楽イベントが催され、私たちもコンサートへ行ってみました。ちょっとだけびっくりしたのは、時間の正確さと観客の反応。アフリカのいくつかの国でコンサートやライブへ行ったことがありましたが、たいてい開演予定時間よりは1時間、下手すると2時間以上遅れるのが当たり前です。そして観客が座っているのは最初のうちだけで、あとは皆立ちあがって踊りだすというのがお決まりパターンですが、なんとここでは開演予定時間に始まり、そして観客は最後まで着席のままで終了。こんなところでも大陸のアフリカとはちょっと違うカーボ・ヴェルデの文化の違いにふれた気分でした。
紙田

2010年4月 イエローストーン国立公園探訪

2010年4月30日(金)から9日間、イエローストーン国立公園探訪問のツアーへご一緒した9名様の内のお一人、お母様とご一緒されていた小学校3年生の佐川そのみさん(9歳)から 頂いたレポートです。
4月30日(金)
アメリカのボーズマン空港に到着後、現地ガイドのスティーブさんとリックさんに会いました。
車でロッキー山みゃくをみながら30分位行った時に、急にスティーブさん(スティーブさんは 日本語が上手です)が「オオツノヒツジ(ビッグホーンシープ)がいる」といいました。私は最初わかりませんでした。けれども、がけのところに大きい角をもったオオツノヒツジがいました。スティーブさんによると、オオツノヒツジにはなかなか出会えないそうです。なので、出会えてとてもうれしかったです!
ホテルはベストウェスタンマンモスという所に泊りました。
01 02

5月1日(土)
朝おきてみると、まどの外のイエローストーン川のむこうぎしにエルク(シカの仲間)がいました車で出発!初めてのイエローストーン国立公園に入りました。
少し行くと急に車がとまったので、「なんですか?」と聞くと、スティーブさんが「ブラックベアがいるよ」と言いました。見ると木の近くにブラックベアがいました。肉を食べているようでした。私は野生のクマをみたことがなかったのですごくうれしかったです!
また、車で走っていると、すごく人があつまっていました。スティーブさんによると、バッファローの死体があって、そのまわりにオオカミとヒグマがいるということでした。私は、そうがんきょうで見てみましたが、なんにも見えなくて、次にリックさんとスティーブさんのぼうえんきょうでみるとすごくよく見えました。その時にはヒグマが4頭くらいいたので、すごくラッキ~でした。
その次に、プロングホーンを見ました。プロングホーンはチーターよりはおそいのですが、チーターより長く走れて、1時間くらい走れるというかなりのしゅん足です。
夕食は近くのレストランでピザを食べました。
10 11

5月2日(日)
きのうのクマがいた場所に行きました。きのうは肉を食べているようだったのにほねが何にもなかったので、スティーブさんが「『ゆうれいグマ』だったんじゃない」といいました。おもしろかったです。クマがいた場所に行ってみると、クマのねどこがありました。クマのねどこの近くにはクマの毛がありました。また、少しおくに行くと、クマの足あともありました。クマの足あとは思ったより大きくてびっくりしました。
次に行くと人がいっぱいいました。なんだろうなあと見てみると、エルクの死体のところにオオカミが2ひきいて、ほかのところに親子のクマがいました。赤ちゃんグマを見られてとてもよかったです。
03

次にラマーバレーというところに移動しました。ラマーバレーでは、すごく大きいワタノキを見ました。木の根もとはビーバーによってかじられていました。
スティーブさんが「このへんにはアメジストや化石の木があるんだよ」と教えてくれたので、わたしはいっしょうけんめいさがしたのですが、化石の木しか見つけられませんでした。
04 05

次に、タワーフォールという滝を見にハイキングに行きました。
歩いていくと、スティーブさんが急にとまりました。何かなあと思ってみてみると、行く手に三頭の大きなバイソンが見えました。スティーブさんが「バイソンがしっぽを上げたらすぐににげてください。もしかしたら、おそってくるかもしれません」と言ったので、すごくこわくなりました。ドキドキしながら一歩一歩すすんでいきました。バイソンがこっちを向いたらストップというかんじですすんでいきました。バイソンから見えないはんいまでくるとまたそこからふつうに歩きだしました。
坂をのぼりながらスティーブさんがアスペン(シラカバに似ている)の木の話をしてくれました。木のみきには、くまがのぼったときのつめのあとが残っていました。さらに歩いていくと、タワーだきというたきがみえてきました。すごく高くてきれいでした。
06 07

帰ると中にキバラマーモットを見ました。キバラはおなかがきいろいということでキバラマーモットという名前になったそうです。車にかえってきたときはもうへとへとでした。だいたい6kmくらい歩きました。
帰るときにバイソンの赤ちゃんがいました。茶色くてとてもかわいかったです。そして、また帰ると中にビッグホーンシープのわかいむれを見つけました。さいしょ見た時のビッグホーンシープより小さかったです。
08 09

夕食は近くの中華レストランで食べました。
5月3日(水)
いろいろなことを見学しにハイキングにいきました!歩いていくとシカの角がありました。シカの角の根もとのところは、高くて(高価で)ベルトのバックルなどに使われるそうです。
少し行くと、バイソンのほねがありました。スティーブさんは、ほねを見ただけで、その動物が何のしゅるいかがわかったり、その動物がどちらの性べつか、その動物がなん才かがわかるのですごいなあと思いました。
12 13

どんどん進んでいくと、ねんがんのオオカミのすが見えてきました。このすは古くて、いぜんおくのほうがくずれてしまったそうです。私はすあなに入ってみました。入ってみると空気がひんやりしていて気持ちがよかったです。
ホテルに帰ってから研究者(ハーフペニー先生)の研究所に行きました。夕ご飯は研究所でBBQを食べました。ハックルベリーのアイスクリームとお肉がとてつもなくおいしかったです。研究者のあつめた足あとや角を見て帰りました。
14 15

5月4日(木)
川ぎしで砂金をさがしました。その他にも水晶もさがしました。水晶を見つけることができてうれしかったです。そのあとマンモスホットスプリングスというところで石灰石のテラスをみました。
今日からウェストイエローストーンにとまるので移動していると、と中に3才のクマを発見しました。川ぞいで遊んでいるようで、とてもかわいかったです。クマがいなくなった後、クマがいたところに行くと足あとがありました。私が足あとを見ていると、スティーブさんが「このクマは親ばなれしたばっかりだよ。理由はせいりの血があるからだよ」といいました。わたしは足もとを見ました。すると赤いものがついていたのでこれが血だなと思いました。
16 17 18

アッパー滝とロウワー滝も見ました。山をおりると温泉のけむりがみえるようになりました。コヨーテがいました。なぜかそのコヨーテは足をひきずっていました。私はだいじょうぶかなあと心配になりました。
この日は早くホテル(ホリデーイン)につきました。ホテルに着いたあとオオカミとクマの保護センターに行きました。たくさん雪がふってきましたが、近くでオオカミとクマを見られてよかったです。
夕方にヘラジカを探しにいきました。ヘラジカはみられませんでしたが、たくさんの鳥とビーバーとビーバーのダムを見ることができました。
夕食はホテルで食べました。
19 20 21

5月5日(金)
この日は間欠泉をいっぱい見ました。Old Faithful Geyserはすごいはくりょくでびっくりしました。そのほか私が一番感動したのは、間欠泉の中にある木です。間欠泉の中にある木は化石になっているらしいです!最後にmorning glory poolに行きました。すごく色がきれいだったです。
22 23 24

夕食は近くのホテルで食べました。
5月6日(土)
この日はプールなどを見ました。プールはバクテリアなどによって色がとてもきれいでした。
お昼ごはんを食べたところで、おみやげを買ってもらってうれしかったです。それから川ぞいにボーズマンに移動しました。
この日はリックさんとお別れの日でした。私は英語をならっていますが、そのれんしゅうのような感じで、とてもリックさんのことが好きになったので、お別れのときはさみしかったです。
ホテルはボーズマン・カモン・インというところでした。ホテルのフロントのよこにプールがあって、部屋のベランダからプールがよく見えました。
夕食はイタリアンレストランに行きました。
次の朝が早いので、私は部屋にもどりましたが、ほかの人はとった砂から砂金さがしをしました。
25
5月7日(日)
朝4時におきて空港に行きました。日本に無事に帰国しました。とても楽しいツアーでした。
動物やサファリがテーマのツアー・旅行一覧はこちら。

悠久の大地セレンゲティ 滞在型サファリ

2010年4月30日(金)出発の「悠久の大地セレンゲティ滞在型サファリ 9日間」へご参加の西裕子様から頂いたレポートです。お写真はこのツアーにご参加された吉岡康弘様に作品ご提供頂いております。
私達夫婦にとって新婚旅行以来、13年ぶりのタンザニア旅行だった。9日間という日程は、アフリカ旅行としては比較的短期間だと思うが、その替わり軽飛行機での移動や、セレンゲティ一カ所での滞在などで、無駄を省いた濃い内容であり、仕事を持つ身としては有難いプランだった。
今回のツアーは私達2名の他に2名(男性1名、女性1名)の参加で、添乗員は無し。最初は不安に思ったが、他の2名は私たち以上にアフリカ旅行の達人であり、旅行行程の要所については道祖神から説明を受けたので、出発してしまえば全く問題無かった。
ただし、現地ドライバーやガイドの方々と待ち合わせ時間や朝食準備等の確認を行う必要があったため、一人でもいいので英語が話せる人が必要だった。参考にしてほしい。
ナイロビから国境のナマンガを経て、アルーシャへ
現地ツアー会社の車に乗り、約6時間かけて移動した。 ガクン、ドウン、バーン!!車ってこんなに頑丈なのか、と感心するほど激しく揺れ、時には飛び跳ねながらひたすら到着を待った。大切なカメラをタオルに包み、膝に抱えて必死に守った。この荒れた道の激走もアフリカ旅行の醍醐味の一つだ。
アルーシャで一泊し、翌朝軽飛行機でセレンゲティ国立公園のセロネラへ
一時間のフライトの中で、天候にさえ恵まれれば蒼々たる名所を眺めることができる。オルドイニョ・レンガイ火山、エンパカイ・クレーター、ンゴロンゴロ自然保護区、マニヤラ湖国立公園などだ。私達は、幸い復路で素晴らしい景色を見ることができた。アフリカの広大な大地を堪能でき、大満足だった。
01 02 03

セロネラへ到着し、いよいよセレンゲティ国立公園のサファリへ
セレンゲティ国立公園でセロネラワイルドライフロッジに4連泊し、待望のサファリを堪能した。セロネラ周辺は動物が多く生息し、コンスタントに出会えると言われており、そこに滞在できるというのもこのツアーの有難いところだ。
04 05 06

ドライバーのTさんは、英語+時々日本語を話し、優れたサファリ・テクニックを持った人だった。
サファリのコツは、なるべく早朝に出かけることと、ドライバーに見たい動物を伝えることだ。この点について私達4名は意見が一致し、Tさんにまず毎日早朝サファリをお願いした。これはドライバーにとって負担も大きいはずだったが、4日間という短期間だからこそ引き受けてもらえたのだろう。
07 08 09

また、経験豊富なドライバーは、最近どの辺りにどんな動物がいるかを把握しているため、自分が見たい動物を伝えることで、100%ではないものの殆ど見ることができた。
ドラマティックだったサファリ
ヌーの大移動に遭遇
何万頭ものヌーがセロネラ付近に集まっていた。その中をサファリカーで駆け抜けたのだが草食動物とはいえ迫力が凄かった!ロッジにいてもヌーの声が絶え間なく聞こえていたが、4日目には殆ど聞こえなくなった。ケニアに向けて移動していったのだろう。この時期ならではの体験だった。
10 11 12

チーター親子との出会い
4頭の子供を連れたチーターに出会った。集まるサファリカーを警戒して、茂みからなかなか出てこない子供を、母親が「キャッ、キャッ」と鳴いて呼び続けた。15分ぐらい経ってようやく子供が順番に姿を現して、家族揃って歩き出した。4頭中、好奇心旺盛な1頭だけがサファリカーに気を取られ、なかなか家族に追いつかない。母親は何度も振り返って遅れた子供を気にかけ、兄弟のうち1頭が迎えに戻る等・・・動物園では見ることができないドラマを見た。
13 14 15

小雨期の特徴
5月は小雨季のため、出発前からとにかく天気が心配だったが、幸いサファリ時間を外して雨が降ってくれた。おかげで埃が少なく、暑さもかなりマシだった。むしろ早朝サファリは寒いぐらいで、登山用の雨具を手放せなかったぐらいだ。一日の気温差に対応できるよう、重ね着することをお薦めする。
16 17 18

また、この時期は草丈が高く、サーバルキャットやジャッカル等の小型動物を見つけにくかった。 ライオン頭の大型のネコ科も、寝転ばれると見つけることができない。 しかし風に揺れる草の中を歩くチーターやライオン、インパラの姿は本当に美しい! 乾季と甲乙付けがたい素晴らしさがあった。
19 20 21

短時間でサファリを堪能できる道祖神さんならではのツアーでした。個人的には、一カ所に滞在し大自然をじっくり味わいたいというアフリカ経験者にお薦めのツアーです。
末筆になりますが、道祖神のこのツアーの企画手配の方に、ツアーにご一緒したお二方に、感謝申し上げます。
「悠久の大地セレンゲティ 滞在型サファリ 9日間」ツアーページはこちら。
タンザニアのツアー・旅行一覧はこちら。
サファリ・動物がテーマのツアー・旅行一覧はこちら。

インドへトラに会いに行こう 8日間 後編

2日目、3日目も早朝から張り切ってトラ探しに出発。
私自身が前回このバンダウガルを訪問したのは2008年の5月だったのですが、その間いろいろとルール変更があり、前回行うことができたゾウに乗ってトラに近づくこと(エレファント・ショー)も、今回は1日貸切でなければならないらしく、その料金も非常に高く断念。
AからDまであるサファリのコースも限定され、1回に45台のサファリカーしか入園を許可されないという厳しいものになっていました。おかげでトラが増えている、と言えるのかもしれませんが。
以前より多少なりともやりずらくなったサファリに比べて、ロッジのタイガーズ・デンは、年々徐々にレベルアップしており、同じような内容のカレーだけだったものが、非常にバリエーション豊富になり(とはいえカレーはカレーなので、ちょっとつらい部分もあります)、スイートルームが増築され、プールができ、今回はアーユルベーダのスパまでできていました。
01
現場でころころ状況が変わることもあり、実際朝は5時45分から、夕方は15時45分からだったサファリの時間も、2日目のから15分早まった30分からのスタートに変更されたりもしました。
サファリは日を追うごとに収穫を増し、子連れの母トラ、公園ナンバー2のオストラ、4頭の親子連れが水を飲む光景などなど。私の隣のドライバーもかなり興奮気味で、カメラを貸すとゆうに50枚は撮っていたのが印象的でした。実は彼が一番喜んでいたのかもしれません。
私とは別の車に乗っていた方々は、ヒョウも目にしたそうです。ヒョウはトラよりも生息数が多いらしいのですが、アフリカの個体よりも、インドのものはさらに徹底した夜行性らしく、非常に見ることが難しい動物です。私の車の方も、同レベルに難しいナマケグマをあと数分の差で見逃したりもしました。
02
※上記4枚の写真は松本貴行様よりご提供頂きました。ありがとうございました。
トラは非常に厳しく自分のテリトリーを守っているため、気温が上がる時間帯にはテリトリー内の水場に必ず現れるようです。ですが、毎日微妙に時間帯は違うので、頼るはドライバーの勘と経験です。我々のドライバーも非常に優秀で勘の当たり外れは仕方ないものの、かなりの確率でトラを見せてくれました。
圧巻だったのはシカとサルのアラームコール(警戒の呼び掛け)がかすかに聞こえるのを聞きわけ、「15分だけ待ってくれ」と私たちに頼んだと思ったら、ほぼ15分後にトラが姿を現したことです。
03
初日はどうなる事かと不安だったものの、最終的には非常に大きな収穫のある、充実したサファリを終え、例年通りのインド国鉄「ゴンドワナ・エクスプレス」でデリーに戻ります。
列車は例年通りでしたが、お客様も思った以上に楽しみ、ゆっくりお休みになれたようです。2等エアコン寝台車で、ベッドシーツも配られます。さすがにインドらしい駅のホームの光景には唖然とされていた方もいらっしゃいましたが。
04
デリー到着後は駅近くのファーストフード店で朝食を済ませ、まだ暑さがピークに達していない午前中に市内観光に出発しました。
デリーでの見学先は、フマ―ユーン廟、クットゥブ・ミナール、ラージ・ガートの3か所。同じムガール帝国の王が作った有名な「タージ・マハール」のモデルになった、フマ―ユーン廟は変わらず美しかったです。
デリーの時間をかけると見所が多いのですが時間的には正味1日しかありませんので、この2か所の世界遺産と建国の父ガンジーにちなんだ場所がやはり定番です。15年前のインド貧乏旅行のきっかけが、映画「ガンジー」だった私には、ガンジーを火葬にした「ラージ・ガート」は何度行っても感動させてもらえる場所でした。厳粛さもなく記念写真を撮りまくるインド人家族には、ちょっと疑問でしたが。感じ方は違うのかもしれません。
観光後は、お土産屋さんに立ち寄り買い物。2年前にちょっと大きな買い物をした私を、売り子のおばさんはしっかり覚えていました。恐るべし、インド商人!
05
夜のフライトまでの短い間ですが、ホテルにチェックインして汗を流し、しばしのんびり。前回は8時間の遅れがあったインド航空ですが、今回は時間通りきっちりフライトし、時間より早く日本に到着。今回の移動手段は全てほぼスケジュール通り、安定していてスムーズに日程をこなすことができました。
ベストシーズンの3月~5月の3ヶ月間でピンポイントにトラを見に行くツアーですが、今回も最も暑い5月、サファリ自体は非常に収穫が多かったのですが、カレーばかりの食事と、お客様の健康管理には多少改善点があるような気がしました。その点に関してはインドは手強い国なので、仕方ないといえば仕方ないような気がするのですが。
この後、モンスーンが始まると、バンダウガルはクローズします。ドライバーが、「来年を寝て待つよ」と言っていましたが、来年の3月~5月まで、しばしトラとはお別れです。
羽鳥