2010.08.08発 コンゴ・神秘の森 ヌアバレ・ンドキ国立公園探索14日間 その1

アフリカ中央部には、南米アマゾンに次ぐ世界で2番目の規模の森林が広がっています。そこには植物・生物ともに豊かな自然が残っていますが、近年、森林伐採業の影響で深い森にも人間の手が入り込み、環境が大きく変わってきています。しかし、コンゴ共和国の北部、カメルーンと中央アフリカと国境を接するヌアバレ・ンドキ国立公園は、周りを流れる河川のおかげか、人類の影響が及んでいない「地球最後の楽園」とも言われています。
01
道祖神では数年ぶりとなるヌアバレ・ンドキ国立公園訪問。地元の人々には悪霊の住む森(=ンドキの意)と呼ばれるこの森が、果たして天国となるのか、地獄となるのか!?パリを経由し、出発地となるカメルーンのヤウンデに私たちは降りたちました。
どんよりとした空の下、ヤウンデの交通渋滞を抜け、カメルーン南東部の森林地帯を行く。肌を通りぬけていく風はさわやかで、夏の日本からの訪問者にとっては避暑地のように心地良い。バカの人々の村やカカオ畑を眺めながら、深い森の中に伸びる赤土の道を行く。この赤土の道は一度雨が降り出すと極悪路へと変わる。帰り道ではどしゃ降りの雨に会い、地元のトラックがスタックしている場面も見た。私たちの車はランドクルーザーなので、安心。しかし、これを書いている私は、過去個人旅行でこの辺りをオートバイで走っていた際、大雨に遭い、ヒドイ思いをした経験があるので、お客様は皆さん悪路を楽しんでいらっしゃったが、添乗員は一人過去のことが思い出され、ずっと気が重かったのである・・・。この道は森林伐採業者が切り開いた道で、地図には載っていない。よくもまあこんなところに道を切り開いたものだ。果てしない人間のエネルギー。
02
ヌアバレ・ンドキ国立公園へのボートが出るリボンゴへ。この小さな町も森林伐採の拠点とするために作られた町で、木材加工工場が見える。
03
待っていたボートはとてつもなく大きな木をくり抜いた大型のピローグ。椅子は備え付けられていないので、キャンプ用の折りたたみ椅子に座り、いよいよサンガ河を下っていく。地元の漁師や小さな村の人々に手を振りながら、クルージングを楽しんでいると、前方に真っ黒な雲。と思った瞬間バタバタと大粒の雨に降られ、急いでカッパを着る。仕方がないので景色を楽しむことなく一行はずっと頭を伏せ、船底を眺めながらヌアバレ・ンドキ国立公園の入口でありメインキャンプとなる、ボマサへ向かったのであった。
04
日本からカメルーンへ飛行機で2日間、そして4輪駆動車でさらに2日間。揺られに揺られ続け、ようやく我々一行は、ボマサに到着したのであった。
その2につづく
佐藤

2010.07.29発 ボツワナキャンプ11日間 その1

日本から香港、ヨハネスブルグ、マウンと飛行機を乗り継いで、たどり着いたボツワナオカバンゴは、やはり期待以上の楽園でした。豊かな水量と、水色の絵の具を水に溶かしたようなどこまでも青い空。その向こうにギラつくこともなく、満々とオレンジ色を湛える大きな太陽。絵画の中にも見たことがない位美しい景色の中でのキャンプは、象さんが日常通っている道のすぐ横の空地(キャンプサイト)にテントを張ります。シャワー用テント、トイレ用テントも設営して、道中で拾い集めた薪の炎がキッチン用ガスです。キャンプ界では、これをブッシュキャンプと言います。
01
移動がない日も、移動の日も、毎日3時半頃からサファリカーでゲームドライブに出発します。
02
03
04
ゲームドライブでは、ケニアやタンザニアと同じように、象もヒョウもライオンもインパラもキリンも見ることが出来ました。但し、ボツワナでは有名な「泳ぐ象さん」とは簡単に遭遇できない様です。今年のツアーでは、「泳ぐ象さん」に出会えるでしょうか?
その2につづく
木下

2010.08.21発 南部アフリカ オーバーランド・キャンピング23日間 その1

オーバーランドとは、国境を越え、国をいくつもまたいでの旅のこと、特に長い期間をかけ陸路で走破する場合に、そう呼びます。
最近では、南米や北・中米などを舞台にしたものも多くあるようですが、もともと旅行用語?としては、伝統的なカイロ~ケープタウン(イギリス植民地のスローガンと同様ですが・・・)というルートから発生したようです。
アフリカという巨大な、変化に富んだ大陸を旅するには、まさにうってつけの方法ではあるのですが、このカイロtoケープですと、最短でも100日以上かかってしまうため、アフリカ大陸の中でも最もオーバーランドの旅に適した南部アフリカ4カ国(南アフリカ、ナミビア、ボツワナ、ジンバブウェ)をチョイスして作られた、現行のツアーでは弊社最長の23日間、しかもそのうち16泊はキャンプというツアーに同行させていただきました。
長丁場かつ盛りだくさんでしたので、レポートも長くなりがちですが、ポイントを絞ってお届けします。
ケープタウン到着!
旅の出発点はケープタウン。冬がそろそろ明けるかという時期で、灼熱の日本と比較すると非常に寒く、私たちの到着した日は激しい雨がときおり道路をたたく、どんよりとした肌寒い日でした。
雨にもめげず気を取り直して、到着した日しか観光の時間がないケープ半島に出発。個人的には訪問したかった『カーステンボッシュ植物園(固有種だらけの植物園で世界遺産)』は今回の予定に入っておらず、半日観光としては定番の喜望峰、ケープ・ポイントを巡り、サイモンズ・タウンのアフリカとは思えないオランダ風の街並みを車窓に眺め、ペンギンで有名なボルダーズビーチへ。
ケープ半島ではダチョウを目にしましたが、あまりの寒さと夕方だったせいもあり、すでにペンギンの皆様はご帰宅されたようで、普段ならごった返しているボルダーズビーチには3匹のペンギンしかいませんでした。残念!
「喜望峰」はあまりにも有名ですが、ヴァスコ・ダ・ガマとの関連で語られることが多く、ヨーロッパ人として初めて到達したバルトロメウ・ディアスの名前は日本の方には知名度が低いように思います。ヴァスコ・ダ・ガマがヨーロッパ人として初めて到達した、と思っている方も多いかもしれませんね。ディアスの船は嵐のせいで13日間漂流し、大陸最南端のアグラス岬に先に着いてしまい、ヨーロッパへの帰路に立ち寄ったのが歴史的事実、とご存知の方はさらに少ないのではないでしょうか?それゆえに当初は「嵐の岬」と名付けられていたらしいですね。実際に『喜望峰(Cabo da Boa Esperança=Cape of Good Hope)』と名付けたのは、報告を聞いて将来のポルトガルの繁栄を確信した国王ジョアン2世だったそうです。
ケープ・ポイントも喜望峰も寒く(フリースとカッパが要るほど)晴れ間は少ししかのぞきませんでしたが、これから北上し日に日に暑くなって乾燥していくだろうことを思えば、貴重な雨のケープタウンでした。
01
ナマクアランド~オレンジ・リバー
ケープタウン出発後は、珍しく晴れ上がった空をバックに霧に包まれたテーブルマウンテンを写真に収め、スーパーマーケットでビール・ワイン等の買い出しを済ませ、一路ナミビア国境に程近いナマクアランドの1都市スプリングボックへ向かいます。
これから春を迎える西ケープの穀倉地帯とワイン用のぶどう畑、入植者たちの苦労と勤勉さ(ともちろん使用人であった黒人達の苦労)を物語る非常に美しい農園風景を眺めながらひたすら北上します。
ナマクアランドといえば、8月中旬にデイジーをはじめとする600種類もの花が咲き乱れることで知られていますが、駐在員からの情報によれば、雨と日照時間が足らずほとんど咲いていないとのこと。とはいえ、ナマクアの花畑はこのツアーの見どころの一つでもあるので、それでも希望は捨てずに一面のお花畑を期待しました。が・・・やはり花は全く咲いていませんでした。自然が相手のため、仕方ないといえば仕方ないのですが、非常に残念でした。
このナマクアのキャンプ場が、今後長く続くキャンプの初日でしたが、ご参加者の方々は慣れている方もそうでない方も非常に飲みこみが早く協力的で、「協力して、なるべくご自身で張って下さい」などとお願いせずともテキパキとテントを設営していただきとても助かりました。夕食が出来上がる前からすでにたき火を囲んで一杯。食後も続けて一杯また一杯。キャンプならではの至福の時を思い思いに過ごされていました。
ナマクアでのキャンプは、まだケープタウンから1日の距離しかなくかつ乾燥した気候のため、夜と明け方はかなり冷え込みました。
翌日はナミビアとの国境オレンジ・リバーへ。このツアー随一の快適な芝生のキャンプ場でした。
このツアーの特徴は、オプショナルのアクティビティー参加が可能な訪問地では時間を取って、オプショナルリストの中から選択してアクティビティーに申し込めることですが、ここオレンジ・リバーではオレンジ川を下るカヤッキングにご参加された方々がいらっしゃいました。ダイアモンドをナミビアに輸出して(いるかのようにナミブ砂漠に運んで)いるオレンジ川をゆったり下るこのアクティビティーも結構楽しめたようです。
02
オレンジ・リバー~フィッシュ・リバー・キャニオン
3日間過ごした南アフリカを後にし、非常にシンプルな手続きを終えナミビアに入国。現地滞在21日間のうち9日間を過ごすナミビアはこのツアーのメインの一国で、非常にキャンピングツアーに向いている国でもあります。ナミビア初日のこの日は、ダートの道を走りに走って世界第2の大きさを誇る峡谷(第1はもちろんグランド・キャニオン)フィッシュリバー・キャニオンへ。この峡谷は温泉で有名でHOBASという街にはスパがあることで知られていますが、それとは別に峡谷を下った底にも、所々温泉が湧いている場所があるのですが、今回は時間もなく断念。残念でしたが、峡谷のサンセットにはなんとか間に合い、荘厳な日没の風景を目に焼き付けることができました。
世界で最も乾燥した場所の一つナミビアでのキャンプですが、南部のここフィッシュリバー・キャニオンではまだまだ朝晩は冷え込み、100%快適、とは言いがたいキャンプでした。が、ここまで数日間キャンプを続けると、1日のリズムのようなものができてきて、テント設営の手際もみなさんどんどん良くなり、コックの美味しい食事を十分楽しめる余裕も出てきました。
03
その2へつづく
羽鳥

2010.08.14発 湾岸西アフリカ4ヶ国訪問ダイジェスト15日間 その2

トーゴに入国し、英語圏の国からフランス語圏の国に変わった事も影響しているのでしょうか、少し雰囲気が異なったような気がします。道を走るバイクの数が増え、人々の着ているものも様々な生地を仕立てた、よりアフリカ色が濃いものへと変わってきました。実際には、トーゴでの滞在は1泊2日のみで、翌日には再び国境を越え、隣国のベナンへと向かうのですが、短いながらも、この国“ならでは”の一風変わったものをたくさん見る事ができたのではないかと思います。
01
まずは、ちょっと驚いてしまった方も多かったのではないでしょうか、到着日の夕方に訪れた首都のロメにある「呪術市場」です。何ともおどろおどろしい名前ですが、実際に市場で売られているものは動物の骸骨や干物、良く分からないハーブ(薬草)類に、奇妙な形のお守りや人形、誰がどう見ても怪しげな品の数々でした。ただ、こちらの人々に取って「呪術」とは「伝統医学」とでも言い換えれば良いでしょうか。「呪術」なんて聞くと、つい「呪い」とか「黒魔術」なんて不吉な単語を連想してしまいがちですが、私達にも漢方、鍼灸、気功といった「東洋医学」と呼ばれるものは、比較的に身近な存在です。「呪術(Fetish)」という言葉に訳するのが適当かどうかわかりませんが、彼らに取っても病を内側から治療する手段として、「呪術」と呼ばれるものが、迷信でも気の持ちようでもなく、はっきりとそこに存在しているものだという事は、(半ば無理やり)理解することができました。
02
翌日は、ベナンに向かう前にグリジと呼ばれる街に立ち寄りました。この街はガン人と呼ばれる人々が多く、「ヴードゥー教」の聖地の一つでもあります。トーゴとお隣のベナンでは、「ヴードゥー」と呼ばれる考え方が広く信仰されていて、ベナンでは国教となってもいます。先に訪れた「呪術市場」も、この「ヴードゥー」の考え方に依って、用いられる薬草やお守りを取り扱っている市場でした。「ヴードゥー」は、宗教と認識されることも多いのですが、確固とした教えや書物があるわけではなく、なにかしらの組織的な協会もなく、特に布教活動があるわけでもないので、人々の間での生活習慣・民間信仰といった方が良いかもしれません。自然崇拝、先祖崇拝、数々の神話に、儀礼など・・・そして何より森羅万象の様々な事物を神様と見立てて信仰する考え方は、日本の神道に似ているかもしれません。この西アフリカの土地だけでなく、カリブ海の島国であるハイチや、アメリカ南部のニューオリンズ等、またそこから移りすんだ人々を通じて、他の欧米諸国も含めて全世界で5千万人以上の人々に信仰されていると言われています。このグリジの街訪問は、そんな「ヴードゥー」世界に触れる入口のようなところでした。
03
さて、グリジを後にして、3ヶ国目のベナンへと向かいます。トーゴとは、言葉や通貨も同じですので、あまり別の国に来たという感覚がしません。国境越えは、例の如く現地スタッフの手伝いによって、非常にスムーズに終わりました。そして、ベナン入国後は一路、東へ。この日の目的地でもあるウィダへと向かいます。このウィダという街は、先に訪れたグリジと同じくヴードゥーの聖地であり、一説には発祥の地だとも言われています。海岸部に近い場所には聖地の森が広がっており、様々なヴードゥーの神様がそのイメージを具現化した姿で、森の中に佇んでいます。聖なる森に佇むヴードゥーの神々の像、なんて事を聞くとずいぶん神聖なものを想像しますが、何とも珍妙でおかしな姿をしたものが多く、とてもユーモラスな神様ばかりでした。
04
また、このウィダの街は奴隷の積み出し港としても、歴史に名を刻んでいる街です。かつて内陸から連れて来られた奴隷たちが鎖につながれ連れて来られたいくつもの街道が、ここウィダで一本の道となり、奴隷たちは海岸まで歩かされ、奴隷船によって新大陸へと運ばれて行ったという負の歴史を背負った街でもあります。1994年に、かつて奴隷が運ばれていった道は「奴隷の道」として整備され、その行く先の浜辺には「帰らざる門」という名のモニュメントが建てられています。門を抜けた先には、目の覚めるような紺碧の大西洋が飛び込んできました。今、自分が立っているこの場所が、人類史に傷跡を残した悲劇の場所だとは俄かに信じられないほど、碧く、爽やかにどこまでも大海原は広がっていました。
05
翌日は、ベナンで最も賑やかな街、コトヌーへと向かいます。この街では2連泊するので、そろそろ旅の疲れが出てきた方も、ゆっくり休んで後半戦に備える事ができました。コトヌーの街自体は、特にこれといった見所があるわけではないのですが、この街を拠点に、ベナンのハイライトとも言える2つの場所を訪問しました。まず、1つ目は「水上集落ガンヴィエ」、学校も病院もホテルもレストランも美容院も郵便局も、様々な施設が高床式の水上集落の中に建ち並び、大人から子供まで集落の人間全員が全員が自在に船を操り、生活していました。驚かされたのは、何といっても水上マーケットです。野菜やら、肉類、魚介類を満載した小舟を操りながら、おばちゃんたちが水上で大声で商談を交わす姿には、さすがに目が釘付けになってしまいました。
06
そして、2つ目の訪問地は古都アボメイです。ベナンの京都とでも言いましょうか。今は、政治や商業の中心から離れた静かな街ですが、かつて栄華を誇ったダホメー王国の王都だった場所です。日干し煉瓦を積んで造られたかつての王宮群は、ベナンで唯一のユネスコ世界遺産に登録されています。このダホメー王国こそが、かつて近隣の諸王国を滅ぼし、同胞でもあるはずのアフリカの人々をヨーロッパの奴隷商人に売り渡すことによって繁栄していた事を考えると、複雑な気持ちを抱かずにはいられませんでしたが、残された王宮跡とその展示の内容は素晴らしく、西アフリカ地域の中世・古王国時代に、いかに高度な政治文明と優雅な宮廷文化が育まれていたかを改めて実感させられました。
07
トーゴ、そしてベナンでは、私達日本人が普段あまりなじみのない歴史、文化、風習、色々なものを目の当たりにさせられ驚く事も多かったですが、あまりにも自分達とかけ離れた土地を訪ねる事で、当たり前の事に気づかされた様な気もします。自分達の日常生活ではすれ違う事もないような世界が、たった今この瞬間でも普通に過ごされていて、そんな世界にちょっとだけお邪魔するのは、何よりの旅行の醍醐味だと改めて思いました。最後に、賑わうコトヌーの街でマーケットの熱気と喧騒を味わい、思い残すことなく、いよいよ4ヶ国目のナイジェリアへと向かいます。
08
その3へつづく
生野

2010.08.07発 ウガンダ・ゴリラトレッキングとサファリ10日間 その2

『真珠』の称号。地球には、この代名詞を持つ国がいくつかある。その国を訪れた人が自然の美しさに深い感銘を受け、その気持ちを表すために用いた最大評価の比喩である。キューバが「カリブの真珠」、スリランカが「インド洋の真珠」なら、ウガンダは『アフリカの真珠』。昔、植民地時代の統治国・イギリスのチャーチルにそのように言わしめた由縁は、ビクトリア・ナイルに溢れんばかりに注ぐマーチソン・フォールズに代表される滝や湖、その水辺に隣接する深い深―い森とそこに棲む多種多様の鳥類、野生動物達、蒼くかすみがかった神秘の月の山、『ルエンゾリ山』(5109m)に代表される大自然によるものだろうか。
ツアーで訪れるクィーン・エリザベス国立公園も、まさにこのような水と緑の楽園。コンゴ民主共和国との国境でもあるエドワード湖とジョージ湖、この2つの湖を結ぶカズィンガ水路周辺が保護地域に指定されており、この水路でのボートサファリでは、色とりどりの鳥類(約540種)やカバやワニ、バッファローなど水辺を好む大型動物が観察できます。
01
もちろん、広い公園内には水辺以外にもサバンナや森林地帯があり、ウガンダコーブ、ウォーターバック等の草食動物、イボイノシシ、モリイノシシ、ライオン、運が良ければヒョウも観察できます。(こちらの動物の詳細は、ケニア、タンザニアのレポートに譲ることにしましょう。)
今回私たちが宿泊したムウェヤ・サファリ・ロッジは、ムウェヤ半島の高台にあり、エドワード湖とカズィンガ水路を見降ろす眺望が素晴らしいところでした。またロッジの敷地には、イボイノシシやカラフルな鳥たちがたくさん遊びにきていました。
02
おまけ
お日様の下で思いっきりサファリをした後は、地元のビールが最高です!!
【BELL】はモンドセレクション金賞受賞マークが付いたお墨付きビール。
皆さんに好評でした。
03
次は、マウンテンゴリラのトレッキングです。
その3へつづく
今野