2010.08.14発 湾岸西アフリカ4ヶ国訪問ダイジェスト15日間 その1

この夏、西アフリカ・ギニア湾沿岸の4ヶ国を陸路で旅してきました。ガーナ ⇒ トーゴ ⇒ ベナン ⇒ ナイジェリアの4ヶ国です。4つの国の食生活・宗教・音楽・アート・人々を含めとっても“濃ゆい”アフリカン・カルチャーに触れる事のできる盛り沢山な15日間でした。彼の国々の熱気と喧騒を、少しでも感じ取っていただければと思います。
01
まず、1ヶ国目はガーナ。チョコレートや、黄熱病研究の野口英世先生で、西アフリカの国々の中でも、最も日本になじみの深い国ではないでしょうか。日本からフライト20時間以上かけて辿り着くと、まずは空港の入国手続きのおじさんが「アクワバ!」(おかえりなさい)と笑顔で出迎えてくれます。ガーナの魅力は、何といっても人々の人懐っこい笑顔です。どこへ行っても、笑顔・笑顔・笑顔でにこやかに挨拶が投げかけられ、そのフレンドリーな国民性が伺えます。また、人々はとってもきれい好きな一面もあり、大きな都市から田舎の村まで、どこへ行っても殆どゴミが落ちていない事には、ちょっとした感動がありました。
02
そんな、微笑みの国ガーナの旅行ですが、首都のアクラから旅は始まりました。
アクラでの訪問先は3ヶ所。まずは、ガーナの初代大統領のクワメ・エンクルマの廟を訪れます。日本の世界史授業では名前を見かけませんが、アフリカ大陸で初めて西欧からの独立運動を指揮し、アフリカ独立の父と呼ばれる、黒人史において極めて重要な一人です。次に、ガーナの装飾棺桶の工房を見学、そのままポップ・アートとして通用しそうな棺桶の数々。中には、思わず笑ってしまうような可愛らしいものも見つけたりしました。
最後に、コルレブ病院にある野口英世先生の研究所跡を訪れます。黄熱病研究の為に、大正~昭和初期という時代にガーナの地に渡り、自らも黄熱病に侵されながらも研究を続けたその場所が、当時の面影をそのまま残す形で保存されています。この研究所跡の訪問は、同じ日本人として感銘を受けずにはいられませんでした。
03
翌日、一路西へと車を走らせ、ケープコーストを経由してエルミナへと向かいます。アフリカと西欧諸国が抱える負の遺産とでも言うべき、「奴隷貿易」の要塞跡を訪れました。何百人もの奴隷が閉じ込められていた収容所、脱走奴隷の為の処刑部屋、新大陸への積み出し港など、息が詰まる思いをさせられる場所も多かったですが、実際にその場所を訪れて自分の目で見る事はとても意義のある事だと強く感じさせられました。現在では、周辺には早朝から活気にあふれる漁市場が広がっています。
04
そして、旅は北上し古都クマシへと向かいます。ガーナが共和国として独立する以前、ヨーロッパ列強と対等に渡り続けたのがアシャンティ王国でした。現代ガーナに生きる人々も、かつて繁栄を極め、イギリスと何度も戦い続けたアシャンティ王国の血が自分達に流れている事を誇りとして胸に抱いているそうです。植民地となった後も、完全に滅ぼされてしまう事はなく、王国の歴史と伝統は現在でも連綿と続いています。
また、クマシには西アフリカ最大規模と呼ばれる市場もあり、365日その喧騒と熱気は止む事を知りません。周辺の村々では、主要産業であるカカオ農園が広がり、またケンテと呼ばれる伝統の織物工房など、道中も見所はいっぱいです。
05
最後はガーナ東部へと進み、世界最大の人造湖であるボルタ湖とアコソンボ・ダムを見学し、いよいよ国境へと向かいます。陸路の国境越えはいつでも緊張感が伴いますが、優秀な現地スタッフのおかげで無事に手続きを終える事ができました。
次は、車を乗り換えていよいよ2ヶ国目のトーゴへと向かいます。
06
その2へつづく
生野

2010.08.07発 ウガンダ・ゴリラトレッキングとサファリ10日間 その1

♪サル、ゴリラ、チンパンジー♪
子供の頃、こんな歌が流行っていた。誰しも口ずさんだことのあるフレーズじゃなかろうか・・・。どうして突然この歌を引き合いに出したのかというと、このツアーを一言で表すとしたら
♪サファリ、ゴリラ、チンパンジー♪
勝手に替え歌にして、ツアーのテーマソングにしようかと思ったほどでした。(ウソ)
順序は違えども、キバレ国立公園でチンパンジートレッキングをし、クィーン・エリザベス国立公園で陸と水辺のサファリ、ブウィンディ原生国立公園ではゴリラトレッキングという、まさにサファリ+ゴリラ+チンパンジーと多種多様な野生動物を観察する10日間です。
01
まずは、チンパンジーから。
野生のチンパンジーは主にアフリカの赤道に沿った熱帯雨林に生息し、その地域によって4亜種に分かれます。ウガンダに住むのは東チンパンジー(P. t. schweinfurthii)という種類です。
トレッキング直前までバケツをひっくり返したような豪雨で、陸路でキバレを目指すも、前方2mも見えない有様。お客さんのテンションは下がるし、こんな中、森の中のトレッキングなどできるのだろうか?と不安に思いつつも、トレッキング開始時には見事に雨が止み、いざ出発。
歩きだしてから15分、チンパンジーの甲高い鳴き声が聞こえる。そしてそれに応える仲間達の声。もしかしたら、彼らは近いのかもしれない・・・と思った時に現れたのは、
02
木の上を縦横無尽に闊歩する森の民。
最初は人間を警戒したのか、ずっと木の上から私達を見下ろすチンパンジー達。顔はほとんど見えず、見えるのはお尻と足の裏ばかり。馬鹿にされているのかもと思ったら、
03
おっーと、顔が見えたぞ。
と、しばらくすると警戒心が緩んだのか地上に降りてきてくれました。
04
動きが早いので、写真に上手く収めるのは至極難しいのですが、森の民はとってもにぎやか。キャッ、キャッ叫んでみたり、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、見ているだけで飽きません。あっと言う間に1時間終了。(チンパンジーの観察は1時間に限定されています。)
↓ちなみにこちらの写真は、ウガンダ最終日に行った動物園のチンパンジーです。
05
のんびりくつろいだり、考え事をしているようだったり、野生の仲間とはどこか違いますよね。
次は、陸と水辺のサファリです。
その2へつづく
今野

ケニア・タンザニア・サファリ 14日間

久しぶりに2カ国をまわるコースが復活!世界遺産のンゴロンゴロ、セレンゲティを含む5つの公園を巡る大移動の14日間。果たして移動距離はいかほどに。全3回のレポート、今回はケニアのアンボセリ、タンザニアのンゴロンゴロが舞台。
日本を出発してから3日目
朝、高原の大都市ナイロビを出発。肌寒い。アンボセリへ車を走らせること約4時間。ロッジでの昼食時の話題は、アンボセリの代名詞“キリマンジャロとゾウ”の2ショット。夕暮れ前、最初のサファリへ。雨季の終わりの6月半ば、キリマンジャロは厚い雲にすっぽりと隠れたまま。傾いていく太陽をうらめしく思っているとドライバーが「もうすぐ見えるよ」と優しく声をかけてくれる。それでも時間は過ぎていく。
たわむれる小象たちを発見。「ほら、いきますよ」とおかあさん。小象はおっぱいをせがんでいました。微笑ましい象の一家の姿に、気をとられていると・・・「見えた!」。参加者の強い思いが通じたのか、アフリカ最高峰がその姿をあらわした!!
01
4日目:アンボセリ→ンゴロンゴロ自然保護区へ
アンボセリのゾウたちに別れを告げて、この日は国境をこえてタンザニアのンゴロンゴロ自然保護区へ。サファリをしながら辿り着いたのは、国境の町ナマンガ。出入国手続きを済ませ、そこからタンザニア・サファリの拠点アルーシャまでは約2時間30分。アルーシャのホテルで昼食をすませ、ンゴロンゴロへは約4時間弱のドライブ。アルーシャから続く舗装道の中でも、途中の日本の支援で建設されたマクユニからンゴロンゴロゲートまでの道路は、特に快適。
大地溝帯の底から駆けのぼるサファリカー。植生の変化を楽しみました。標高が上がるのに伴い気温も下がり始め、緑豊かな森に囲まれたンゴロンゴロゲートを通過する頃にはフリースの出番。ロッジがあるンゴロンゴロクレーターの縁は、標高2,000mを超えるため、朝晩は結構冷えます。
5日目:世界遺産 ンゴロンゴロ自然保護区にてクレーターサファリ
02
この日は、平均500mの高低差がある断崖を一気に4WDで降りていきクレーターの底へ。シマウマ、ヌー、ライオン、バッファローたちが出迎えてくれました。ンゴロンゴロでの目玉は、アフリカ全土で絶滅の危機にあるクロサイ。現在クレーター内のクロサイの生息数は約30頭。もっともクロサイと出会うチャンスのある場所ですが、残念!今回は遭遇できませんでした。楽しみは次回ということでしょうか。
クレーターでのサファリを終え、目指すはもう一つの世界遺産、セレンゲティ!!
その2へつづく
土手

ふれあいウォーキング!カーボ・ヴェルデの休日11日間 その2

サント・アンタン島は今回のツアーのハイライト。
つまり、この島に滞在し、島で’ウォーキング’をするのです。
サント・アンタン島を始めとしたカーボ・ヴェルデのいくつかの島は火山島。地形は山がちで、必然的に歩くコースも’登る’か’下る’のが多くなります。ツアーご参加の皆さんから「これはウォーキングではなく、トレッキングでしょ」とのお声の通り、山道をひたすら登ったり、下ったりがなかなか長い道のりです。それでも4日間歩いたうち、1日は海岸線(ここにもアップダウンが多いですが)を歩いて、海風に当たることもありました。大西洋です。
01
雨の降らないカーボヴェルデの島々では、水は貴重です。山の斜面に段々畑が広がり、所々に小さな貯水プールがあり、斜面の下のほうまで引かれた水路を伝わって畑に水が供給されるようになっています。そして段々畑は、水や栄養が流されないように、きっちりと石の枠によって整地され、さらに人や家畜が通る山の斜面はずっと石畳が敷き詰められているのです。もちろんこの石積みの作業はすべて人の手によるもの。決して恵まれていないこの土地で、人々が生きていくための地道な努力が感じられます。石積みを見るだけでもその丁寧な仕事ぶりがわかり、カーボ・ヴェルデの人の真面目さが伝わってくるのです。
02
それにしてもカーボ・ヴェルデの人たちの穏やかさと温かさ。彼らの表情がいいので、時々写真を撮らせてもらうのですが、誰もが「オブリガード(ありがとう)」と言って相変わらずニコニコ。何を要求するわけでもなく、こちらのわがままを受け入れてくれるようなおおらかさがあるのです。
03
カーボ・ヴェルデは、実は音楽も多彩で魅力的です。’裸足の歌姫’と呼ばれるセザリア・エヴォラを代表する、ちょっと物悲しさ漂うモルナ、ダンスミュージックのコラデラ、アップテンポのサンジョンなどたくさんのジャンルがあり、生活の中に音楽が生きています。
サンヴィセンテ島滞在の日は祝日(メー・デー)で、街のいたるところで音楽イベントが催され、私たちもコンサートへ行ってみました。ちょっとだけびっくりしたのは、時間の正確さと観客の反応。アフリカのいくつかの国でコンサートやライブへ行ったことがありましたが、たいてい開演予定時間よりは1時間、下手すると2時間以上遅れるのが当たり前です。そして観客が座っているのは最初のうちだけで、あとは皆立ちあがって踊りだすというのがお決まりパターンですが、なんとここでは開演予定時間に始まり、そして観客は最後まで着席のままで終了。こんなところでも大陸のアフリカとはちょっと違うカーボ・ヴェルデの文化の違いにふれた気分でした。
紙田

2010年4月 イエローストーン国立公園探訪

2010年4月30日(金)から9日間、イエローストーン国立公園探訪問のツアーへご一緒した9名様の内のお一人、お母様とご一緒されていた小学校3年生の佐川そのみさん(9歳)から 頂いたレポートです。
4月30日(金)
アメリカのボーズマン空港に到着後、現地ガイドのスティーブさんとリックさんに会いました。
車でロッキー山みゃくをみながら30分位行った時に、急にスティーブさん(スティーブさんは 日本語が上手です)が「オオツノヒツジ(ビッグホーンシープ)がいる」といいました。私は最初わかりませんでした。けれども、がけのところに大きい角をもったオオツノヒツジがいました。スティーブさんによると、オオツノヒツジにはなかなか出会えないそうです。なので、出会えてとてもうれしかったです!
ホテルはベストウェスタンマンモスという所に泊りました。
01 02

5月1日(土)
朝おきてみると、まどの外のイエローストーン川のむこうぎしにエルク(シカの仲間)がいました車で出発!初めてのイエローストーン国立公園に入りました。
少し行くと急に車がとまったので、「なんですか?」と聞くと、スティーブさんが「ブラックベアがいるよ」と言いました。見ると木の近くにブラックベアがいました。肉を食べているようでした。私は野生のクマをみたことがなかったのですごくうれしかったです!
また、車で走っていると、すごく人があつまっていました。スティーブさんによると、バッファローの死体があって、そのまわりにオオカミとヒグマがいるということでした。私は、そうがんきょうで見てみましたが、なんにも見えなくて、次にリックさんとスティーブさんのぼうえんきょうでみるとすごくよく見えました。その時にはヒグマが4頭くらいいたので、すごくラッキ~でした。
その次に、プロングホーンを見ました。プロングホーンはチーターよりはおそいのですが、チーターより長く走れて、1時間くらい走れるというかなりのしゅん足です。
夕食は近くのレストランでピザを食べました。
10 11

5月2日(日)
きのうのクマがいた場所に行きました。きのうは肉を食べているようだったのにほねが何にもなかったので、スティーブさんが「『ゆうれいグマ』だったんじゃない」といいました。おもしろかったです。クマがいた場所に行ってみると、クマのねどこがありました。クマのねどこの近くにはクマの毛がありました。また、少しおくに行くと、クマの足あともありました。クマの足あとは思ったより大きくてびっくりしました。
次に行くと人がいっぱいいました。なんだろうなあと見てみると、エルクの死体のところにオオカミが2ひきいて、ほかのところに親子のクマがいました。赤ちゃんグマを見られてとてもよかったです。
03

次にラマーバレーというところに移動しました。ラマーバレーでは、すごく大きいワタノキを見ました。木の根もとはビーバーによってかじられていました。
スティーブさんが「このへんにはアメジストや化石の木があるんだよ」と教えてくれたので、わたしはいっしょうけんめいさがしたのですが、化石の木しか見つけられませんでした。
04 05

次に、タワーフォールという滝を見にハイキングに行きました。
歩いていくと、スティーブさんが急にとまりました。何かなあと思ってみてみると、行く手に三頭の大きなバイソンが見えました。スティーブさんが「バイソンがしっぽを上げたらすぐににげてください。もしかしたら、おそってくるかもしれません」と言ったので、すごくこわくなりました。ドキドキしながら一歩一歩すすんでいきました。バイソンがこっちを向いたらストップというかんじですすんでいきました。バイソンから見えないはんいまでくるとまたそこからふつうに歩きだしました。
坂をのぼりながらスティーブさんがアスペン(シラカバに似ている)の木の話をしてくれました。木のみきには、くまがのぼったときのつめのあとが残っていました。さらに歩いていくと、タワーだきというたきがみえてきました。すごく高くてきれいでした。
06 07

帰ると中にキバラマーモットを見ました。キバラはおなかがきいろいということでキバラマーモットという名前になったそうです。車にかえってきたときはもうへとへとでした。だいたい6kmくらい歩きました。
帰るときにバイソンの赤ちゃんがいました。茶色くてとてもかわいかったです。そして、また帰ると中にビッグホーンシープのわかいむれを見つけました。さいしょ見た時のビッグホーンシープより小さかったです。
08 09

夕食は近くの中華レストランで食べました。
5月3日(水)
いろいろなことを見学しにハイキングにいきました!歩いていくとシカの角がありました。シカの角の根もとのところは、高くて(高価で)ベルトのバックルなどに使われるそうです。
少し行くと、バイソンのほねがありました。スティーブさんは、ほねを見ただけで、その動物が何のしゅるいかがわかったり、その動物がどちらの性べつか、その動物がなん才かがわかるのですごいなあと思いました。
12 13

どんどん進んでいくと、ねんがんのオオカミのすが見えてきました。このすは古くて、いぜんおくのほうがくずれてしまったそうです。私はすあなに入ってみました。入ってみると空気がひんやりしていて気持ちがよかったです。
ホテルに帰ってから研究者(ハーフペニー先生)の研究所に行きました。夕ご飯は研究所でBBQを食べました。ハックルベリーのアイスクリームとお肉がとてつもなくおいしかったです。研究者のあつめた足あとや角を見て帰りました。
14 15

5月4日(木)
川ぎしで砂金をさがしました。その他にも水晶もさがしました。水晶を見つけることができてうれしかったです。そのあとマンモスホットスプリングスというところで石灰石のテラスをみました。
今日からウェストイエローストーンにとまるので移動していると、と中に3才のクマを発見しました。川ぞいで遊んでいるようで、とてもかわいかったです。クマがいなくなった後、クマがいたところに行くと足あとがありました。私が足あとを見ていると、スティーブさんが「このクマは親ばなれしたばっかりだよ。理由はせいりの血があるからだよ」といいました。わたしは足もとを見ました。すると赤いものがついていたのでこれが血だなと思いました。
16 17 18

アッパー滝とロウワー滝も見ました。山をおりると温泉のけむりがみえるようになりました。コヨーテがいました。なぜかそのコヨーテは足をひきずっていました。私はだいじょうぶかなあと心配になりました。
この日は早くホテル(ホリデーイン)につきました。ホテルに着いたあとオオカミとクマの保護センターに行きました。たくさん雪がふってきましたが、近くでオオカミとクマを見られてよかったです。
夕方にヘラジカを探しにいきました。ヘラジカはみられませんでしたが、たくさんの鳥とビーバーとビーバーのダムを見ることができました。
夕食はホテルで食べました。
19 20 21

5月5日(金)
この日は間欠泉をいっぱい見ました。Old Faithful Geyserはすごいはくりょくでびっくりしました。そのほか私が一番感動したのは、間欠泉の中にある木です。間欠泉の中にある木は化石になっているらしいです!最後にmorning glory poolに行きました。すごく色がきれいだったです。
22 23 24

夕食は近くのホテルで食べました。
5月6日(土)
この日はプールなどを見ました。プールはバクテリアなどによって色がとてもきれいでした。
お昼ごはんを食べたところで、おみやげを買ってもらってうれしかったです。それから川ぞいにボーズマンに移動しました。
この日はリックさんとお別れの日でした。私は英語をならっていますが、そのれんしゅうのような感じで、とてもリックさんのことが好きになったので、お別れのときはさみしかったです。
ホテルはボーズマン・カモン・インというところでした。ホテルのフロントのよこにプールがあって、部屋のベランダからプールがよく見えました。
夕食はイタリアンレストランに行きました。
次の朝が早いので、私は部屋にもどりましたが、ほかの人はとった砂から砂金さがしをしました。
25
5月7日(日)
朝4時におきて空港に行きました。日本に無事に帰国しました。とても楽しいツアーでした。
動物やサファリがテーマのツアー・旅行一覧はこちら。