まだまだ、マダガスカル訪問記を書き続けますよ。
先月、休暇をもらって、マダガスカルに行ってきました。モロンダバから国道を走り、しばらく走ると国道8号線の分岐点を曲がります。そこからは、THE AFRICAのような赤い土の未舗装道路を走ります。
しばらく走ると、ニョキニョキとバオバブが生えているのが見えました。未舗装ながらも主要幹線道路であるので、トラックや牛車などが走ります。そして、バオバブ並木に到着します。日が沈む前に訪れたので、観光客はまばらでした。バオバブ並木道の真ん中あたりに村があり、子どもたちが空き地でサッカーをしていました。

バオバブの木の下には、皮を剥いだ跡があり、ガイドに尋ねると、現在は禁止されているが、昔は皮で家の屋根や壁にしていたとのこと。あと、木の下のほうは、昔の観光客が木に刻んだ、文字が残っていました。
翌日、キリンディ保護区への帰りに、愛し合うバオバブを見学しました。こちらは、1本の木で、枝が絡み合っている状態だと、ガイドが教えてくれました。

次は、キリンディ保護区の訪問記を書いてみたいと思います。
by 虎
ビンテージ・トラベル・ポスター
世界各国、各観光地、それぞれが趣向を凝らしてプロモーションのためのポスターを作っていますが、その多くは絶景を写した写真を全面に配し、旅情を掻き立てるキャッチコピーが添えられています。
国内旅行のポスターには、思わず「お見事!!」と唸ってしまうような秀逸なものが多く、特にJRの青春18きっぷのポスターなどは、ある意味非常に危険なシロモノ(旅に出たくなる、という意味で)ではないでしょうか?「旅する若者」時代から遥かな年月を経てしまった私でさえ、グッとくるものがあります。

アフリカ各国、特に観光産業に力を入れている国々は、この例にもれず様々なポスターを製作し、旅したい人の興味を引こうと努力しています。これらのプロモーション・ポスター、今でこそ写真がメインのものがほとんどですが、昔のものはどうだったのでしょう?

1900年代初頭から1960年代にかけて、画家やイラストレーターの描いた絵をあしらった観光ポスターが盛んに作られました。特にアフリカ諸地域では、今のように「~国観光局」なんてものがなかった時代ですから、それを制作したのは、航空会社、船会社、旅行会社など、旅を作る、あるいは人の移動を扱う業者がほとんどでした。製作された時代が時代なため、今は存在しない「フランス領赤道アフリカ」や「ローデシア」といった植民地時代の名称が使われているものもあるのですが、今でも複製や、あるいは当時のビンテージもののポスターを手に入れることができます。いずれもデザインや色使いが素晴らしく、リアリティのあまりない「絵」が中心なのですがなぜか旅情を掻き立てられますし、アートとして楽しめるものも少なくありません。

私の家では、アフリカの「写真」ではなくこんな「ポスター」を飾っています。皆さんのご自宅にもいかがですか?お気に入りの1枚を探してみては?
by 羽鳥
アフリカカルチャー講座「アフリカと日本のプリミティブアートにふれる一日」
6月3日(土)、「アフリカと日本のプリミティブアートにふれる一日」は最高のお天気にも恵まれて終了しました。
八ヶ岳にあるアフリカンアートミュージアムはアフリカ各地から集められたマスクや立像、テキスタイルその他、毎回テーマごとに展示された作品が充実していて、南アルプスに囲まれたそのロケーションも素晴らしいので、アフリカ好きの方に紹介したい、と思い、企画したイベントでした。
アフリカンアートミュージアムでは伊藤館長によるトークギャラリーで、今回の展示の趣旨やアフリカンアートがヨーロッパのアートへどんなふうに影響したかなどのお話があり勉強になりました。一見素朴に見えるものでも実は奥が深い。館長のお話を聞いてアフリカの人たちが創り出したアートに魅力を感じて頂けたのではないでしょうか。参加者の皆さんの中には、アフリカによく行かれる方もいらっしゃいましたが、現地でアートにふれる機会は意外と少ないから新鮮、という声もありました。

アフリカのアートと組み合わせると面白いから、とミュージアムの伊藤館長に紹介して頂いた井戸尻考古館では日本の縄文時代の生活文化にふれることもできました。想像以上に、アフリカと日本のアート・文化には共通するものが多いのにも驚きました。

特に井戸尻考古館の敷地にある復元された家屋には、思わず皆さん「アフリカにいるみたい」という声。家の造りももちろんのこと、家の中には臼やひょうたんなど生活道具までアフリカの農村部で見るものとそっくりでした。そして樋口館長による情熱のこもったお話に引き込まれて縄文の人たちの暮らしが少し身近に感じられました。

道中ずっと南アルプスの山々を眺めながらの絶景ドライブ、昼食は地元の野菜をたっぷりつかったランチ、とちょっとした日帰りツアーになりました。

またどこか意外ないい場所を探してカルチャー講座の企画ができれば、と思います。
ご参加くださった皆様、ありがとうございました。
紙田
ハネムーン・レポート『ケニア マサイマラとレワの旅』
2016年9月30日出発のハネムーン手配旅行でケニアのマサイ・マラ国立保護区とレワ野生生物保全地域に行かれた、村井 様ご夫妻からのレポートです。
偶然見たBCCのドキュメンタリー番組”Big cat diary” に二人してハマってしまい、新婚旅行は絶対アフリカでサファリ三昧がいい!と決断しました。休める日数の中で最大限にサファリを盛り込んだ手配旅行を道祖神さんに企画していただきました。
到着1日目はトランジットの関係で、ナイロビに1泊しないといけなかったのですが、選んでいただいたホテルは、ナイロビ国立公園が見渡せるオレセレニ。バルコニーからは公園が見渡せます。普段はあまり動物は見られないそうですが、私たちはインパラの群れを見ることができました。あとで思うと、ここのお土産屋さんは良心的な値段で可愛いものが多かったです。

翌朝からは3泊4日でマサイマラのガバナーズキャンプへ。今まで乗ったことのない小さな軽飛行機で、「3番目のエアストップで乗り換えてね〜」と言われ、飛行機とは思えないカジュアルさにドキドキしましたが、乗ると意外と安定し、景色も見ていて楽しかったです。
ホテルはサファリスポットのど真ん中。しかも柵がないので象やカバ、ハイエナ、ライオンまで自由に入れます。常に銃を持ったスタッフがいて、夜はハイエナの鳴き声がすぐ近くで聞こえて、とってもスリリングでした。シャワー・トイレ完備ですが、夕方にお湯を沸かしてくれるので夕食前に入らないと夜中や朝は水でした。
サファリは1日3回か、朝食をピクニックにして2回か選べます。窓がオープンのレンジローバーで、爽快!というか朝はものすごく寒いです。雨も急にざっと降るので、初めて行かれる方は想像よりも暖かい服装を準備した方がいいです。ホテルの立地がいいせいか、敷地を出るとすぐ動物に会えます。これは結構なアドバンテージで、動物を見つけると車が集まるので、いち早く見つけていいポジションで見れることが多かったです。10月の終わりでしたが、ヌーの川渡りも見ることができました。ライオンはこれでもかというくらい毎日沢山見れました。








マサイマラからレワへのトランジットで再びナイロビに1泊。こちらは何かのCMで見て行きたくなり、急遽盛り込んでいただいたジラフマナーです。とても予約が取りにくいみたいです。建物や内装はまさにマナーハウス!Out of Africaを彷彿とさせます。インテリアもバトラーのサービスも女子にはウットリモノなのですが、お目当は敷地に住んでいるキリンたち。隣接するジラフセンターからやってくるんです。部屋の窓をコツコツと叩いておやつをねだってくる姿はおとぎの国のようでした。


旅の最後は2泊3日のレワの旅。ホテルはレワサファリキャンプ。ここは道祖神さんが勧めてくださったのですが、とてもプライベート感がありました。主人ともレワはもう1泊したかったね、歳を取ってからまた行きたいねと日本に戻った後もいつも話しています。レワではマサイマラの混乗車とは違い、完全に1組に1つの車で非常に自由がききました。ドライバーさんもとっても親切で、動物のことやレワのことを色々教えてくれました。動物は、マサイマラでは滅多に見れないサイが沢山見れたり、キリンやシマウマも違う種類が見れたりと全然飽きませんでした。また、特筆すべきは観光客の少なさ。動物ももちろんマサイマラに比べたらとても少ないのですが、この3日間で別の車に出会ったのは2回ほど。風の音と鳥の鳴き声だけの世界。ものすごく癒されました。








アフリカの素晴らしさは、言葉でも写真でも全然伝えきれないな〜と改めて思います。
少し遠いですが、行く価値がありますよ。
また、こんな素敵なスケジュールを組んでいただけたのは道祖神さんのおかげです。
ハネムーンと伝えて頂いていたおかげで、どのホテルも花やワインのプレゼントや、”Congratulations”と声をかけて頂いてとても嬉しかったです。
担当の荒木さま、私たちのわがままな希望と予算に都合をつけていただいて本当にありがとうございました。
◆アフリカでハネムーン&ウェディング 特集ページ
Melaku Belay (メラク・バライ)とFendika(フェンディカ)
Melaku Belayは1980年アディスアベバ生まれ。
現役ばりばりのエチオピアを代表するダンサーです。
一口にエチオピアのダンスといっても、エチオピアは80を超える民族が暮らしており、各民族ごとに腰遣いもステップもリズムも異なり、非常にバラエティ豊かです。
各民族の歴史と文化の中で紡がれてきた伝統的なステップ、それが現代のエチオピアの人々の実生活とも地続きで、今でも人々の生活の一部として親しまれている「生きた」ダンスです。
そんなエチオピアン・ダンスの担い手として国を代表するダンサーのMelaku氏。

欧米のアーティストたちからも引く手数多のオファーを受け、年の1/3を海外公演に費やすという多忙な身でありながら、そんな彼が自らのホームとして決して離れることのない「Fendika」という小さなアズマリ・ベット(酒場)があります。

アズマリとは、北部ゴンダール地方をルーツとする職能音楽集団のことをそう呼びます。
男性はマシンコと呼ばれる一弦ヴァイオリンを演奏し、女性は合いの手を入れ、時に歌い踊りながら、酒場のお客さんをネタに即興で歌を紡いでいく、エチオピアの夜の街にはこういった演者と客の掛け合いを楽しむ独自の酒場文化があり、その場所をアズマリ・ベットと呼びます。

アディスアベバのカサンチスと呼ばれる地区に位置する「Fendika」という一軒のアズマリ・ベット。
彼のキャリアはこの小さな酒場から始まりました。
元々、ゴンダールの出身でもなく、アズマリの出自でもない、かつて1人のストリートチルドレンだったMelaku氏がまだ少年の頃に一夜の宿を求めて門を叩いたのが、たまたまこの「Fendika」でした。
酒場のオーナーに拾われ、住み込みで酒場の仕事を手伝いながら、見よう見まねでダンスを覚えていく中でその才能が開花。
瞬く間にFendikaの看板ダンサーとなり、数年後には噂が噂を呼び、海外からの出演オファーを受けるまでに腕を上げました。

そして自らを育ててくれた先代から「Fendika」の看板を譲り受けると、名を馳せていた伝統楽師や歌い手、踊り子を集め、音楽/舞踊集団「Ethio Color」を結成し、今でも毎夜Fendikaの小さな小屋を揺らし続けています。はた目には小さな小屋なのに、一歩足を踏み入れると「どうだ、これがエチオピアだ!」と言わんばかりの圧倒的な熱量に満ち溢れています。

私事になりますが、初めてアディスアベバを訪れた際に、現地の人にお勧めのスポットを尋ねると、皆こぞって「Fendika」の名前を口にしました。
そして最初の夜から連日通い詰めたことを思い出します。
昨年2016年に、数日間でしたが個人的にアディスアベバを訪れる機会があり、久しぶりにMelaku氏を訪ねて「Fendika」を訪問しました。
ちょうど改装を終えたばかりの日で、小屋の敷地を拡大して、別棟にFENDIKA ART CENERを設立。定期的なアート・エキシビションを催し、文化の発信地として姿はそのままに大きくパワーアップしていました。アディスアベバの文化の発信地として、国内外に認められ、なんと昨年フランス文化省より芸術文化勲章(L’Ordre des Arts et des Lettres)が授与されたそうです。
写真はその夜の新生Fendikaのお披露目パーティーの際に撮影したものです。
by 生野