モロッコ 砂漠と海の旅11日間 後編

モロッコ 砂漠と海の旅11日間 後編

2017年12月15日発の手配旅行でモロッコに行かれた、津島様からのレポートです。

前編はこちら → モロッコ 砂漠と海の旅11日間 前編

12月19日(火)第5日目

いつものモロッコの朝食を済ませて、大きな荷物はホテルに預けて、ディパック1つで砂漠の中のキャンプへ向かいます。モロッコの朝食は、自家絞りのオレンジジュースにパンが3~4種類、ジャムも同じ数だけ並びます。それにゆで卵か目玉焼き、ざくろやバナナなどのフルーツとチーズ(自家製のカッテージチーズの時もありますが、お馴染みのプロセスチーズの時もあり)パンが主食のようなメニューです。フランスの影響を受けているのでパンは美味しい。
午前10時に待ち合わせて、初のラクダ体験です。でも、なんか昨日のオッさんではなく若いベルベル人のラクダ引きが付いてくれました。まあ細かい事は気にしないのがモロッコ流。出発します。水だけは必ず各自持参と言われていました。
ヒトコブラクダなので、コブに毛布を巻いたようなクッションを被せ、その上に防水キャンバスで作った両側が袋になったバイクのサイドバックみたいなものを被せます。最後に毛布を敷いて完成。鞍はありません。ただ、巻いた毛布のようなクッションにハンドルが付いていて、乗っている人はここを掴んでいます。鐙もありませんので、大股を開いてコブの後ろあたりにドカッと座ります。意外にラクダは幅があるので、ホントにガバッと股を開かないと乗れません。脚は前の方へ投げ出す感じです。乗り降りの時はラクダが膝を折って、地面にペタッと座ってくれますのでいいのですが、いざ出発となって立ち上がる時が大変です。まず、後ろ脚が立ち上がり、自分の身体が大きく前のめりになります。スキーで言えば30度の急斜面でしょうか。そのあと前脚が立ち上がり、今度は大きく後ろに身体が振られます。このラクダの乗り降りが一番落っこちやすいので注意が必要です。(ラクダなので落馬とは言わないのか)
そして歩き始めるのですが、こいつら歩く時に大きく腰を振るので、上の人間もそれに合わせてゆらゆらと揺れに合わせなければなりません。すごく乗り難い。すでに後悔しています。ラクダは荷物を運ぶもの、人間はラクダと一緒に歩くものです。どおりで、「ラクダに乗るのは1時間ちょいだから」と言われていたのだなと。初心者に長距離はムリです。せいぜい1時間半くらいでしょう。それと、ラクダは下りに滅法弱い。少しの下り坂でもヨロヨロと腰砕けのように歩きます。この時もしっかりつかまっていないと落ちます。


砂漠には色がないと思っていました。砂の色、1色きりだと。しかし、実は光の加減で様々な色があります。でもこれは、写真には残らない。カメラで撮るとあれだけ豊かな色合いが一色にされてしまいます。誰も砂漠を表現出来るように写真を作ってはいないのです。これは実際に行かないと分からない。目で見ると、一色の砂漠に様々な色があるのです。モロッコの砂漠はピンク色です。これは多分モロッコの土が赤いから、その土が長い年月のあいだに削られて砂になったからでしょう。でも、日中の強い日射しでは砂色になってしまいます。日が傾くと本来の色が現れます。そして、日の光の変化に合わせるように砂漠の色も変化していきます。ピンク、オレンジ、イエロー、そしてグリーンやブルーもあります。砂漠は実にカラフルです。もしかすると、砂の生まれた場所によっても色が違うのかもしれません。途中ラクダ引きが谷間の遥か先を指差して、あそこはアルジェリアだと教えてくれました。本当にモロッコの端まで来たのだと感慨に耽るも、別に国境に柵などあるはずもない。漫然とあの辺かなと思うだけです。






生命を拒絶する死の大地と思っていた砂漠が、実に多くの生き物が生活している事を今回実感しました。砂の上に丸くて平らなラクダの足跡。その側に小さな足跡。砂狐のものだと教えてくれました。さらにその側にもっと小さな足跡が。ねずみのものだと。昼食を摂ったキャンプの近くではフンコロガンに遭遇し、宿泊したキャンプはオアシスだったので、樹木が茂り小鳥が何処からか飛んできます。砂漠も実は活気に溢れています。ただ、静寂は怖いほどです。音は空気の流れる音だけ。風ではなく空気の動くようなゴーという感じの音圧を感じます。耳の中には、シーンという耳鳴りがしますが、およそ普段聞こえる音は感じません。全てのものが吸い込まれていくように思われます。それなのに、遥か遠くの話し声は聞こえてきます。ここでは、内緒話はできないようです。そう言えば、砂漠の民は大きな声で話さないと聞きました。




夜、寝静まった頃に日本から持参したラム酒と葉巻を持ち出して、外で満天の星を眺めながら呑みましたが全然味がしません。口に入れた綿あめがスーっと溶けてなくなるように、さらに甘みも残らないようなそんな感じでラム酒と葉巻もまるっきりダメ。自然の容量が大き過ぎて全部そっちに持っていかれているようです。
砂漠に行くなら、やはり新月の日がいいと思います。地平線まで満天の星空というのを初めて見ました。月明りもロマンチックでしょうが、深遠なる宇宙に想いを馳せるには、この場所は最高です。

12月20日(水)第6日目

冬の砂漠は本当に寒い。とにかくありったけの服を着て寝ました。靴下も2枚重ねで履き、翌朝もそのままラクダに乗りました。日が昇っても気温はすぐには上がらないので、これくらいが丁度良いくらいです。
昨夜の晩御飯も朝食もキャンプで作るので、出来たての温かい食事が食べられます。ホテルの朝食は大体冷めていたので、少しの温かみでも心に滲みます。
朝食後、すぐにキャンプを出発しホテルへ戻ります。帰りはノンストップでラクダに揺られます。何度かラクダ引きが、休まなくて大丈夫か声をかけてくれました。天気も良く日差しもたっぷりとありますが、冬の朝の砂漠は寒い。特に手先足先が冷えます。ホテルに着くとお別れの前に「ここから俺のビジネスだ」と私を絨毯に座らせ、ラクダ引きがお土産ものを並べ始めました。まあこれもお約束。いくつか記念に購入。
そしてホテルからエルフードまでは4WDで、そこからカリームの車に乗り換えてひたすらマラケシュを目指します。行きは1日半掛けた行程を帰りは1日で戻ります。もう寄り道の余裕はありません。カリーム無双の走り(安全には十分配慮して)で、ほぼ時間通りに到着。最初に泊まったRIAD DAR ASSADにまたお世話になりました。このリヤドは旅の疲れを癒すには最高です。静かで食事も美味、風呂もベッドも大きいので、とても寛げます。ここを拠点にしてモロッコを観光してもいいと思うほどです。

12月21日(木)第7日目

今日から海沿いを巡るコースに突入します。
半日掛けてエッサウィラへ向かいます。途中アルガンオイルの樹が沢山植えられていて、観光用にヤギが木に登っています。昔はヤギが木に登ってアルガンの実を食べていたそうです。一応農園なのでしょうが、そんなにきちんと樹は並んでいません。写真を撮ろうとすると飼い主がチップをもらいに寄って来ます。
昼前にホテルにチェックイン。HOTEL LES ILESは海岸沿いで、ビーチへも道を隔ててすぐ、旧市街のすぐ外側で新市街の途中に位置します。リゾートホテルといった趣です。まあ、シーズンオフですから宿泊客も少なくのんびりとしています。ホテル前のビーチから見る大西洋に沈む夕陽は美しかった。
昼ご飯を食べに港へ向かいます。捕れたての魚を塩焼きで食べさせる屋台がいくつもあります。量り売りで、パンと飲み物が付きます。小振りの鯛にシャコと車海老をもらいます。豪快に炭火で網焼きし、味付けは塩のみ。日本の塩焼きのまんまです。烏賊はありましたが、蛸は見掛けず、何故かウツボを結構見掛けました。どうやって食べるのか不明です。内陸ではほとんで飲めなかったアルコールが海沿いの街では比較的オープンに飲めます。屋台でもビールか?と聞かれました。屋台はどこも賑わっていて、バスクのカップルとドイツのご夫婦と相席でした。一時国際交流を深めました。港の一部が城塞になっていて見学ができます。





12月22日(金)第8日目

今日も朝からカサブランカに向けて移動です。
途中、エルジャディーダで昼食です。海沿いのビーチリゾートのような街で、フレンチの影響を受けたレストランでビールを飲みながら白身の魚をソテーしたものを頂きました。ここでも基本塩味で、変なフレンチのソースはありません。モロッコ人は魚の美味しさが分かっているのでしょう、決して華美なソースに逃げません。ここのホール係の女の子は、いくつかの日本語を知っていて、ちゃんと喋れる訳でもないのに発音が自然で、私が「日本語上手だね」と言うと日本のアニメ好きだと白状しました。モロッコのヲタ女に遭遇。この後、何故か彼女はテンパって英語でも上手く話せなくなって、あたふたしているのがチャーミングでした。
夕方、カサブランカに到着。市内は各所で道路工事があり渋滞しています。エッサウィラで会ったドイツ人夫妻が話していた通りです。その渋滞を見込んでカリームが早めに行程を進めていてくれました。
ホテルFARAHにチェックイン。ここでもカリームがサポートしてくれます。大きなホテルなら問題ありませんが、基本フランス語とアラビア語の国ですから、英語でのコミュニケーションに困る事があります。こんな時にドライバーのカリームが手助けをしてくれます。彼は単なる運転手ではなく、旅のコーディネートもしてくれるのです。
別れ際、「友達」とカリームが言ってくれた事がとても嬉しかった。1週間二人っきりで、モロッコの東の端から西の端まで旅した訳ですから、お互い何かの達成感を感じていたはずです。
きっと、太古のラクダ隊商も長い旅路の中で仲間たちとの絆が深まっていた事でしょう。
実はトラブルもあり、ホテルから帰りの空港までの移動が手配されていなかったようです。この時も日本人が経営されている現地の旅行代理店が昼夜関係なく対応してくれました。日本語が通じて、日本的なニュアンスが伝わる事は、簡単なトラブルの場合でも非常に心強い。

12月23日(土)第9日目

今日は1日フリーです。このホテルを選んだ基準は、サン=テグジュペリ所縁の場所に近いという事でした。ちょっと遅めの朝食の後、彼がよく行ったと言われているカフェ、「Le Petit Pouchet」でエスプレッソを一杯。私以外はみんな常連の近くのオッさんばかり。私のような異邦人は他にはおりませんでしたが、常連さんは意に介さずのんびり談笑しながらカフェを飲んでいます。カフェのあるムハンマド5世通りは、古いパリの佇まいを感じます。
日々、何もない砂漠での生活からここに来ると、彼も遠い故郷の雰囲気と人々の温もりに癒されていたのでしょう。私も砂漠からここへ来た時に言葉は分からなくても、人々の穏やかな感触に触れて、何かホッとした感じがしました。
その後、リックスカフェの前を抜け少し行くと、École Royale Navale(海軍兵学校)の門が現れます。地球の歩き方にも書いてありませんが、カサブランカには海軍基地もあります。どうりで白い制服の人が目に付いた訳です。兵学校の脇を歩き進むと海岸に出て、目指すハッサン2世のモスクに到着です。とにかくケタ違いに大きい。



ここでは、小中学生の社会科見学の一行に遭遇。日本人だと分かると大騒ぎ。握手やら写真やら大歓迎を受けました。どこの子供達も一緒です。変わったものにはスゴク興味を示します。淋しい一人旅ですから、こうした触れ合いは大歓迎です。
モスクからの帰りは海沿いの道を通り、途中の漁港にあるレストランで遅めの昼ご飯をしました。OSTREAと言う名前からしてシーフードのレストランです。生牡蠣もありましたが、この日はあまり良いサイズのものが揚がらなかったようです。大中小の「中」を頂きました。もちろん、白ワインも一緒に。モロッコ産の白ワインをもらいましたが、酸味もミネラル分も甘味もしっかりあって、飲み応えのある濃いロの白でした。モロッコは野菜が立派ですが、葡萄も濃いのでしょう。だからこれほどに濃密な白ワインができるのでしょう。ここも白身の魚をシンプルにソテーして塩だけで味付けするスタイルです。シンプルですが、洗練されてもいます。食後、お腹一杯でしたが、帰りにサン=テグジュペリ所縁のホテルでエスプレッソを一杯。
人通りの多い大通りの交差点に面したHotel Excelsiorは、ホテルとしては今はもうお薦めできないそうですが、1階のカフェは広く天井も高く席もゆったりしています。屋外より屋内の席の方が寛げます。ホテルの裏にあるスーパーでお土産の買い出し。ACIMAというチェーン店。酒はありませんが、カードが使えてミントティーやらタジンスパイスやらを買いました。




12月24日(日)第10日目

帰国の日。
約束の時間にカリームとは別のドライバーが迎えに来てくれました。もう何度も顔を合わせているベルマンのオッさんが荷物を積み込んでくれました。まだ少し残っていたディルハムを最後の握手と一緒に渡す。
少し早めに空港に到着するも違うターミナルに降ろされてウロウロする。まあこのあたりは大らかなお国柄なので。こっちもターミナル確認してなかったし。どうもカリームの丁寧な仕事に慣れてしまって迂闊だった。それでも小さな空港なので、徒歩で移動して5分くらいか。
早めに着いたのには訳があり、昨夜エミレーツから搭乗便の遅れを知らせるメールが届いていたからです。ドバイでの乗り換えは1時間ほどしかなく、大幅な遅れでは乗り遅れる事も考えられます。多少遅れても大概の場合は待っていてくれるそうです。カウンターでは乗り継ぎ便のチケットも発券されたので、多分大丈夫だと自分に言い聞かせていました。待合ロビーで軽く食事をして、最後の買い物でモロッコワインを買い飛行機の到着を待ちました。

12月25日(月)第11日目

1時間40分遅れで出発したドバイ行きの機長は頑張って飛んでくれました。ほぼ乗り継ぎ便の出発時刻でしたが、ドバイ国際空港上空までやってきました。しかし、無情にも45分の上空待機のアナウンスがありました。これで完全にアウトです。どうもこの週、アラビア半島は極度に天候が悪く、この日も霧でフライトがメチャメチャだったようです。とても待っている余裕はなかったようです。空港も大混乱で多くの人がチケットの再発行待ちでごったがえしていました。でも、流石エミレーツです。ホテルをちゃんと手配して、それも一人部屋を準備くれました。最安のチケットなのにスマンね。これが格安航空会社だったら、丸一日空港の床に寝ている事になったでしょう。シャワー浴びて、ベットで休めて、さらに3食提供されたので大変助かりました。今回の事で、復路は逆に一気に飛ばないでドバイで一泊した方が身体は楽だと思います。近代的なドバイの街も楽しめたでしょうし。

12月26日(火)第12日目

ホテルと空港間の送迎ももちろん手配されていますので、こちらは決められた時間にロビーに集合するだけでした。実は出国審査後の手荷物チェックでモロッコワインを没収されてしまいました。入国時はフリーパスだったのに。あれだけ待合ロビーで酒を売っているのに。
まあその後は何事もなくすんなりと搭乗し、定刻より遅れてはいましたが無事に離陸しました。順調に飛んで成田に到着、入国審査も混雑せず帰って来たのですが、最後の最後にロストバケッジ。エミレーツの担当者も恐縮しつつ、一昨日はもっと大変だったと教えてくれました。今回はそれだけ大きな天候不良だったのでしょう。友人に話したら、タダで宅配してもらったと思えばいいのでは?と言われ、確かに帰りの道中身軽で楽だったな。旅の最後に色々ありましたが、まあこれも「アラーの神さまの思召し」と思いましょう。
年寄りの一人旅、しかも文化も違う初めての国に行くのなら綿密なプラン作りが大切です。プランがしっかりしていて手配もきちんとされていれば、もし思いも寄らない事が起こっても対処は容易です。それを今回痛感しました。モロッコを全て車で移動するのはどうかと最初は思っていましたが、それもこちらのペースに合わせて移動できるので良かったと思いますし、宿泊先はどこも素晴らしく、女性の方にもきっと気に入ってもらえると思います。(一人旅であった事が悔やまれます)若い時は体力と熱意で旅をすればいいのですが、齢50のオッさんは素直にプロの見立てに従うのがベストでしょう。食事もほとんど手配してもらいましたが、これも一人見知らぬ街を空腹を抱えて彷徨う事なく済みましたので良かったと思います。
実は次はどうしようか、もう考え始めています。それだけ今回の旅が思い出深く楽しかったという事なのでしょう。
最後に旅の終わりに彼の地で出会い、挫けそうな私を助けてくださいました、志村医師ご夫婦と料理人の高橋君に謝意を表して、私の珍道中記を終わります。