南アフリカ・スタディーツアー

2005年3月に催行した「南アフリカスタディーツアー~HIV/エイズについてともに考え、ともに生きる」にご参加頂いた成瀬 文 様からのレポートです。私たち日本とも無関係でないHIV/エイズ問題の南アフリカでの状況を学び、この問題に関わる人々を訪問します。3月のツアーでも、HIV/エイズだけでなく、南アフリカそのものについても深く知って頂ける機会になったようです。
ヨハネスブルグへ
3月14日から8日間、道祖神主催の南アスタディツアーに参加してきました。このツアーは南ア社会に色濃い影響を与えているHIV/エイズの現状を目で見て実際考えてみようという目的のもと催行され、今回は私を含む4名の参加者がありました。皆南アフリカ共和国に何らかのかたちで興味を持っているけれど一度も行ったことがなく、初のアフリカ大陸上陸に興奮していました。
1日目 HIV POSITIVE
さて、ツアー最初の訪問先は南ア一の大都市ヨハネスブルクから少し車を走らせたところにある、クリニック内で活動しているHIV/エイズ患者のサポートグループです。
車で到着した途端目に飛び込んだのは「HIV POSITIVE」の文字。グループのメンバーたちがお揃いで着ているTシャツです。自らがHIV陽性であることを受け入れたばかりでなく、その事実を公言している彼女たちの姿は、とても潔く見えました。
クリニック内を見学した後、外の芝生に丸くなってこのグループの活動内容やメンバーになったきっかけを聞いたのですが、逆に私たちがわざわざ南アに来たきっかけやHIV/エイズに対して思っていること等を質問され、答えに窮してしまいました。
事前にHIV/エイズや南アフリカ共和国に関して多少は調べて行ったにもかかわらず、実際求められるとはっきり自信を持って意見できない自分に苛立ちを覚えつつも、「しっかり勉強し直さないと」と思わせてくれるこの状況に刺激を受けずにはいられませんでした。
同じように苦しんでいる患者のために立ち上がったメンバーたちの活動は少しずつ普及してきており、グループメンバーになって自分がHIVに感染しているという事実を受け入れる努力をする人も増えてきているとのことでした。どんな小さな活動も、やらなければゼロだけど、少しずつでも続けていると何かは変わるのだなと思いました。
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ファーストフード店にて
そしてお昼ご飯に立ち寄った南アで人気のファーストフード店では、道祖神の現地駐在員さんに注文をお任せ。するとチキンとバン(ハンバーガー用のパン)とサラダが出てきました。
「好きなように食べればいいんですよ」との言葉に従い、とりあえず付属のホットソースをチキンに絡ませ、バンに挟んでがぶり。辛い!しかし冬の日本を発ってきた私には夏の味という感じがしておいしくいただきました。しかも日本で見たことのないファーストフード店だったので「本当に南アに居るんだなぁ」という実感が湧き、一瞬旅行者気分に浸りました。
しかしガラスで仕切られている店内の様子は外から丸見えで、ムルングと呼ばれる白人のカテゴリーに属する私たち日本人の姿は非常に目立ちました。その状況を考えると、駐在員さんやその知人の南アの人たちが一緒でなければ「金を持っている外国人旅行者」に見えるであろう私たちの身も決して安全ではなかったのかも知れません。
現地に詳しい方に案内してもらって本当に良かったと強く思った瞬間でした。この日は他にも、先進的な治療を施している大病院付属のクリニックを訪ねて医師の方らと議論をしたりと盛りだくさんの内容で一日を終えました。
2日目 TAC
十分な睡眠をとって疲れもない私は、元気に二日目を迎えました。
この日はまずHIV/エイズの治療環境改善を政府に訴えている団体TAC(Treatment Action Campaign)事務所を訪問し、HIV/エイズや子供の権利に関する多くの資料をいただきました。この団体は政府提言を行うばかりではなく、国民に HIV/エイズに関する情報を周知させていく活動等も活発に行っており、事務所内に貼られた数々のポスターはコミカル且つメッセージ性の高いものばかりで、興味深かったです。
日本人でもこの団体の姿勢に賛同して会員になっている方もいらっしゃるそうで、知らないところで頑張っている日本人も多いなと改めて感心したりしました。
ところでこの事務所に入る際、入り口に鉄格子があり、昼間でも鍵がかかっていました。身分証明できる人間でないと中に入れないようになっており、これは後ほど訪れた多くの場所でも同じようになっていました。
会社や事務所等はもちろん、レストランなどの公共機関も鍵付き格子付きのところがありました。ヨハネスブルクの治安を考えると当然のことなのかもしれませんが、やはりそれでも威圧感を感じずにはいれませんでした。
また、この事務所は道路沿いのビルに入っていたため、車は近くの路上に駐車したのですが、駐在員さんが路上に立っている人にいきなりお金を渡されていたので疑問に思ったところ、その人は路上駐車場に停められた車を運転手が帰ってくるまで見張る仕事をしているそうです。
車上あらし対策ということなのでしょう。車上あらしの頻発する他の大都市でも見たことのない光景に、私は驚きを隠せませんでした。ただ、中にはお金をもらってもそのまま逃げる人もいるようで、現地の事情がわからずに旅行するのは危険だなとつくづく感じました。
アパルトヘイト博物館
それから向かったのが、アパルトヘイト博物館です。ここでは充実した資料群に圧倒されました。
金鉱跡に建てられた豪華な遊園地の近くに位置するこの博物館は、入り口から凝っていました。ランダムに入場券が渡されるのですが、「白人」と「黒人」は別々の入り口から入ることになっています。私はたまたま白人の入り口から入ることになったのですが、ツアーメンバーの他三人は黒人側の入り口から入場し、区切られた空間を歩いている間、なんだか非常に複雑な気分でした。展示場にたどり着くまでの間にも姿見状の置物が坂の下から上まで連なっており、その一つ一つにさまざまな年代の人が描かれています。後ろから見ると老若男女ということしか分からないのですが、前から見ると人種の違いが一目瞭然という造りになっています。この造りは「人間は誰でも同じなのに」ということを強烈に感じさせます。さらに、それらは鏡なので、自分の姿も映ります。誰でも同じ人間、しかし果たして自分は本当にそう思っているのか、と自問させられ一瞬ドキッとする場所でした。
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ドロッピングセンター
それから南ア最大の黒人居住区(アパルトヘイト時代に政府が黒人専用居住区として作った街)であるソウェトにある孤児院、そしてエイズ孤児たちのためのドロッピングセンターを訪ねました。
このドロッピングセンターでは保護者をHIV/エイズで亡くし、子供だけで生活していて栄養のある食事をとれない家庭のために食事や遊び場を提供しており、学校が終わるとそれぞれがここにやってきて同じ状況下の子供たちと遊びます。
このセンターはエイズ孤児に対する偏見を避けるため、カラード(インド系などの混血の人々)の人々が主に住む地域に建てられており、専門知識を持ったソーシャルワーカーもいます。アフリカで出会った子供たちのほとんどは想像を絶するくらい元気で、実際一緒にボールや遊具で遊んだのですが、息が切れるほど遊んでも遊び足りないようでした。
空手ごっこをしたりただ走り回ったりする彼らの笑顔を見ていると、彼らのおかれている状況、そしてこれから背負う人生の重さが現実のものとは思えなくなるくらいでした。もちろん中には母子感染している子供もいるようで、顔に発疹ができた子もいました。彼らの無邪気な顔を見ていると一刻も早くHIV/エイズの無料治療が広く普及することを願わずにはいれません。
この日はそのままソウェトの民家にホームスティしました。
私のステイ先の家族は両親に子供4人でしたが、広いリビングにDVDまであり、ご飯も何度も出てくる歓迎ぶりで、非常に快適に過ごしました。ただ夜はトイレに行きたくてもバケツで済ますようにとのことでした。南アの元黒人居住区では外にトイレが設置されていることが多く、門の中といえどもレイプの多い夜に一人で外に出るのは危険だということでバケツで用を足すのが普通のようです。
シャワーが浴びられなくても平気だった私ですが、他人の前でバケツを使うのにはさすがに勇気が要りました。朝食前に近所を散歩して、ソウェトでポピュラーだという揚げパンのような朝食を摂っていざツアー3日目へ突入です。
3日目 HIVSAとPHRU
朝からHIVSAというバラグワナホスピタル内にあるNPOを訪問しました。
ここはPHRUというリサーチユニットと協力して活動しています。PHRUがHIV/エイズの患者に治療やケアを提供し、HIVSAがカウンセリングや教育等のサービスを行っています。ここは特にHIVに感染した妊婦に対するサービスにおいて先駆的な施設で、男性への教育やカップルカウンセリングも行っており、HIV/エイズ患者の増えている日本でも参考にすべき取り組みがたくさんあるように思いました。
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それからソウェト内のクリップタウンを歩きました。ここはスクウォッターキャンプと呼ばれる違法居住区なのでソウェト内でも整備されておらず、狭い地域に3万人くらい住んでいるとも言われているところです。トイレと水場も共同で使用しています。
私が訪れたある家庭では、小さな家(ティンハウスと呼ばれるトタンなどで作ったバラック小屋のようなもの)に家族十数人が住んでおり、家族の生計はおばあさんのもらう年金で立てているとのことでした。
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南アでは最低賃金が700ランド(日本円で12,600円くらい)程度なので、エイズ患者含む身体障害を持つ人がもらう年金が740ランドであることを考えると、働くよりも収入がよい場合があり、低賃金の仕事には出稼ぎにやってきたジンバブエ人らが就くのだそうです。
それゆえ年金を頼る人も多く、このまま患者が増え続けると南ア政府の台所事情はかなり厳しいものになりそうだということでした。
その後かなり広い墓地内を車で通過しながら見学したのですが、子供のものと思われる小さな墓もたくさんあり、また新しい墓がたくさん見受けられました。
広大な敷地が次々埋まっていくらしく、エイズ患者が多いことも原因の一つだろうというお話でした。
Let Us Grow
それからオレンジファームというヨハネスブルクから車で一時間弱の黒人居住区にある、サポートグループLet Us Growを訪ねました。
オレンジファームにはHIV/エイズ患者のためのグループが無かったため、地域で苦しんでいる人々をサポートしたいという思いでこのグループは設立されました。地域への教育から患者のメンタルケア、そして組織の統率までこなす代表はとてもパワフルな方で、エイズ拡大を防ぐにはまず正しい教育が必要で、子供をしっかり教育できる親の育成が必要と説かれていました。
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また、HIV/エイズ患者に対しては、「自尊心を持つこと、そしてどうやって勇気を出すか」ということを教えたいと強く語られていました。オレンジファームには2泊しましたが、最後の夜にはこのグループ主催のバーベキューパーティに参加しました。パップやチャカラカなどの南ア料理を食べて南ア音楽で踊り、本当に楽しいひとときを過ごしました。
エイズバッヂ(グループの資金源になるビーズ細工)を共に作ったり、皆の好物である鳥の足(普通にスーパーに売っている)に挑戦させてくれたりと、ここのメンバーには仲良くしてもらったので別れを惜しみながらヨハネスブルクに戻りました。
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最終日 AIDS HOSPICE
最終日はエイズホスピスを訪れました。
ここにも無邪気に遊ぶエイズ孤児の子供達がいたのですが、以前いらっしゃった日本人ボランティアの方に私の雰囲気が似ていたらしく、皆懐かしそうに話しかけてきてくれたので、出会ってすぐに親しみが湧きました。
このホスピスを作り上げてこられた神父さんは非常に穏やかな方で、南アの面している問題やこの施設と日本との関わりなども話してくださいました。実際に現場を知っている方のお話は非常に説得力があります。
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今回のツアーではこの神父さんを始め、非常にたくさんの方のお話を直接聞くことができました。また、現地に住んでコミュニティに入っているからこそわかる話を駐在員さんからたくさん聞くことができ、深刻な問題も山積しているけれどエネルギッシュな南アフリカ共和国という国にますます興味を持ちました。
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今回はHIV/エイズにフォーカスしたツアーでしたが、この問題は南ア社会にあらゆる側面から影響を与えているためこの国の全体像も垣間見ることができたように思います。そして南ア社会全体を概観したことは他の社会、例えば日本社会を考えるのにも大いに役立つヒントになりました。たくさんの経験ができ、たくさんのことを考えさせてくれた南アフリカ共和国。今回の思い出を胸にまた必ず行きたいと思っています。
南アフリカのツアー・旅行一覧はこちら。
スタディ・体験がテーマのツアー・旅行一覧はこちら。

ソウェトでホームステイ(現地発着)

弊社現地発着ツアー「ソウェトでホームステイ(泊数自由)」にご参加されたY.I 様からのレポートです。
ヨハネスブルグへ
ナミビアの楽しい旅はあっという間に終わってしまい、次はヨハネスブルグへ向った。
とても治安が悪いのでヨハネスを避けて通る旅行者も多いけれど、激動の地と言われているだけに一度見ておかなければならない気がした。
ヨハネスブルグでは「SOWETO」という、アパルトヘイト時代の黒人居住区でホームステイをする事になっていた。南アフリカには、かつて「集団地域法」で有色人種が住む地域として計画的につくられた「タウンシップ」という住宅地がある。このタウンシップの中でも最も有名なのがSOWETOで、ヨハネスブルグの南西部にあったため、South Western Townshipの頭文字を取ってSOWETOと名づけられのたそうだ。
アパルトヘイト崩壊後も全てが急に改善される訳ではないので、未だ SOWETOに住んで厳しい暮らしをしている人が多い。この実態を世界各国の人々に伝えていくために、タウンシップ体験ツアーを受け入れているのだそうだ。旅行本には「SOWETOのツアーは観光化されすぎてしまってリアルな暮らしが見えづらい」というコメントも多い。
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今回は現地の人々と身近に接したかったので、一般的なSOWETOツアーでなく特別にホームステイをアレンジしていただく事になっていた。
ヨハネス空港にはこの駐在員の高達(コウダテ)さんが迎えに来てくださったので、早速車に乗って町へと向う。いよいよヨハネスに来てしまったんだなと緊張していると、高達さんがヨハネスブルグの歴史、アパルトヘイトの事などを語りだした。高達さんは旅行社の人というよりは、フリーのジャーナリストの様な感じの人だ。ヨハネスでの駐在暦は4年という事だけれど、もう何十年もいる様な感じで地域や人々の抱える問題、背景をよく知っている。そして、何より思い入れがある。特にSOWETOは第二の故郷みたいな存在の様で、何だか熱いものを感じてしまった。
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SOWETOへの道中、ヨハネスブルグの旧白人居住区をドライブする。白人の方や富裕層が多く住むという住宅街は、どれも豪華な住宅ばかりで、まるで香港やシンガポールの町並みの様だ。綺麗に手入れされたビューリンゲンの植木、優雅にテニスをする少女たち、道行く高級車…。ここが本当に「世界で最も危険な町」なのかなと疑ってしまうくらい穏やかな空間だった。
市街を行くと急に東洋人だらけの地域を通りかかる。どうやらヨハネスブルグにもチャイナタウンがある様だ。ヨハネスブルグには古くから中国人がたくさん移住してきていて、それなりに成功している人も多いのだそうだ。こんな所でもコミュニティを築くなんて、中国人はやはり強いなあと関心した。
ダウンタウンへ
住宅地の後は町の中心部、ダウンタウンへと向う。ダウンタウンが近づくと、ガラリと雰囲気が変わって緊張感が高まった。白人、東洋人の姿はほとんどなく、通りを歩くのは黒人の人たちばかり。もちろん旅行者らしき人もいない。時間帯・場所によっては、白人、お店を持っているインド人、中国人などもいるそうだけど、この日は日曜の夕方という事もあって、特に閑散としている。黒人の人たちは、地元の人たちの他、南アの他の地域、ジンパブエ、モザンビーク、ナイジェリア、エチオピア、ソマリアなどから出稼ぎに来ている人たちなど様々という事だった。
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ビルも空室だらけで閑散としている。昔はこのあたりに国際企業の事務所があって栄えていたけれど、治安の問題で続々とサントン地区に移動してしまったのだそうだ。町の象徴と言われるカールトン・センターですら、治安の問題でカールトン・ホテルが撤退を余儀なくされたという。今ではガラ空きになったビルもたくさんあって、何だかもの悲しかった。
このあたりは強盗がとても多いという事なので、車外から見られない様にそっとシャッターを切る。
カールトン・センターや中央駅周辺などは特に危険な地域で、旅行者はもちろん、南ア人でも余所者だと分かると強盗に合ったりするのだそうだ。乗り合いタクシーの運転手が、休憩中にカモを見つけて強盗に早変わりしてしまう事があるという噂すらあるのだという。
サントン地区などは高級車がよく走っているのでカージャックが多い様だけれど、街中では圧倒的に強盗の被害が多いのだそうだ。性犯罪もとても頻繁に起こっているという。本当にそんな事が普通に起こりそうなくらい、町の空気がヤバくて本当に恐い。NYのハーレムやモスクワのダウンタウンにも行ったけれど、ここの方が何十倍も危ないなあ。せめてカージャックや強盗には合いませんように。車中ながら、知らず知らずカチコチになっている自分がいた。
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ソウェトへ
ダウンタウンを出ると、いよいよSOWETOへと向う。ハイウエイで走る事数十分、「Welcome to SOWETO」という看板と共にSOWETの町並みが現れる。道路中央に建てられたLOREALの看板が、妙に町とマッチしていて不思議な感じだ。
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SOWETOの町や労働者がペイントされた発電所跡、体育館の様な教会、シビーンというもぐりの飲み屋…。中心部の市街地では見られなかった光景が続々と現れる。高級車は姿を消し、道を行くのはSOWETOの人々がぎゅうぎゅう詰めに乗ったミニバス、そしてひたすら自分の足で歩く人、人、人…。
SOWETOの人々はヨハネスブルグで仕事を得ても、毎日すし詰めのミニバスで長時間かけて通勤しなければいけない。大体5時頃に起きて職場に向う人が多いのだそうだ。
SOWETOの町を更に行くと、スクウォッターキャンプを通りかかる。スクウォッターキャンプとは不法居住区の事で、SOWETOの中でもとても厳しい生活を送っている人が住んでいる地域だ。住宅というよりは掘っ立て小屋の様な建物が何百件、何千件と密集して建っている。暮らす場所を見つけるのも難しい状態なので、こんなに小さな掘っ立て小屋の中にも何人もの大家族が住んでいたりするのだそうだ。
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電線すらしかれていない所も多く、あたりはとても薄暗い。このあたりは、エイズに苦しんでいる人も多いのだという。お金を貯めるために一時的にここに住んでいるだけの人もいる様だけれど、全般にとても苦労している人が多い地域の様だ。
「遠い夜明け」に出て来た様な場所が、未だに実在するんだなあ。日本にいるとアパルトヘイトの撤廃で何もかも良くなったと思ってしまうけれど、問題はまだまだ解決されていないのだなと思った。
ピリ地区へ
スクウッターキャンプを抜けると、ホームステイ先のピリ地区へと向う。ピリ地区は合法の居住区なので、スクウォッターキャンプよりは水準が高い。それでも地元の人以外を見かける事がまず無い、ディープな場所だという。そこら中走り回っても、私と高達さん以外外国人は誰も見かけない。今日はここに泊まるんだなと再び緊張感が高まる。
ピリ地区の様な合法居住区には、政府が労働者のために計画的に建てたという家が整然と並んでいる。旧白人居住区の豪邸と比べて「マッチ箱」と言われている様だけど、敷地は日本の戸建てより広く何だか不思議な感じだ。良く見ると一戸建て、二軒長屋、三軒長屋と色々なタイプの家がある。それぞれ母屋らしき建物に継ぎ足して増築したり、カラフルに塗装したり、外装に凝ってみたり…いろんな工夫がされている。SOWETOの人たちは働いてお金を稼いでは、こうして家のリフォームやお洒落、お酒にお金を使っていくのだそうだ。ある意味、日本人より一日一日を楽しく生きるのが上手いのかもしれないと思った。
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ビッグママの家へ
ホームステイ先は、そんな町の一角にある長屋だった。
高達さんの車から降りると、早速何人かが出迎えて歓迎してくれる。皆温かくていい人そうなので、ほっと安心する。
SOWETOは恐いところと言われているけれど、一度地元の人たちに溶け込んでしまえば家族的につきあえる事もあるのだという。とはいえ旅行者がふらっと来て急に入り込めるわけでもなく、今のところSOWETOに入り込めている日本人は、高達さんとあとわずか数人だけだという事だった。
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長屋の中に入っていくと、まだ夕方だというのに何人かの人たちは既にお酒を飲んで出来上がっている。
この家はガレージにテーブルや椅子を並べて、飲み屋を経営していた。タウンシップには、ビールやドブロクをライセンス無しで売る「シビーン」という飲み屋がたくさんある。言わば「モグリの飲み屋」だけれど、生活を支えるための重要な産業として栄えている様だ。
SOWETOの人たちはこの「シビーン」でとにかくよくビールを飲む。飲んで、飲んで、その日を楽しく終えるのだそうだ。 エクステンドルーム、ガレージなど、敷地一杯に増築された家の奥に入っていくと、リビングルームで100数十キロはありそうな大きな女性が待っていた。ホームステイのホスト役のビッグママだ。歓迎の意と共に一先ず抱きしめられ、圧倒される。何でも二年前までは体重が170キロ(!)あって、今はもっと太ったかもという事だった。体格もすごいけれど、何というか親分的なオーラがあってとても迫力がある。
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SOWETOでは、子供や家を守らなければならないという意識から、女性の方がしっかりしていたり強かったりする事が多いのだそうだ。ビッグママもシビーンを切り盛りしたり、大家族を養ったり、いろいろ苦労も多いんだろうなと思った。
ビッグママへの挨拶が終わると、お茶をいただきながら、娘さん、息子さん、子供達…、順々に紹介をいただく。ビッグママの影響か、皆明るくてきっぷのいい人たちだ。ノリがよくお洒落で、アフリカ人というよりはブラック・アメリカンの様な感じがする。とりわけお洒落のレベルは高く、原色の服を格好よく着こなしたり帽子や眼鏡を上手くコーディネートしていたりしている。SOWETOの人たちは老若男女問わず、とにかくお洒落に余念がないのだそうだ。
ソウェトの子供達
皆への挨拶が終わると、夕食までの間子供達と遊ぶ。子供達は写真が好きな様で、撮って撮ってとねだってくる。
南アの子供達は写真を撮られる時、人差し指や小指をたてたピースの様な仕草をする。どうやらテレビで流行った「オラ・セブン」という番組のポーズの様だ。写真をたくさん撮らせてくれるのは良いけれど、普通にしてた方が可愛いいからと言っても必ずこの格好をしてしまう。撮影会に悪戦苦闘しつつ、子供達と戯れるのは楽しい。皆無邪気で可愛いけれど、中には事情があって両親と一緒に暮らせなかったり苦労を抱えた子もいるのだそうだ。
この子達が大人になる頃には、もっと多くの事が解決されていると良いなあと思った。
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ソウェトでの夕食
この日は家族の一人が誕生日だったので、ビッグママの娘さんたちが腕をふるってご馳走をつくってくれた。誕生日の当人が一番一生懸命料理をつくってくれていて、こんなイージーさもSOWETOらしさなのかなと思った。
メニューはカレー風味のチキン、サラダ、カボチャの煮物、ポテト等々。とてもボリュームがあって美味しい。
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ビッグママの家族、遊びに来ている近所の人たちも一緒に大勢でワイワイ食べる。時々シビーンの常連客が居間に流れこんできて、歌ったり踊ったりしてくれる。皆、歌も踊りも上手いので見ているだけで楽しい。SOWETの家庭はとてもオープンらしく、娘さんの友人たち、近所の人たち…。この日だけでも20人くらいの人が出たり入ったりしていた。夜遅くまでおしゃべりしたり、飲んだり、踊ったりそれぞれに楽しんでいる。近所の人たちも、娘さんの友達も、皆家族の様に仲が良い。
皆それぞれ苦労も多い様だけど、日本人より本当の楽しみ方をよく知っているのかもしれないなあ。
この晩は、ビッグママが用意してくれた可愛い客室で眠る事になった。大きなベッドに横たわりながら、子供達が床で寝ていた事を思い出し申し訳ない気持ちになる。
明らかに寝る場所が足りないけれど、皆ちゃんと眠れるだろうか?このあたりも強盗がたくさん出るっていう事だけど、シビーンのお客さん達は無事に帰れるんだろうか?シビーンや居間では、まだまだワイワイやっているのが聞こえる。今日は本当に衝撃的な事ばかりだったな。こんな世界があるなんて知らなかった。自分は本当に世界の一部しか見てなかったんだなと思い知らされる一日だった。
ソウェトを去る朝
翌朝の飛行機は早かったので、慌しくビッグママの家を去る事になった。
朝食を食べながら別れを惜しみ、お別れの挨拶をする。短い間だったのに、ビッグママが「また来てね」と泣いてしまったので、私もホロリと来てしまった。 SOWETOの人たちはとても情が深い。今回はヨハネスのトランジットついでに短期間で来てしまったけれど、皆と一緒に過ごしたり、町や施設を見たり、もっと経験すべき事はたくさんあったんだろうなあ。
ビッグママの家を去ると、再びSOWETOの町をドライブしつつ空港へと向う。
貧困家庭に政府が無料や安価で提供しているというRDPハウス(RDP=Re-development Plan=復興開発計画)、SOWETOに隣接・近接した地域にある混血の人が住むカラード・タウンシップ、インド系の方が住むインディアン・タウンシップ…と、いろいろな場所がある。アパルトヘイトが撤廃されても、SOWETOから旧白人居住区の豊かな暮らしにステップアップできるのはまだごく一握りの人たちだけなのだという。
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短い滞在期間だったけれど、SOWETOでのホームステイは、私の旅の中で、人生の中で、最も衝撃的な経験の一つになった。SOWETOの人たちの抱える問題に比べたら、日本人の悩みなんて本当にちっぽけなもんだなあ。もっと一日一日を楽しく、強く生きなければ駄目だなと思い知らされる体験だった。
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